第21章 言うと約束した
二十八日目、午前。残り二日。枠谷透は編入以来、同じ教室の後ろにいた。私たちは彼の指摘を、その場限りのものとして聞いていた。彼の周りでは機械が壊れる。ただし、壊れ方が診断的だった。複製申請が二重発生し、分類システムに重複排除がないとわかる。四Cが「存在」と「不存在」を同時記録し、空間台帳に第三状態がないとわかる。二要素認証が遅延し、その処理系が委員会審議と共用だとわかる。枠谷透が故障を起こすのではない。故障が、隠れていた前提を剥がす。枠。透。
名前まで仕事内容だった。
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最終事前評価。七十パーセント以上、第一試験室。以下、第二。第二は寒い。地下処理設備の低周波音が入る。学生情報市場では、時間固定が苦手な人間に最悪の部屋として有名。私、律、結、順平は第一。
「倉橋」
白石先生が名前を読んだ時、私は驚いた。順平は驚かない。香水なしで七十二まで来ていた。第二試験室。四人。その中に、枠谷透。今度は、名前を聞いてすぐ彼を見た。後ろの約〇・四平方メートル。二〇〇九年のカメラ配置と二〇一九年の棚設置が作った死角。彼は毎回そこにいた。私を見る。小さく頷く。挨拶ではない。
やっぱり。
そういう頷き。
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授業終了四十秒後、廊下の角に先回りしていた。
「二十三日目、七時四十七分。直接理解へ移った」
「見てたの」
「壊れた記録を見てた」
小さなノート。第四巻。
「現行採点基準は翻訳型を基準。理解型は表示上、約二ポイント高く出る」
「不利?」
「逆。試験で百表示が必要でも、実質九十八で通る可能性が高い」
「確定?」
「パターン」
「違いは」
「パターンは、違うまで正しい」
「便利」
「危険」
彼はページを見せる。
パターン97:試験完了時、分類処理が強制発生。00-0174について現行分類器は解なし。新規分類生成、未分類のまま配属、外部分類介入の三分岐。
「外部」
「あなたを知ってるもの」
計画統括責任者。骨色の手紙。四C。全部が同じ方向を向く。
「試験後が面白い」
透が言う。
「受かったら」
「受かる」
条件なし。
「根拠」
「改善率」
彼は私を励ましていない。予測しているだけ。だから信用できた。
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透はジャケットから小型の信号迂回器を出す。
「第二試験室の低周波を切る」
「不正?」
「環境補正」
「白石先生がわざと置いてる可能性」
「ある。第二の四人、全員時間固定が弱い。偶然じゃない」
「じゃあ妨害を消す?」
「本人の能力を測る。環境変数を測る試験じゃない」
「公平にする」
透は考える。
「データを汚さない」
一拍。
「あと、公平」
同じだった。違う言葉を使うだけ。
「第四巻、何パターン?」
「八十九」
「全部今学期?」
「四十七はあなたへのシステム反応。四十二はその他」
「比率、おかしくない?」
「外れ値」
「管理中?」
透の顔が、測定される側になった。
「記録中。分類はまだ」
歩いて去る。蛍光灯が一度ちらつく。白さが少し変わる。故障でわかった。今まで明るすぎた。透がいなくなると、補正が不要になった。私はノートに書く。二日。実質八十一。九十八でいい、たぶん。たぶんは嫌いだ。でも、使い方は前よりわかる。
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枠谷透は、私たちの会話にも穴を開けた。休み時間。結が「あと二日なら、この練習順」と言う。律が「時間効率は正しい」と言う。順平先輩が「俺もそれで行く」と言う。透。
「誰が、同じ試験だって決めたの」
四人で見る。
「出生証明試験」私。
「名前は同じ」
「要領も」律。
「問題生成規則は?」
律が開く。公開されていない。
「評価軸は?」
一部だけ。
「合格条件は?」
百点。
「百点って、何の合計?」
沈黙。私たちは三週間、百分率として見ていた。学校が表示するから。でも、何を百にしているかを確認していない。
「最悪」
私が言う。透。
「良かったね」
「何が」
「二日前に見つけた」
白石先生へ聞く。
「百分率の母数は?」
「学生ごとに違います」
「先に言って」
「聞かれませんでした」
「先生」
「はい」
「評価ではありませんね」
「私の評価」
九条の言い方を盗んだ。先生の口元が少し動いた。私の八十一は、律の八十一ではない。結の八十一でもない。順平先輩の八十一でもない。同じ数字で競っていたつもりだった。最初から、別の山だった。透は教室の後ろへ戻る。誰も彼を忘れなかった。
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その日の朝、透の診断を受ける前。
二十八日目。残り二日。六時三十分。恋規がなかった。机の右端。いつもの場所。手を伸ばしたら、紙だけあった。異適院の公用便箋。右上の校章は修正液で消されていたが、薄く残っていた。学校が遠くからこちらを見ているようだった。結の字。
恋規は下層市場、仮屋名緒預かり。出生証明試験終了まで保管予定。本人の返還請求は可能。保管料十八単位は私が払った。
これは没収ではない。環境変数の訂正。
二十一日目以降、本の参照機能は限界効用逓減。試験直前のストレス下で翻訳依存へ回帰する危険が非ゼロ。したがって近接変数を除去した。
有益。
恩田。
私は二回読んだ。
「恋規を移した」
部屋に言った。部屋は否定しなかった。
「私に聞かずに」
礼が結のベッド脇で小さく鳴った。結本人はいない。
「しかも、だいたい正しい」
そこが腹立たしかった。着替えた。食堂へ行った。
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結はシリアルを食べていた。浸水時間四分。私が来る時刻まで予測していた顔。
「本」
「仮屋名緒」
「知ってる」
「一時保管。保管料十八単位は私が払った。本人なら今でも返還請求できる」
私は座った。
「私の本を、あなたが金を払って遠ざけた」
「そう」
「恋規、売られない?」
「売れない。学校の没収失敗記録で、現在関連資産から所有関係を移せないことが確定してる。仮屋は保持しかできない」
「そこまで調べた」
「当然」
結はシリアルを食べた。彼女のノートを見る。私のペンで書いている。一日目に盗られたペン。もう返してとは思わなかった。
「結」
「何」
「これ、あなたのやり方」
スプーンが止まらない。
「私の状況を勝手に最適化する。私の利益になる。だから反論しにくい。で、あなた自身の理由は別にある」
「理由は書いた」
礼が鳴る。結の眉が一ミリ動いた。
「礼が異議」
「礼は何て」
「不要」
礼がもう一度鳴る。
「必要だって」
結はシリアルを見た。待った。十一秒。この女にとって十一秒は、長文だった。
「……試験を、恋規なしでやってほしかった」
「戦略上?」
「それも」
「それ以外」
結はノートを閉じた。
「編入以来、恋規があなたの生活を読める形にしてきた。最初は必要だった。今は、あなたの方が先に読める時がある」
礼が静かに温かい。
「それを、あなた自身が知った方がいいと思った」
私は結を見る。
「それ、礼の意見?」
「両方」
「先に言うって約束したよね」
「した」
「本なしで試すかは私が決める。まだ許してない」
「了解」
結は私のペンを持った。何か書いた。見せない。礼が一度だけ鳴った。朝食を終えた。
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下層市場で、仮屋名緒は私を見るなり言った。
「恩田」
「恩田」
「二十分交渉された。十一分で条件は決まってた。残り九分は、私が裏切った場合の損失計算」
「裏切る?」
「利益率が悪い」
名緒は棚の下から本を出した。今日の題名。
『三日間だけ会えません ~一時保管は別れではないので違約金は発生しません~』
「嫌い」
「題名は私じゃない」
「本に言った」
名緒が返還請求書と閲覧票を並べた。私は閲覧票を取った。閲覧時間五分。表紙に手を置いた。温かい。書いている。主人公が、編入してからずっと持っていたものを机に置き、自分で歩けるか確かめる場面。置くことと失うことは違う。必要でなくなることと、欲しくなくなることも違う。ページを開かなかった。
「試験終わったら読む」
本の熱が少し下がった。体温。
「うん」
三秒。手を離した。名緒が時計を見る。
「あと四分十二秒」
「もういい」
「払い戻しはないよ」
「知ってる」
帰った。本はそこに残った。残ることが、失うことではないと初めて分かった。
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本がない寮は、室温が三度低かった。編入してから、気づいていなかった。本がずっと室温を上げていた。本の代わりに部屋を見た。朝六時の計算脈は、昼より遅い。換気口は二十三時以降、監視音を一段落とす。礼は深夜、結の腕輪から離れて窓辺まで行く。床下の何かと、二日に一回揉めている。本がいなくなって、世界が物語ではなくなった。その代わり、細部が増えた。練習は一日四時間。九十四。九十六。九十五。九十七。五変数同時理解は九十三。結合は九十一。時間固定だけ、八十八。二十八日目、図書館。律が言った。
「時間固定であなたは複数変数を順番に固定してる」
「同時にできてない」
「そう。五つの決定が、それぞれ自分の瞬間を選び、その確定を同時保持する必要がある」
「五つの決定」
「互いに消さない五つ」
考えた。下層市場の本。結のメモ。律が机に薬を置かなくなったこと。順平の空瓶。澄と、本人が座るより先に出席を知らせた机。どれも別の決定。でも、同じ時間の中にある。式を保持した。九十四。律が顔を上げる。
「最高値」
「知ってる」
「何を使った?」
「複数の人が、それぞれ自分の決めたことを変えない感じ」
律は一拍止まった。書いた。練習を続けた。本はなかった。困った。それでも練習は進んだ。それで結のやったことまで正しくなるのが嫌で、私はまだ腹を立てていた。それも、かなり役に立った。
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第一追補はもうある。
《開示は、開示した事実をもって影響を免責しない。》
新しく書き足す必要はなかった。今度は、それを使う番だった。
私は食堂で結の前に紙を置いた。
「開示したからセーフじゃない」
「知ってる」
「じゃあ何で本を移した」
「必要だから」
「私が嫌がるって分かってた?」
「九十六パーセント」
「残り四」
「もっと怒る」
腹が立って、少し笑った。
「退出経路は?」
結が待っていたように、別紙を出す。一、今から仮屋へ行き、本人が保管終了を申し立てる。二、結が前払いした保管料の範囲で返還手続きを完了する。三、恋規を戻す。四、その場合、結は以後、試験前の環境変数へ介入しない。
「用意してる」
「規約」
「私が取り戻すと、結の方が楽?」
「危険は増える。私の責任は減る」
「どっち希望」
結は一度だけ視線を外した。
「戻さない方」
「言った」
「聞いたから」
私は紙を読む。解除はできる。本当に。行けば戻る。だから行かなかった。結が選択肢を消したのではない。消したかった選択肢を、今回は残した。自分で使わなかった。それでも腹は立つ。その二つを同時に持てるようになったことが、たぶん規約の一番まともな成果だった。
戻る道と費用負担を知った上で使わない。今回は、それが私の判断だった。




