第2話 偉大なる竜、焼き魚に敗北する
「だから、出口が分からないなら、せめて崩れない道を探してくれ!」
「偉大なる竜である我に、道案内をさせるつもりか!」
「じゃあ、天井に潰されたいのか!?」
「我は竜だぞ! 天井ごときに潰されるものか!」
「じゃあ、俺だけ先に逃げるな!」
「待て! 置いていくな、人間!」
崩れ続ける遺跡の中、料理人レオンと赤い竜イグニスは、ものすごく情けない言い争いをしていた。つい先ほどまで、イグニスは「我は偉大なる竜である!」と胸を張っていた。ところが、天井が崩れ始めた途端、レオンの後ろを必死に追いかけている。しかも、でかい。とにかく、でかい。
「おい! お前、体が大きすぎるんだよ! 通路につっかえてるぞ!」
「この遺跡を造った人間が小さすぎるのだ!」
「お前のサイズに合わせて遺跡を造るか!」
「ならば、貴様が我を押せ!」
「竜を押す料理人なんて聞いたことないわ!」
レオンはイグニスの尻を押した。もちろん、びくともしなかった。
「……動かない」
「当然だ!」
「ちょっとは自分で動け、この赤トカゲ!」
「赤トカゲではない! 偉大なる竜イグニスだ!」
「はいはい、偉大なる赤トカゲ様!」
「貴様、いつか必ず後悔させてやる!」
その瞬間、天井から石が落ちてきた。ドゴォン! 二人は同時に跳び上がった。
「ほら! 口より足を動かせ!」
「貴様の命令など聞かぬ!」
「じゃあ、ここでお別れだな!」
「待てと言っているだろうが!」
こうして二人は、奇跡的に崩れかけた遺跡から脱出した。もっとも、イグニスは最後まで「これは戦略的撤退である!」と言い張っていた。レオンは聞かなかったことにした。
◆ ◆ ◆
遺跡の外に出ると、目の前には見渡す限りの森が広がっていた。高い木々の隙間から光が差し込み、鳥の声が響いている。空気は澄み切っていて、遠くには山々が見えた。
「……で、ここはどこだ?」
レオンはスマートフォンを取り出した。画面には、圏外の文字が表示されている。
「ですよねー。異世界だもんな」
「何をぶつぶつ言っている?」
イグニスが首を傾げた。
「いや、コンビニもなければ、スーパーもない。これは食料調達が大変だなと思って」
「コンビニ? スーパー? それは魔法の店か?」
「いや、普通の店だよ。食べ物がいっぱい売ってるところ」
「食べ物がいっぱい……?」
イグニスの黄金の瞳が、わずかに輝いた。
レオンは見逃さなかった。
「……お前、もしかして腹減ってる?」
「ば、馬鹿を言うな! 我は竜だぞ! 人間のように腹など減らぬ!」
その直後。
グゥゥゥゥ……。
森に、妙に大きな腹の音が響いた。
レオンはイグニスを見た。
イグニスは空を見上げた。
「……今のは、森の魔物の鳴き声だ」
「いや、お前の腹だろ」
「違う!」
「じゃあ、もう一回鳴かせてみろよ」
「腹は鳴き声を自由に操れるものではない!」
「そこは否定しないんだな……」
レオンは深いため息をついた。
「とりあえず、食料と薪を探そう。お前も手伝えよ」
「なぜ我が人間の手伝いなどせねばならぬ!」
「手伝わないなら飯抜き」
「……何?」
イグニスの動きが止まった。
「飯抜きって言ったのか?」
「言ったよ」
「我は偉大なる竜だぞ!」
「うん。で、飯は?」
「……探してくる」
イグニスは森の奥へと飛び立った。
レオンはその後ろ姿を見送りながら、ぽつりとつぶやいた。
「竜って、案外ちょろいな……」
◆ ◆ ◆
しばらくして、イグニスが戻ってきた。
その口には、巨大な木の幹がくわえられていた。
「持ってきてやったぞ!」
ドサァァァン!
地面が揺れた。
「……おい」
「何だ?」
「これ、薪じゃなくて木そのものだろ!」
「薪とは木であろう!」
「そうだけど! 普通は枝とか、燃やしやすい大きさのものを持ってくるんだよ!」
「細かいことを気にする人間だな」
「お前、料理したことないだろ!」
「あるわけがなかろう! 我は竜だ!」
「胸を張るな!」
レオンは額を押さえた。だが、文句を言っても仕方がない。彼は手際よく木を切り分け、使えそうな枝を集めた。
その様子を、イグニスは興味深そうに眺めていた。
「妙な刃物を使うのだな」
「中華包丁だよ。俺の相棒」
レオンは愛用の包丁を軽く振った。大きな刃が、陽光を受けてきらりと光る。
「そんなもので何をする?」
「料理」
「戦いには使えそうにないな」
「……お前、俺の包丁を馬鹿にしたな?」
「事実を言ったまでだ」
レオンは無言で、近くに転がっていた太い枝を包丁で一刀両断した。
スパッ。
切り口は驚くほど滑らかだった。
イグニスは目を見開いた。
「……今、何をした?」
「薪を作った」
「いや、そうではなく……」
「ほら、次は食料だ。何か食べられそうなものを探すぞ」
レオンは何事もなかったように歩き出した。
イグニスは切断された枝とレオンの背中を交互に見つめた。
「……あの人間、何者だ?」
◆ ◆ ◆
森を歩いていると、茂みが大きく揺れた。
ガサガサッ!
現れたのは、巨大なイノシシのような魔物だった。体長は二メートルを超え、額には一本の角が生えている。鋭い牙が、ギラリと光った。
「おお! 食料だ!」
イグニスが嬉しそうに叫んだ。
「待て待て待て!」
レオンが慌てて止める。
「何だ? 倒せば食えるだろう?」
「いや、毒があるかもしれないだろ! 知らない生き物を何でも食べるな!」
「我は何でも食べられる!」
「お前の胃袋事情は聞いてない!」
魔物が突進してきた。
「来るぞ!」
イグニスが口を開き、炎を吐こうとする。
「待った! 焼きすぎるなよ!」
「今、そこを心配するのか!?」
イグニスの炎が魔物の目の前の地面をかすめた。驚いた魔物は方向を変え、森の奥へ逃げていった。
「逃げたぞ!」
「よかったな。今日のところは、知らない魔物を食べずに済んだ」
「お前は食欲より警戒心を優先するのか……」
「料理人だからな。食材の見極めは大事なんだよ」
レオンは真面目な顔でうなずいた。
イグニスは、なぜか納得できない顔をしていた。
「……我の方が、食材に詳しい気がするのだが」
「じゃあ、食べられる草を見つけてくれ」
「草?」
「そう。食べられる草」
「……我は竜だぞ?」
「知ってる。草も探せない竜だけどな」
「貴様ぁぁぁ!」
森に、イグニスの怒号が響き渡った。
◆ ◆ ◆
やがて二人は、小川にたどり着いた。透き通った水が岩の間を流れ、魚影がちらちらと見える。
レオンはしゃがみ込み、水の中をのぞいた。
「おっ、魚がいるな」
「魚だと?」
イグニスが興味深そうに近づいた。
「よし。捕まえて焼こう」
「任せろ!」
イグニスは胸を張り、小川に向かって大きく息を吸い込んだ。
「おい、何をする気だ?」
「魚を捕るのだ!」
ボォォォォッ!
炎が川面をなめた。
ジュワァァァッ!
水面から湯気が立ち上り、魚が次々と跳ね上がった。
レオンは頭を抱えた。
「お前! 川を煮るやつがあるか!」
「魚が捕れたぞ!」
「自然破壊だよ! 加減しろ!」
「しかし、見ろ! 大量だ!」
岸辺には、気絶した魚が何匹も転がっていた。
レオンは魚を拾い上げ、慎重に観察した。見た目や匂いを確かめ、異常がないか確認する。
「……よし。少なくとも、今すぐ危険そうには見えないな」
「では、食べられるのだな!」
「ちゃんと火を通してからだ」
レオンは手際よく魚を処理した。内臓を取り除き、汚れを洗い流し、串に刺す。そして、持っていた塩を振り、焚き火のそばでじっくり焼き始めた。
パチパチと脂がはじけ、香ばしい匂いが森に広がる。
イグニスの鼻が、ぴくりと動いた。
「……何だ、この匂いは?」
「焼き魚」
「それは分かる。そうではなく、この……食欲を刺激する匂いは何だ!」
「魚を焼けば、こういう匂いがするんだよ」
「馬鹿な……。魚を焼いただけだぞ?」
「料理ってのは、そういうものだ」
レオンは魚をひっくり返した。皮がこんがりと焼け、身から透明な脂がじゅわりとにじむ。
イグニスは、じっと見つめていた。
その尻尾が、左右に揺れている。
レオンは目を細めた。
「……お前、尻尾振ってるぞ」
「振っておらぬ!」
「いや、ぶんぶん振ってる」
「これは風圧を測定しているのだ!」
「尻尾で?」
「そうだ!」
「便利な尻尾だなぁ」
「黙れ!」
レオンは笑いをこらえながら、焼き上がった魚を一本差し出した。
「ほら。熱いから気をつけろよ」
イグニスは警戒しながら魚を見つめた。
「……毒はないのだろうな?」
「さっきまで自分で川を煮てたやつが、今さら何を警戒してるんだよ」
「念には念を入れるのだ!」
「はいはい。嫌なら俺が食べるぞ」
「待て!」
イグニスは素早く魚をくわえた。
そして、一口。
カリッ。
焼けた皮の香ばしさ。ほどよい塩気。ふっくらした身からあふれる魚の旨味。
イグニスの黄金の瞳が、見開かれた。
「…………」
レオンは首を傾げた。
「どうだ?」
イグニスは、ゆっくりと魚を飲み込んだ。
「……もう一本」
「え?」
「もう一本だ!」
「感想は?」
「うまい!」
「どこが?」
「全部だ!」
「雑すぎるだろ!」
イグニスは、二本目の魚を奪うように受け取った。
「こんな料理が存在するとは……。人間界も捨てたものではないな!」
「いや、ただの塩焼きだけど」
「ただの塩焼きだと!? これがただの料理だというのか!?」
「そうだよ」
「ならば、もっと複雑な料理はどうなるのだ……!」
イグニスは衝撃を受けた顔で、魚を見つめていた。
レオンは肩をすくめる。
「料理なんて、素材と火加減と塩があれば、うまくなるもんだよ」
「……人間」
「何だ?」
「お前、我の専属料理人になれ」
「嫌だよ」
「即答!?」
「給料は?」
「給料?」
「働いたら金を払う。常識だろ」
「我は竜だぞ! 金など持っておらぬ!」
「じゃあ、雇えないな」
「料理を作るだけであろう! なぜ金が必要なのだ!」
「食材を買うにも、寝る場所を探すにも、金がいるんだよ」
イグニスは黙り込んだ。
レオンは魚を食べながら、にっこり笑った。
「つまり、お前も働け」
「……我に働けと言うのか?」
「そう」
「偉大なる竜に?」
「そう」
「この世界を震わせた、炎の支配者に?」
「うん。まずは薪拾いからな」
イグニスは空を仰いだ。
「……我は、何という人間に出会ってしまったのだ」
「運がよかったな。飯がうまいぞ」
「それは認める!」
認めるんかい、とレオンは心の中で突っ込んだ。
◆ ◆ ◆
二人が食事を終えたころ、イグニスはふと胸元に違和感を覚えた。
「……む?」
胸に刻まれた黒い呪印が、ほんの一瞬だけ淡く揺らいだように見えた。
いつもなら、そこにあるだけで重苦しい痛みを放っている。だが今は、ほんのわずかに胸が軽い。
イグニスは自分の胸を見下ろした。
「気のせいか……?」
「どうした?」
レオンが顔を上げる。
「いや、何でもない」
イグニスは、すぐに視線をそらした。
呪印の変化は、ほんのわずかなものだった。二人とも、それが何を意味するのか分からない。
レオンは残った魚を片づけながら、次のことを考えていた。
「さて、食料は確保できた。次は人がいる場所を探さないとな」
「町か?」
「町があるのか?」
「森の向こうに、人間の集落があるはずだ。昔、遠くから見たことがある」
「よし、そこに行こう。仕事も探さないとな」
「我は仕事などせぬ!」
「じゃあ、明日から飯抜きな」
「……町へ案内してやろう」
「素直でよろしい」
「貴様、いつか絶対に後悔させてやる……!」
イグニスは悔しそうに唸った。
しかし、その視線はレオンの手元に残った魚へと吸い寄せられていた。
「……ところで、人間」
「レオンだ」
「レオン。その魚、まだ残っているのか?」
「あるけど?」
「……一口だけ」
「さっき、何本食べた?」
「覚えておらぬ!」
「絶対に覚えてるだろ!」
レオンの叫びが森に響いた。
◆ ◆ ◆
そのころ、森の奥深く。
二人の様子を、木々の陰から見つめる影があった。
黒いローブに身を包んだ人物は、赤い竜と料理人を交互に見つめ、低くつぶやいた。
「……封印された竜が、人間の料理を食べた?」
その声には、驚きと警戒が入り混じっていた。
「まさか……。あの呪印に、何か変化が?」
影は、二人に気づかれないよう、静かに森の奥へと消えていった。
レオンはまだ知らない。
自分が焼いた、たった一本の魚が、この世界の大きな謎へとつながっていくことを。
そしてイグニスも、まだ知らなかった。
偉大なる竜王が、これから先、飯代を稼ぐために冒険者ギルドで働かされることになるなど――。
「……レオン、明日の朝食は何だ?」
「自分で稼いでから考えろ!」
「我は偉大なる竜だぞぉぉぉ!」
森に、竜の悲痛な叫びが響き渡った。




