第5話 料理祭開幕! 竜王の料理が町を滅ぼしかける!?
「レオン! 起きろ!」
朝っぱらから、耳元で大声が響いた。
「……うるさい」
「起きろと言っている!」
「あと五分……」
「五分とは何だ!」
「人間が平和に生きるための魔法だ……」
レオンは毛布を頭からかぶった。
昨夜は、ギルドの食堂で料理を作り、片づけまで手伝ったのだ。異世界に来てから、まともな寝床で眠れたのは初めてだった。
できれば、もう少し寝ていたい。
しかし、同室の男はそれを許さなかった。
「レオン! 今日は料理祭の説明会だぞ!」
「……料理祭?」
レオンはがばっと起き上がった。
「そうだった!」
「ようやく起きたか!」
「なんで早く言わないんだよ!」
「何度も言った!」
「聞こえなかった!」
「お前が寝ていたからだ!」
そこに立っていたのは、深紅の長髪を持つ絶世の美男子――イグニスだった。
朝日に照らされた黄金の瞳。
整いすぎた顔立ち。
そして、その顔にまったく似合わない不機嫌そうな表情。
レオンは思わずつぶやいた。
「……何度見ても、同一人物……いや、同一竜とは思えないな」
「またそれか」
「だってさ。あの巨大な赤い竜が、どうしてこんな美男子になるんだよ」
「我の本質は変わっていない」
「本質が食欲なのは変わってないな」
「当然だ!」
イグニスは胸を張った。
「ところでレオン。朝食は?」
「……」
レオンは無言で枕を投げた。
「お前はそれしか頭にないのか!」
イグニスは片手で枕を受け止めた。
「食事は重要だ」
「わかってるよ! 料理人だからな!」
「ならば、早く作れ」
「お前も働け!」
「我は何をすればよい?」
「とりあえず、その顔で町を歩いて人を集めるな!」
「なぜだ?」
「説明会に行くだけで大騒ぎになるからだよ!」
イグニスは鏡をのぞき込んだ。
「……やはり、この顔が問題なのか?」
「そうだよ!」
「ならば、さらに美しくしてみるか」
「余計なことをするなぁぁぁっ!」
こうして二人は、朝食を食べる時間も惜しんで、料理祭の説明会へ向かうことになった。
もっとも、イグニスは道中でパンを三つ買い、歩きながら全部食べた。
レオンは見なかったことにした。
食費のことを考えると、頭が痛くなるからだ。
***
料理祭の会場は、町の中央広場だった。
広場には大きな天幕が並び、色とりどりの旗が風に揺れている。
肉、魚、野菜、果物。
珍しい食材を売る屋台もあれば、調理器具を展示する商人もいる。
そして、中央には巨大な舞台が設置されていた。
「おお……!」
レオンは思わず足を止めた。
「すごいな。こんな大きな料理祭があるのか」
「うむ。なかなかの規模だな」
イグニスも珍しく感心した様子だった。
「これだけ食材があれば、相当な料理が作れそうだ」
「お前は食べる側だろ」
「出場する以上、食材の確認は必要だ」
「お前、出場する気満々だな……」
そのとき、会場の入口に人だかりができた。
「見ろ! 今年の特別審査員だ!」
「王都から来た料理長らしいぞ!」
「大陸でも有名な料理人だって話だ!」
人々の視線の先に、白いコック服を着た男が現れた。
年齢は四十代ほど。
整えられた口ひげ。
鋭い目つき。
歩き方ひとつにも無駄がない。
男は舞台に上がると、広場を見渡した。
「諸君。今年の料理祭では、味だけでなく、技術、工夫、食材への理解も審査する」
落ち着いた声が広場に響く。
「珍しい食材を使えばよいというものではない。高価な材料を並べればよいというものでもない。食べる者に、もう一度食べたいと思わせる料理こそ、優れた料理だ」
レオンは静かにうなずいた。
「……いいことを言うな」
隣でイグニスが首をかしげた。
「つまり、肉を多く使えばよいということか?」
「どこをどう聞いたらそうなるんだ!」
「もう一度食べたいと思わせればよいのだろう?」
「そうだけど!」
「ならば、皿いっぱいに肉を盛ればよい!」
「それは大食い大会だ!」
イグニスは不満そうに腕を組んだ。
「人間の料理祭は難しいな……」
「お前にとってはな!」
説明会が終わると、参加者たちに出場登録の案内が配られた。
レオンは迷わず名前を書いた。
レオン・リー。料理人。
そして隣では、イグニスが受付の紙をにらんでいた。
「……名前はどう書けばよい?」
「イグニスでいいだろ」
「竜王イグニスでは駄目なのか?」
「駄目だ。目立つから」
「では、偉大なるイグニスは?」
「もっと駄目だ!」
「人間の規則は面倒だな」
結局、イグニスは不満たらたらで「イグニス」とだけ記入した。
受付係は名前を見て、にこやかに尋ねた。
「ご職業は?」
「竜王だ」
「剣士です!」
レオンが横から割り込んだ。
受付係は少し考えたあと、職業欄にこう書いた。
剣士。
イグニスは、その文字を見て満足そうにうなずいた。
「よし。人間社会への適応が進んでいるな」
「適応してるのは俺だよ!」
***
参加者の控え室には、すでに多くの料理人が集まっていた。
大きな包丁を持った屈強な男。
魔法で野菜を刻んでいる若い女性。
香草の束を山ほど持ち込んだ老人。
そして、金色の刺繍が入った上等な服を着た若い料理人。
その男はレオンを見ると、鼻で笑った。
「君が参加者か?」
「そうだけど」
「ずいぶん簡素な装備だな。調理器具も少ないようだが」
「使い慣れたものがあれば十分だよ」
レオンは愛用の中華包丁を軽く持ち上げた。
男はそれを見て、さらに笑った。
「そんな大きな包丁一本で勝つつもりか? ここには王都の名店で修業した者もいるんだぞ」
「そうなんだ。すごいな」
レオンはあっさり答えた。
男は拍子抜けしたようだった。
「……悔しくないのか?」
「何が?」
「僕は王都の名店で修業したんだぞ!」
「それはすごいと思うよ」
「なら、もっと驚け!」
「いや、修業した場所と料理の味は別だろ?」
男の笑顔が消えた。
「……何だと?」
「どこで学んでも、うまい料理を作れるならいいじゃないか。大事なのは食べる人が喜ぶかどうかだよ」
レオンは穏やかに言った。
男は口を開きかけたが、言葉が出なかった。
その横から、イグニスが顔を出した。
「レオン。あの男は敵か?」
「違う。料理祭の参加者だ」
「では、倒してよいのか?」
「よくない!」
「料理で勝負するのだろう?」
「そうだよ!」
「ならば、料理で倒せばよい」
「表現が物騒なんだよ!」
男はイグニスを見て、思わず息をのんだ。
「き、君は……」
イグニスは堂々と胸を張った。
「我はイグニス。いずれ、この料理祭を制する者だ」
「……顔だけなら、すでに優勝していそうだな」
「当然だ」
「そこは否定しろよ!」
レオンが突っ込むと、控え室に笑い声が広がった。
だが、そのとき。
控え室の奥から、低い声が響いた。
「随分と騒がしいな」
人々が一斉に振り向いた。
そこに立っていたのは、黒い料理服を着た大柄な男だった。
短く刈った黒髪。
太い腕。
そして、首元に刻まれた奇妙な紋章。
男はレオンの包丁を見て、口元をゆがめた。
「その包丁で料理をするつもりか?」
「そうだけど」
「ふん。玩具にしか見えんな」
レオンは包丁を握り直した。
「使い慣れてるんだ。これで十分だよ」
「ならば、せいぜい恥をかかないようにすることだな」
男はそれだけ言うと、控え室を出ていった。
イグニスが眉をひそめた。
「無礼な男だな。焼いてやろうか?」
「料理祭の最中に人を焼くな!」
「冗談だ」
「お前の冗談は信用できない!」
レオンは去っていく男の背中を見つめた。
あの男の首元にあった紋章。
どこか、嫌な感じがした。
だが、今は料理祭に集中するべきだ。
レオンは包丁を布で拭き、静かに息を吐いた。
「よし。何を作るか考えよう」
イグニスがすかさず尋ねる。
「肉料理か?」
「まだ決めてない」
「肉料理にしろ」
「お前の希望で決めるわけじゃない!」
「では、魚料理か?」
「聞いてないだろ!」
***
その日の午後、参加者たちは試作のために食材市場へ向かった。
市場は大賑わいだった。
見たこともない野菜。
紫色の果物。
光を反射する魚。
そして、魔獣の肉を専門に扱う店まである。
レオンは一つずつ食材を見て回った。
「この根菜、煮込んだら甘みが出そうだな……。こっちの香草は肉の臭み消しに使えるかもしれない」
料理人の目が輝いている。
一方のイグニスは、肉屋の前から動かなかった。
「レオン」
「今、食材を見てるから」
「レオン」
「ちょっと待って」
「レオン!」
「なんだよ!」
イグニスは真剣な顔で、店先の肉を指さした。
「この肉は、我が食べてもよいのか?」
「買えばな」
「金がない」
「討伐報酬はどうした?」
「先ほど、パンを買った」
「全部使ったのか!?」
「三つしか買っていないぞ」
「三つも買ったのか!」
「腹が減っていたのだ」
レオンは天を仰いだ。
討伐報酬を手にしたのは、ほんの数時間前だ。
それなのに、もう残っていない。
「お前、金銭管理が壊滅的だな……」
「金は食べられぬ」
「食べるために必要なんだよ!」
「矛盾している」
「してない!」
店主が、笑いながら口を挟んだ。
「兄ちゃん、そんなに肉が好きなら、うちで働いてみるか?」
イグニスの目が光った。
「肉を食べてもよいのか?」
「仕事が終わったら、まかないくらい出すぞ」
「引き受けた!」
「待て待て待て!」
レオンが慌てて止めた。
「お前、何をする気だ?」
「働くのだ」
「何ができるんだよ?」
「力仕事だ!」
店主はイグニスの体格を見て、にやりと笑った。
「そりゃ頼もしい。じゃあ、荷物を運んでもらおうか」
「任せろ!」
イグニスは大きな木箱を二つ持ち上げた。
軽々と肩に担ぐ。
店主が驚きの声を上げた。
「おおっ! すごい力だな!」
「当然だ。我は――」
「剣士です!」
レオンが叫んだ。
「すごい剣士なんです! 力自慢の!」
店主は笑った。
「ははは! 面白い兄ちゃんたちだな!」
その後、イグニスは大量の荷物を運び、見事に仕事をやり遂げた。
報酬は、銀貨数枚と肉の串焼き。
イグニスは串焼きを受け取ると、感動したように目を閉じた。
「……働いて得た肉」
「大げさだな」
「違う。これは尊い」
「串焼き一本で人生観を変えるな」
イグニスは一口食べた。
そして、静かにうなずいた。
「うむ。うまい」
レオンは苦笑した。
「まあ、自分で稼いだ金で食べる飯は、格別だよな」
「そうなのか?」
「そういうものだよ」
イグニスは残りの串焼きを見つめた。
「……では、もう一本買うために、もう一度働くか」
「ようやくまともな考えになったな!」
「レオン。次は肉を十本買う」
「戻ってるじゃないか!」
***
夕方。
レオンは市場の片隅で、珍しい食材を見つけた。
小さな木箱に入れられた、青白く光るキノコ。
その隣には、赤い筋の入った細長い根菜が並んでいた。
店主の老人が声をかける。
「おや、料理人さんかい?」
「はい。このキノコ、見たことがないんですが」
「月灯り茸だよ。暗い場所で光る珍しいキノコさ。魔力を含んでいるから、扱いには注意が必要だ」
レオンは興味深そうに観察した。
「食べられるんですか?」
「毒抜きを間違えなければな。普通の料理人は、あまり手を出さないよ」
「なるほど……」
そのとき、隣からイグニスが顔を出した。
「光るキノコか」
「そうみたいだな」
「食べれば、我も光るのか?」
「食べるな!」
「なぜだ?」
「毒があるかもしれないからだよ!」
「我は竜だ。毒など効かぬ」
「それ、さっきの魔猪にも言えるのか?」
「……」
「黙るな!」
老人は二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。
「面白い連れだねえ。ところで料理人さん、料理祭に出るのかい?」
「はい」
「なら、気をつけな。最近、町の外で妙なことが起きている」
レオンの表情が変わった。
「妙なこと?」
老人は声を落とした。
「魔獣が普段とは違う場所に現れたり、凶暴になったりしているんだ。原因はわからないが、何かが起きているのかもしれない」
レオンは、東門で戦った魔猪を思い出した。
あの巨体。
異常な突進。
そして、妙に硬い皮膚。
「……魔獣の異常行動か」
イグニスも、珍しく真剣な顔になった。
「確かに、あの猪は普通ではなかった」
「お前、気づいてたのか?」
「肉の質がよかった」
「そこじゃない!」
「……冗談だ」
イグニスは腕を組んだ。
「魔獣の気配には、何か違和感があった。だが、今はまだわからぬ」
レオンはうなずいた。
料理祭の準備だけでなく、町の外で何かが起きているらしい。
そして、その何かは、ただの魔獣騒ぎではないのかもしれない。
レオンは月灯り茸を見つめた。
「……食材も、魔獣も、知らないことばかりだな」
「ならば、調べればよい」
「お前にしてはまともなことを言うな」
「当然だ。わからぬことは、食べて確かめればよい」
「それだけは絶対にやめろ!」
***
その夜。
ギルドの宿で、レオンは料理祭の献立を考えていた。
紙にいくつかの料理名を書き出す。
魔猪の香辛料焼き。
香草入りの煮込み。
焼き魚と野菜の炒め物。
だが、どれも決め手に欠ける。
「うーん……。せっかく異世界に来たんだ。こっちの食材を活かした料理を作りたいな」
レオンは窓の外を見た。
町の明かりが、夜空の下に広がっている。
日本にいた頃、彼は厨房で働き続けていた。
忙しい日々。
休む間もない仕事。
それでも、客が笑顔で料理を食べてくれる瞬間が好きだった。
ここでも同じことができるだろうか。
いや、ここでしか作れない料理があるはずだ。
レオンは包丁を手に取った。
「よし。明日は食材をもっと調べよう」
その隣で、イグニスはベッドに寝転がっていた。
「レオン」
「なんだ?」
「明日の朝食は?」
「まだ決めてない」
「肉がよい」
「わかったわかった」
「できれば厚切りで」
「はいはい」
「焼き加減は――」
「寝ろ!」
イグニスは不満そうに目を閉じた。
数秒後。
「レオン」
「今度はなんだ!」
「我は料理祭で優勝したら、賞金で肉を買う」
レオンは思わず笑った。
「そうだな。優勝できたらな」
「できる。竜王だからな」
「料理の腕は関係ないのかよ」
「これから覚える」
イグニスは堂々と言い切った。
「我は何事も極める男だ」
「竜だろ」
「細かいことを言うな」
レオンは笑いながら、紙に最後の一行を書き加えた。
異世界の食材で、誰も食べたことのない料理を作る。
それが、今回の料理祭で目指すものだった。
しかし、その夜。
町の外れでは、黒いローブの人物が、月明かりの下で小さな瓶を取り出していた。
瓶の中には、黒い霧のようなものが渦巻いている。
「竜の封印が弱まっている……」
人物は、瓶を握りしめた。
「ならば、計画を早める必要がある」
黒い霧が、指の隙間からわずかに漏れた。
その先には、料理祭の会場があった。
「料理祭の日に、すべてを始めよう」
闇の中で、低い笑い声が響いた。
その頃、宿の部屋では。
「レオン! 明日の朝食は肉か!?」
「寝ろぉぉぉっ!!」
町の危機が迫っていることなど、二人はまだ知らなかった。




