第三十六話 交換殺人
「ユーダイ様、ユーダイ様!」
俺が再び目を覚ますと最初に視界に入ったのは黒々とした蛇だった。
「ユーダイ様、お目覚めになったのですね」
ラミアはホッと息を吐いた。
「……あの女はどこだ?」
乾いて粘つく口をモゴモゴと動かし、そう尋ねる。
「あの女、とは?」
「決まってる。グラディウス・アインス・コルネリアの事だ」
「そんな。ユーダイ様、そんな呼ばれ方は……」
「お前もあの女の味方なのか、だったら話す事はない」
俺は寝返りを打ってラミアに背を向けた。
「……ユーダイ様。十六年前のあの日。貴方が私に、ナイフ用の砥石を買ってくる、と言って宿を出て行かれた日の事、覚えておいでですか?」
「……」
「あの日、いつまで待ってもユーダイ様は帰って来られなくて。それ以来、私は貴方様をお探しし続けておりました」
俺が相槌を打つのを暫く待って、諦めたようにラミアは先を続けた。
「その後、貴方様をお探しする内、ユーダイ様が亡くなられたと言う噂を耳にするようになりました。その時、私は酷く後悔しました。あの日どうしてユーダイ様を行かせてしまったのか、と。例え本当に砥石を買いに行くだけだったとしても、お側に控えていなければならなかった、と」
その日の事は、よく覚えている。思い返してみれば、俺がパースの館に勝手に行った時と似たようなシチュエーションだ。
「だからこそ、シュミッツェルで貴方様をお助けする事が出来て、とても嬉しかった。……私は何があろうと貴方様の幸福を願っています。その為ならこの命を捧げても構いません」
「勘違いすんな。俺がお前を助けたのは、自分が見捨てられたって現実から目を逸らしたかったからだ。お前の為なんかじゃ無い」
「理由など、どうでも良いのですよ。所詮、人の心を見通す事など出来ないのですから。私にとって重要なのは、貴方様が私を救ってくれたという事実のみです」
「結局のところ、何が言いたい?」
俺はラミアに背を向けたまま肩越しに視線を向ける。
「……もう、私は貴方様が何処に向かわれようとしているのか質しません。ユーダイ様の仰せのままに従います。ただ、どうか後悔だけはなされませんように」
「ああ、心配すんな。俺は俺のやるべき事をやる。早速だが、魔界に用がある。そこへ行く間、幻術で俺の影武者を頼む」
「かしこまりました。しかし、コルネリア様やキントス様には私の幻術が通用しません」
「分かってる。幻術を見破ってきそうな相手は俺が何とかする」
最低限のやり取りを済ますと、ラミアはベッドから滑り降りた。
そして、客室の扉へと向かう。
「何処へ行く?」
「喉がお渇きでしょう。水を頂いて参ります」
「そうか、なら、あの女もついでに呼んでくれ」
黒い蛇は暫く動きを止め、のっそりと俺を振り向き頭を下げる。そして、扉の隙間をすり抜けて廊下に出て行った。
その後、あの女。コルネリアが水の入ったピッチャーを持って来るまで、数分も掛からなかった。
「ユーダイ……その、そちらに行っても……?」
「はい。母様。さっきは取り乱してしまって申し訳ありませんでした」
顔を繕い、思っても無い言葉を吐く。
心が少しも痛まない事で、俺の演技は勢いづいた。
「それに、酷い事を言ってしまいました。母様は悪く無いのに……」
「いいえ。私は貴方にとって、とても酷い母親でした。平和の為とはいえ貴方を見捨てたのだから。でも、どうか、これからは、その罪滅ぼしをさせて下さい」
コルネリアはベッドに腰掛けるとグラスに水を注いで俺に手渡す。
「罪滅ぼし……?」
「償っても償いきれるものではありませんが、ユーダイの望みを幾らでも叶えます」
俺は逡巡するフリをして水を一口、口に含む。
干上がっていた喉が潤った。
「それなら、幾つか質問をさせてください」
「ええ、最早隠す事など何もありません」
女は未だに後ろめたそうに目を伏せながら頷いた。
「まず、どうして転生する前の記憶が急に戻ったんですか?」
「和大様に会ったからです。転生した者が生前の記憶を取り戻す方法は、転生の術を掛けた術者と対面する事ですから」
「そもそも、どうして母ちゃ、エリアスは日本に行ったんですか? エリアスは俺を育てるのにかなり苦労してたみたいですし」
「それは、エリアス自身が望んだのです。母体になる代わりに残された僅かな時間を、貴方と二人で、異界で暮らしたい、と。それに、こちらの世界にいたのでは何かの拍子で和大様と対面してしまいかねません。記憶を戻す時期は慎重に見定めねばならないと、和大様が」
確かに、俺をこっちの世界で転生させるのは爆弾を火のそばに置いておくようなものだしな。
「でも、だとしたらエリアスはどうして死に際に父様に会えって言ったんでしょうか?」
「……エリアスの心情を、私なんかに推し量る事は出来ません。異界で親類もなく一人で暮らすことになる貴方を心配したのかもしれないし、或いは……或いは、自分の献身を知って欲しかったのかも知れません」
恐らく後者だろう。
前者だったとしたら、コルネリアに会え、と言えば十分だったはずだ。
「エリアスは文字通り、貴方の為に全てを捧げました。それを誰よりも知っているのは貴方自身の筈です」
そうだ。エリアスは、俺を何の変哲もない一人の日本人の子供として育て上げた。頼れる者もいない国で、たった一人で。
だからこそ許せない。エリアスの努力で、本間 和大が自分の罪を無かったことに出来たと思っているだろう事が。
「ユーダイ?」
コルネリアは血管が浮き出るほど握りしめた俺の拳に触れた。
「貴方はやはり、まだ……」
「な、何でもないです。それと最後にお願いがあるんです。父様ともう一度会わせてくれませんか」
「二人きりで、ですか。しかし……」
「俺なら大丈夫です。それに、父様とは転生する前も話した事が一度も無かったから、話してみたいんです」
コルネリアは暫く目を瞑って、迷っているようだったが、やがて錆びついた機械のように、ぎこちなく首を縦に振る。
「それで父様と会うのはどこか、人気のない所がいいと思うんです。事情が事情ですから、人目があると何かと不自由ですし」
「分かりました。和大様には私から話しておきます」
俺はコルネリアの言葉に力を込めて頷いた。それから、少し休みたい、と告げ部屋で一人になる。
幻術が通じたとしてもコルネリアやヴァレオスには、影武者だと気付かれかねない。
その点剣聖なら、幻術さえ通じれば、影武者を見破る事は出来ないだろう。
二十一年前のあの日。グラジオや魔物達を宮廷に招き入れたのは間違いなくパースだ。
当時は知る由もなかったが、夢で聞いた裏切り者の声は確実に奴のものだった。
まずは手始めにパースに報いを受けさせる。
だが、その為には協力者が必要だ。厳密には俺のパース殺しの罪を被ってくれる誰か。
一つだけ心当たりがあった。
本間 和大に会いたいと言う願いはすぐに叶えられ、俺はラミアを連れてカサンドラスから最も近い聖地に転移した。
男はまだ来ていなかった。ラミアに指示を出し、俺の姿に化けさせる。
「適当に話を合わせてくれたら、後は俺の方で辻褄を合わせる。頼んだぞ」
「かしこまりました」
自分の姿に頭を下げられ、不思議な気持ちを味わいながらも俺は例の龍脈の最端に転移した。そばの低木は相変わらず谷間の強風に晒され必死に耐えている。
俺は難なく魔界へと踏み込んだ。今となってはこの空気も懐かしい。ここで五年も暮らし、ラミアと出会った。
瘴気に触発されて殺技練での記憶が蘇る。本当に碌な思い出がない、と自嘲しつつ俺は珍しく魔界に生える草を摘んだ。
この草は特別なもので、草笛にすると魔族の耳にしか聞こえないから連絡手段として用いられる。当然、俺自身も音を聞く事は出来ないが、特定の音を鳴らせるように叩き込まれた。
ある魔族を呼び出す為の音の羅列を繰り返しながら、魔界を歩き回る。
しばらくそうしていると、一人の魔族が瘴気を肩で切りながら現れた。
「俺を呼ぶ音がして来てみれば……こいつは、何の冗談だよ。ユーダイ」
「……冗談で、胸糞悪いテメエの面を拝んだりするかよ」
「ふん、草笛とその口調、どうやら記憶が戻ったみてえだな」
その魔族はかつて、殺技練で同期として育てられ、つい最近マルクス、ユリウスと共に俺の命を狙った暗殺者。ブルトゥスだった。
「どうした? この前の続きをしたいんなら相手になるぜ?」
ブルトゥスは装着した鉄拳をガチリと鳴らして威嚇した。
「取引したい」
「取引だぁ?」
「そうだ、ブルトゥス。俺と交換殺人をしないか?」
ブルトゥスは俺が、殺人、と言ったところで凶暴に口を裂いた。
病気だな。こいつは。
「詳しく聞かせろ」
俺はまず、この十六年間のことを話した。魔族が話の中盤で悪びれもせずに欠伸した事に気付き、そこからは、飛ばし飛ばしで説明を終える。
「俺の人生をクソッタレに仕立て上げた連中に報いを受けさせたい。だが、暗黒の血脈を殺すのはともかく黄金の血脈を殺したとバレれば少なくとも身動きが取れなくなっちまう。そこで、俺の罪をお前に被ってもらいたいんだよ」
「って事は、実際に手を下すのは全部お前って事か。つまんねえな」
「いや、パースに関してはお前に止めを刺してもらう。調べられたらバレかねないしな」
「で、お前の目的は分かったけどよ。俺にはどんな得がある?」
生ぬるい風が吹いて、瘴気が掻き乱された。
「暗黒の盟主の魔力と権能が報酬だ。魔族自体はもうおしまいだろうが、な。一日で何もかもが滅ぶわけじゃない。現盟主が全滅してそれと同等の力を持っていれば、お前が次の魔族の王になれるぞ」
「俺が、王に……?」
「そうだ。まあ、調子に乗って黄金の血脈に喧嘩さえ売らなきゃ見逃してもらえるだろ」
それまで暴力と快楽に染まっていたブルトゥスの笑みに理性的な色が差した。
こんな破滅的な奴でも、功名心みたいなのがあるんだな。
俺は少し意外に思いつつ先を続ける。
「盟主が魔力を継承するために使う儀礼用の短剣がある。それを見つけ出してくれれば俺の方で魔力を回収し、お前に渡す。……どうだ? 悪い話じゃないだろ?」
「確かにな、だが引っかかる事がある。確か、この前戦った時お前、忤法を使ってたよな。って事はお前も暗黒の盟主の魔力を継承できるって事じゃねえのか? お前が持ち逃げしないって保証はどこにある?」
俺は内心で舌を巻いた。ここまで鋭いとは思っていなかった。しかし、ここは何とか煙に巻くしかない。
「パースを引き渡す時に、俺が関わってるって証拠をお前に渡しておく。それと交換でどうだ?」
「なるほどな。分かった、それで手を打とう。それで決行の日はいつだ?」
続けて、詳しい計画をブルトゥスに語った。
そして、話を終え一旦魔族とは分かれた。龍脈の終端まで帰り和大とラミアが話している筈の聖地に転移する。俺は岩場に隠れて二人の様子を覗いた。が、既に男の姿はなく少年の背がポツンとそこにあるだけだった。
「ラミア、お疲れ様。バレずに済んだか?」
「は、はい。というか、二言、三言会話して、すぐにどこかに行かれてしまいまして」
幻術に気づいたから去った。とか、そう言う事ではないんだろうな。あの男に対して最早殺意以外の感情は湧いてこない。
ラミアは幻術を解いて俺の肩でトグロを巻く。
「あの、ユーダイ様の方は……?」
「ああ、全部上手く行った。まずはパースを殺す。お前の力も貸してもらうぞ」
「分かっております」
ラミアは淡々と返した。
その後、俺はカサンドラスに戻りコルネリアと会った。と言っても、和大とどんな話をしたか、とか。そんな事は特に聞かれず、これからコリントに帰還するという事と、その日程だけを知らされた。
コリントであれば、シュミッツェルからも近い。俺は内心ほくそ笑み。自分の客室で横になる。
しばらくそうしていると、ドアがノックされた。「どうぞ」とだけ返して客が入ってくるのを待ち受ける。
「記憶が戻ったと聞いて、その、兄様。俺のことを覚えているだろうか?」
「ああ、ヴァレオス。久しぶりっていうのはちょっと変かな?」
「に、兄、様。俺は、俺は……」
ドアの辺りで子供のように泣くヴァレオスは、記憶の中の少年と何も変わらないように見えた。
こいつは何も知らずに、ただ二十一年間。カサンドラスを守っていたんだな。
エリアスは死に、俺は転生して、こいつだけが本来あるべきまま目の前にいる。そう思うとヴァレオスが眩しく見えた。こいつの隣で、こいつと同じ目線で、エリアスも交えてまた馬鹿な話が出来たら、どれだけ良かったろう。
「寂しかったよな。ヴァレオス。よく、頑張ったな」
「う、ん。俺、兄様やエリアス姉様の為に強くなろうって、でも、何も出来なかった。兄様やコルネリア叔母さんがここへ来た日に、初めて、二人に何があったか聞いて。俺……」
「そうか」
「ねえ、兄様。俺たち、また昔みたいに戻れるよね? コリントの宮廷で暮らしたみたいに」
俺は黙って頷いて見せた。ヴァレオスは顔を輝かせて涙を拭う。
悪いなヴァレオス。もう戻れねえんだ。憎しみを何かにぶつけない限り、俺はこの世界を許せそうもないんだよ。
泣き止んだヴァレオスを帰し、客室の扉を閉じる。
「……」
「もう、何も言わねえんだな。ラミア」
「言って欲しいのですか?」
「いや、ただ安心しただけだよ。おやすみ、ラミア」




