第十二話 新たな朝
「ん、ここは?」
目を覚ますと、最初に目に入ったのは天使や神殿が刺繍で縫い取られた豪奢な天蓋だった。肌触りのいいシーツ。その感触には覚えがあった。それを思い出すと同時に俺の胸を絶望が満たす。そこは間違いなくパースの館の客室だった。
折角、脱出できたと思ったのに、まさか今までの出来事は夢だったのか?
「ら、ラミア? 居ないのか? ラミア!」
俺は必死になってラミアの名前を呼んだ。今のところこっちの世界で心から信頼できるのはラミアだけだった。
「あ、ユーダイ様お目覚めになられたのですね」
何度か呼ぶと、どこからともなくラミアの声が返ってきた。俺は心の底から安心して、ほっと息を吐く。
「ラミア? どこにいるんだ?」
ベッドの周りを見回すが蛇型の魔物の姿はどこにも無い。
「ユーダイ様、こちらです」
再度呼びかけるラミアの声は少しくぐもっていた。俺は掛け布団を捲る。するとそこには、蛇女などではなく正真正銘の蛇がいた。体長はそこまで大きくない、手のひらより少し長いくらいの、黒々とした蛇。
「い、一体どうしたんだ? その姿は」
「私がラミアさんにお願いをしたのですよ。ユーダイ」
すると俺たちの会話を聞きつけたのか一人の女が客室に入ってくる。金色の髪を腰まで垂れ流し俺と同じ金色の瞳が、輝くような白い肌に映える。乳白色の背丈より長い杖を携え、鈍い銀色の鉢金を巻き付けた姿は武人としての女の有り様を物語っていた。
鉢金に施された彫金細工が、窓から差し込む朝日を受けて煌めく。
つい最近聞いたばかりの凜とした声音に、俺は無意識に背筋を伸ばした。
「そう畏まらなくても大丈夫。それでラミアさんのことですが、あなたが気絶した後もどうしてもユーダイに仕えたいと、その一点張りだったので、ある条件を飲む代わりに侍従として認めることにしたのですよ」
「条件……?」
俺は首を傾げてラミアを見下ろす。
黒い蛇は赤い瞳をつぶらに輝かせて、俺と同じように首を傾げた。
「魔族としての魔力を浄化し、ほとんどただの蛇として生きていくこと。流石に元が魔族なこともあって生きていくのに最低限の魔力は残しましたが、これなら幻術を使わずとも他の人間達に敵視されることはないでしょう」
「でも、ラミア、いいのか? そこまでして、俺と一緒にいたって。いいことなんか何もないぞ?」
「構わないのです。今の私は幻術すら満足には使えませんが、それでも宜しければユーダイ様のお側にいさせてください」
俺は眉間を摘んだ。ラミアのことは信頼しているし、助けてくれたことに感謝もしてる。けど、やはり俺はラミアのことをこの世界に来るまで全く知らなかった。なのに、蛇の姿になってまで付き従いたいと言われると、正直重くてちょっと引いてしまう。
「コルネリアさん、ラミアを元の姿に戻すことはできないんすか? 俺は別にそこまでして仕えてもらわなくても、いいよ。ラミアはラミアの生きたいように生きればいいだろ?」
「そ、そんな。ユーダイ様。お願いします。お側に居させてください」
「ユーダイ。ラミアさんを元の姿に戻すことはできます。しかし、黄金の血脈は弱者を助けることを以って誇りとする。それが信条です。この子はまるで雛鳥のよう。どこへ行けばいいかも分からず拠り所を必死に求めているのでしょう。せめて貴方が飛び立てるように手伝っておあげなさい。少なくとも、それをするだけの恩をあなたは受けたはずですよ」
確かに、コルネリアさんの言うことも一理ある。再びラミアを見つめた。
右手を差し出してみると、ラミアは恐る恐る近づき俺の手首に巻きついた。体が小さいからそこまで強くはないが、必死にしがみつく姿は少し可愛い、と思った。
蛇か。悪くないな。
「分かったっす。ラミア、それじゃあ、これからもよろしく」
「はい! ありがとうございます。ユーダイ様!」
「それで、ラミアのことはもういいんすけど、あの、コルネリアさん、も俺のことを知ってるんすか?」
「ええ、知ってるも何も私はあなたの母ですよ」
俺は内心でため息をついた。異界には初めてきたってのに、俺を知っていると言うのはこれで三人目だ。ラミア、グラジオ、そしてコルネリアさん。……ん? 今、この人なんて言った?
「あの、念の為もう一回聞きますけど、誰が誰の母なんですか?」
「決まっているでしょう。私、グラディウス・アインス・コルネリアがあなた、本間 雄大の母です!」
ラミアが頭を左右に振った。肩を竦めたと捉えればいいのか? この仕草は。
「あの、俺の母ちゃんはグラディウス・ドライア・エリアスっすよ」
「え、あ、あの、もしかしてエリアスからは何も聞いていないのですか?」
コルネリアさんは口に手を当てて、目を丸くした。
「はい。少なくともコルネリアさんの話は聞いたこともないっす。親父の話ならよく聞かされてましたけど」
「そ、そうですか。……え〜と、つまりですね。エリアスは私にとって娘も同然の存在で、その息子のあなたは私にとっても息子同然だと、そう言いたかったのですよ」
「いや、その理屈で行くと母というより祖母なのでは……?」
俺が指摘すると、コルネリアさんはぷくーと頬を膨らませた。
「とにかく! 私はエリアスにユーダイの事を頼まれていました。だから、今から私のことはお母さんと呼んでください」
「そんな、いきなり言われても。俺の母ちゃんは母ちゃんだけだし」
「……それにしても、エリアスは息災ですか? 体を悪くしているのでは……?」
そう問われて、俺はなんと返したらいいか分からなかった。押し黙って、手元のシーツをくしゃりと握り潰す。
「ユーダイ? 気分が優れませんか?」
「いえ、ただ母ちゃんは……死んだんす。ちょっと前に、謎の病気で。向こうの世界で俺は一人ぼっちになって、それで俺は俺と母ちゃんを捨てたクソ親父を一発殴ってやろうと思って、異界渡りをしてきたんです」
「そ、そうですか。エリアスが」
それを聞いてコルネリアさんも心を痛めたようだった。よろめいて、膝が崩れたのか勢い良くベッドに腰を下ろす。マットが揺れて、ラミアの小さい体が少し跳ねた。
その様子を見て、少し救われたような気がした。母ちゃんの死を悼んでくれる人はこっちの世界にはちゃんと居たんだ。
俺の中の親父に対する怒りは消えてないし、殴ったところで許せるとも思えない。でも、親父にもそうであって欲しいと俺は漠然と考えた。
「それで、俺、親父を探してるんですけど、コルネリアさんなら居場所を知ってるんじゃないっすか?」
「……あ、えっと、すみませんが、少し気持ちを落ち着けたいのです。ユーダイ、あなたも起きたばかりですし、しっかりと朝食を食べて詳しい話はお昼に改めてしませんか?」
「はい。もちろん、それで大丈夫っす」
コルネリアさんは何とかベッドから立ち上がり客室を出ていった。
「なあ、ラミア」
「はい。何でしょうか?」
「言いそびれてたから、まとめて今言っとく。俺の事、何回も見捨てずに助けてくれてありがとうな」
「何をおっしゃいますか、ユーダイ様にお仕えすることが……あ、いえ、感謝のお言葉、謹んで受け取りました」
俺は肩から力を抜いてベッドボードに背中を預けた。ベランダから柔らかい光が差し込んでいる。ようやく最初の一歩を踏み出せた。侍従が朝食を用意するまでの間、俺はその感覚を噛み締めた。




