第20章 十八時の約束
三枝灯里は高すぎた。候補標的表。言葉は《競合対象》。死亡とは書かない。でも意味は同じ。灯里。現スポンサー。将来スポンサー。企業研究実習。推薦枠。家族関係。出生証明予測。損失見込。大きい。
「無理」
誰か。
「高すぎる」
別。
「だから売れる」
環。黙る。灯里が消えれば、三枝灯里が内定していた外部研究枠が一つ動く。灰学生にも届く可能性。灯里が有名だから、反転の物語も大きい。でも精算も大きい。結が自然に言う。
「環が企業広報系の配置に上がれば、初年度収入とスポンサー転換で」
止まる。自分で。
「続けて」
環。結。
「嫌」
「計算した?」
「した」
「じゃあ」
「人の未来を、選択肢として消す計算だから嫌」
私。
「でも普段もやってる」
結が私を見る。その通り。もっと小さく。インターン。予定。食事。友達。対象が死ぬと、急に別物に見える。学校は別物にしない。律。
「モデルに関係価値が入っていません」
会議室。
「灯里が御影さんの友達だから?」
律。
「はい」
即答。笑う人はいない。
「それは講全体の利益?」
「違います」
「じゃあ評価項目に」
「入らない」
律。
「だからモデルが不完全だと言っています」
環。
「全部の好き嫌い入れたら決められない」
「決められなくても存在します」
二人。ぶつかる。私は表を見る。分類。競合対象。友達。青血。灯里。全部同じ人。
「綴は」
律。
「何」
「どう分類する」
嫌な質問。
「今は決めない」
律。
「それがいい」
少し安心。
私は表の一番上を見た。三枝灯里。育成投資額。18,420,000円。
その数字を、灯里は知っている。知った上で火曜日の四人席に来る。果物を持ってくる。律の皿に苺を一個置く。そういう人間の数字が、この紙の中では一列目に並んでいる。名前の次に。灯里という人間が何であるかではなく、灯里という存在が消えた場合にどれだけの価値が移動するかで並んでいる。
私は自分が何を測っているのか分からなくなる。友達としての灯里か。数字としての灯里か。その区別が意味を持つ場所にいるのか、もう持たない場所にいるのか。
でも講は待たない。灯里が高いからこそ、今期の蛇にする価値がある。それが議題だった。
書類上、灯里も環も参加を断れる。反転講も強制ではない。
でも灯里には高い補助率があり、注目される実地演習ほど将来評価が伸びる。環には、この一回を逃すと届かない配置がある。
選べる。書類にはそう書いてある。
その環境がどちらへ傾いているかは、書いていない。
✦
灯里は昼食に果物を持ってきた。青区から持ってきた。許可済み。いつもの透明容器。四人席。今日は五人。律。私。結。順平先輩。灯里。環はいない。灯里が苺を一つ取る。
「最近、灰区で会議多いね」
誰も答えない。灯里。
「私?」
律の箸が止まる。私は灯里を見る。
「何が」
「今期の蛇」
知ってる。順平先輩。
「どこで」
「青区にも卒業生いるから」
秘密ではない。共同体の話。噂は流れる。律。
「灯里」
「律、反対した?」
「した」
「よかった」
「よくない」
灯里。
「私の友達が私を高値で売る側だったら、ちょっと嫌」
笑う。律は笑わない。灯里。
「綴は」
「賛成」
律が私を見る。また。灯里は少し驚く。
「理由」
言う。講の権利。共有資源。灯里。
「私の生存は共有資源じゃない?」
「そう」
「でも死んだら話題は共有資源になる」
「そう」
「変な学校」
「知ってる」
灯里は苺を食べる。
「降りることもできる」
結。
「推薦競争から?」
「うん」
「そうしたら対象価値下がる」
「たぶん」
律。
「降りて」
即答。灯里。
「嫌」
「何で」
「私が降りたら、次の青が『対象になったら退けばいい』になる」
「生きる」
「もちろん生きたい」
初めて。言った。制度じゃない。資産じゃない。灯里本人。
「怖いよ」
律の目。涙。灯里。
「でも、青区が金で前にいるのも本当。灰が別の手を使うのも、この学校では止められてない」
「だから受け入れる?」
「受け入れてない」
灯里は笑う。
「勝つつもり」
そこ。灯里。
「律」
「何」
「私が死んだら、記録ちゃんとして」
「嫌」
「そこはお願い」
「嫌」
「じゃあ生きたら」
「もっと嫌」
二人で少し笑う。私。
「私には」
灯里。
「綴は、自分で考えて」
「雑」
「人を分類しすぎないように」
刺す。最後まで。昼休み終了。灯里は果物容器を持って帰る。一個。苺が残る。結。
「忘れた」
律。
「私が届ける」
立つ。灯里はまだ廊下にいる。間に合う。その日の苺は、ちゃんと本人へ戻った。
灯里が廊下から言った。
「試験の次の日、十八時。席札、忘れないで」
律は頷いた。私はその時、歌の二行目を思い出していた。
✦
競技台は三本の橋でつながっていた。対岸の配置証を先に取った者が推薦順位を得る。橋は一本ずつ閉鎖できる。閉鎖された橋の上に残った者への救護は、橋が戻るまで入れない。説明は、開始前に読み上げられた。
灯里は最初の橋を渡らなかった。翼を広げ、欄干を蹴って二本目へ移る。青い炎が靴底から尾を引いた。環の防壁が一枚消える。二枚目も。純粋な演算なら、灯里の方が速かった。
環は逃げながら、観客席を一度見た。スポンサーの表示が切り替わる。購入したのは攻撃ではない。橋の再配置権。
三本目が灯里の着地点へ寄った。灯里は途中で身体をひねり、欄干を掴んだ。片手だけ。私たちの側を見た。律が立った。
「右へ!」
聞こえたかは分からない。灯里は右手を伸ばし、別の柱へ届いた。身体を引き上げる。まだ動ける。まだ勝てる。
環の端末に確認欄が出た。大きい文字だった。観客席からも読めた。
《生体通過中。閉鎖を実行しますか。継続核損傷のおそれあり。》
環が押した。
橋は灯里の胸の高さで閉じた。欄干と欄干の間に身体が残り、翼だけが最後まで広がろうとした。音は、橋が所定位置に収まる音に紛れた。
炎が消えた。
笛が鳴った。環は端末から手を離した。もう配置証を取りに行く必要はなかった。
医療班が二人、橋へ走る。灯里の胸へ読み取り器が当てられた。表示が灰色になる。緑へ戻らない。
七分後、停止時刻が記入された。処置の終了時刻ではなかった。最初に橋が閉じた時刻だった。
《龍心内継続核、破断。復帰不能。》
隣で律が椅子の背を掴んでいた。手袋の縫い目が開いた。私はその手へ触れなかった。
管制側で、もう一度警報が鳴った。閉鎖信号の戻りが、解除中の安全盤へ流れたのだと後で説明された。印南さんが停止承認を通すため触れていた盤だった。盤と担当者の接続が切れなかった。
その日の死亡者欄には、学生一名と教務事務一名が並んだ。二つの名前の間には、同じ幅の空白があった。
競技場の電光表示が変わる。
《学生一名の死亡により、進路競合状態が解消されました。》
次。
《三枝灯里 育成投資口:凍結》
次。
《北村環 配置順位:暫定繰上》
律の手が私の腕を掴む。痛い。私は離さない。環は立ったまま。顔。何もない。勝った顔でもない。泣く顔でもない。
観客席。誰か息を吐く。誰か泣く。誰かスマホを見る。SNS。もう動いている。
#灰から青
#三枝灯里 #北村環
「早い」
結。声が震える。環のスポンサー額。1,320,000円。1,700,000円。2,600,000円。競技場を出る前に。五百万。律が私の腕を離す。跡。爪。
「綴」
「何」
「賛成したね」
「うん」
それだけ。言い訳はしない。灯里は死んだ。学校にとって、その事実は確定。私たちにとっては、まだ何も確定していなかった。
画面は止まらない。追悼配信予約。切り抜き。灯里の過去動画。環の名前。《逆転》。
誰もスポンサー更新ボタンを押していない。それでも数字は上がる。観客が見ているだけで、次の価値が計算されていく。
灯里がもう何も選べない時間に、灯里の物語だけが環の選択肢を増やしていた。
✦
翌朝。北村環。スポンサー額。
43,860,000円。
青区入り。自動。掲示板。
《育成投資閾値到達》
環の灰色名札が、印南さんのいない窓口で青へ変わる。本人は受け取らない。
「後で」
窓口には別の職員がいた。
「規程上、本日から」
「わかってます」
メディア。取材。配信。書籍。映像化打診。講演。企業。全部来る。
「本当に」
私。結。
「梯子」
数字。一晩。百三十万から四千万。青区の個室。医療。面接。教師時間。灯里が持っていた世界。一部。環へ。灰区地下。反転講。最初にすること。祝賀ではない。返し帳。
《北村環 第一回返し》
確定していない収入は書かない。確定スポンサーの一部。灰区出生証明模試。二十人分。後天術師応募費。白川透。一件。
「白川にも」
環。
「約束」
白川。
「受ける」
梓が見る。
「青になったね」
環。
「昨日」
「気分」
「個室は静か」
「嫌い」
「私も昨日まで」
笑えない笑い。律はいない。灯里の家。たぶん。環。
「私、喜んでいい?」
誰も答えない。
「嬉しい」
自分で言う。
「怖いし、気持ち悪いし、灯里に勝ったって言いたくない。でも、嬉しい」
それが本音。講の先輩。
「返せ」
「うん」
「なら使え」
青い名札。環は受け取る。胸につける。その瞬間、灰区の学生が拍手した。灯里の死を祝っているのではない。自分たちの梯子が機能したことを祝っている。違いはある。でも外から見れば、たぶん同じ。学校は区別しない。
《北村環 育成投資額 47,102,600円》
数字だけ増える。
✦
榊原先生は環を処罰しなかった。
《指導保留》にした。
私たちも呼ばれる。反転講関係者。榊原先生。
「死亡は確定」
「はい」
環。
「競技規程違反」
「現時点でなし」
「じゃあ終わり?」
「精算が終わっていません」
机。論点。灯里の死亡損失。競技場寄与。学校の危険度設定。スポンサーによる競争条件。反転講の組織的支援。環本人。灯里本人の危険受諾。
「何パー私」
「まだ」
「保留中、スポンサー」
「一部凍結」
環の顔が変わる。
「全部じゃない?」
「生活・教育維持分は出ます」
「メディア収入」
「争いのある分は保全」
「推薦」
「正式確定まで仮」
環。
「処罰」
榊原先生。
「違います」
「同じ」
「違います」
前。私が言った言葉。榊原先生。
「あなたは、事実確認書へ署名すれば一部を早く閉じられます」
紙。
《競合行為における主要因果寄与を北村環本人に認める》
環。
「主要って何パー」
「数値は後」
「嫌」
「では署名しない」
「保留」
「続きます」
保留。告白ではない。責任配分。でも署名すれば未来が動く。署名しなければ止まる。結。
「選択肢、二つに見せてる」
榊原先生。
「実際二つです」
「第三」
「何ですか」
「学校側の暫定負担で推薦だけ進める」
「根拠」
結。止まる。私。
「競技が学校主催」
律。
「危険度設定も学校」
順平先輩。
「配置競争自体も」
榊原先生。少し笑う。
「やっと指導面談らしくなった」
環。
「私を助ける?」
私。
「違う」
「何」
「学校の取り分増やす」
環が笑う。榊原先生も。その日。保留は一部解除。学校法人が暫定負担を引き受ける代わりに、最終精算で求償可能。環の推薦は進む。メディア収入は一部保全。榊原先生。
「処罰ではありません」
全員。
「精算が終わっていないだけ」
初めて、こちらから言った。
✦
灯里の暫定損失額。
612,000,000円。
教室。
「高」
誰か。すぐ黙る。内訳。スポンサー残存。企業配置。龍種固有研究。家族・企業関係。期待就業年数。教育投資。代替困難。そして。
《最終確定:二十年後》
私。
「二十年?」
榊原先生。
「はい」
「遅い」
「何を急ぎますか」
「払う額」
「今の北村に六億払えますか」
環。
「無理」
「では、何を取るんですか」
静か。榊原先生。
「三枝灯里の将来価値も、死亡時点では仮定です」
比較対象。同世代青区卒業生。同種の青区卒業生の実績。スポンサー運用。研究成果。二十年。
「感情が落ち着くまで、って説明するんでしょ」
環。榊原先生。
「広報文では」
「本音」
「回収可能性」
即答。
「北村」
「はい」
「就職してください」
「はい」
「昇進してください」
環が笑う。
「はい」
「資産を作ってください」
「はい」
「二十年後に精算します」
それは罰に聞こえない。進路指導。実際、学校は環へ良い仕事を勧める。返済能力が上がるから。講も同じ。環が成功すれば返しが増える。灯里の損失精算も払える。学校。灰区。被害側。全員が、環の成功へ経済的利害を持つ。
「死なせた人を成功させるの変じゃない?」
私。榊原先生。
「なぜ」
「得する」
「競合を解消して得をしたから、負担能力も生まれた」
「だから」
「だから精算できる」
完全に円。私は灯里を思う。灯里が生きていたら、環はここまで上がらなかった。環が上がったから、灯里の損失を払える。死が梯子。梯子が負債。負債が成功を要求する。
「先生」
「何」
「これ、公平?」
榊原先生。
「公平は生徒生活委員会へ」
守屋先輩の管轄。
「先生は」
「精算です」
役割。最後まで。同じ日、印南さんの暫定損失も出た。灯里よりずっと低い。毎日窓口にいて、私たちの名前を覚え、どの書類が原本でなければ通らないか知っていた人なのに。律が言った。
「学校が失ったと記録できる範囲が違います」
私は数字を閉じた。廊下。環の青い名札。スポンサー額。五千万。スマホ。反転講。
《第一回返し 入金確認》
環。
「二十年、長い」
結。
「返しも」
「終わる?」
順平先輩。
「共同体がある限り」
環。
「最悪」
笑う。でも逃げない。そこだけは、講が選んだ理由どおりだった。




