第三十一話 裏切り
エクリプスの異様な変形を目の当たりにして、一瞬頭が真っ白になり、防御が遅れた。
「やべっ……」
炎は俺の体を優に飲み込む。
「ぐうっ、あれ?」
覚悟を決めて、歯を食いしばるが体を焦がす熱は一向に訪れなかった。
「ま、間に合った……」
「ユーダイ様、ご無事ですか!?」
目の前に、巨大な岩の塊を引き連れたポイカが立っていた。その肩には黒い蛇がトグロを巻いていて、俺の姿を見つけるなり、こっちに飛び込んで来る。
「な、どうしてこんなに早く……!」
ラミアの話じゃあ、五時間は術の解除にかかるって話だった。それに加えて、移動の時間もあったはずなのに。
「話は後でございます。今は、敵に集中なさってください」
「ユーダイ。僕が前衛をするから援護をお願い」
岩の影からそっと、エクリプスを伺おうと目を覗かせる。しかし、すでに姿は無い。周囲を見回しても影すら見当たらない。俺は刹那の逡巡の末、バッと頭上を見上げた。
「上から来るぞ!」
エクリプスは鱗に覆われ、太く逞しくなった腕を岩の塊に向かって叩きつけた。
「ユーダイ、僕の後ろに!」
飛び散った岩のカケラを、身を竦める事でやり過ごす。続けての美丈夫の連撃もポイカがバックラーで受け流した。
「ハアッ、セッ」
「グッ、」
とはいえ、人間離れした膂力のせいでポイカは術を唱える余裕はなさそうだった。
「あれは、獣化……。本来の姿に回帰する技術です。それを抑えて部分的な変化に抑えているのです」
「”窖の最奥・羅衣を纏いし乙女・澱み捕えよ” 部分的? なんで、全身元に戻らねえんだ?」
ポイカとエクリプスの攻防の中に、横槍を差し挟み、ラミアに疑問を投げた。
「そうすると、術を使えなくなるのです」
「”稲妻の号砲・帰幽の往還を断ち・澱みを払え”」
エクリプスは土の拘束を敢えなく外した。
美丈夫はポイカに向けて、右上を掲げた。少年はバックラーに右手を添えて、重い攻撃に備える。しかし、エクリプスはガラ空きになった少年の腹に蹴りを放ち、その反動を利用して俺に肉薄してきた。
「なっ!」
俺はエクリプスの攻撃が届く前に、短剣で切り込み、勢いから殺す。
「むうっ!」
「ハアッ!」
そして素早い動きで、エクリプスの背後に回り込み、逆手に持った短剣の切先を美丈夫のうなじに振り下ろした。
「セッ!」
美丈夫は俺の動きを読んでいたのか、振り向きざまに回し蹴りを放つ。脇腹に奴の華奢な足が食い込んだ。
「ガハッ!」
「ユーダイ様!」
俺は地面を転がり、ひっくり返った胃から迫り上がってきた血液混じりの胃酸を吐く。
ラミアの悲鳴に応じる余裕もないままに、なんとか立ち上がろうと地面に手を付いた。
コイツ。強え。
遅まきながら、俺は数歩先に佇む美丈夫に恐怖を覚えた。こんなことが少し前にもあった気がする。そうだ、シュミッツェルでパースに会った時と同じだ。
「痛みを堪えながら、心を張り詰めさせるのは、さぞ辛かろう」
——来る。幻術が!
エクリプスの赤い瞳がギラリと光り、俺を幻へと誘おうとしたその時、
「グアアアアッ!!」
美丈夫が突然悲鳴を上げた。黒々とした右腕が、肩口から斬り落とされ、地面に落ちて重々しく砂埃を舞わせる。
「な、アイツ、どうしたんだ……?」
「恐らく本体に加えられた攻撃を、あの分身体が肩代わりさせられたのでしょう。いずれにせよ、今がチャンスです」
「分かった! ”稲妻の号砲・帰幽の往還を断ち・戦地を均せ”」
右肩を押さえている分身に、雷撃を放つ。
「が、アアアアッ!」
美丈夫は閃光に包まれ、体から黒い煙を立ち上らせた。しかし、見かけほどにダメージを受けてはいない。その上、斬り落とされたはずの右腕が既に再生し始めている。
これが聖地の効力なのか。
「本間 和大ォォォッ!! どこまでも我の邪魔をしおってェェッ!」
怒り狂ったエクリプスは焦げた体をギクシャクと動かして俺に駆け寄る。一方で、さっきのダメージから、俺はまだ立つことすらままならない。しかし、打って変わって余裕の笑みを浮かべた。
「……鯢魚を傍に・変貌せよ”」
自由を得たポイカが改変した術をエクリプスに放つ。体表を氷の膜が覆い、美丈夫の動きを封じた。
どうやら凍りついて仕舞えば、回復も何もないらしい。俺が与えたダメージは回復していくが、氷は一向に解けない。
「や、やったな。ポイカ」
「うん。まさか、この程度の手傷で捉えられるなんて思わなかったよ。剣聖様様だね」
ポイカは脇腹を庇いながら、エクリプスの体に近づき懐から取り出した種を捩じ込んだ。すると、種は表面の氷を無視して分身体の体に溶け込み発芽する。
「それで、どうしてこんなに早く駆けつけられたんだ?」
「はい。魔界側の麓でコルネリア様が控えていたそうです。それで異変を察して、私たちの元へと駆けつけ、エクリプスの拘束を解き、千剣に乗せて私達を龍脈上まで運んでくださったのです」
「それじゃあ、あの岩は?」
「私がポイカに提案したのです。既に戦闘が始まっているなら、何か盾になるものも一緒に転移させてはどうか、と」
ラミアは誇らしげに細い体を反らした。
「そっか。……それでポイカ。種の方はどうだ?」
「うん、もうすぐ生りそうだよ。僕信号を上げてくるからちょっと待ってて」
俺はポイカを見送ってから、ラミアに囁きかけた。
「ラミア、頼みがある」
「はい、何なりとユーダイ様」
「ポイカに幻術をかけてくれ」
俺の頼みを聞いて、ラミアは赤い瞳をこれ以上ないくらいに瞠った。
「実がなったら、一つ捥ぐ。それをポイカが認識できないようにして欲しい。出来るか?」
「魔力は充分余っています。しかし、よろしいのですか? コルネリア様との約束がお有りなのでは……」
あの晩、聞き耳を立てていたのか。それとも、コルネリアさんが既に働きかけていたのか。ラミアは肩から地面へと滑り降り、俺を見上げた。
「……お前は誰の侍従だ? 母さんか、それとも俺か?」
俺は目を細めてラミアを見下ろした。睨むつもりはなかったが、事が事なだけに、表情を緩めることは出来ないし、したくも無かった。
「わ、私は、私は……貴方様の侍従でございます。……かしこまりました。全てはご意向のままに……」
ヒューン、と上空に打ち上げられた信号が昇っていく。それを見届け、戻ってくる少年にラミアが赤い視線を投げかけた。ポイカの表情がどこか虚にエクリプスの氷像を見つめた。
蔦に実が生ったのはそれからすぐの事だった。実は全部で二つ。俺は一つを捥ぎ、口に放り込んで飲み下す。
その瞬間、本体も含めて全てのエクリプスの居場所が百一個の点となって脳内に浮かび上がった。
俺が情報の濁流に呆然としていると、そこに二人の騎士を連れてコルネリアさんが転移してきた。
「本当に、よくやってくれましたね。ユーダイ、ラミアさん、ポイカさん」
「ありがとうございます。コルネリア様、これを、」
少年が蔦から実を捥いでコルネリアさんに手渡す。母さんは金眼を閉じて、それを飲み込んだ。そしてゆっくりと手を掲げる。
「”舞い散らせ・千剣”」
凛とした声。魔族にとっては死刑宣告にも等しい音の羅列が、空に千の輝きを呼び出した。
無数の剣は、鈍い光輝を棚引かせて降り注ぐ。
コルネリアさんは眉間に皺を寄せている。剣を操作し、エクリプスの分身体を屠っているんだろう。
脳内に浮かび上がっていたはずの点が、一秒毎に消えていく。
俺たちがあんなに苦戦した分身体を、百体同時に相手どって、それに勝てると言うんだから親父に負けず劣らず化け物じみている。
「ふう、これで全ての分身体は破壊しました。後は和大様に委ねるとしましょう」
コルネリアさんは最後に氷漬けになった分身体を、聖地の外から弾き出して千剣で砕いた。
「流石です。コルネリア様」
ポイカが両手を叩いて賞賛した。
「”其は遠き虚無の輝き・恋しければ手を伸ばせ」
一方で、俺は声を細め、転移の詠唱を唱える。
エクリプスの本体が親父と戦っているなら、今、エクリプスの本体がいる場所に転移すればそこに親父が、本間 和大がいる。
ようやく、母ちゃんと俺を捨てたクソ親父に会える。だと言うのに、俺の心はどこか落ち着いていた。
「どころで、他の実はどこにあるのですか? ポイカさん」
「へ? ここにあるじゃないですか」
そう言ってポイカは空手をコルネリアさんに突きつける。戸惑った表情は束の間、すぐに何が起こっているかを察したコルネリアさんは俺の方を素早く振り向いた。
「ユーダイ! 駄目!」
「さすれば道は開かれん”」
俺の体が光に包まれた。転移までの数瞬、母さんを見つめ返す。
「説教は後で聞きます。でも、どうしても俺は親父に会いたいんっす。コルネリアさんは会わせてくれるって言ってたっすけど、俺にはその言葉が信じられなかった。だから、ごめんなさい。母さん」
「クッ、”穴・昧い・澱み”」
コルネリアさんは術で俺を捉えようとしたが、転移の光は俺とラミアだけを親父の元へと導いた。




