第三十四話 狂愛
「ん、んん」
俺は乾いた口からそんな唸りを漏らし、薄目を開ける。
「ユーダイ、起きましたか?」
「ん、母様?」
反射的にコルネリアさんをそう呼ぶ。そして、身を起こす。
「やはり、会ってしまったのですね。和大様に……」
「かずひろ……えっと、ここは?」
「ここはキントス殿の館です。残党との戦闘が終わって三日三晩あなたは眠りについたままだったのですよ」
コルネリアさんは言いながら俺の口に水差しを当てた。ゆっくりと口に入ってくる水を、拒まずに慎重に飲み込む。
「母様、不思議な夢を見たんだ。エリアスが俺の母ちゃんになって、俺はずっと小さくて、たまにヴァレオスが遊びに来て……あれ、俺は何言って……?」
「記憶が混濁しているのですね。無理もありません。ユーダイ、今しばらく休みなさい。今から簡単な食事を作ってもらってきます。そしてそれが済んだら、お話ししましょう。貴方の身に起きた全てを」
母さんは俺を部屋に残して厨房に向かった。なんとなく布団の中でシーツを撫でていると、何かつるりとしたものに手が当たる。
布団を捲ると、そこには黒々とした蛇が寝息を立てていた。
「蛇……? どうして、こんな所に?」
「う、んん? はっ、ユーダイ様、ついにお目覚めになられたのですね!」
「うわ、蛇が喋った!」
腰が抜けるほど驚いたつもりだったが、疲れ切った体はピクリとも動かなかった。
「ユーダイ様、私です。ラミアでございます」
「なんだ、ラミアか。そういえば何処の街に住むのか決めたのか? 手続きに結構時間が掛かるから、急いでくれ」
「ユーダイ様……? 何を、仰られて……」
「そう言えば、お前にもらった短剣、一振りしかないんだけど、もう一本は何処へやったっけな?」
何故か痛々しそうにこちらを見つめるラミアを気にもとめずに、サイドボードの短剣に触れる。
あれ、この短剣。ラミアにもらったんだっけ? キントスさんに貰ったんじゃなかったっけ?
「その短剣、私が差し上げた事を思い出されたのですか?」
「思い出すも何もないだろ? 半月前に貰ったばかりなんだから」
「ゆ、ユーダイ様。今は魔王様が倒されてから何年ですか?」
「魔王? 五年だろ? あれは俺が殺技練に入って、すぐのことだったからな」
俺は答えてから、不安になってラミアから視線を逸らした。
確か、誰かが魔王は二十一年前に倒されたって言ってなかったっけ?
「三日前、ユーダイ様は剣聖、本間 和大にお会いになって。その後気を失ったままだったのです。覚えておいでですか?」
「ラミアさん。今は、ユーダイを刺激しないでください」
いつの間にか戻ってきていたコルネリアさんが、横から口を挟んだ。ラミアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「あれ、なんで母様とラミアが一緒にいるんだ?」
疑問が次々に湧いてきて止む事がない。そんな俺にコルネリアさんがグラスを手渡す。水が注がれたそれを口につけて傾ける。冷たい水が喉を滑り降りて、とても心地が良い。
「今は、あまり深く考え込まないで。ゆっくり思い出していけば良いのです」
「はい、母様」
そう返すと、コルネリアさんは耐えきれないと言ったように身を乗り出し俺を抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから」
食事が来るまでの間、コルネリアさんはそう言って俺の背中を摩り続けた。
食事は本当に簡単なものだった。薄い野菜のスープと、小さな白パン。
ラミアとコルネリアさんに見守られながら、ゆっくりと食べ進めていく。
そうしている内に、脳内で記憶が次々に整理されていった。
俺は本間 雄大。グラディウス・ドライア・エリアスと本間 和大の間に生まれて日本で育った。だが、一方でもう一人分の記憶がある。
その男も、本間 雄大。グラディウス・アインス・コルネリアと本間 和大の息子。コリントで育った。有り得ない筈の矛盾した記憶。だが、どちらかが嘘の記憶だなんて到底思えない。それほどまでに二つの記憶は俺の魂に馴染んでいる。
食事を食べ終えると、コルネリアさんは俺に肩を貸してベッドから立たせた。
「大丈夫ですか?」
「うん。けど、話はここですれば良いんじゃ?」
「ええ、とても大切な話なんです。腰を据えて、しっかり話さなくては」
コルネリアさんはもう一方の肩にラミアを乗せて、俺を気遣いながらゆっくりと応接間に向かった。
なんとか辿り着くと、俺をソファに座らせ自分は対面に腰を下ろす。
「ラミアさんはユーダイのそばについていてあげてください」
そう言われたラミアは、俺の膝の上に滑り移った。
「……はあ。それでは話しますね。まず、大前提からお話ししますが。貴方の母親はエリアスではありません。貴方の本当の母親はこの私、グラディウス・アインス・コルネリアです」
「そんな訳ないだろ。昔、母ちゃんに臍の緒を見せてもらった事もあるし、写真だって、」
「臍の緒というのは?」
俺は、半ば呆れながら説明した。
「なるほど、そういう事ですか。ならば何も不思議なことはありません。何故ならばエリアス”も”貴方を産んでいるのですから」
「も? も、ってどういう……」
「混乱しますよね。当然です。さて、何処から話すべきでしょうか、そう、転生の秘術については既に話していますよね?」
転生、と聞いて、ラミアは納得したようにため息をついた。
「転生、はは、転生ってなんだよ? それは魔王の話だろ……」
「あくまで尋龍術ですから。条件を揃えれば魔王でなくても効果は発揮します。……やはり最初から話していくことにしましょう」
コルネリアさんは難しい顔をして、ポツポツと語り始めた。
「今から三十一年前。私と和大様の間に、貴方が生まれました。剣神の力を宿した転移者と、血脈きっての天才である私との間に生まれた貴方は神子とまで呼ばれていたものです」
「……」
「それからあっという間に貴方は成長し、六歳になる年、私たちの住む宮廷に人質としてエリアスがやってきました。それから、時折やってくるヴァレオスと、三人で、よく宮廷内を悪戯して回っていましたね。泣いて嫌がるヴァレオスを二人で引き連れて」
「いや、俺だってエリアスに無理やり……」
思わず腰を浮かして言い返してから、口を手で覆う。コルネリアさんは金眼を細めて先を続けた。
「特に貴方とエリアスはとても仲が良かった。まるで本当の兄妹のように。しかし、ある時から彼女が貴方に向ける視線は家族への其れではなく、想い人へのそれへと変わっていきました。貴方はエリアスの気持ちに気づきもしないで、そう、とても微笑ましい光景でした」
「それでは、前に見せていただいた幻は……」
ラミアが弾かれたように、頭を擡げる。
「ええ、その時の光景です。しかし、さらに四年が経ち、貴方とエリアスが十歳になる年。和大様を始めとする討伐軍が魔王を追い詰め、私も最前線に出ることになりました。パースの軍を借りて貴方の護衛につかせ、私は宮廷を離れた」
そう語るコルネリアさんの目には、ありありと後悔が見てとれた。
「私たちは作戦通り、魔王の討伐を成し遂げました。そして、復活できないように魔王の死体に固着した魂を別の魔族の物へとすり替え、私はコリントに帰還した」
それから、コルネリアさんはかなりの時間押し黙った。次の言葉を絞り出すには余程の覚悟が必要だったんだろう。
「しかし、私たちが魔王と戦う裏で、暗黒の血脈はその手をコリントへと伸ばしていたのです。恐らくは人質にするつもりで、彼らは貴方を攫いました」
それを聞いて再び頭痛がした。耳鳴りの奥からコルネリアさんの声が聞こえてくる。
「ユーダイ様、これで少し楽になりませんか?」
ラミアにそう声をかけられると、頭痛が弱まった気がした。
「ラミアさん、何をしたのですか?」
「幻術で痛覚を弱めました。少し、気怠いかもしれませんが……」
「いや、だいぶマシになったよ。ありがとうラミア」
俺は言いつつもコルネリアさんを見て顔を引き締めた。
「しかし、私たちを脅す前に魔王は倒された。従って最大の利用価値を失った貴方は、恐らく暗殺者としての技術を叩き込まれた。魔王由来の魔力を仕込まれたのも、その時なのでしょう」
「でも、一体どうしてでしょうか? わざわざそんな事をしなくても、コルネリア様を、その、亡き者にするために利用する事もできたのでは?」
「それでは不十分と考えたのかもしれません。仮にユーダイの身柄を何処かへ隠し、脅迫するとしても、私か和大様に接触すれば、どうしても手掛かりを与えてしまう。ならいっその事、ユーダイ自身に暗示と訓練を施し、私達にとっての最悪の刺客に仕立て上げるべき、と」
俺は自分の手を見下ろした。ヴァレオスと戦っている時に不思議なくらい動けたのは、殺技練での訓練の記憶が染み付いていたからなんだろうか。
「そして、貴方が十五になる年。刺客と成り果てたユーダイが和大様の目の前に現れた。……しかし……しかし……しか、し」
「コルネリア様?」
コルネリアさんは、また言葉を止めた。ラミアは心配げに声を掛けるが、俺は何も言わなかった。寧ろ、心が冷たく研ぎ冷まされていく気がした。
俺は既にその先を知っている。顔から如何なる感情も抜け落ちていくのを感じた。
不意に目の前の女と、視線が重なる。女は一瞬、恐怖に顔を歪めた。
「しかし、和大様はユーダイを斬った。自分の息子と、気付きすら、せずに」
ラミアが息を呑んだ。
「私が駆けつけた頃には、貴方は血に沈み、冷たく、なっていて……」
胸騒ぎは、確信へ。心臓が早鐘を打ち、口の奥から酸っぱい味がせり上がってくる。
最初から簡単な話だった。死んだ筈の俺が生きている。それは何故か。
話の冒頭で、目の前の女が言ってたじゃないか。
エリアスが再び俺を産んだ、と。
記憶をなぞっていくことで、途方もない真実に実感が生まれていった。嫌悪感から冷や汗が噴き出す。
「貴方を失い、一日中泣き続ける私を憐れんだのか、それとも罪の意識からなのか。和大様はユーダイに転生の秘術を施すことを提案してきました。しかし、転生の為、母体になれば、その寿命を大きく削ることになってしまう。魔王が倒された直後の大切な時に、筆頭盟主たる私が死ぬわけにはいかなかった。そうして、長命種であるエルフのエリアスに白羽の矢が立ちました」
「そ、そんな……」
ラミアは呆然と、俺の顔を見上げた。
「エリアスは、心から貴方を愛していた。そして、その愛故に、彼女は貴方のいない五百年よりも、貴方のいる十五年を選んだのです」
俺はついさっき食べたばかりの食事を全て吐いた。
信じたくなかった。胸に迫る感情は雑多すぎて判別がつかない、とにかく脳はその場から逃げろと体に命令を出す。
「ユーダイ様、どこへ!?」とか、「ユーダイ待ちなさい」とか、そんな声が背後から聞こえてくるけど、足を止めたらダメだ。
帰らないと、日本へ。来るんじゃなかった、こんな世界。俺は、俺は。
熱いものが頬をダラダラと流れていく。
とにかく遠くへ行こうとして、足がもつれて前のめりに転ける。
「うぐっ、」
「ユーダイ、待って」
誰かの手が俺の背中に触れる。俺は咄嗟にその手を振り払った。
「う、ううう。触んな! 触んなよ!」
「話を聞いてください。私も、エリアスも、貴方のために……」
「ふ、ふざけんな!! 誰がそんなこと頼んだ!? お、俺は、俺は……。か、帰らないと、日本に、こんな狂った所に居られるかっ!」
そこに館の使用人が通りかかる。俺たちの姿を見て目を丸くし、慌てて何処かに走り去る。
俺はその使用人を追うでもなく、ふらつく体で、何度も転びながら館を出た。
前庭に出ると、小雨が降っていた。涙や、涎、鼻水と、雨が混じって、顎から滴り落ちる。
半開きの門を潜り抜けると、ぼやけた視界に大男が立ち塞がった。
「……ユーダイ。すまない」
「キント……」
そこから先は言葉にならなかった。ただ、腹に熱い衝撃を感じて、視界は一瞬真っ白に弾け、そして真っ暗になった。




