第十一話 グラディウス・アインス・コルネリア
「本当に頼むな! あと、六日で殺されちゃうらしいから」
ふんす、と意気込むラミアに少し心配になって俺は念を押し、一旦客室に戻った。
部屋に残った食事は、勿体無いけど怪しまれないようにトイレに捨てて、空の食器を持って帰ってもらう。
それから、俺も何とか役に立つ情報を集めようと客室を抜け出し、夕食時には厨房の備品室でラミアと一日の成果を報告しあった。
そうこうする内に更に四日が経って、ラミアは衛兵の制服を盗み出し、俺は衛兵が勤務を交代するタイミングを割り出した。二十二時頃に裏門の見張りが交代するらしい。つまり、本物の見張り番より少し早めに交代して、抜け出す。
裏門の見張りは二人一組らしいが、ラミアにも衛兵に化けて貰えば大丈夫の筈だ。
その計画をラミアにも話した。そして、ラミアには客室の夕食を片付けに行ってもらい、その間に俺は制服に着替える。
「ラミア、バレずに済んだか?」
「はい。怪しむそぶりもありませんでした。……あ、あの、幻術を掛け直しますので後ろ向いててもらえますか?」
「え、いや、俺は別にお前の本当の姿を見ても、怖がったりなんて……」
「そうではなく、一度服を脱がないといけないのです。幾ら人間の娘とはいえ勝手に裸体を晒すのは気が引けますから」
それを聞いて俺は慌てて後ろを向いた。確かに、それがラミアの姿だと思い込んでいたが、実際は全く知らない人間の少女の姿なんだ。
「……もういいか?」
「はい、構いませんよ」
俺は返ってきた言葉を聞いて耳を疑った。それが紛う事なく男の声だったからだ。
「幻術は声まで変えられるのか」
「ええ、五感全てに干渉する術ですから。その代わり、相手の心に隙がないと見破られてしまいますけどね」
「おいおい、見張りに通用するんだろうな」
「ええ、幾ら兵卒でも四六時中気を張ることは難しいでしょう。まして、勤務の交代時間となれば尚の事」
俺は働いたことがないからピンとこないが、確かに仕事終わりの母ちゃんはいつもくたくただったな。
交代の時間まで、俺たちは他愛無い話で時間を潰した。
「おーい。そろそろ交代だ。変わるぞ」
俺達は時間より少し早く裏門に向かった。衛兵がラミアの上げた声に気付き振り返る。
「少し早くないか?」
衛兵の一人が何気なく尋ねる。
「ああ、少し早く着きすぎた。かと言って館で油を売っていたら、変な目で見られそうでな。俺たちが変わるから二人は行ってもいいぞ」
「悪いな」
ラミアは動揺せずに平然と作り話で二人の衛兵を館に返した。
「お前、演技上手いな」
「そうですか? 幻術を活かすために自然と身についた技術なのですが、お役に立てて何よりです」
ラミアはしなを作って照れくさそうに頬を赤らめた。見た目も声も男だから、俺は本能的に後ずさる。
「さ、今の内です。早く逃げましょう」
「ああ!」
周囲に誰もいないことを改めて確認し、俺達はついにパースの居城を脱出した。裏門を出てすぐに林が群生していて、俺達はそこに身を潜めることにした。
「それで、グラジオって言うのは今すぐ呼べるのか?」
「ええ、この水晶を壊せばグラジオ様に連絡が向かい、直ちにこちらへと転移されてくる筈です。ただその前に、自分の幻術を解いてもよろしいですか? 真の姿で無ければ不敬になってしまいますので」
「ああ、俺も向こうで着替えてくるよ」
ラミアにそう告げて、茂みの奥に進み、制服を脱いで体に巻き付けていた自分の服に着替えた。
俺が再びラミアのいたところに戻ると、そこに居たのは確かに下半身が蛇で上半身が少女の体をした魔物だった。
「ラミア、それがお前の本当の姿か」
「はい。私のような下賎の魔物の姿でお眼を汚してしまい、申し訳ありません」
「いや、本当のお前が見られて良かったよ。友達の顔も知らないなんて、嫌だからな」
「友達……!」
ラミアは鱗に覆われた手で顔を覆った。肌は人間に近いが、目は赤く、まるで眼窩にそのままルビーを嵌め込んだようだった。黒い髪の先端はよく見ると蛇の頭が付いている。
その時、月光が少女の体を照らし出した。白い胸元が仄かに膨らみ、ラミアはそれを隠そうともしない。
俺は思わず目線を逸らした。
「っていうか、裸なのか。衛兵の制服でも羽織れよ」
「魔物は服は着ないのです。見苦しいようであれば、仰せのままに致しますが」
「み、見苦しいってことはない。けど、とりあえずそうしてくれ」
少女は足元に落ちた上着を手に取り、スルスルと袖に腕を通した。成人の男物なので少しブカブカだが、何とか俺はラミアを直視できるようになった。
「さて、それでは早速グラジオ様をお呼びします。心の準備はよろしいですか?」
「えっと、そのグラジオさんって人は気難しかったりするのか?」
「ええ、気難しいというか、かなり冷徹で残酷なお方です。何しろ暗黒の盟主でも最古参の生ける化石のようなお方ですから」
言いながらもラミアは手に持った水晶を事もなげに割った。
「おい! 俺まだいいって言ってないだろ!」
「キャ! も、ももももも、申し訳ありません。早くユーダイ様の術封じの印を解いて差し上げたくて……」
俺は声を尖らせるが、それを諌めるように強烈な風が吹き抜けた。夜の闇が一層濃くなる。小動物達が騒ぎ始め、方向感覚を失いながらも手探りでラミアを探す。
「ラミアよ、ワシを呼んだからには余程の要件なのであろうな」
その時、しわがれた声が厳しい口調でラミアを呼んだ。姿すら目に見えないが、間違いない、この声の男がグラジオ。
「ははあ。ついに、ユーダイ様を見つけたのです。グラジオ様にはどうかユーダイ様にかけられた術封じの印を解いていただきたく、お呼び出しさせていただきました」
「ユーダイ、だと……! ふむ、まさかそれはこの少年のことか?」
俺には相手の姿が見えないが、相手には俺の姿が見えているらしい。乾き切った手が出し抜けに俺の右手を取った。
「ふむう、なるほど。確かにその金色の瞳は本間 雄大。しかし、お主なぜ少年の姿をしている?」
「あ、あの。恐れながらグラジオ様。ユーダイ様は記憶を失っておいでです」
グラジオの疑問にラミアが口を挟んだ。
「ほお? 確かにワシが施した暗示まで解けている。これはどうした事だ」
「な、なあ、アンタがグラジオ、さんなのか? よく分かんないけど、俺は親父、本間 和大に会わないといけないんだ。オッサンは何か知らないか?」
「……ククク、アッハッハッハ! そうか! そう言うことか! 分かったぞ、カラクリが! おのれ、黄金の血脈共、ワシらをどこまでもコケにしおって!」
質問には目もくれず、男は高笑いをしたかと思えば一人合点して激昂した。暗闇の中で赤黒い瞳がギラリと光って、その直後俺の首が強い力で締め付けられた。
濃厚な闇が晴れて、俺の目にもグラジオの姿がハッキリと映る。
声から想像した通り、シワだらけの顔にふっさりと白い髭を蓄えた恰幅の広い老爺がそこに居た。グラジオは目線の高さまで俺を持ち上げた。
「ワシの目を見ろ」
「ぐ、かっ、は、離せ!」
「グラジオ様、どうかお止めください」
声も絶え絶えに老爺の体を蹴る。
ラミアがグラジオに縋り付き止めようとするが、老爺は歯牙にも掛けない。
「さあ、再びワシが暗示をかけてやろうぞ。我が最良の弟子、ユーダイ!」
「く、ううぅぅ」
俺は身を捩り、目を逸らそうとしたが、何故か老爺の目に惹きつけられてしまう。見ずにはいられない。暗示というのが何なのか分からないけど、この目を見てはいけないと本能が警鐘を鳴らしている。
「”舞い散らせ・千剣”」
目を閉じる事もできず、意識が飛びかけたその瞬間、凛とした女の声がした。しかし、ラミアではない。
冷気で張り詰めた夜の空気が、その声を届けるためだけに解れていくかのような、圧倒的かつ絶対的、気配。
「むう!」
老爺が声を上げるが早いか、俺の目前を黄金の残像が横切った。それを追うようにしてドス黒い液体が繁吹く。
首にかけられていた力が急速に抜け、そのまま俺の体はフワリと浮かび上がった。しばらく浮遊して、林全体が見渡せるほどの高度に達すると、背中を柔らかい何かが受け止める。
「無事ですか?」
金木犀の甘い香りが鼻腔を掠め。背後からさっきの女の声が掛けられた。脇の下を通して俺の腹をかかえる細い腕がギュッと締められる。しかし、それはさっきグラジオが俺にしたような力任せの所作ではなく、純粋な心配と安堵からのものに感じられた。
「あの、一体誰なんすか? 助けてくれたのは、ありがたいんすけど」
「私は……」
「何故、お主がここにおる。黄金の盟主が筆頭、グラディウス・アインス・コルネリアァァ!」
俺の誰何に答えたのは遥か眼下の老爺だった。
そうか、この人が例の……。
「何故? これは異なことを聞かれますね。私は人間の守り手、我ら黄金の血脈が守護する地に、私の目を憚って侵入できるとでも?」
「くくく、しかし、都合がいい。この機会に貴様の命を刈り取ってくれるわ。ワシの覇級魔術を封じた魔剣でな!」
老爺は懐から短剣を取り出し、頭上に放り投げた。放たれた短剣はグングンと高度を増し、俺とコルネリアさんですら見上げるほどの高さに達するとパキンと砕ける。そして消えた短剣と入れ替わるように星空に巨大な火球が出現した。
母ちゃんの持ってた本で読んだことがある、十節以上の詠唱文を用いて極限まで強化された魔術。その名も覇級魔術。
パースの館を呑み込んで余りあるほどの炎がグラリと傾き俺たちの方へと落ちてくる。
「お征きなさい」
コルネリアさんは俺を抱き直して、ポツリと呟いた。
空中に浮かぶ夥しい数の剣が密集し、まるで一本の槍かのように炎を穿った。槍を形成する剣は螺旋を描き火の粉を散らして尚、煤一つ付いていない。そして、千剣はその勢いのままグラジオを襲った。
「ぐ、ぐぐうぅ! こ、これしきで終わりではない。決して主らの思い通りにはさせんぞおおぉぉ!」
槍を模した無数の剣は老爺の胴体すら貫き、剣と剣が擦れ合い、すり潰すことでグラジオを肉片へと変えた。
戦い、というよりも一方的な蹂躙を終えて俺の足は徐々に高度を下げていった。コルネリアさんは地面に着地しても俺を離そうとはしない。
「ゆ、ユーダイ様を離せ!」
「”穴・昧い・澱み”」
俺を助けようとしてラミアが飛びかかってくるが、地面から突き出した泥が少女の体を捕らえた。
今の詠唱は? 魔術の筈なのに主格を発音してなかったぞ。
「くっ」
「あ、あの、助けてくれたとこ申し訳ないんすけど、そこの魔族。ラミアは見逃してあげてください。俺の、友達なんす」
「友達……?」
「はい。俺が困ってる時に何度も助けてくれて、この子がいなかったら、俺はその内殺されてた。だから、お願いします」
コルネリアさんは俺の懇願を聞いて、魔術を解いてくれた。ラミアは力の差を痛感したのか、ひとまず大人しくした。
「ラミアさんと言いましたね、ユーダイを助けてくれてありがとうございました。しかし、あなたは魔族。ユーダイは人間の地で暮らします。あなたは早々に魔界へとお帰りなさい」
コルネリアさんは淡々と言い捨てた。その声に、解されていたはずの空気が再び張り詰める。
「い、嫌です! 私は一生を賭けてユーダイ様にお仕えすると誓ったのです。ユーダイ様がどこで暮らそうと私はお側に居続けます。それが叶わないくらいなら、私に生きる意味はありません。ここで殺してください!」
「おい、馬鹿言うな。俺なんかの為に死んでどうするんだ、お前は……おま……あ、れ?」
俺はラミアに駆け寄ろうとコルネリアさんの腕の中で暴れる、が、細腕には見合わない力強さで、拘束を逃れることは出来なかった。
暴れるうち、疲労がどっと押し寄せて意識が遠のいていくのを感じた。




