第13章 私より先に選ばないで
黎明の系列企業から、私に推薦が来た。
《異類制度設計インターン候補》
推薦画面には《内定承諾》《他選考状況》《推薦経路確認》が並び、最後に《保護者確認》があった。
辞退しろとは書いていない。ただ、早く返事をするほど席が確定する。
半年後の外部実習を優先配属。社会適応認定にも加点。
「すごいじゃん」澄が言った。
「まだ一年だけど」
「だからすごい」
私も最初はそう思った。問題に気づいたのは、その日の夕方。別の実習先へ応募しようとして、受付が終わっていた。締切は昨日。
「昨日?」
自分のカレンダーを確認する。一週間前まで、締切は来週だった。変更通知が来ている。見落とした。ただし通知には既読がついていた。私が開いた覚えはない。寮へ戻る。結が机で書類を整理している。
「結」
声でわかったらしい。手が止まった。
「何」
「南部市立資料館の実習、締切変わったの知ってた?」
「知ってた」
「通知、私の端末で開いた?」
「うん」
「何で」
「共有通知になってたから」
「何で言わなかった」
結はすぐ答えなかった。それだけで答えだった。
「黎明の推薦の方が条件良かった」
「だから?」
「資料館は危険だった」
「何が」
「去年、異類実習生の事故二件。監督者の異動。保険も弱い。通勤二時間」
机から資料が出る。全部調べてある。
「黎明の方は寮あり。認定加点。事故率低い。綴の分類能力も使える」
「私が選ぶことだよ」
結は私に推薦を押しつけたわけではない。端末を奪ってもいない。応募禁止にもしていない。
ただ、一つの締切を知らせなかった。
それだけで、私の画面から未来が一つ消えた。
「選べるよ」
「もう選べない」
私の声が大きくなった。結の左足が少し遠くへずれた。
「締切終わってる」
「追加受付、頼めば」
「頼めるようにした?」
結が黙る。
「したんだ」
「一応」
「じゃあ何。危ない方を選びたいって言ったら、結が裏から開けるの?」
「必要なら」
「それ、選択じゃない」
結の顔が硬くなる。
「じゃあ何」
「結が作ったメニューから選ばされてるだけ」
「綴が困らないようにした」
「困る権利まで取らないで」
言ってから、ひどい言葉だと思った。でも引かなかった。結も引かなかった。
「危ないって知ってて何もしない方が友達?」
「知らせるのが友達」
「知らせたら綴は資料館選んだかもしれない」
「そうだよ」
「だから先に止めた」
部屋が静かになった。これは結の告白だった。好き、ではない。信じている、でもない。あなたの判断より私の準備の方が安全だと思った。その方が結にはずっと重い。
「最悪」
「知ってる」
いつもの返事だった。でも今回は笑えなかった。寮を出た。傘は持っていかなかった。雨が降っていた。玄関の傘立てには、私の名前が書かれた透明傘が二本あった。一本増えていた。両方置いて出た。寮を飛び出した私は、結局図書室へ行った。間宮先生は閉館作業中だった。
「相談しません」
私が言う。
「助かる」
「座ります」
「それは自由」
私は濡れたまま座った。先生は机にタオルを置いた。
「頼んでない」
「本が濡れる」
結とは違う。私のためではない、と言い切れる形。でも結果は同じ。タオルを使った。
「人のために何かするのって、全部操作ですか」
「相談じゃないの?」
「独り言」
「なら答えない」
腹が立つ。しばらくして先生が本を棚へ戻しながら言った。
「操作じゃない行為を探すより、相手がどこで嫌がったか見る方が早いんじゃない」
「答えてる」
「本棚に言った」
私は結が嫌だった場所を考えた。調べたことではない。危険を見つけたことでもない。私に言わず、締切を過ぎさせたこと。選択肢の地形を変えたこと。
「善意なら許す、じゃない」
先生は何も言わない。自分で続ける。
「結果が良くても嫌なものは嫌」
「そういうこともある」
先生は最後の照明を消した。
「閉館」
寮へ戻ると、玄関の透明傘が一本減っていた。結が私を探しに出たらしい。すれ違った。私はそのまま部屋で待った。二十分後、ずぶ濡れの結が戻る。傘を持っているのに濡れている。左足が傘の外へずれていたからだ。お互い笑わなかった。でも私はタオルを投げた。
「本が濡れるから」
結は受け取った。それが、破綻の中で最初に戻った小さなものだった。
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接木統司から、結にも連絡が来ていた。後で知った。
《推薦枠は四名。境野さんを含め、班内から最大二名まで優先可能です。希望者が重複する場合、事前に調整すると選考負担が減ります。》
親切な文面。命令はない。結は返信している。
《境野は制度設計志望が高いと推定。南部資料館は記録研究寄り。黎明推薦を優先させた方が適合度は高い。》
接木。
《本人確認は?》
結。
《まだ。選択肢が多い状態では判断が散る。比較材料を整理してから。》
接木。
《了解。締切変更が入る可能性があります。共有通知を確認してください。》
その通知を、結は私の端末で開いた。読んだ。そして、言わなかった。
「接木さんに言われたから?」
私が聞く。結は首を振る。
「私が決めた」
「何を」
「綴が、黎明を選びやすい状態にした」
「それ、私が選んだ?」
「最後は」
「最後しか残ってない」
結の顔は平らだった。
「南部は交通費自己負担。担当者の評判も悪い。黎明は寮補助、実習評価加点、将来枠」
「だから?」
「合理的」
「私が非合理を選ぶ可能性は?」
「ある」
「だから消した?」
「消してない。締切を」
「言葉の問題じゃない」
初めて、結が黙った。私は続けた。
「私が選ぶ前に、結が結果の方を好きになった」
そこだけ、彼女の顔が変わった。ほんの少し。接木統司は、その夜、結へ一通だけ送った。
《優秀です。ただし、設計者が利用者を好きになりすぎると、退出経路を消しやすい。》
結はその文を削除しなかった。私には見せなかった。翌日、審査室で律が提出するまで。
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直接演算は五十七パーセント。人間関係が壊れる方が、その数字より計算しにくかった。南部市立資料館への追加受付は認められなかった。理由は単純。募集枠が埋まった。黎明の推薦を保留した。結とは必要事項しか話さなくなった。翌日、今度は学院から呼び出された。
《外部実習推薦に関する不適切な情報アクセスの疑い》。
私の端末で、結が通知を開いた件だった。共有設定が曖昧だったので、アクセス自体は違反か微妙。ただし推薦先の選択に影響した可能性がある。審査室に律がいた。
「何でいるの」
「参考人です」
嫌な予感。白石先生が言った。
「境野さんの意思決定に第三者が不当に介入したかを確認します」
私は答えた。
「介入はありました」
「不当でしたか」
止まる。怒っている。でも「不当」は別の言葉だ。結は私のために調べた。危険も本当だった。追加受付の道も残していた。やり方が嫌だった。
「境界を越えました」
「どの境界ですか」
それを説明するための言葉がなかった。律が手を挙げた。
「資料があります」
私は律を見る。
「何」
律は一冊のノートを出した。見覚えがある。律の私的観察記録。
「御影さん」
「境野さんが選択肢を提示された際、自分で比較検討する傾向について、過去の記録があります」
ページが開かれる。文化祭。交換実習。青区。私が何に不快を示し、何を自分で決めたがったか。雨の日の傘まであった。
《結からの傘。境野は返却条件を確認。所有関係の曖昧さに警戒するが最終的に使用。》
胸が冷えた。
「それ、出すの?」
律は私を見る。
「あなたの意思決定傾向を示します」
「私が見せていいって言った?」
「審査上、あなたを守るために必要です」
「誰が決めた」
律の顔が固まる。
「私です」
結と同じだった。方法が違うだけ。審査は私に有利に終わった。学院は、結の行為が「情報共有権限の範囲内だが、本人意思形成への影響を伴うため指導対象」と判断した。私には不利益なし。推薦保留も認められた。律の資料が効いた。廊下に出る。
「境野さん」
「今話したくない」
「でも」
「その『でも』も記録する?」
律が黙る。
「事実だったよ」
私は言った。
「全部。私が曖昧なの嫌いなのも、自分で決めたいのも。律の記録、正しかった」
「では」
「だから嫌なんだよ」
律は理解できない顔をした。その顔を見て、私はもっと腹が立った。
「正しければ使っていいわけじゃない」
「あなたを守るためでした」
「結も同じこと言った」
それで律は止まった。歩いた。後ろから追ってこなかった。そのことに少し安心して、少し傷ついた。律との会話は、その後もっと悪くなった。翌日、彼女は私に書面を渡した。
《私的記録使用に関する説明》。
六ページ。使用したページ番号。提出先。目的。予想した不利益。代替手段を採らなかった理由。
「これ何」
「説明責任です」
「私、今これ読みたいって言った?」
律が止まる。
「……いいえ」
「じゃあまた同じ」
彼女の顔から血の気が引いた。吸血鬼なのに。
「すみません」
言い訳なしだった。書面を受け取らなかった。
「捨てないで」
「では保管します」
「私が読みたいって言ったときに」
「はい」
翌朝、私は自分から言った。
「見せて」
律は六ページを出した。読んだ。内容は正しかった。律は私が不利益処分を受ける可能性を高く見ていた。事前に聞けば、私が拒否する可能性も高いと見ていた。だから無断で出した。
「わかってたんだ」
「はい」
「私が嫌がるって」
「はい」
「それでも」
「はい」
律は目を逸らさない。そのことだけは、少し救いだった。
「もう二度とするな、って言ったら?」
「従います」
考えた。もし本当に重大な時、律の記録が私を助けるかもしれない。それを知っている。禁止するのも違う。
「まだ決めない」
「わかりました」
「記録する?」
律は一秒迷う。
「しません」
「何で」
「今は、残さない方が正しい気がします」
証拠のない理由。また一つ増えた。
✦
律が出した資料の中に、接木と結のやり取りがあった。私が知らない文面。
「これ、どうやって」
「審査照会で開示されました」
「結の私信だよね」
「実習推薦に関係する業務連絡です」
「律」
「必要でした」
その言い方が腹立たしかった。正しいから。白石先生が言う。
「御影さん。この資料は、恩田さんに不利に働く可能性があります」
「理解しています」
「境野さんとの関係にも」
律の指が一度だけ止まる。
「理解しています」
「それでも出す」
「はい」
私は律を見る。
「私が嫌がっても?」
「あなたの意思決定が侵害されたかを判断する審査です。嫌がることを理由に証拠を除くと、審査が成立しません」
「じゃあ私が『出さないで』って言う意味ない?」
「あります」
「何に」
「私との関係に」
部屋が静かになった。律は続けた。
「審査結果には影響させられません」
結が、初めて律を見る。
「それでいい」
私が結を見る。
「よくない」
「でも、律が隠したら私はもっと嫌」
「今、私の嫌を勝手に」
「ごめん」
結が言った。早かった。言葉を失った。結が謝る時は、費用計算の後だと思っていた。今回は違った。




