第七話 ラミア
受付の男が、俺を呼び止めた。戻った方がいいのではと逡巡するが、少なくとも俺の手を引く何者かは足を止める気配が無い。
俺の視界をフワリと舞う漆黒の長髪。肩は華奢で、時折漏れる声は高い。女の子?
手を振り払わないといけないと、頭の片隅で警戒心は忠告してくるが、その手をしっかりと握る少女の柔らかい手がどこか頼もしくて、つい身を委ねてしまった。
少女は往来をクネクネと駆け抜け、気づくとそこは薄暗い路地裏だった。
少女はようやく足を止めると、膝に手をついて息を切らした。俺もハアハアと肩で息をする。
「はあ、はあ、よ、ようやく見つけました。よかった。生きておいでだったのですね。ユーダイ様」
少女はすぐさま息を整えると、俺の足元に跪き、涙で潤ませた瞳で俺を見上げた。
「えっと、アンタは?」
「今は幻術で姿を誤魔化しておりますが、私です。貴方様の侍従のラミアでございます」
えっと、だから誰? とか、聞いたらまずいのか? これ。
「十六年間、貴方様が返り討ちに遭われたという噂がまことしやかに流れ始めても、不肖、このラミア。貴方様をお探しし続けておりました。ようやく貴方様に再びお仕えできるのですね」
「いや、多分人違いっすよ。俺、この世界に来たの初めてだし」
「いいえ、いくら私が出来損ないでもユーダイ様のお姿を見間違うことなんて有り得ません」
ラミアと名乗る少女は、確信を黒い瞳に宿らせていた。
恐らくはこの子の勘違いか、俺を担ごうとしているのか、のどちらかだろう。
そこで、俺はこの状況を逆手に取ることにした。冒険者組合にはもう戻れないし、あの店主に街の案内を頼むのも難しいだろう。最低限、こちらの世界の知識を集めたら転移の術でも何でも使って撒いて仕舞えば良い。
「なあ、俺の事を知ってるってことは親父のことも勿論知ってるよな?」
「え、ええ。魔王様を殺した。人間の英雄ですよね」
「そうだ。今、親父が何処にいるか知ってるか?」
ラミアは少し狼狽えた様子でボソボソと答える。
「何故、そんなことを私に聞くのですか?」
「何故? って、聞かれてもな。俺はアイツに会わないといけないんだ。何か知らないか?」
「ええ、私はユーダイ様の行方を追っておりましたので、そちらはさっぱり。とにかく、ひとまず魔界にお帰りください。すぐにグラジオ様にお伝えしなければ……」
「ちょ、ちょ、魔界? 何言ってんだよ。俺は人間だぞ」
一人で盛り上がっていくラミアの両肩を抑えて制止した。少女はあっけらかんとこちらを見返す。
「まさか、ユーダイ様記憶を無くされたのですか? なんとお労しい」
「え? あ〜、そう、なのかな? そうなんだよ。この世界の事とか分かんなくてさ、教えてくれないか?」
心配げな少女に調子を合わせ、そんな事を頼んでみる。すると、ラミアは再び跪き深く頭を下げた。
「それをユーダイ様が望むのであれば、仰せのままに」
「後、グラジオ、様? に連絡するのはちょっと待ってくれ。そいつが誰かも分からないし」
「かしこまりました」
ラミアは慇懃に答えると、すくりと立ち上がった。
「よし。ところでさっきの冒険者組合で、俺の名前を聞いた途端みんな様子がおかしかったけど、やっぱりそれは、俺が本間和大の息子だからなのか?」
「……いえ、それも無いとは言いませんが。要因は他にあるかと。さっきも申しましたが、貴方様は人間達の間では死んだことになっているのですから」
「はあ、全然分からん。この街の一番偉い人のところに行ったら、多少は事情も聞けるかな?」
「い、いけません! そんな事をすれば、殺されてしまいます。こちらをお召しになってください。衛兵に見つかっては大変ですから」
ラミアは自分が着ていたケープを脱ぎ、俺に渡した。それを羽織りながら胸の内で少女への疑念が積もっていく。
魔界だの、殺されるだの。そんな話、到底信じられない。英雄の息子をどうして人間が殺したがるんだ?
「さて、ではまず私の使っている宿にご案内します。あ、それとそのお荷物は私がお持ちします」
「え、いや、いいよ」
そんなことされたら、いざという時すぐに逃げられなくなる。
しかし、ラミアは俺の気持ちなどいざ知らず、無理矢理に荷物をひったくり、背負った。
「さ、こちらですよ」
「はあ……」
俺は思わずため息を吐きながら少女の背を追った。
「所で、ユーダイ様。食事はお済みですか? お済みでなければ先に料理店にご案内することもできますよ? 宿にも酒場が併設されておりますので、そこで食事を摂ることも可能です。いかがなさいますか?」
裏路地を抜けて往来に戻ってくると、ラミアが俺を振り向いた。
「え? ああ、そういえば若干小腹が空いてるかな? ああ、あれでいいよ、あの屋台で何か食べて行こう」
「屋台ですか。かしこまりました。どれになさいますか?」
俺が返すとラミアはするりと懐から麻袋を取り出した。袋は少女の手の上でチャリチャリと音を鳴らす。どうやら財布のようだった。
「あ、そうだ、俺、金がないんだった。やっぱり飯はいいよ。荷物の中に干し肉があるし、それを食うから」
「いいえ、私の財産はユーダイ様の財産も同然なのですから遠慮なさらずに。すみません。その串に刺さった鹿肉を一本ください」
ラミアは俺が止めるのも聞かずにさっさと串に刺さった肉を買い、俺に手渡した。
肉からは白い湯気が立ち上り、スパイスと肉の野生味溢れる独特の香りが混ざり合って俺の鼻腔をくすぐる。堪らずに齧り付くと、筋張っていて硬くはあるが、噛むほどに肉の細胞から水分が滲み出して、肉の旨みを俺の舌に伝えた。
「これ、美味いな。ありがとうラミア」
「ふふ、気に入った物がありましたら、いつでもお申し付けください」
俺は残りの肉に齧り付きながら、実はラミアはそこまで怪しい奴ではないのかも知れないと思い始めた。
それから、ケープと肉のおかげで緊張感が緩んだ俺は、街を見渡す余裕を得て、色んな物を物色していった。
藤や竹で編んだ調度品。魔術に関する書物や杖。保存食。旅で使う便利道具。俺が何かを尋ねるたびにラミアは律儀に答えてくれた。
「ささ、私の宿はこちらです。ユーダイ様」




