第十話 向けられる殺意
それから、俺は暫くベッドで横になっていたが空が夕焼けに染まり始めた頃突然尿意を覚えた。
「ちょっと、トイレに行きたいんだが」
俺は扉を開け、衛兵に話しかける。
「室内にトイレを誂えておりますのでそちらをお使いください」
「え?」
そんなんあったか?
疑問に思いながらも再度部屋を見回した。便器らしきものは見当たらないが、よくよく見てみると向かい側の壁に凹んでいる所があって、木製の蓋がポンと置かれている。
「まさか……」
蓋を開けてみると、下には真っ暗な穴が続いており若干異臭が立ち上ってきた。俺は慌てて蓋を閉める。
「冗談だろ……」
扉を振り向いたが、共用のトイレを使わせてくれと言っても聞いてはくれないだろう。俺は仕方なくベランダに出て、館の外壁を伝ってトイレを探すことにした。
眼下には大量の衛兵が絶えず見回りをしているが、頭上には注意を払っていないらしい。
俺は隣の、そのまた隣の部屋の窓から中に侵入した。そこは物置のようで雑然と備品が積み上がっていた。
その部屋から客室の見張りに見つからないように廊下に出て、なんとか用を足した。共用のトイレも作りは変わらないが、自分が寝る部屋で小便するよりは遥かにマシだ。
「にしても、バカだよな。アイツ」
すっきりした俺はトイレを出ようとして廊下からの声に気付き息を潜める。
「アイツってユーダイ様の事か?」
「そうそう、わざわざ殺されるためにパース様の元へのこのこやって来たんだから。しかも、アイツが泊まってた部屋に女もいたんだってよ。血は争えねえよな」
「おいおい。口が過ぎるぞ。誰かに聞かれたら……」
「大丈夫だって。みんな内心思ってることなんだからさあ」
俺はトイレの中で情報を整理する。今ので分かった事実は二つ。
一つは俺はここにいればいずれ殺される。一つは親父は女にだらしないクソ野郎ってこと。そろそろ潮時だな。
俺は来たのと同じ要領で客室にこっそりと戻り、荷物を取って転移術で逃げることにした。街に戻ってラミアに再会するのも気まずいので、とにかく街の外ならどこでもいい。
その時、俺は初めてこの世界の龍脈という物をしっかりと知覚した。膨大な力の奔流だ。少なくとも俺が住んでいた街には、これ程の物は無かった。
「”其は遠き虚無の輝き・恋しくば手を伸ばせ・さすれば道は開かれん”」
まさか、二日連続でこの術を使うことになるなんてな。さて、次はどこへ行こうか。
俺は既に客室を脱出した気分で一歩足を踏み出した。しかし、足の裏に伝わるのは心地良い絨毯の感触。
「な!」
転移術を確かに唱えた。にも関わらず、俺はまだ客室の中にいた。
そんな馬鹿な! 魔力は足りているし、龍脈も知覚できた。異界渡りさえ成し遂げた俺が、同じ世界の別の場所に転移できないなんて有り得ない。
原因をあれこれ考えていると、不意に右手首の五芒星が目に入った。
まさか、これのせいで……?
俺は洗面器に水を張って、タオルを浸し右手首に擦り付けた。が、インクで刻まれたはずの印は消えるどころか霞みもしない。
「くそ、どうする」
俺は思いがけないピンチに頭を抱えた。パースを舐めすぎた。末席で術者としては二流と聞いていたから、俺でも何とかなると思っていたのに、奴はまさしく黄金の盟主なんだ。
自分の遅過ぎる気付きに情けなくなり、皮肉なまでに豪華なベッドで俺は突っ伏す。
部屋を抜け出すのと、館を抜け出すのではまるで話しが違う。前庭の衛兵の監視を躱して抜け出すのは不可能だし、魔術が使えなければ強行突破も不可能だ。
それでも、俺は諦めず、情報を集めるために部屋を抜け出して侍従や官僚の話を盗み聞きした。
殺されるのは今日かもしれないと思いながら、一日をやり過ごす。
集められた情報は、三つ。
今、この館にはどうやらグラディウス・アインス・コルネリアが滞在しているらしい。そして、彼女は二週間後にこの街を発つ。俺が殺されるのは、彼女が出発した後。
最初から、パースは俺とコルネリアという人を会わせるつもりなんて無かった。理由は分からないけど、とにかく俺に助かる道があるとすれば何とかしてコルネリアという人に会う事。腹違いの息子なんかの事を気にかけてくれるかは分からないが、俺に残された希望はそれだけだった。
俺はそれからさらに四日かけてコルネリアという人が館のどの部屋にいるか探った。しかし、その情報だけは誰も口に出さなかった。
徹底的に箝口令が敷かれているという事だろう。軟禁されて八日目。俺は半ば諦めの心境で部屋のソファに座り込んでいた。
すると客室のドアが開かれ、時間の通りに昼食が用意される。
見たことあるような無いような、そんなメイドの姿をぼんやり眺めながら、食事を済ませナプキンで口元を拭く。すると、ナプキンの端の汚れが目についた。イライラしていた俺は、反射的に文句の一つも言ってやろうと椅子を蹴って立ち上がる。
客室のドアノブに手をかけ、ふと一つの予感が俺の脳裏をよぎった。慌ててナプキンを広げ、汚れに眼を凝らす。その汚れ、いや、文は、明らかに誰かによって意図的に書き込まれた物だった。
——今夜、夕食をお持ちした際、部屋から抜け出せるように準備しました。怪しまれないよう、すぐに部屋を出ます。準備を済ませておいてください。 ユーダイ様の侍従、ラミアより。
「……ラミア」
俺は安心と、申し訳ない気持ちが綯い交ぜになったものを喉元に感じた。しかし、謝罪も、感謝もまずはここを抜け出してからだ。荷物を開いて、本当に必要そうなものだけを纏め服の下に巻き付けておいた。足踏みしたり、腕を振り回して調子を確認する。
「よし、これで大丈夫だな。あとはラミアを待つだけだ」
俺は半日ソファに座り、ソワソワと膝をさすりながら夕食の時間を待った。そして、日が暮れ背後でドアがノックされる。
昼と同じメイドがワゴンを押して部屋に入ると、俺に一つ頷きワゴンの下に入るように手を振った。
ラミアはテーブルの上に食事と食器を並べ、全て終えると俺が入ったワゴン車を動かし客室を出る。
「ご苦労さん。ユーダイ様の様子は変わりないか?」
「ええ、涎を垂らして。何も知らずにがっついておりました」
ラミアの声にどこか棘を感じる。やっぱり黙って置いてきた事気にしてるよな……。
それからワゴン車はガラガラと廊下を進んでいき、厨房の脇の備品室に入った。
「ユーダイ様、もう平気です。出てきてください」
ワゴンの下から身を出すと、ラミアは初めて会った時のように黒い瞳を潤ませて俺に微笑みかけた。
「この前は悪かった。俺、お前の事疑ってたんだ……。だから、最低限聞きたいことが聞けたら撒けばいいと思って、利用した」
「構いません。ユーダイ様は記憶を失っておられるのですし。仮にそうで無かったとして、私を幾らお疑いになられたとして、私は貴方に一生をかけて、お仕えします」
「どうして、そこまで。記憶喪失ってのも嘘だ。俺は本当にお前の事知らないんだよ」
「いいえ。貴方は間違いなく私の知るユーダイ様です。私をあの地獄から救ってくれた。命の恩人」
ラミアは確信と共に頭を振った。俺は戸惑いながらこれから先の事を聞くことにした。
「それで、ここからはどうするんだ。色々あって、術が使えないんだけど、どうやって抜け出す?」
客室からは脱出できたが、まだ最大の関門の前庭が残っている。
「ここ、から?」
しかし、ラミアはきょとんと首を傾げた。
「いや、嘘だよな。嘘って言ってくれ……」
「も、ももももも、申し訳ございません! ユーダイ様をお救いしなければと、そればかり考えていて、メイドに化けユーダイ様のお世話係になったのですが。そこから先は考えが及ばず」
「うん。まあ、ひとまずお前の顔が見れただけでも安心できたよ。……この前会った時と顔違うけど」
肩を落とすラミアを慰めて、俺は右手首を少女の目の前に突きつけた。
「なあ、これ何か分かるか?」
「これは……術封じの印! 一体誰が、こんな酷い事を!」
「パースだよ。そうか、やっぱりこれのせいで転移術が使えなかったのか」
「できる事なら解いて差し上げたいのですが、残念ながら私の魔力では不可能なんです。解けるとすれば、パースと同格以上の、それこそ盟主ぐらいのものかと。例えばグラジオ様のような」
グラジオ、か。黄金の血脈が俺を殺そうとする以上、そっちに頼る方がまだマシかもしれない。
俺はラミアをじっと見つめる。魔族や暗黒の血脈とやらがどんな奴らなのかは分からない。けど、ラミアの事なら信じられる。
「ラミア。グラジオとかいう奴に会わせてくれ」
「ユーダイ様! はい、必ずや。しかし、そのためにもまずここを抜け出さなければ」
「ラミアは転移術は使えないのか?」
「はい。私に扱えるのは些少の忤法と、幻術だけでございます」
幻術か。俺は口元を抑えて考え込む。
「なあ、俺に幻術をかけるのは出来ないのか?」
「出来ますが、私が術を掛けられるのは一人のみです。ですので私の方の幻術が解けてしまいます」
「そういえば、ずっと術で姿を誤魔化してるんだっけ。お前って、本当は魔族なのか?」
「ええ。私は蛇女。ナーガのラミアでございます。魔族としてはかなり低級な部類ですので、ここで姿を晒せばあっという間に打ち滅ぼされてしまいます。もちろん、ユーダイ様が殺されてしまうくらいなら、私が代わりに……」
ラミアはグッと決意を固めて、俺に一歩踏み出した。
「いや、そう言うのはいいから。二人で生きて切り抜ける。そうだ、ラミア。どうにかして衛兵の制服を手に入れられないか? あの鍔付きの兜なら目元を隠せるし、後は衛兵の行動パターンを割り出せば自然に館を抜け出せるかも」
コルネリアという人に会うという手もあるが、ラミアがいる以上はこの方法の方が確実だし安全な気がした。
「かしこまりました。何とかやって見せます。お任せください」
「本当に頼むな! あと、六日で殺されちゃうらしいから」




