第15章 友達利用規約
澄が泣いたのを、その日初めて見た。原因は一年C組の幽霊、早瀬千景。千景は移動型だった。決まった机を持たない。授業ごとに空いている席へ座る。新しい《幽体学生出席補助制度》では、固定机ログがない場合、代替として二名の継続証人と提出物照合が必要だった。千景は転入して二週間。継続証人が足りない。そのため欠席。さらに、補助制度の利用登録をしているため通常の担任手書き出席も「重複手段」として無効。一回学校に来て、二回欠席した。
「私の制度だ」
澄が言った。
「澄のじゃない」私。
「でも私を助けた方法」
「学校が変えた」
「私、喜んだ」
それが一番痛いところだった。私たちも喜んだ。澄が出席になった。方法が制度になった。誰かの役に立つと思った。律が資料を開く。
「現行要領は、制度利用者の二重記録を防止するため通常手段を停止しています」
結が言った。
「止めなければいい」
「二重出席が発生します」
「二回来たことにすれば」
「単位が増えます」
「いいじゃん」
「よくありません」
いつものやり取り。でも澄は笑わない。
「千景に、私が教えたんだよ」
「何を」
「最初に証人作った方がいいって。物の記録も残せって。結先輩たちに教えてもらったから」
私は息を止めた。もう伝わっていた。私たちから澄へ。澄から千景へ。でも伝わった技は、制度の中で別の形になって、千景を締めた。順平先輩が言った。
「直すぞ」
誰も反対しなかった。その夜、四人と澄で申立てを書いた。久しぶりに一緒に。結が資料を揃える。律が条文の競合を分ける。先輩が過去の類似案件を探す。《補助制度を利用すること》と《通常出席手段を失うこと》を別カテゴリーにする。午前一時。澄が机に突っ伏した。
「ごめん」
千景に、ではない。制度に、でもない。たぶん全部に。結が澄の前に温かい缶を置く。
「謝るのは明日でいい」
「何で」
「今は眠いから」
律が言った。
「謝罪は相手がいるときの方が証拠価値があります」
私は律を見る。律は一瞬、しまった顔をした。澄が笑った。泣きながら。
「御影先輩、そういうとこ」
「自覚しています」
翌日、千景の出席は暫定で戻った。制度改訂は審査中。澄は千景に謝った。千景は言った。
「先輩が教えてくれなかったら、私そもそも申請できてないです」
救済と加害が同じ方法から出ていた。そこにきれいな名前を付けられなかった。だから、まだ書かなかった。千景の件が暫定解決したあと、澄は私に言った。
「制度、なくした方がいいのかな」
「本気?」
「だって私のために作ったのに」
「澄のためだけじゃない」
「でも始まりは私」
私は角の規程を思い出した。私のせいで増えた条文。別の鬼の上級生は助かった。同時に保護具自己負担も増えた。
「始まりの人って、制度の所有者じゃない」
言ってから、自分にも刺さった。
「じゃあ誰の」澄。
「使う人全部」
「学校は?」
「それも」
「嫌」
「私も」
二人で笑った。澄は千景のところへ行った。遠くから見る。
「次、制度直すの手伝って」
澄が言う。千景が驚く。
「私が?」
「一番困ったから」
それは正しい選び方に見えた。後で私たちは、苦情を制度設計の入力にする。その発想の最初は、澄だった。困った人を「被害者」で終わらせず、次の設計者へ回す。美しい。危険。両方だった。
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千景本人は、澄を責めなかった。そこが澄には一番きつかった。
「別に澄のせいじゃないよ」
「でも」
「私、転入したの二週間前だし。二人証人いないの、普通じゃない?」
「普通なのに制度が」
「制度って、普通を作るやつじゃないの」
千景は笑った。幽霊の笑顔は、照明条件で少し透ける。澄は泣いたままだった。私は横で何も言えなかった。私たちが作った方法は澄を救った。制度になった方法は千景を落とした。成功と失敗が同じ形をしている。律が言った。
「証人要件を継続日数で変えるべきです。転入直後は担任記録を代替に」
結。
「それだと担任いない時」
順平先輩。
「保健室か図書室、常設の大人を一人入れる」
千景。
「私、毎日誰かに存在確認してもらわないと学校来たことにならないの?」
四人、止まった。そこだった。澄の時、私たちは証拠を増やした。千景は、証拠を増やすこと自体が負担だと言っている。
「じゃあ何がいい?」
私が聞く。千景は少し考えた。
「提出物。授業で出した物が毎日あるなら、それでよくない?」
律。
「提出しない授業は」
「その時だけ別」
結。
「費用安い」
順平先輩。
「本人が一番楽」
澄が涙を拭いた。
「それにしよう」
私は彼女を見る。
「澄が決める?」
「千景が決めた」
そこも大事だった。
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直接演算は五十九パーセント。友達利用規約には、出生証明試験について一行もなかった。たぶん、それでよかった。
《友達利用規約》という題名を付けたのは結だった。
「ふざけてる?」
「半分」
「残り半分は」
「必要」
旧図書室の机に、白紙が四枚。前に順平先輩が置いたものと同じだった。今回は書くために集まった。
「最初に確認します」律が言った。「これは学院へ提出しません」
「絶対に」私。
「記録も?」結。
律は少し考えた。
「私的保管一部。外部利用不可」
「もう始まってる」順平先輩。
私は赤ペンを持った。
「一。結が私のために選択肢を事前に消す場合」
「消す、は悪意ある表現」
「狭める?」
「配置する」
「もっと悪い」
順平先輩が笑う。結は真顔。
「じゃあ『意思決定環境を変更する』」
律が頷く。
「中立です」
「二人とも怖い」
条項一。
《相手の意思決定環境を事前に変更した場合、変更した部分を本人が判断する前に開示する。緊急時を除く。》
「緊急時の定義」律。
「今決めない」私。
「必要です」
「必要になったら揉める」
「それは規約として」
「友達だから揉める余地残すの」
律が止まる。そのまま採用。条項二。律の記録。
《私的観察を公的証拠として使用する場合、本人の事前同意を原則とする。ただし本人に重大な不利益が迫り、確認する時間がない場合、使用後に理由・範囲・提出先を開示する。》
「使用しない、にはしないんだ」私は訊いた。
律が私を見る。
「必要になる可能性があります」
「そうだね」
私もわかっていた。嫌だったのは、記録があることではない。私の知らない場所で、私の意味が使われたこと。条項三。順平先輩。
《先輩としての要請は、拒否しても関係上の不利益を与えない旨を明示する。》
「明示したら断りやすくなる?」結。
「たぶん」先輩。
「『断っていい』って先輩に言われると、逆に断りにくい場合あるよ」
全員止まる。
「ある」私。
律も頷く。
「では?」
最終的に。
《先輩としての要請を行った場合、翌日まで回答を求めない。緊急時を除く。》
また緊急時。便利な穴だった。最後が私。三人が見る。
「何」
「境野の分類」順平先輩。
「私は何もしてない」
結が言う。
「するよ。『これは友達の話』『これは申請の話』って先に決める」
律。
「その分類に他者が従う前提で会話を進めます」
「だって分けないと話できない」
「分けるのはいい」結。「勝手に決めて、後から『これはこっちだから』ってするのが嫌」
痛い。正しい。
《関係の分類を変更するときは、本人を当該分類の共同作成者として扱う。》
私は読み返した。
「共同作成者って何」
律が言った。
「強いですね」
順平先輩。
「逃げにくいな」
結。
「好き」
最後に四人の署名欄。ペンを止めた。
「署名するの?」
「規約だから」律。
「友達に署名?」
「嫌ならしなくていい」結。
その言葉を聞いて、私は署名した。境野綴。御影律。恩田結。順平。順平先輩だけ名字を書かなかった。
「何で」
「友達の紙だろ」
一瞬、誰も言葉がなかった。私は《倉橋》と足しかけた。
「足す?」
先輩が首を振る。ペンを戻した。
「勝手に分類した?」
「未遂」
先輩は笑った。規約は馬鹿みたいだった。でも翌日から、本当に楽になった。結は何か配置したとき言う。
「ここ、私が触った」
律はノートを開く前に聞く。
「これは残していい?」
先輩は頼み事をした後、返事を待つ。「これは何の話?」と訊く代わりに、「何の話にする?」と訊く。やっていることは、ほとんど変わっていない。範囲だけが見えるようになった。それで関係が前より強くなった。その成功を、私たちはかなり誇らしく思った。
✦
友達利用規約は、翌日から悪用された。最初は結。放課後、私の机に二枚の紙。一枚は出生証明試験の追加補習申請。もう一枚は共用室清掃の免除届。
「どっち」
「何が」
「意思決定環境を変えた?」
「変えた」
即答。
「補習の締切が今日。片付け免除は明日でもいい。補習を先に選びやすい配置にした」
「開示したからセーフ?」
「規約上」
「私が腹立つのは?」
「規約は感情を免責してない」
「そこまで読んだ?」
「作ったから」
私は二枚を入れ替えた。清掃免除届の方を上。
「じゃあ、こっち先に読む」
結は止めない。少し笑う。
「退出経路あるね」
「誰に教わったと思ってる」
次は律。私が「今の会話、記録しないで」と言った。律は端末を伏せた。
「記録しません」
十秒後。
「ただし、私自身の方法論変更として『記録を求められなかった会話が存在した』ことは一般化して書きます」
「それ、逃げてない?」
「内容は残しません」
「存在は残る」
「はい」
「怖い」
「適法です」
「規約だよ」
「より怖いですね」
律が初めて自分で言った。順平先輩はさらにひどい。頼み事を翌日締切にした。断っても不利益なしと書いた。代替手段も載せた。そのうえで、私が断った場合に自分が二時間余計に歩くことまで、頼み事とは別の雑談で知るようにした。
「それ、断りにくくしてる」
「頼み事では言ってない」
「環境」結。
「お前が言うな」
四人で規約を改訂した。第一追補。
《開示は、開示した事実をもって影響を免責しない。》
友達は、安全にならなかった。安全装置の場所が分かるようになっただけだった。
✦
朝六時四十分。寮の食堂。結が私の席におにぎりを二個置いた。
「配置?」
「朝ごはん」
「意思決定環境の変更?」
「食べるか決めていい」
「具は?」
「鮭と梅」
「選択肢を二つに狭めてる」
「規約外」
「どの条項」
「朝」
私は梅を取った。結が鮭を取った。少しして律が来た。
「おはようございます」
「おはよう」
結は普通体。律も結には前から普通体だった。私にはまだ丁寧。
「境野さん、昨日の提出物ですが」
「朝」
私が言う。律が止まる。結が笑う。
「規約外だって」
律は数秒考えた。
「……では、後で」
座る。順平先輩は七分遅れて来た。四人席の一脚だけ、背もたれが壊れている。先輩は何も言わず別の椅子と交換した。
「配置?」私。
「安全管理」
「規約外?」
「学校の備品規程内」
「強い」
律が笑った。ほんの一秒。何も記録しない。その朝のことを、恋規にも書かなかった。書かなかったという事実だけ覚えている。授業へ向かう途中、澄が千景と歩いていた。二人とも出席補助制度が通っている。澄が千景へ言う。
「今日、移動教室だから提出ログ先に取っといた方がいいよ。先生休んでも残るから」
千景が頷く。
「ありがとう」
「別に。次困ってる人いたら教えて」
結が足を止めた。澄は気づかず行った。
「今の」
私が言う。
「うん」結。
自分が言った言葉だった。
《次、誰か困ってたらやれば。》
方法がもう次へ移っている。
「いいことじゃない?」
私が訊く。結は考えた。
「いいことだよ」
その答えに嘘はなかった。だから私も頷いた。




