第三十五話 輝ける背反者
「”天蓋の影・来新を追い・尖槍に倣え”」
燭台の仄かな炎が揺れた。その拍子に廊下の壁に映る影が踊る。
「今の内に、お逃げください。ユーダイ様、エリアス様」
俺はエリアスの手を引いて廊下の奥へ、奥へ、と走った。エリアスの乱れた呼吸と自分のものが重なる。
こう言う時こそ落ち着かないといけないのに、制しようと思えば思うほど、鼓動の加速は手がつけられなくなった。
「ここだ。母様の部屋に、隠し扉があるんだ。そこで助けを待とう」
俺が振り返ると、エリアスは顔を真っ青にして、辛うじて頷いた。
母様の部屋のクローゼット。その奥側の板を横にズラすと小さな空間がある。大人一人が何とか納まるかといった程度の小さなものだった。
そこに、俺とエリアスは身を押し込んだ。
エリアスの震える肩と、俺の肩がピッタリ触れ合う。
「エリアス、大丈夫だ。きっと助けが来る」
「うん……でも、どうしてこんな所に魔物が出るの……? しかも、あんなに沢山。ここは戦場からは遠いってオバ様も言ってたのに」
コリントは八つある土地の中で、魔界から見て、最も奥まった場所にあった。勿論、前線からも遠い。わざわざ攻撃を仕掛ける意味も薄い。
コリントそのものには、狙われる理由が無い。だとすれば——、
「……多分、あいつらの狙いは俺だ。俺を攫って、母様と父様を脅そうとしてるんだよ」
「そんな……!」
その時、部屋の方から扉の開く音がした。
「無駄な足掻きはやめて、早々に出ておいで。本間 雄大。さもないと、貴様の護衛が死に絶える一方だぞ? ワシらにこれ以上、無益な殺生をさせんでおくれ」
重々しい老人の声。その声は俺の肺を絞るように響いた。
い、息苦しい。
「この部屋におるのじゃろう? 知っておるぞ、この部屋には隠れられる空間がある、とな。さあて、それはどこじゃったかの?」
声の主が部屋を物色する気配がした。肩越しに伝わるエリアスの体温がビクリと跳ねた。
「意地を張って隠れていても良いことなどないぞ? 貴様が姿を現せば護衛共の命は助けよう」
「……!」
「じゃが、ワシが見つけるまでに貴様が姿を隠し続ければ、この宮廷に仕える全ての命が滅ぶじゃろう。貴様のそばにおるエルフの小娘も含めてのう」
もし、見つかったら。皆んなや、エリアスが、殺される……?
「行っちゃ駄目だよ。絶対に見つかったりしない」
エリアスが囁いた。俺は自分の膝をキツく抱きしめる。
「さあ、こちら側は調べたの……次は、クローゼットじゃ」
俺たちが隠れている空間からは当然、何も見えない。にも関わらず老人の手がこちらに伸びてくるイメージが鮮明に脳裏に浮かんだ。
賭けるしかない。でも、賭けられているのは、俺でなくエリアス達の命だ。
目をギュッと瞑る。そんな賭け、そんな賭け、俺には、出来ない……。
「俺はここに居る!」
エリアスがバッとこちらを振り向く。
空間を仕切る板に手を掛けると、少女の小さな手が俺の服の裾を掴んだ。
「俺なら大丈夫。母様や父様は強いんだ。絶対に俺を助けに来てくれる。だから、」
「駄目、行っちゃ駄目」
エリアスは掴んだ服の裾を離そうとしなかった。けれど、俺はその小さな手を取って、優しく解く。
「こんな所に隠れられる空間があったとはのお。もしかすると、そのまま隠れておれば見つけられなかったかもしれん」
「アンタの言葉通り、自分から姿を現したぞ。これ以上、誰も殺すな」
「ほっほっほ。大した胆力じゃ。流石はあの、千剣と剣聖の一人息子……良かろう。約束通り貴様を連れて引き上げる」
再び板をずらして、クローゼットの中から出た。
母様の色とりどりのドレスの後ろから、アメジストの様に輝く視線が俺を射る。
「大丈夫。俺は絶対に帰ってくるから」
「ゆ、ユーダイッ!」
震える声が俺の名を呼ばわる。
「ふむ、美しきは友情、じゃの。さて暴れられては困るからの」
俺は老人の言葉に反論しようとして、すぐに意識が朦朧とした。
五感全てが鈍って、まるでねっとりしたお湯に全身を包まれたみたいだった。
「手筈通りに行ったのか?」
しばらくして、聞き覚えのない声が聞こえた。
線は細いが、鉄のような硬さと冷たさを含んだ男の声だ。
「うむ、貴様のおかげでな。情報提供感謝するぞ」
「そんなことはどうでもいい。その代わりにあの忌まわしい千剣と剣聖を必ず葬ってくれ」
「ふん。貴様のような薄汚い裏切り者の手を借りねばならん程、追い詰められるとは。自分で自分が情けないわ」
そのやり取りを聞いて、俺の意識は急速に浮上した。まるで必要な情報は回収できたと言うように、機械的に。




