第十七話 魔術の天才
「す、すげえ」
永遠に緩んだままであろう糸を外すことも忘れて、俺はその場に尻餅をついた。
コルネリアさんが言ってた詠唱の改変って、これの事なのか?
「あ、あの、ユーダイ。さっきの術は、もしかして忤法?」
「まあ、そうだ。あの二人の攻撃を躊躇わせる方法があれ以外思いつかなくてな」
「もしかして、見てしまった僕も殺されるんじゃ……?」
ポイカは思い出したように慌て始め、アワアワと両手を組む。
「んな訳ないだろ? それより、この二人、やっぱり死んでるのか?」
「え、う、うん。空気中の水分を凝縮して凍り付かせたから、術を解かない限りは数時間で死ぬと思うよ。今の時点で意識はないだろうし」
「お二方とも、そんなことよりブルトゥスが姿を消しておりますよ。今は早く野営地に戻りましょう」
いつの間に俺の胸ポケットを離れていたのか、ラミアが霧の奥から滑り寄り、俺の肩に上った。
「そうだ。ラミアもありがとうな。命を救われるのは、もうこれで何度目だろう」
「そう思われるなら、もう少しお気をつけくださいまし。私が貴方様をお救いした数だけ、命を狙われているということなのですから」
「は、はい。ごめんなさい」
俺は小便したかっただけなんだが。と心の中で言い訳しつつもラミアに謝る。
そうして俺たちは魔人の氷像を置き去りにして、野営地に戻った。
「あ! ユーダイ! こんな真夜中に何処をほっつき歩いていた……な、二人ともどうしたのです!? その火傷は!」
野営地の灯りが見えると、逆光の中からコルネリアさんが飛び出してきた。金髪の女は俺とポイカの赤く腫れた手を取る。
「とにかく手当てをしなければ……”果実・来迎・澱み”」
コルネリアさんがそう唱えただけで、俺とポイカの患部を水の球が覆った。ヒリヒリとした痛みが引いていく。俺とポイカは一斉に感謝を口にして、頭を下げた。
「ラミアさんは? どこか怪我をしていませんか?」
「は、はい。私は何処も。ありがとうございます。コルネリア様」
「そうですか。哨戒の者から、貴方がお手洗いに行っていたと聞きましたが、余りに戻りが遅いので、皆心配していたのですよ? 一体、何があったのです」
コルネリアさんは応急処置を済ませると、自分の天幕に俺たちを招いた。ポイカ以外の廷臣団は全員が起き出して、野営地周辺をくまなく見張っている。
「それが、殺技練ってとこから刺客がやってきたみたいで。あ! い、いや! もちろん逃げて助けを呼びたかったんすけど、人払いの結界が張られてたみたいで、仕方なく」
「応戦した、と」
コルネリアさんは俺達が一部始終を話す度に、顔を青くしたり、赤くしたり、失神しかけたりと大変だったが。要点を押さえて話をそう締めると、深くため息を吐いた。
「いいえ。今回のことは私が悪いのです。仮にも、既にあのグラジオと接触していたにも関わらず警戒を怠っていました。ユーダイに再会……あ、ではなく、会えて。貴方に会えて少々舞い上がってしまったようです」
コルネリアさんが再会と言って、慌てて言い直したところで俺は訝しげに眉を寄せる。しかし、言及せずに続きを待つ。
「コホン……これからは些細なことであっても、私がお供します。睡眠から、沐浴まで、ずっと私と一緒に居ましょう。そうすれば守ってあげられるから」
これはマズイ。俺は頭を捻った。このままでは、俺はコルネリアさんにケツのホクロの数まで知られてしまう。そんな事態は出来れば避けたい。なんとか言い逃れないと。
「い、いや。そこまでしてもらわなくてもいいっすよ。今回はラミアとポイカがいてくれて何とかなったんっす。二人を俺専門の侍従にしてください。それなら、いいっすよね?」
俺は上目遣いでコルネリアさんの厳しい顔を見上げた。
「それでは、一つ聞きますが。その火傷。敵の攻撃によるものですか?」
俺は「うぐ」と声を詰まらせた。ポイカも気まずそうに目を伏せている。
「やはり。忤法を使ったのですね。……わかりました。それでは、ポイカさんとラミアさんを公式にユーダイの侍従とします。二人ともユーダイをよく守ってあげてください」
俺はついパッと顔を上げた。しかし、コルネリアさんの表情は思っていたより、穏やかなものではなかった。
「その代わり。ユーダイ、貴方には私が直々に”順法の”稽古をつけて差し上げます。これから先、忤法に頼らず戦い抜くために、その条件を呑んでくれるなら侍従の件を認めます」
稽古というのがどんなものか分からず、俺は頷くのを躊躇った。しかし、コルネリアさんはニッコリと微笑み「では、私が護衛を……」と囁く。それを聞いて俺は躊躇いをかなぐり捨て、力一杯に頷いた。
その夜からと言うもの、俺の身辺にはラミアとコルネリアさんだけでなくポイカも加わった。そして、一日分の距離を歩き終えると、順法の稽古が始まる。ただでさえクタクタなのに、稽古はかなりスパルタだった。
「”穴・晦い・澱み”」
草原の土が、さながら一里塚のように盛り上がり俺の体を捉える。
「ぐっ、だからなんでその詠唱で術が使えるんすか!? ”天蓋の影・来新を追い・澱みを払え”」
風が集まり、俺の体に纏わりつく土を吹き飛ばす。
「遅すぎます。私がその気なら、とっくにその首を刎ねていますよ」
「クソッ! なら、これはどうっすか? ”穴・晦い・澱み”」
俺はコルネリアさんの詠唱を真似てみた。しかし、さっきとは打って変わって土はコルネリアさんの右足に覆い被さる程度に留まる。金髪の女は、長尺の杖で、それを易々と打ち砕いた。
「魔術の威力が変動する要素は二つのみです。一つは呪文の修飾格の数。一つは術者の魔力量。盟主である私と、ただの直系に過ぎない貴方とでは魔力量に差がありすぎます。私を真似るだけでは勝ち目はありませんよ」
カツン、とコルネリアさんは杖の石突で地面を叩く。
「だったらせめて、詠唱の改変とか言うのを教えてくださいよ! ポイカと試合をした時に言ってた奴!」
「全く、少し自分で考えてみるという発想は無いのですか? そう言うところはあの人に似ていますね……」
コルネリアさんは呆れまじりに、嘆息した。俺はクソ親父に似ていると言われたのが癪で、言われた通り自分で考えてみることにする。
詠唱の改変。それはつまり、既存の詠唱文を改変すると言う、そのままの意味だろ? 昔、母ちゃんは主格さえ発音すれば術は発動するって言ってた。でも、ポイカやコルネリアさんは主格を発音せずに術を発動させてた。……待てよ。発音すれば発動する……? それってつまり……。
「”天・外来・迎撃を唐竹に割るは変貌”」
俺が試しにそう唱えてみると、風が集まり、コルネリアさんの白い肌を薄く切り裂いた。それと同時にどっと肩が重くなる。頭の中もガンガンと内側から叩かれているみたいに痛い。
「ふむ、やればできるじゃ無いですか。しかし、出鱈目に唱えたせいで魔力を使い果たしたようですね」
コルネリアさんは顎から滴る血を拭って、俺の肩を担ぐ。
「な、何でっすか? 俺、そんな大層な術は使ってないのに」
「今、貴方がしたように主格と同じ音を発音さえすれば意味が違っていても、術は発動します。しかし、言葉と言葉にはそれぞれ相性があり、良ければ消費魔力を維持、あるいは低減して威力を増幅できます。が、相性が悪いと、消費魔力が増大して、威力が落ちてしまう」
コルネリアさんは俺を天幕に運び入れて、寝かせた。ひんやりとした手が俺の額に添えられる。
「普段使っている汎用呪文は一千年以上の時をかけて術師達が編み出した、最高効率の呪文です。その場の思いつきで、その効率を超える呪文を考え出すのは砂漠から特定の砂粒を一度で探し出すようなものなのですよ」
「でも、ポイカは」
「ええ、前も言いましたが彼はある種の天才です。魔術学校に通い始める前までは術の使い方すら知らなかったのに、在校していた、たった四年の間に汎用呪文より効率のいい呪文を編み出したのですから。ユーダイ、貴方が聞いたポイカさんの詠唱は我がコリントでも最重要機密です。みだりに口にしてはなりませんよ」
コルネリアさんが天才、と言ったところで俺は金髪の女に背を向けた。なぜだか少し胸のあたりがモヤッとした。
「どうかしましたか? ユーダイ……? ハッ、まさか私がポイカさんを褒めたから妬いているのですか?」
「うるせえっす」
別に誰かに腹を立てているわけでも無いのに、苛立ちが抑えられなかった。
「ユーダイ、私は貴方を評価していますよ。ただ、それ以上に心配が勝ってしまうと言うだけ。だから稽古の時は少し厳しくしてしまいました。その方針を変えるつもりはありませんが、その、もし貴方さえ良ければ、私の事も、お母さんと、呼んではくれませんか……?」
「……」
俺は閉口した。嬉しいと感じてしまった自分に吐き気さえ覚える。
俺は母ちゃんを失った寂しさを紛らわせたくて、この異界に来たかったのかもしれない。
親父を殴るって言う目的は、寂しさをさっさと忘れたいと思う自分を誤魔化したかったから、というだけなのかもしれない。
でも、その寂しさを忘れると言うことは母ちゃんを裏切ると言う事と同じな気がした。
「別に妬いてないっす。それより、夕食出来たんじゃないっすか? 食べに行きましょう……コルネリアさん」
コルネリアさんは、少し目を潤ませたが小さく笑って頷いた。その表情に罪悪感を覚えながらも天幕を出る。まだ、この寂しさを捨て去りたくはなかった。せめて、母ちゃんの遺骨をどこに納めるか決めるまでは……。




