第20話 謎だらけの料理人!レオンの一族の秘密
「……上等だ」
レオンが拳を構えた瞬間、黒い竜の影が咆哮した。
「グオオオオオッ!!」
森全体が揺れ、木々が次々となぎ倒される。
「レオン、逃げて!!」
ヒカルが叫んだ。
「いや、ここで逃げたら夕飯が食えなくなるだろ!」
「今、夕飯の話をしてる場合じゃないよ!」
「そうだった!」
レオンは黒い影の攻撃を紙一重でかわした。
しかし、次の瞬間、黒い鎖が彼の足に絡みつく。
「しまった!」
闇が一気にレオンの身体を這い上がった。
「レオン!!」
イグニスの叫びが響く。
だが、レオンは不思議そうに自分の腕を見下ろした。
「……へえ。これは面白い」
「面白いだと!? お前、頭がおかしくなったのか!」
「いや、ちょっと懐かしい気配がしてな」
「懐かしい!? この状況で!?」
レオンは目を閉じた。
すると、頭の奥に、遠い昔の記憶がよみがえった。
――レオン、覚えておきなさい。
幼い頃、祖母に言われた言葉。
――この世には、目に見えるものだけが存在するわけではない。人の身体にも、食べ物にも、山にも川にも、それぞれの気が宿っている。
――力ずくでねじ伏せるだけでは、本当の意味で相手を理解したことにはならないのよ。
幼いレオンは、祖母の言葉を半分も理解していなかった。
ただ、祖母が作る薬膳料理が美味しかったことだけは、よく覚えている。
「おばあちゃんの薬膳スープ……また飲みたいな」
「レオン! 現実逃避するな!」
イグニスの怒鳴り声で、レオンは我に返った。
「おっと。危ない危ない。今度、再現してみるか」
「だから、今は料理の話をするな!」
「お前、元気になったら文句が多いな!」
「誰のせいだと思っている!」
そんなやり取りをしている間にも、黒い鎖はレオンの身体を締め上げていた。
普通なら、身動きひとつ取れなくなってもおかしくない。
ところが――。
レオンの呼吸が、ゆっくりと変わった。
吸って、吐く。
力を抜き、流れを感じる。
武術の基本であり、レオンが幼い頃から叩き込まれてきた呼吸法だった。
「……気の流れが乱れているな」
レオンの指先が、わずかに動いた。
次の瞬間。
パキンッ!
腕に絡みついていた黒い鎖が砕け散った。
「なっ……!?」
イグニスが目を見開く。
レオンは何事もなかったかのように、服についた埃を払った。
「いやあ、助かった。お気に入りの上着なんだよ、これ」
「そこではない!!」
「分かってるって」
レオンは笑った。
しかし、その瞳は先ほどまでとは違っていた。
黒い影の奥に潜む何かを、じっと見つめている。
「お前……ただの呪いじゃないな」
その瞬間、黒い竜の影が激しく震えた。
――人間ごときが、我らの力に触れるな。
頭の中に、あの声が響く。
レオンは眉をひそめた。
「我ら?」
黒い影は答えない。
だが、レオンには分かった。
この呪いには、複数の何かが絡み合っている。
そして、その気配の一部を、彼は知っていた。
「……まさか、あの一族の伝承と関係があるのか?」
「レオン、お前は何を知っているんだ!」
イグニスが叫んだ。
レオンは少し困ったように頭をかいた。
「いや、俺も全部知っているわけじゃないんだよ」
「全部知らないのに、そんな平然としているのか!?」
「知らないことは、これから調べればいいだろ」
「お前は本当に人間なのか……?」
「失礼だな。ちゃんと人間だぞ。少なくとも、今のところは」
「今のところ!?」
ヒカルが二人を交互に見た。
「レオンって、ふつうの人じゃないの?」
「失礼な。俺は普通の料理人だ」
「さっき黒い鎖を壊したよ?」
「料理人だって、鎖くらい壊すことはある」
「ないよ!」
ヒカルの鋭い突っ込みが森に響いた。
レオンは咳払いをした。
「……まあ、ちょっとだけ、うちの家系が変わっているのは認める」
イグニスが低い声で尋ねた。
「お前の一族は、何者なんだ?」
レオンは少しだけ遠い目をした。
「中国に、昔から不思議な伝承がいろいろ残っているのは知っているか?」
「……キョンシーのようなものか?」
「そうそう。中国では『僵尸』と呼ばれる伝承もあるな。ほかにも、仙人や道士、霊獣、薬草にまつわる不思議な話がたくさんある」
レオンは肩をすくめた。
「もちろん、伝承のすべてが本当だと言うつもりはない。けど、うちの一族には、そういう古い知識や技を代々受け継いできた人間がいるんだ」
「……具体的には?」
「薬草の知識、薬膳、気功、拳法、太極拳。それから、普通の人間には見えないものを感じ取る訓練もな」
「待て。お前、そんなことを全部学んできたのか?」
「全部じゃない。俺だって修行中の身だよ」
レオンはあっさり答えた。
「それに、俺の一族は昔から料理と薬の関係を大切にしてきたんだ」
彼は腰の調味料袋に触れた。
「薬食同源。食べ物と薬は、根本ではつながっているという考え方だ。身体の状態を見て、食材や味の組み合わせを考える。料理は腹を満たすだけじゃない。人を支えるものでもあるんだ」
「……それが、呪いにも関係するというのか?」
「まだ分からない」
レオンは正直に答えた。
「ただ、さっきお前の身体に触れたとき、呪いの中に妙な流れを感じたんだ。壊せば終わるものじゃない。何かを閉じ込めているようにも見えた」
イグニスの顔から、笑みが消えた。
「……閉じ込めている、だと?」
「ああ。だから、無理に全部壊すのは危険かもしれない」
レオンは真剣な顔で続けた。
「俺の家に伝わる知識が役立つかもしれない。でも、俺は呪いの専門家じゃない。詳しいことを知るには、専門家の力も必要になるだろうな」
その言葉を聞いたイグニスは、何かを考え込んだ。
彼自身、呪いについて誰にも話していないことがある。
だが、今はまだ語れなかった。
そのときだった。
「……レオン」
ヒカルが小さな声で呼んだ。
「ん?」
「レオンの手、光ってるよ」
「え?」
レオンが自分の手を見ると、掌に淡い金色の紋様が浮かんでいた。
それは、先ほど黒い鎖が絡みついていた場所だった。
「……なんだ、これ?」
レオン自身も驚いていた。
紋様は一瞬だけ輝くと、すぐに消えてしまった。
しかし、イグニスはその形を見逃さなかった。
「……その紋様は……」
「知っているのか?」
イグニスは答えなかった。
ただ、信じられないものを見たような顔でレオンを見つめていた。
そして、かすかに呟いた。
「まさか……お前が、あの一族の……」
「おい、そこで止めるなよ! めちゃくちゃ気になるだろ!」
レオンが詰め寄る。
「俺だって、今初めて見たんだぞ!」
「……いや、今はまだ話せない」
「なんでだよ!」
「俺にも確信がない」
「じゃあ、確信が持てたら絶対に話せよ!」
「ああ……約束する」
イグニスの声は、いつになく重かった。
その直後、森の奥から不気味な風が吹き抜けた。
黒い竜の影は、いつの間にか消えていた。
だが、地面には奇妙な紋様が残されている。
レオンはそれを見下ろした。
「……どうやら、俺の一族の秘密も、こいつの呪いも、簡単には終わらせてくれないらしいな」
「レオン、こわい?」
ヒカルが尋ねた。
レオンはにっと笑った。
「怖いに決まってるだろ。俺は不死身じゃないんだぞ」
「じゃあ、逃げる?」
「いや。逃げる前に飯だ」
「また食べ物!?」
「腹が減っては戦はできぬ、ってな!」
レオンは調味料袋を取り出した。
「よし。今日は特製の薬膳スープを作ろう。身体も温まるし、気持ちも落ち着くはずだ」
「……お前、本当に緊張感がないな」
イグニスが呆れた声を出した。
「何を言う。料理人にとって、食事は真剣勝負だ」
「俺は今、呪いの話をしていたんだが……」
「呪いの話は食べながら聞く!」
「お前という奴は……!」
ヒカルがくすくすと笑った。
久しぶりに、森に穏やかな空気が戻る。
しかし、レオンの掌に浮かんだ紋様を、遠く離れた場所から見つめる者がいた。
暗闇の中、古びた巻物が静かに開かれる。
そこには、レオンの掌に浮かんだものと同じ紋様が描かれていた。
そして、その下には一つの文字が記されていた。
「継承者」
「……ついに、現れたか」
闇の中で、誰かが静かに笑った。




