第三十三話 あるエルフの記憶
辺りは、花に囲まれている。柔らかい日差しが差し込む庭園。そこは持ち主の性格を表すようにきっちりと、美しく手入れされていた。
噴水の水音を聞きながら、私は金髪の麗人を見上げる。
「ほら、ユーダイ。挨拶なさい。今日から共に暮らすことになるのですから」
「うん、母様。初めまして、よろしく。えっと……」
涼やかな声に促されて、麗人の足元に立つ少年が口を開いた。
「私、エリアス。グラディウス・ドライア・エリアス、です。こちらこそよろしく、お願いします。ホンマ・ユーダイ殿」
途中で少年が言い淀んだ訳を察して、どもりながら自己紹介をする。
それが、私とユーダイの最初の出会いだった。
古くから続く盟主同士の慣習。それに倣って、コリントに追いやられた人質。それが、対外的に見た私の立場だった。
慣習を重視する盟主なんて、今となってはエルフのお父さんくらいなものだけど、その役目を軽んじるつもりはなかった。
人質になることが私の生まれた意味なんだから。軽んじれば、私は存在意義を失う。それが何よりも怖かった。
そこでの生活は、私が思い描いていたものとは全く違っていた。
黄金の盟主、筆頭であられるコルネリア様は職務中を除けば気安い人で、とても良くしてくれた。ユーダイ殿はいつも庭園で駆け回って、食事の時に顔を合わせるくらいだった。彼から話しかけられることはしばしばあったけど、私から話しかける事はなかった。
当初の私は、そんな生活に、居心地が悪いと感じていた。エルフの森に居た時、私は殆ど無い物として扱われていて、それに慣れきっていたからだ。今、こんなにも優しくしてくれるコルネリア様もいずれは私に興味を失って、放置される。そうなるであろう事が、怖かったし、そんな恐怖を味合わされたくなかった。
自分から話し出せずにいる事で、使用人やユーダイ殿から話しかけてくる頻度は日一日減っていった。けど、コルネリア様は私を見かけるなり必ず話しかけてきた。
そんなある日、私室からぼんやり庭園を眺めていると、偶然、ユーダイ殿が塀をよじ登って宮廷を出て行く所を見かけた。
私は盟主筆頭のご子息に何かあってはまずいと思って、迷わず後を追いかけることにした。
腰あたりから長いプリーツの入ったワンピースは、塀をよじ登るには不向きで結局宮廷を出ることは出来なかった。仕方なく、その場で時間を潰していると二時間ほどしてユーダイ殿がこっそり帰ってきた。
慎重に塀を跨いで、ぶら下がってから一息に飛び降りる。
「よ、ほっ、」
明らかに手慣れた身のこなしで着地し、彼が振り向いた拍子に視線が絡まる。
「……げ、エリアス。もしかして、今の、見てた……?」
「えっと、その、私は、」
「頼む! 母様には言わないでくれ、バレたら絶対叱られるし、二度と市井に降りられなくなる。数少ない楽しみなんだ……」
ユーダイ殿は両手を合わせて拝み倒す。片や、直系と言うだけの人質。片や、じき筆頭盟主になる予定の嫡子。なのに、どうだろう。
まるで、友達のように簡単に頭を下げる少年のつむじを見て私は噴き出した。
「いきなりどうしたんだよ? 何か顔についてるか?」
「い、いえ。し、失礼しました。でも、黙っておくわけにはいきません。もし、ユーダイ殿に何かあったらコルネリア様がお悲しみになります」
「大丈夫だって、みんないい人だし」
少年は人の良い笑顔を、屈託なく浮かべた。その眩しさに気後れして、私は胸の辺りに手をやった。
「悪い人だっているかも知れません。なら、こうしましょう。遊びに出る前は、私に何時に帰るかをまず伝える。もし、その時間までに戻ってこなければ問答無用でコルネリア様にお伝えします」
「良いのか!? なんだ、意外と話の分かる奴だったんだな」
「意外と……?」
ユーダイ殿の口振りに引っかかって、おうむ返しする。すると、少年はキョトンとして腕を組んだ。
「だって、お前。母様としか話さないし、定規みたいに真面目な奴かと思ってたから」
「わ、私は、好きでそんな風にしてるんじゃありません! ただ、」
悪口を言われたみたいにカッと頭に血が昇って、少年に詰め寄る。
「じゃ、今から俺の事は呼び捨てな。それから、喋り方も普通でいいよ。母様はお前のこと娘みたいで可愛いって言ってたぜ? つまり、俺にとっちゃ妹みたいなもんだろ?」
「な、どうして私が妹? 同い年の筈でしょう!」
「へへ、ほら、キッチンにおやつ貰いに行こうぜ? そのために帰ってきたんだから」
ユーダイ殿……ユーダイは私の反論を躱して宮廷に戻っていく。
よく晴れた日。庭園を駆け巡る、青々としたツルの産毛が、陽射しを跳ね返す眩しくも暖かい、そんな日の事だった。
その日を境に、私は、ユーダイと頻繁に話すようになっていた。出かける時に帰りの時間を伝えに来るのもそうだけど、時には庭園で遊んだり、一緒にコルネリア様に稽古をつけてもらう事もあった。
ある日。用事を頼まれて、私が廊下を歩いていると曲がり角でユーダイと行き当たった。
ぶつかったけど、ユーダイが一歩引いてくれたから痛みは無かった。
「丁度良かった。今から出かけてくる。十五時には戻るから」
少年は短く言い置いて廊下を去って行く。私は唖然としてしばらく彼の背中を眺めていた。
その後、用事を済ませて時計を見ると、もうすぐ十五時になろうとしていた。そろそろ戻ってくる頃だと思って庭園に向かい、帰りを待つ。
でも、十五時を過ぎても帰ってくる気配は無い。ユーダイが先に約束した時間を遅れることは、今まで一度も無かった。すでに帰ってきているのかも知れないと思って、宮廷で使用人を捕まえてユーダイを見なかったかと聞く。
「ユーダイ様ですか? 見ておりませんねえ。さては、また市井にお下りになったのでしょう? 最近、物騒ですから何か事件に巻き込まれてないと良いのですが……」
サッと顔から血の気が引いて、指先が凍りついた。
「あの! コルネリア様に、ユーダイの事を伝えて下さい!」
私は、予めユーダイから戻る時間を聞いていて、その時間を過ぎたのに戻って来ない事を簡潔に伝えた。使用人の方も、顔を青くして来た道を取って返していく。
居ても立っても居られず、私はまず私室に戻り動きやすい服に着替えると、塀を乗り越えた。思っていたよりも簡単に宮廷を出ることが出来て拍子抜けしつつ市井に下りる。
街の人たちに聞き込みをすると、ユーダイの情報はすぐに集まった。しかし、情報が多いことがかえって混乱を招き、私はいつの間にか閑散とした路地に迷い込んでいた。
来た道を戻ることも出来ず、人を求めて扉のない建物に恐る恐る踏み込む。
「あ、あの〜誰か居ませんか?」
声を投げながら荒れた様子の室内を歩き回る。すると不意に天井から物音がした。目を上げて二、三歩歩くと、突然浮遊感で胃がキュッと縮むような感覚を覚えた。
まもなく足を衝撃が突き抜け、その場でタタラを踏んで尻餅をつく。
「い、イタタ」
ぼんやり上を見上げると、木張りの床に一箇所だけ穴が開いていた。どうやらそこから落ちたらしい。辺りを見回すと薄暗いながら、何もない事がわかった。身一つで登るのは難しそうだった。
魔術が使えれば出られるかも知れないけど、稽古で術が成功したことは無い。
詠唱を試みたり、助けを呼んだりしても帰ってくる声どころか人の気配する感じられない。
着々と光が薄くなって、微かに見える紫色の空から、鴉の鳴き声が降ってきた。
次第に輪郭を成していく不吉な未来に心がざわつく。足が疼いて立っていられず、その場にしゃがみ込んだ。
ユーダイは見つかっただろうか? まだユーダイが見つかっていないなら、きっと私は後回しにされる。
もし、ユーダイが何かの事件に巻き込まれているならそれを解決して身柄を取り戻すまで、どれだけ掛かるかも分からない。少なくとも一日、二日では難しいはず。
それが終わって、ようやく私の捜索が始まる頃まで私は生きていられるだろうか。水すらないこの場所で。
悪い想像ばかりが頭を埋め尽くして、不安と絶望が込み上げてくる。
「うっ、ふ、ぐすっ」
人質としてしか認められていない自分。ずっと向き合わないようにしてきた自分の境遇が、絶望に拍車をかける。
——こんな風に産まれたくなんて無かった……!
一度、それと向き合うと惨めな思いは到底止められない。
——愛されたい。寂しい。寒い。
恐怖から流していたはずの涙は、孕む意味を変えて尚、止めどなく流れ続ける。
「誰かっ! 助けて! 私をここから出して!」
——違う。この惨めな人生から!
「寒い、暗い、怖い。もう嫌だ……。こんな所に、いたくないのに、」
私は頭上の穴を見上げた。今の叫びを聞いて、ユーダイがひょっこり顔を出す。そんな淡い期待は叶わなかった。
叫び疲れて、私はいつの間にか眠りに落ちた。
次に目を覚ますと、暖かく柔らかい感触に包まれていた。
どうやら、眠った後、使用人の一人が私を見つけ、助け出して宮廷に連れ帰り、私室に寝かせてくれたらしい。
助かった。良かった。そんな安堵を感じる一方で、結局ここから出られなかった、という思いは拭えなかった。
ぼんやり天井を眺めていると、扉がたたかれた。返事を返すと、扉の奥からユーダイが現れた。
私は気まずい思いと、恥ずかしい思いと、悔しいような気持ちを抑え込めず咄嗟に顔を背ける。
「ごめん。俺が時間通りに戻らなかったから……」
「ユーダイは悪くないよ。私が勝手に飛び出して……迷惑かけちゃっただけだから」
「こんな事言ったら不謹慎かも知れないけど、俺、嬉しかったよ。エリアスが心配してくれたって話を聞いて」
少年の言葉が耳障りで、私は頭まで布団を被り、耳を塞ぐ。
「結局、ユーダイはどこに行ってたの?」
「友達と遊んでたら、つい時間を忘れて帰るのが遅れちゃったんだ。本当にごめん」
「……ユーダイは嫌にならないの? 友達と遊ぶのに時間を忘れることも許されない。そんな人生」
口が勝手に動いていた。ユーダイが息を呑む気配が背中越しにも感じ取れる。
怒っているのか、それとも困っているのか、答えが返ってくるまでかなりの間があった。それを待っている時間は不思議と心地良かった。
「まあ、たまには何もかも投げ出したくなるよ。神子なんて言われても、俺は母様とは違う。母様みたいにやれって言われたって、絶対無理だし」
言い切ってユーダイは深く息を吐いた。
「ねえ、今度は二人で宮廷を抜け出さない? どこまで行けるか分からないけど、そうすれば、きっと自由になれるよ」
本気で言ったわけじゃない。ただ、笑い飛ばして欲しかった。自分では、出来そうにも無かったから。
「……いいぜ。出ていこう」
だから、私は不意を突かれて思わず跳ね起きた。
「やっと、起きたな」
「もしかして、そのために嘘ついたの?」
怒気を込めて質す。けど、ユーダイは神妙な表情で首を横に振った。
「嘘じゃない。でも、出ていくのはもっと先の話だ。今よりもっと強くなって、世の中のこと勉強して、誰にも頼らず生きていけるようになったら……その時は、一緒にここを出て行こう」
その言葉一つが、決定的に私の絶望を払ってくれた訳じゃ無かったと思う。
でも、コリントで暮らす間。ユーダイはそんな言葉を沢山くれた。
彼が笑いかけてくれて、間を置かずに笑みを返せるようになる位には、沢山の言葉を。
だから、私は——、




