第六話 シュミッツェル
目を覚ますと、俺は往来にいた。
最悪の場合、山の頂上とか、森の奥深くとか、そんな所に転移してしまうんじゃないかと警戒していたが、それは杞憂で済んだ。
人の楽しげな声が飛び交う。俺は喧騒に圧倒されながらも周囲を見回した。
基本的には日本の人達とあまり変わらない姿だったが、たまに母ちゃんのように耳の尖った人が俺の前を行き過ぎる。
俺、本当に異界に来たんだ……!
「ちょいと、そこのお兄さん」
その声に振り向くと、二階建ての建物の軒下に身をねじ込むように、こじんまりとした屋台があった。俺に声をかけた店主は、捻れた鉤鼻が最初に目につく、ずんぐりした体型の小男だった。
手前のテーブルには、小物。奥の商品棚には液体の入った瓶や、本が乱雑に置かれている。
「今、突然そこに現れたようだけど、術士さんかな? シュミッツェルは初めてかい?」
「はい。その、ここはシュミッツェルっていう街なんすか?」
母ちゃん以外の相手と異界の言葉で話すのは初めてなので、少し緊張して声が上擦ってしまった。俺は誤魔化すように屋台の小物を一つ手にとる。
「おやおや、シュミッツェルすらご存知では無かったんですかい。そいつは大変だ。良ければ、アッシが街をご案内しましょうか?」
「いや、俺手持ちが無くて」
「そう遠慮なさらずに。ウチは術士さん向けの商品を取り揃えております故、以後、懇意にしていただければという。下衆な商人の、ただの打算でさあ」
店主は両手を揉んで、ヘラヘラと笑った。こういう仕草は異界にもあるんだな。と、ぼんやり考える。
「さ、早速行きましょうや」
店主は散らかった屋台からするりと抜け出て、俺の手を引いた。「ちょ、」と戸惑いの声を上げるも、折角案内してくれるというのだから甘えてもいいのかもしれない。と結局俺はされるがままに往来を直進する。
最初に案内されたのは、街の外壁だった。天高く聳える壁の足元で、ローブを被った人々が野営を張っている。
「ここは……?」
「ここは旅人の野営地でさあ。路銀を節約するために、お互いが物資や食料を持ち合って夜を明かすんです。見たところ、お兄さん、お金はなくとも物資は潤沢な様子。困ったらここに来るといいでさあ。きっと歓迎してくれるでしょう」
「へえ」
店主の話を聞いてると、野営で鍋をかき混ぜていた旅人の一人がこちらを振り向いた。向こうが軽く手を振って来たので、俺も会釈で返す。
その次に案内されたのは、冒険者組合という建物。日本でも漫画やアニメでよく見たな。こう言うのもあるのか。
建物の中は、酸っぱいような臭気でむせ返っている。俺は思わず鼻を手で押さえた。幸い、内部の冒険者達はこちらには一瞥もくれず、それぞれの談笑やギャンブルに没頭している。
「ちなみにお兄さんは何処ぞの騎士様ですかい? 転移術を使えるとなれば、かなりの使い手とお見受けしますが」
「騎士? 術士が騎士になるんすか?」
「ええ、騎士というのは階級でさあ。術を扱えるのは基本的に黄金の血脈というお貴族様だけですが、時々、その家系から弾かれた者が平民に紛れ込んでいて、その子孫で術を使える平民は功績次第で騎士の階級を叙勲されることがあるんでさあ。ここにいるゴロツキ共はそれになり損ねた”崩れ”ってなわけで」
「なら、俺もそっち側っすね」
店主は一瞬、俺の質問に面食らったが嫌な顔一つせずに教えてくれた。
「そういう事なら、ここで術士として登録していかれては? 依頼を斡旋してくれやすよ。手数料はバカになりませんが」
「えっと、なんか必要な書類とかはないんっすか?」
俺はたった今、ここに来たばかりだ。そもそも、戸籍のようなものがこの世界にあるのかどうかさえ、よく知らない。
「はっはっはっ、さては良いとこの御坊ちゃまですかい? ここにいるゴロツキには、書類の”し”の字も思いつきやしやせんよ」
「そっすか」
俺は胸を撫で下ろし、カウンターまで歩き寄った。
「ご用件は?」
かっちりした制服に身を包んだ痩せ身の男が淡々と口を開いた。
「あの、術士なんで登録したいんっすけど、何すれば良いっすか?」
「では、こちらにお名前と、出身の村を」
「それだけっすか?」
あまりにも手続きが簡単で、拍子抜けした俺はうっかり聞き返してしまった。受付の男はキョトンとこちらを見上げている。
「い、いや、何でもないっす」
俺はカウンターに敷かれたゴワゴワの羊皮紙に羽ペンを滑らせた。名前はそのまま本間 雄大と、そして出身の村は母ちゃんの住んでたという村の名前を書いておいた。
「では確認します」
羊皮紙に目を落とした男は、突然身を凍らせて、ワナワナと肩を震わせた。その様子を見て遅まきながら思い出す。本間の姓は魔王を倒した親父のせいで広まっているはず、息子とバレたら厄介なことになるかもしれない。偽名を書いておくべきだったか。
「本間 雄大様。で、お間違いありませんか?」
受付の男がおっかなびっくり声を上げた。声は囁くようだったのに、それまで騒がしかった冒険者達が足並みを揃えて静まり返った。不安になって傍の店主に目をやると、小男は信じられない物を見るような目で俺の顔を見上げていた。
「あ、あの?」
俺が戸惑っていると、突然、店主が立つ方とは逆側の手が誰かに引かれた。俺はつんのめって転けそうになるのをギリギリで耐え、冒険者組合を飛び出た。
「あ、お待ち下さい!」
受付の男が、俺を呼び止めた。戻った方がいいのではと逡巡するが、少なくとも俺の手を引く何者かは足を止める気配が無い。
俺の視界をフワリと舞う漆黒の長髪。肩は華奢で、時折漏れる声は高い。
——女の子?
手を振り払わないといけないと、俺の警戒心は忠告してくるが、その手をしっかりと握る少女の柔らかい手がどこか頼もしくて、つい身を委ねてしまった。




