第二十九話 遭遇
「うう、酷い空気だ」
ポイカは口元を手で押さえた。
俺は内心で同意しつつ、バックパックを背負い直す。
毒々しい紫色の空気は身体に纏わり付くように棚引いている。
「ユーダイ。今からでも作戦は中止にしていいのですよ?」
コルネリアさんが心配げに声を掛けてきた。
「いや、大丈夫っす。ここまで聞いて二の足踏んでる訳にもいかねえっすから。……ラミアは大丈夫か?」
「ええ、流石に大丈夫ですね。精々嫌な思い出が蘇って気分が悪いくらいです」
「駄目じゃねえか」
ラミアにはなるべく胸ポケットの中に入って貰うことにした。
背後にはカサンドラスへと伸びる山道がある。街が起こされた山を一つ越えると、直ぐそこは魔界だった。
龍脈が無いせいで、魔界には植物が極端に少ない。その上、魔王が放っていた魔族を生み出す瘴気が今も滞留している。
「ポイカさん。ケルンヌス殿の種は持ちましたか?」
「はい。確かに持ってます」
コルネリアさんに聞かれて、ポイカはポケットから小さな包みを取り出した。包みを開くと中には小さな何の変哲もない種がある。
「それを無力化した分身体に植え付けて、成った実を捥いだら信号をあげてください。転移で直ぐに跳びますから」
「はい。分かりました」
ポイカは頷くと、種を懐にしまいなおす。
「兄……本間 雄大。武運を」
それまで黙りこくっていたヴァレオスさんが重々しく口火を切る。俺はこの人の事が未だによく分からなかった。初めて会った時はもっと明るい人だと思ったのにな。
どう反応したら良いか分からず、辛うじて顎を軽く引いた。
「それじゃあ、行ってくるっす」
「お願いだから、無理はせず。皆さん無事で帰って来てください」
胸ポケットから顔を出したラミアと、ポイカが深く頭を下げた。俺はそれを横目に踵を返し、魔界に足を踏み入れた。
「なあ〜、まだつかねえの? 分身は魔界の浅いところにいるんじゃねえのかよお〜」
「もう、さっきからそればっかりじゃないか。僕だって疲れてるんだから、静かに歩いてよ」
少し苛立った様子のポイカにビビって俺は何も言い返せなかった。っていうか本当にこいつはあのポイカなんだろうか? もしや、いつの間にか敵と入れ替わっているのでは……?
くだらないことを考えると、少し疲労感が紛れることに気づき、それから俺はひたすら考え事に夢中になっていた。
ずっと、下ばかりを見て歩いていたせいか、紫色の霧が濃くなっているのに気付かなかった。
「ユーダイ様? 何だか水音がしますが、すでに湿地に入られているのでは?」
言われてみれば、足がますます重くなったような。
「あれ、ポイカは……?」
「ま、まさか、はぐれたのですか? こ、こう言う時は足跡を遡りましょう。分岐点があるはずです」
「ああ、そうだな」
俺はラミアの言葉に従って、自分の足跡を追った。分岐点は思ったより直ぐに見つかって。急いで、もう一つの足跡を辿る。
ポイカの名前を呼びながら、知れず駆け足になっていった。
しばらくして霧の奥に一つの人影が見えた。俺は安心して、駆け寄る。
「悪いポイカ。ずっと下を向いてたからさ」
「……」
「え? ちょっと考え事しててさ、疲れてたんだからしょうがないだろ?」
ポイカが声を尖らせるので、俺は言い訳をすかさず切り返す。
「……」
「いや、急にそんなに素直に謝られたら調子狂うぜ」
「……」
どうやら、ポイカも疲れで気が立っていた自覚はあったらしい。
「……」
「ああ、もうどこで分身と出会してもおかしくない。慎重に行こうぜ」
「……」
俺とポイカは気合いを入れ直して、エクリプスの分身を探す事にした。
「……様、ユーダイ様……ユーダイ様!!」
何だかうるさいな。でも、何だろう聞き覚えるのある声だな。
「ユーダイ様!! お気を確かに、幻術です! 攻撃されています!」
攻撃……? 攻撃ってなんだ? 防御の対義語か。……あれ、防御って何だっけ?
「短剣を構えて! 雄牛の構え!」
雄牛……? 不明瞭な意識とは裏腹に、体が勝手に動く。すると、それとほぼ同時に俺の体を衝撃が突き抜けた。
「ぐあっ!」
緩く構えた腕が吹き飛ばされ、それに引っ張られるようにして俺は泥に背中から突っ込んだ。
「私とは比べ物にならない強力な幻術。姿は見えませんが恐らくはエクリプスの分身体です」
「……あれ、ポイカは?」
「もう! 良い加減目を覚ましてください! 貴婦人の構え!」
まだ意識の大部分に靄がかかっているものの、ラミアの指示で再び俺の体が勝手に動く。……ラミア……そうか。この声はラミアの声だ。
また手首を衝撃が抜けたが、さっきよりは心地よく感じられた。おまけに、水中から聞いているようにこもってはいたけど、サンッという快音も遠くに聞こえる。
「なあ、ラミア。もう昼飯って食べたっけ?」
「月兎の足運びから、大山の構え!」
俺は軽やかに湿地を蹴って、短剣を唐竹に振り下ろす。
そういえば、ポイカはどこへ行ったんだ? 俺はアイツを探して……。
徐々に浮上して明瞭になっていく意識の端で何か違和感があった。
「そこで、トドメです! 破岩の構え!」
両手に持った短剣を突き出そうとして、寸前で脳信号に急制動をかけた。俺はこの相手と戦った事がある。
「何をしているのです!? トドメを刺さなければ、負けてしまいますよ!」
「ラミア! ポイカ! 目を覚ませ! 俺たち全員幻術に嵌められてる! 同士討ちさせられてたんだ!!」
「はっ、ゆ、ユーダイ」
「っ! 私とした事が、申し訳ありません。ユーダイ様」
「ほう。全員目を覚ましたか。思ったよりはやるようだな」
霧の奥から全く聞き覚えのない声が響いてくる。反響のせいで声の居場所は掴めない。
それにしても三人同時に幻術に嵌めるなんて、本体よりは力が弱まっているはずなのに。
「聞け! エンセンドナ・アジヌ・エクリプス。俺の名は本間 雄大。剣聖の息子だ」




