第4話 伝説の竜王、魔猪を焼こうとするな! 料理人の正体が怪しすぎる!?
ドドドドドドッ!!
巨大な魔猪が地面を揺らしながら突進してくる。
その巨体は馬車ほどもあり、岩のような皮膚に覆われていた。頭から伸びる二本の牙は、分厚い木の幹さえ簡単にへし折りそうだ。
東門の前では、冒険者たちが必死に武器を構えていた。
「くそっ! 矢が刺さらねえ!」
「魔法も弾かれたぞ!」
「誰か足を止めろ! このままじゃ門が壊される!」
その騒ぎの中で、レオンは魔猪をじっと観察していた。
「なるほど……。皮膚が硬い上に、突進の勢いがすごいな」
隣では、イグニスが黄金の瞳を輝かせていた。
「見事な肉付きだ」
「感想が食材の品評会なんだよ!」
「肩肉もよさそうだ。脂も乗っている」
「お前、戦う前から解体後の話をするな!」
「重要なことだろう!」
「今は町の危機なんだよ!」
イグニスは鼻を鳴らした。
「ならば、我が一撃で終わらせてやろう」
全身に赤い光が集まり始める。
「おい、待て!」
「何だ?」
「ここは町の入口だ! 炎を吐いたら、魔猪だけじゃなく門も周りの家も焼けるだろ!」
「む……」
「それに、お前が本気を出したら町ごと吹き飛びかねない!」
「町ごと……」
イグニスは少し考えた。
「それでは肉も焦げるな」
「そこを心配するのかよ!」
レオンは額を押さえた。
この竜、伝説級の力を持っているくせに、判断基準がほぼ食欲しかない。
いったい何百年生きてきたのだろう。
いや、何百年も生きた結果がこれなのかもしれない。
「イグニス。お前は周りの人を守れ。魔猪の足止めを頼む」
「命令するつもりか?」
「頼んでるんだよ。成功したら、夕食は肉料理だ」
イグニスの表情が変わった。
「……何料理だ?」
「焼き肉」
「引き受けた!」
「即決かよ!」
竜王の誇りは、肉料理の前では驚くほど軽かった。
***
魔猪が再び突進してきた。
「来るぞ!」
冒険者たちが左右に飛び退く。
イグニスは一歩前に出た。
「下等な獣よ! この偉大なる竜王の前にひれ伏せ!」
魔猪は止まらなかった。
「……ほう。身の程を知らぬか」
イグニスの足元から赤い魔力が広がった。
次の瞬間、魔猪の前に炎の壁が立ち上がる。
「ブモオオオオッ!?」
魔猪が驚いて急停止した。
熱風が周囲を吹き抜け、冒険者たちが目を丸くする。
「な、なんだ今の魔法!?」
「火属性の上級魔法か!?」
「詠唱なしだぞ……!」
イグニスは腕を組んだ。
「どうだ。恐れ入ったか」
「おおっ! すげえ!」
冒険者たちから歓声が上がる。
イグニスは満足げにうなずいた。
「当然だ。我は竜王――」
「よし、今だ!」
レオンの声が響いた。
「足元を狙え! 突進できなければ、あいつの勢いも殺せる!」
「おう!」
冒険者たちが一斉に動いた。
魔猪が炎を避けようと向きを変えた、その瞬間。
レオンは地面を蹴った。
魔猪の横をすり抜け、巨体の動きを見極める。
一歩。
半歩。
ほんのわずかな体重移動。
魔猪の牙が空を切った。
「なっ……!?」
見ていた冒険者が声を上げる。
レオンは魔猪の突進をぎりぎりでかわし、その勢いを利用するように体をひねった。
魔猪の巨体が大きく傾く。
「今だ! 足を狙え!」
冒険者たちの攻撃が集中した。
魔猪は地面に膝をつき、怒りの咆哮を上げる。
「ブモオオオオオッ!!」
レオンはすぐに距離を取った。
息は乱れていない。
顔にも焦りはない。
まるで、厨房で飛び散る油を避けた程度の出来事だった。
イグニスは、その動きを見逃さなかった。
「……まただ」
「何が?」
「お前の動きだ。あの巨体の突進を、なぜあんなに簡単にかわす?」
レオンは肩をすくめた。
「料理人は危険な仕事なんだよ。熱い鍋もあるし、刃物もあるし、酔っ払いの客もいる」
「最後のものは魔猪より危険なのか?」
「場合による」
「人間とは恐ろしいな……」
「納得するところ、そこじゃないだろ!」
そのとき、魔猪が最後の力を振り絞り、再び立ち上がった。
「まだ動くのか!」
冒険者たちが武器を構え直す。
イグニスの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「ならば、終わりにしてやろう」
彼は片手を掲げた。
小さな火球が生まれる。
それは周囲の建物を焼くほどの大きさではない。
しかし、込められた魔力は明らかに尋常ではなかった。
「竜の炎を受けよ!」
火球が飛ぶ。
魔猪の足元に命中した瞬間、強烈な衝撃が走った。
ドォンッ!!
土煙が舞い上がり、魔猪は大きく横倒しになった。
一瞬の静寂。
やがて、魔猪は動かなくなった。
「……倒した?」
誰かがつぶやいた。
「倒したぞおおおおおっ!!」
冒険者たちが歓声を上げた。
「町が守られた!」
「すげえ! あの赤髪の兄ちゃん、何者だ!?」
「魔猪を一撃で……!」
イグニスは髪をかき上げた。
「ふっ。これが竜王の力だ」
「おおおおおっ!」
「称賛は受け付けるぞ!」
「お前、すぐ調子に乗るな!」
レオンは魔猪に近づき、慎重に状態を確かめた。
「よし。大きな傷みはあるけど、肉は使えそうだな」
イグニスの目が輝いた。
「夕食だ!」
「待て。まずは討伐報酬の確認だ」
「肉は?」
「報酬!」
「肉は!?」
「報酬を受け取ってから!」
イグニスは両手を握りしめた。
「人間の社会制度は、我の忍耐力を試している……!」
「まだ町に来て半日も経ってないぞ!」
***
ギルドへ戻ると、受付の女性が二人を見て目を丸くした。
「魔猪を討伐したんですか!?」
冒険者の一人が大きくうなずいた。
「そうだ! あの赤髪の兄ちゃんが、魔猪を倒したんだ!」
「それに、あの料理人さんもすごかったぞ! 魔猪の突進を、紙一重でかわしていた!」
受付の女性はレオンを見つめた。
「料理人さん……ですよね?」
「はい。料理人です」
「本当に?」
「はい」
「……武器は?」
「包丁です」
「魔法は?」
「使えません」
「戦闘経験は?」
「料理の経験ならあります」
受付の女性は、しばらく黙り込んだ。
そして、隣のイグニスに視線を移した。
「では、そちらの方は?」
イグニスは胸を張った。
「竜王だ」
レオンは即座にイグニスの口を塞いだ。
「剣士です!」
「んぐっ!?」
「すごく強い剣士です! 少し冗談が好きなだけです!」
受付の女性は、じっと二人を見た。
「……お二人とも、ずいぶん個性的ですね」
「よく言われます!」
「我は個性的ではない。偉大なのだ!」
「黙れ、剣士!」
「んんんっ!」
受付の女性は、ついに吹き出した。
「ふふっ……! わかりました。討伐報酬は規定どおりお支払いします。それから、食堂の担当者が料理人さんに会いたいそうです」
「本当ですか!?」
「はい。先ほどの騒ぎを聞いて、魔猪を倒したお二人に興味を持ったみたいですよ」
レオンはほっと胸をなで下ろした。
仕事が見つかるかもしれない。
これで、食材も買える。
宿にも泊まれる。
そして何より――。
「イグニス。今夜はちゃんとした料理を作ってやる」
イグニスは目を輝かせた。
「肉か?」
「肉だよ」
「焼き肉か?」
「焼き肉もいいな」
「よし!」
イグニスは満足げにうなずいた。
「では、今後も我の食事を担当せよ」
「誰が専属料理人だ!」
「報酬は肉でよい」
「給料の交渉を勝手に進めるな!」
***
その日の夕方。
ギルド併設の食堂では、討伐祝いの準備が始まっていた。
レオンは厨房に案内され、並べられた調理器具を見て目を輝かせた。
「おお……! 包丁も鍋もある。調味料は少ないけど、これなら何とかなるな」
料理人としての血が騒ぐ。
異世界に来てから、まともな厨房に立つのは初めてだった。
レオンは持参した調味料の袋を確認した。
塩。
胡椒。
香辛料。
そして、長年使い込んだ愛用の中華包丁。
「よし……。腕の見せどころだな」
一方、厨房の入口ではイグニスが腕を組んでいた。
「レオン」
「なんだよ?」
「我にも何かさせろ」
「お前に?」
「そうだ」
レオンは少し考えた。
そして、魔猪の肉が入った大きな容器を指さした。
「じゃあ、肉を運んでくれ」
「任せろ」
イグニスは容器を持ち上げた。
そのまま、片手で軽々と頭上に掲げる。
「どうだ!」
「いや、普通に運んでくれ!」
「なぜだ?」
「厨房で肉を掲げる必要がどこにある!」
「力を示しただけだ」
「食堂で筋肉自慢をするな!」
イグニスは不満そうに容器を置いた。
次にレオンは、薪の束を指さした。
「じゃあ、火を起こしてくれ」
「簡単だ」
イグニスが指先を鳴らす。
ボッ!!
一瞬で薪に火がついた。
同時に、炎が大きく広がった。
「うわああああっ! 火が強すぎる!」
レオンは慌てて水をかけた。
ジュワアアアッ!!
厨房に白い煙が充満する。
食堂の奥から、料理人の悲鳴が聞こえた。
「何の煙だあああっ!?」
レオンは煙の中で叫んだ。
「イグニス! 火加減を覚えろおおおっ!」
イグニスは腕を組んだまま、堂々と言い放った。
「炎の調整なら得意だ!」
「じゃあ、なんで薪が炭になってるんだよ!」
「……」
「黙るな!」
「火が弱かったのではないか?」
「逆だよ!」
その後、イグニスは厨房から追い出された。
「なぜだ! 我は手伝おうとしただけだぞ!」
「お前がいると厨房が戦場になるんだよ!」
「我は竜王だぞ!」
「厨房では見習い以下だ!」
イグニスは、人生で初めて聞く言葉に絶句した。
竜王。
伝説の存在。
国を滅ぼす力を持つ者。
その自分が。
見習い以下。
「……レオン」
「なんだよ」
「我は今、深く傷ついた」
「じゃあ、薪を燃やす前に確認する癖をつけろ」
「……覚えておこう」
意外にも、イグニスは素直にうなずいた。
レオンは少しだけ笑った。
「まあ、これから覚えていけばいいさ」
「ふん。いずれ、人間どもが我の料理を称賛する日が来る」
「まずは火加減からだな」
「必ずや、究極の料理を作ってみせよう!」
「その前に厨房を燃やさないこと!」
***
夜。
食堂には、討伐祝いに集まった冒険者たちの姿があった。
レオンは魔猪の肉を丁寧に切り分け、香辛料をすり込み、表面を強火で焼いた。
ジュウウウウッ。
肉の脂が落ち、香ばしい匂いが広がる。
表面には美しい焼き色。
中からは肉汁があふれ出す。
最後に塩と胡椒で味を整え、熱々の皿に盛りつけた。
「お待たせしました。魔猪の香辛料焼きです」
皿がテーブルに置かれた瞬間、冒険者たちが一斉に身を乗り出した。
「なんだ、この匂いは……!」
「魔猪の肉って、こんなにうまそうだったか!?」
「早く食わせてくれ!」
一口食べた戦士が、目を見開いた。
「う……うまいっ!」
別の冒険者も、夢中で肉を頬張った。
「なんだこれ! 外は香ばしいのに、中は柔らかい!」
「香辛料の使い方が絶妙だ……!」
「おかわり! おかわりをくれ!」
食堂が歓声に包まれる。
レオンは満足げに笑った。
「よかった。口に合ったみたいだな」
その様子を、イグニスは少し離れた席から見ていた。
目の前には、レオンが用意した大皿の肉料理。
しかし、イグニスはまだ食べていなかった。
「……」
レオンが気づく。
「どうした? 食べないのか?」
イグニスは真剣な顔で答えた。
「待っていた」
「何を?」
「我が最初に食べるべきだろう」
「お前、さっき厨房で追い出されたばかりだろ!」
「それとこれとは別だ!」
「別じゃない!」
イグニスは肉を一切れ口に運んだ。
そして。
「…………」
動きが止まった。
黄金の瞳が見開かれる。
ゆっくりと肉を噛みしめ、飲み込む。
次の瞬間。
「レオン」
「なんだ?」
「おかわりだ」
「早いな!」
「もう一皿だ」
「まだ一口しか食べてないだろ!」
「一口で理解した」
「何を!?」
イグニスは真剣な表情で言い切った。
「我は今後、この料理人を手放さぬ」
「お前の専属になるつもりはない!」
「ならば、雇用契約を結ぼう」
「急に話を進めるな!」
「給料は肉でよい」
「だから肉以外の報酬も考えろ!」
「では、肉と肉汁でどうだ?」
「食材の部位を報酬にするな!」
食堂中に笑い声が響いた。
しかし、レオンは気づいていなかった。
イグニスの胸元。
衣服の下に隠された黒い呪印が、ほんのわずかに薄くなっていたことに。
イグニスもまた、気づいていなかった。
食事を終えたあと、胸の奥に長く居座っていた重苦しさが、ほんの少しだけ和らいでいることに。
ただ一つ、確かなことがあった。
イグニスは、レオンの料理を気に入った。
それも、尋常ではないほどに。
***
食堂の営業が落ち着いた頃、受付の女性がレオンに声をかけた。
「レオンさん。実は、お願いがあるんです」
「お願い?」
「来月、この町で料理祭が開催されるんです。町の料理人や各地の商人が参加する、大きな催しでして」
「料理祭……!」
レオンの目が輝いた。
「優勝者には賞金も出ますし、店を持つための支援も受けられるんですよ」
「店を持つ……」
レオンは静かに拳を握った。
自分の厨房。
自分の店。
好きな料理を作り、客に喜んでもらう。
料理人として、これ以上の夢はない。
「ぜひ、参加させてください」
受付の女性は笑顔でうなずいた。
「ありがとうございます! きっと皆さんも喜びます」
その会話を聞いていたイグニスが、勢いよく立ち上がった。
「我も出る!」
レオンは振り返った。
「……何に?」
「料理祭だ!」
「お前、料理できないだろ!」
「火は使える!」
「薪を炭にした男が何を言ってる!」
「ならば、肉を焼けばよい!」
「それだけで料理祭に出ようとするな!」
イグニスは胸を張った。
「見ていろ、レオン。竜王の力で優勝してみせる!」
「審査員を炎で脅したら失格だからな!」
「脅す必要などない。圧倒すればよい」
「言い方を変えても駄目だ!」
受付の女性は、笑いをこらえながら二人を見ていた。
「お二人が参加するなら、今年の料理祭は賑やかになりそうですね」
レオンはため息をついた。
「……俺、優勝を目指してるだけなんですけど」
イグニスは自信満々に笑った。
「安心しろ。優勝賞金は我が管理してやる」
「なんでお前が管理するんだよ!」
「肉の購入に必要だろう」
「賞金を肉代に全額使うな!」
こうしてレオンは、料理祭への出場を決めた。
だが、彼はまだ知らない。
この町には、料理の腕だけでは太刀打ちできない強敵がいることを。
そして、伝説級の竜王が料理祭に出場すると知れ渡ったとき、町だけでなく、国の上層部まで騒ぎ始めることを。
その夜、町の外れ。
暗い森の中で、一つの影が静かに動いた。
「……やはり、あの竜は人間の料理を食べたのか」
影の手には、黒い紋様が描かれた古い紙片が握られていた。
「封印が揺らぎ始めている……。あの料理人、いったい何者だ?」
風が吹き、木々がざわめく。
影は町の明かりを見つめ、低く笑った。
「面白い。少し、調べてみるとしよう」
その視線の先では、食堂の窓から明かりが漏れていた。
中では、イグニスが最後の肉をめぐってレオンと口論している。
「それは我の肉だ!」
「みんなで分けるって言っただろ!」
「我は竜王だぞ!」
「竜王でも順番は守れ!」
伝説級の竜王と、謎多き料理人。
二人の町での生活は、まだ始まったばかりだった。




