第二十五話 剣聖の弱点
それから、俺は夕食をとり、客室で旅の疲れをとって朝を迎えた。
空が白み始めた頃に、何とか起きることが出来た。俺は眠い目を擦りながら、服を着替えて裏庭へと出る。
「二百五十六、二百五十七、二百五十八」
すでにかなりの数を数えながら、キントスさんは剣を振っていた。
「おはようございます」
「おお、思ったより早く来たな。さあ、約束通り、武闘祭のマナーを教える」
俺が声をかけると、キントスさんは二百六十を数えたところで素振りを中断し、応じた。
「マナーは単純明快。簡単に気を失わないことだ」
「気を……?」
「つまり、こんな風にな」
言い捨てて、キントスさんは俺に殴りかかってきた。俺はその動きを間一髪で躱わす。
「さあ、どんどん行くぞ!」
キントスさんは楽しそうに笑いながら、次々に拳を繰り出す。俺は地面を転げ回って、ひたすら回避に集中した。
「な、いきなり、何なんすか!?」
「ほらほら、躱してばかりじゃ終わらんぞ! 和大様を殴りたいのだろう! とっとと殴り返してこんかッ!」
キントスさんの言葉に触発されて、大男に突っ込む。叫びと共に繰り出した俺の拳を、キントスさんは軽々と受け止めた。
「ほう、身体強化は使えるか。いいぞ、その調子でガツンと来い!」
キントスさんは掴んだ俺の拳を投げ返して、豪快に笑う。
俺は直線的な突進をやめて、ジグザグに動き撹乱する。そして、キントスさんの背後から攻めたが、大男は一瞥もせずに拳を掲げて俺にカウンターを見舞った。
「ぐ、くそ。ラミア、こうなったら幻術を頼む」
俺は鼻血を抑えながら、胸ポケットに囁く。
「はい」
「行くぞッ!」
ラミアの返事を待って、もう一度ジグザグに動きキントスさんの背後に回り込む。幻術が隙を生む瞬間を待ち、大男が空中に向かって手を出した瞬間。俺は間合いに踏み込んだ。
「甘いッ」
鋭い一声と共に、突然キントスさんがしゃがみ、俺の足を刈り取った。世界が回る。
「うぐっ」
「幻術まで使えたとはな。しかし、俺には通じん」
「何でっすか。今まで通じなかったことなんて無いのに……」
俺は身を起こし、後頭部を掻いた。
「盟主の精神力とは、鋼!! 余程の事でも無い限り、幻術は通じない」
そういえば、ラミアもグラジオには幻術を見破られたって言ってたな。
「はあ、一応聞いておきたいんすけど親父とキントスさんってどっちが強いんすか?」
「もちろん俺、と言いたいところだが、残念ながら俺では和大様には勝てないな。……剣士であれ、術師であれ、みんな何かしらの理の上で戦っている。しかし、和大様には技も理もない。理に従って斬るのではなく、斬るために理を歪めている。というべきか」
キントスさんは短く答えたが、俺が不満そうに見つめると補うように親父について語ってくれた。
「理を歪める。そんなのまるで神じゃ無いっすか」
「まるで、というか。まさしく彼は神も同然なんだ。剣神から力を受け取っている以上は。だが、付け入る隙が無いわけではない」
大男はニヤリと笑った。
「こんな話がある。昔、和大様がある街に立ち寄った時、突然、女に話しかけられたそうだ。その女は目の覚めるような美しさで、筆頭殿と甲乙つけ難い程だったとか」
「は、はぁ……」
キントスさんの話の意図が掴めず、曖昧に返す。
「当然、抱いて、疲れ果てて、眠りについた。しかし、和大様が目を覚ました時、隣に寝ていたのは……何と、毛むくじゃらで加齢臭のキツイ男だったそうだ」
「み、耳が腐りそうなんすけど……」
「分からんか? その男は和大様に抱かれる為に幻術を使ったのだ。もちろん、臨戦態勢であれば和大様に幻術は効くまい。が、平常時であれば話は別のようだな。頭抜けた強さ故の慢心と言うべきか、或いは、盟主とは異なる方法で幻術を見破っているのか。いずれにせよ、殴るだけなら、やりようはあるという事だ」
「……あの、いいんすか? 一応、親父はこっちの世界では英雄扱いなんすよね?」
「まあ、俺とて和大様に敬意は持っている。しかし、俺の本質はどこまで行っても武人なのだ。あの絶対の守りをどう崩すか。そんなことはずっと考えているし、それに、可愛い妹や甥っ子を放ったらかしにしている彼に悪感情を持たない訳もない」
キントスさんは俺の顔を見て苦い顔をした。そっか。俺の顔、親父似なんだったっけ。そう言えば。
「そっすよね。ただ、幻術については俺が使ってる訳じゃないんっす。ほら、ラミア」
「そうなのか」
俺は胸ポケットからラミアを出した。
「お、お初にお目にかかります。私、ユーダイ様の侍従のラミアと申します」
ラミアは俺の掌の上で慇懃に体を伸ばし一礼する。
「喋る蛇、か。こいつは面白い。しかし、明日の武闘祭には使い魔は禁止だ。もし、お前以外が術を使っていたら失格になるからな」
突っ込む所、そこなのか。この人、本当に戦うことしか頭にないんだな。
「さて、そろそろ腹も空いた。朝食を食いに行くとするか」
いつの間にか朝日が昇って、山脈に挟まれた空が青かった。
朝食を食べ終えると、ヴァレオスさんやキントスさん、コルネリアさんが城に行って、防衛策について話し合いに行った。ポイカ達も巡回に行ってしまって、俺は館に一人で残された。ああ、厳密にはラミアもいるけど。
俺は客室に引きこもって、ラミアに幻術をかけてもらって遊ぶことにした。もしかしたら、裏技みたいな使い方を見つけられるかも知れない。
「ユーちゃん、お話ししましょう?」
「おわあっ!」
幻術の遊びに没頭していると、アチアさんがいつの間にか客室の中にいた。
「の、ノックくらいしてくださいよ。アチアさん」
「えへへ、ごめんごめん。お兄ちゃんも、コルちゃんも相手してくれないし。公務の方は片付けちゃって暇なんだ。だから、あ〜そ〜ぼ〜」
「は、はあ」
俺は中腰になって、アチアさんと目線を合わせる。
「ところで、何かに集中してたみたいだけど、今は何してたの?」
「えっと、ラミアに幻術を掛けてもらって遊んでたんっすよ。ラミアって言うのはこの蛇なんっすけど」
「へえ、ユーちゃんのお友達なのね? ラミアってことは、ラミっちね?」
「ラミっち……」
アチアさんのような人と接するのは初めてなのか、ラミアは困惑したように動きを止めた。
「へえ〜、ラミっちは幻術を使える蛇さんなのね? 面白そう! それ、私にも掛けてみて」
「し、しかし。高貴なお方にそのような事は……」
「でも、今朝キントスさんには掛けてくれただろ?」
アチアさんは目を輝かせて、ラミアに視線を送る。
「……かしこまりました。それでは、失礼いたします」
そう断って、ラミアがアチアさんに意識を集中させる。
「…………?」
「……ッ。くっ、ふうっ!」
しばらくの沈黙の後、ラミアは苦しそうに呻いたかと思うと、俺の肩から胸ポケットに逃げるように滑り込んだ。
「おい、どうしたんだよ?」
「こ、こんなこと初めてです。精神に語りかけられない。付け入る隙がないなんて……」
「何だよ、それ。アチアさんには幻術が通用しないってことか?」
「……はい。グラジオ様でさえ、幻術を試みる事はできたのです。しかし、アチア様にはその隙すら無い」
アチアさんはキョトンと首を傾げた。
「でも、私は何もしてないよ? お兄ちゃんや、コルちゃんみたいに強くもないし……」
アチアさんは心当たりが無さそうに視線をそよがせる。しかし、考えてみれば当然なのかもしれない。還暦になろうとする人間が、まるで女の子みたいな振る舞いをするなんて冷静に考えたら異常だ。見かけのおかげで違和感こそないけど。
「ユーちゃん? 失礼な事、考えてない?」
俺は慌てて首を横に振った。
「でも、そっか。隙がない、か。もしかしたら、それは私が愛情深い人間だからかもしれないね。コルちゃん、レオくん、それから、ついでにお兄ちゃん。皆んなへの愛情で私の心は埋まってるから」
アチアさんは目を細めて、胸の辺りで両手を重ねる。
「あ、あの。一応、聞きますけど……親父は?」
「あ〜。あの人と結婚したのはコルちゃんと家族になりたかったからってだけだから。レオくんの事は可愛いけどね」
「「ヒィィ」」
アチアさんの目から光が消え、俺とラミアは掠れた悲鳴を出した。
「ちょっとぉ〜。その反応おかしくない?」
「い、いや。誰が聞いてもこんな反応になると思いますよ? なあ、ラミア」
「うう、ここまでの闇を抱えた方は魔界にもおりませんでした……」
「さ、次はどんな遊びをする?」
すっかり怯え切った俺とラミアにアチアさんは詰め寄ってくる。逃げ回るうちに客室の隅に追い込まれた。その時、反対側の唯一の扉が勢いよく開かれた。
「アチア! 戯れはそこまでです!」
「あ、コ〜ル〜ちゃ〜ん!」
アチアさんはコルネリアさんを見るなり、体に飛びついた。
「全く。ようやく静かになったと思えば、こんなところにいたんですか。ユーダイ達を怯えさせてはダメでしょう」
「だってぇ〜。皆んなが相手してくれないんだもん」
「はいはい。相手してあげますから。城に戻ってください……それから、ユーダイはこのまま館で留守を頼みます。ラミアさん。ユーダイが探検とか言って街に繰り出さないようにお目付け役をお願いしますね」
「はい。お任せください。コルネリア様」
俺は五歳児かよ……。
「ユーダイ、返事は?」
「分かってますって、コルネリアさん」
「よろしい」
コルネリアさんは一つ頷くと、アチアさんをオナモミみたいに体に付けたまま城に戻って行った。




