第十六話 かつての同期
夜半。ミミズクや虫の鳴き声が聞こえる。俺はその音を聞いてから、ようやく自分が目を覚したのだと気付いた。不意に体がブルリと震える。
「小便……」
俺は寝ぼけ眼で周囲を見回した。
「スピースピー」
「やっぱり寝てるし」
すぐそばでラミアが寝息を立てていた。ちょっとの事だし、起こすのも悪いかと思ったが、数日前、パースの館で再会した時のラミアの顔が脳裏を過ぎる。
「ラミア、おい、ラミア。ちょっと着いて来てくれるか?」
「う、むにゃむにゃ、ユーダイ様……? はっ、私また眠ってしまって……?」
「ああ、それで悪いんだけど俺の警護を頼めるか?」
「う、ううう、ユーダイ様。二度も誓いを破った私の為に……何とお優しい」
ラミアはスルリと俺の体を伝い、右肩に乗った。
テントを出て、立ち上がる。
「誰だ?」
見張りの一人が俺にランプの灯りを投げかけた。
「あ、すみません。ちょっと、小便しに行こうかと思ったんすけど」
「これは、ユーダイ様でしたか。では、誰か警護をお付けしますね」
「いや、起こしても悪いっすから。それに警護ならラミアが居ますし」
俺は右肩を少し掲げてラミアを見せた。
「そう、でしたか。とは言え、警護が多いに越した事はないでしょう。ポイカを起こして来ます。しばしお待ち下さい」
地味に決壊寸前の膀胱を抑えながら待っていると、すぐに見張りの男がポイカを連れて戻ってきた。
「うう、やっと寝れたと思ったのに」
「ユーダイ様の前だぞ、文句を垂れるな」
ポイカは目が覚めきっていないのか、一歩踏み出すと俺にしなだれかかって来た。
「あ、こ、コラ! 申し訳ありません。すぐに代わりの者を」
「い、いや。もう、このまま行きます。割と限界なんで、下の方が」
見張りの男は渋々頷き俺達を送り出す。ポイカは置いて行きたかったが、謎に絡みついてきて引き剥がせなかった。仕方なく、少年の肩を担いで茂みの方に入っていく。
「全く、却って邪魔だな」
「まあまあ、許してあげましょう。私ほどユーダイ様に忠実な侍従など、そうはいないのですからね」
ラミアが体をピンと張った。胸を張ってるって事なんだろうか。
俺は「お前も寝てたけどな」という言葉を喉元で辛うじて抑え込み。隠れられそうな茂みを探す。
「あの辺りでするか」
俺はそばの木の根元にポイカをもたれ掛けさせて、その肩にラミアを置く。
「すぐ戻る。待っててくれ」
俺はいそいそと、あたりをつけた茂みの奥へ向かい用を足す。ようやくスッキリできたと思ったその時、急に周囲に霧が立ち込めた。
俺はポイカとラミアの元に慌てて戻る。
「ユーダイ様、この霧は人払いの結界やもしれません。用心ください」
ラミアはポイカの肩から俺の腕に飛びついてきた。その言葉に頷いて、頭上を見上げる。
密集する木の葉から覗いていた夜空が、今は見えない。相当濃い霧のようだ。
「誰か! 聞こえたら、助けてください! おーい! 誰か!」
野営地に聞こえるように叫んだ。しかし、返ってくる声は無い。単に声が届いていないのか、それとも、この霧のせいなのか。
その時、俺に目掛けて短剣が飛んできた。身構えるが、目の前に突然人影が割り込み、鈍い金属音が響く。
「ユーダイ様、僕の後ろに……」
「お、お前、寝てたんじゃ……」
「さっきの大声で、目が覚めました。それより、これは一体?」
ポイカは自分が弾いた短剣にチラ、と視線を走らせる。
十中八九。狙いは俺。パースが差し向けた暗殺者か何かか?
「おいおい。これが本当に、あの本間 雄大なのか?」
「……ガッカリ、ネ」
「油断されない事。近くに千剣がいるんです。とっとと済ませてしまいましょう」
霧の向こうから聞こえてくる三つの声。俺には聞き覚えがないのに、相変わらず向こうは俺を知っているらしい。
「ユーダイ様のお知り合いですか?」
「い、いや。俺は知らない……」
「おいおい、つれないねえ! 久しぶりの再会だってのに! そうだろ? 血塗れのユーダイ!」
なんか、ダッサイ二つ名までつけられてるし。
声は縦横無尽に頭上を行き交い、全く位置を掴ませない。木の梢を足場にしているんだろうが、恐ろしく身軽だ。
「我々はかつて殺技練の同期だったじゃないですか? 本当に忘れてしまったと?」
声に隠れて、空気を切る音が聞こえた。ポイカもそれを察していたのか、俺の背後に回り込み、バックラーで三本の矢を叩き落とす。
「アノ、ゴエイ、ジャマ、ネ」
「俺に任せな……オラッ!」
「クッ、」
今度は声が聞こえた途端、一人の男が突っ込んできた。男は勢いのままポイカのバックラーを殴り、少年の体を易々と浮かび上がらせる。そして剛腕を振り抜き、霧の向こうへと押し飛ばした。
「忘れたってんなら、改めて名乗ってやる。殺技練、第四十六期生、ブルトゥス」
「マルクス、ネ」
「ユリウスです。さあ、アナタを守る者は消えました。いかがなさいますか?」
パースに命を狙われてはいたが、それでも、館で目の前に脅威が迫った事はなかった。ここで応戦するなら即ちそれが俺にとっての初めての実戦になる。
俺は汗ばんだ手を握りしめた。
「”窖の最奥・羅衣を纏いし乙女……」
「させるかよ!」
ブルトゥスはすかさず俺に殴りかかる。しかし、風を切る鋭い一撃は俺を捉える事はできなかった。
ブルトゥスの拳に貫かれた俺の姿が、フワフワと揺らいで立ち消える。
「まさか、幻術!?」
「……澱み捕えよ”」
盛り上がった土がブルトゥスに覆い被さり動きを止める。
「調子に……」
「ノル、ナ」
ユリウスが放った矢に追い立てられ、体制の崩れた俺の背後にマルクスが忍び寄った。
俺は自分の首とマルクスの腕の間に右手を噛ませて、攻撃を間一髪で防ぐ。
「オマエ、モ、シッテル? アタシ、ノ、ドク、クラッタラ、キモチヨク、イケル、ネ」
「グッ」
マルクスは高い声の割に体が大きく、力も強かった。徐々に俺の首を狙う凶刃が押し込まれる。
「まあ、それを待つまでも無いんですがね」
ユリウスが第二の矢を動けない俺に向けて放った。
「ユーダイ様!」
ラミアの悲鳴が遠く聞こえる。俺は、こんな所で死んじまうのかよ。
「”天蓋・来新・変貌”」
霧の奥からポイカの詠唱が聞こえた。矢は俺の目前で、ピタリと止まり、進路を変えてマルクスの顔を狙う。
「ナ!」
「ユーダイ様、無事ですか?」
「あ、ああ。助かった。それから、前も言ったけど俺の事は呼び捨てで良い。ポイカ」
動揺したマルクスは俺を手放し、再び霧の奥へと戻っていく。
「わ、分かりました。それでユーダイ。僕を殴り飛ばした奴は何処へ?」
「ああ、それなら後ろだよ」
俺は一瞥もせずに背後を指差した。
「なら、残りは二人。防御は僕に任せてユーダイは攻撃を……」
「それはどうでしょうね?」
「”稲妻の号砲・帰幽の往還を断ち・澱みを払え”」
ブルトゥスが詠唱を口ずさむ。土の拘束を雷撃が砕いた。
「術も使えたのか!」
ブルトゥスは何事もなかったように服の土埃を叩き落とし、肩を回す。俺は悲鳴のような声で呻いた。
「大丈夫です。あの三人の中で、術を使えるのはブルトゥスだけ。それに、魔力も多くありません。恐らく、もう術は使えないでしょう」
「その声と、さっきの幻術。やはり、ラミアだな? 相変わらずユーダイの金魚の糞か。気楽なもんだな!」
言いながらブルトゥスが襲いかかってくる。しかし、ポイカは正面から受け止めずバックラーで衝撃をいなし上手く防いだ。
「アタシ、タチモ、」
「忘れないで頂きたい!」
続け様に矢と短剣が飛来する。
「”天蓋・来新・変貌”」
しかしポイカの術で、風が放射状に押し出され飛び道具は俺たちに届かなかった。
パースの館で試合した時と同じ、時間が進むごとにポイカの纏う雰囲気が鋭く研ぎ澄まされていく。
「”窖の最奥・羅衣を纏いし乙女・尖槍に倣え”」
俺は術で地面から土の槍を飛ばす。狙ったのは当然、ブルトゥスだ。ポイカもそれを察したのか、絶妙なタイミングで襲いかかる男の体勢を崩した。
「ガハッ」
腹を打たれて、よろよろとその場に倒れ込むブルトゥスから視線を切り、俺達は未だに霧が濃い頭上を見上げる。
「なるほど、一筋縄ではいかないようですね。しかし、所詮は術士。これなら如何です?」
その声と同時に、俺にはマルクスが、ポイカにはユリウスが襲いかかる。
俺は短剣から繰り出される攻撃を躱し、ポイカはユリウスの直剣をバックラーで受け止める。
「「”天蓋の影・来新を……」」
俺はポイカと声を重ね合わせ反撃の機会を窺った。
マルクスは斬撃の切れ間に、てぐすを投げた。
それまでの攻撃に比べて遅いそれをヒラリと躱す。にも関わらず、俺の首に糸が巻き付いて気道を締め上げた。
そうか、ユリウスの狙いは最初から俺だった。そして、恐らくマルクスの投げた糸は……。
「くっ、かはっ」
そちらを振り返るまでもなく、少年の苦しそうな喘ぎ声が聞こえてくる。
「捕獲完了、ですね」
「アトハ、ドクサツ、カ、シサツ、カ、キメルダケ」
マルクスは恍惚の表情で短剣を掲げた。二人が糸を巻き取りながら徐々に近づいてくる。
「”舞い散らせ・千剣”」
絶体絶命の窮地を一つの声が切り裂く。暗殺者達は動揺を見せ、糸が緩んだ。
「しまった。また、幻術……!」
ユリウスは自分たちの失態に気づき強く糸を引く。だが、糸が緩んだ隙に、俺とポイカは指を噛ませていた。短く息を吸い。詠唱を組み立てる。
「”赤・帰幽の往還・均せ”」
「術を使わせるな、殺せ!」
平静を失ったユリウスが叫んだ。
俺は忤法を短縮し、自分たち目掛けて炎を放った。揺らめく火先が俺たち四人の体を平等に焼き焦がす。
「”果実より芽吹きし・冷厳の莱・鯢魚を傍に・変貌せよ”」
俺の作った一瞬の間に、ポイカは聞き馴染みのない呪文を唱えた。
すると霧が瞬時に凝縮し、マルクスとユリウスを囲んで、肉体を凍て付かせる。俺の出した炎はそれに付随する冷気で鎮められた。
「す、すげえ」
永遠に緩んだままであろう糸を外すことも忘れて、俺はその場に尻餅をついた。




