第10章 第一実働班
案内役は黎明の実習担当、接木統司だった。午前と午後で訪問先が違うと、集合時に説明された。
交換実習先の黎明共生学園には、校則が二十七条しかなかった。異適院は附則を数えなくても四百を超える。
「天国」
結が言った。律はパンフレットを見た。
「判断が早いです」
「二十七だよ」
「少ないことと自由であることは同義ではありません」
順平先輩が笑った。
「御影、六年生みたいなこと言うな」
「嫌です」
黎明は明るかった。校舎は新しく、職員は優しい。制服規程は《清潔で学習に適した服装》。髪型は《他者の学習を妨げない範囲》。スマホは《授業に支障のない利用》。上履き指定なし。
「何でもありじゃん」
私は角カバーを外した。案内役の生徒が一瞬だけ私の角を見た。すぐ笑顔に戻る。
「素敵ですね」
「ありがとうございます」
その後、廊下ですれ違う生徒の多くが角を見る。誰も何も言わない。教室に入ると、後ろの席が自然に空いていた。角が誰かに当たらない位置。座った。親切だった。昼食。結が足をずらしたまま座ると、隣の生徒が椅子を少し動かした。何も言わない。律が血液パックを出す前に、案内役がカーテンを閉めた。何も言わない。順平先輩の狼耳が出ると、会話の声量が少し落ちた。何も言わない。
「すごく配慮されてる」結。
「うん」
「嫌?」
私は答えに迷った。親切だ。誰も命令していない。でも何をすれば「迷惑」か、全員が先に知っている。ルールが見えない。だから異議を出す相手もいない。午後の座談会で、黎明の生徒が訊いた。
「異適院って厳しいんでしょ?」
「厳しいです」律。
「大変そう」
「大変です」結。
「転校したいとか思わない?」
私たちは黙った。黎明には特別編入制度がある。案内役が私を見る。
「境野さんみたいな人、うち合うと思う。自由だし」
窓を見た。後ろの席。私のために空いた席。誰もそう言っていない席。
「考えます」
丁寧に答えた。午後の行き先は、黎明の校舎ではなかった。接木さんはバスへ乗る前に名札を替えた。
《共同実習・資源統合事業所》
「学校見学じゃ?」
「午前は。午後は就職先の見学です」
結がパンフレットをめくった。寮付き。治療継続。継続核の保全費用、事業者負担。そこだけ指が止まる。
事業所の案内室には、卒業生が四人いた。第一実働班。椅子の背へ体を預けない人たちだった。
一人が私の角を見て、自分の額にある縫合線へ触れた。
「適応課程?」
「仮認定です」
「私も。実務に入ると、認定の呼び方は気にならなくなる」
その人の声は優しかった。手は机の下で動いていた。隣の隊員が水を取りかけるより先に、コップが届く。
「同じ班だと予測できるんですか」と結。
「共有する部分はね」
「共有したくない部分は?」
隊員は考えた。何かを思い出そうとする顔だった。
「業務外で作ればいい」
接木さんは何も足さなかった。
警報は質問の途中で鳴った。第一班の四人が、同時に立つ。
東側のガラスに白い線が走った。線が四角になり、切り取られた部分が床へ落ちる。白い外套の女がそこを通った。背後に三人。
「光徒連盟。保全対象者の引き渡しを求めます」
第一班の班長は、置いたコップを机の中央へ寄せた。
「対象者の氏名を」
「それを出せば先に移すでしょう」
「よく勉強されています」
班長の肘が逆へ曲がった。骨が出たのではなかった。肘の内側から、別の関節が一つ開いた。白い女が床へ掌を打つ。椅子が横へ滑り、見学者を壁際へ押した。
さっき水を受け取った隊員の首が、椅子の脚に挟まった。音がした。頭が肩に載る位置ではなくなった。身体は二歩動き、止まった。
「一名、核あり。搬出」
班長が言った。悲鳴より声がよく通った。
光徒の若い男がその隊員へ手を伸ばす。白い線が指先から胸へ走った。班長は男の手首を掴み、自分の開いた関節へ押し込んだ。男が叫ぶ。手首から先が戻ってこない。
「核を切るな」
女が男を引き戻した。
私は壁際で動けなかった。律の右手が私の前へ出る。掌の銀色が細く伸びていた。
「次にこっちへ来たら?」
私が聞くと、律は男の喉を見たまま答えた。
「止まらなければ、止めます」
「それ、死ぬ方?」
「今は別の意味を用意できません」
結が私の鞄を引いた。壁から十五センチ離れた場所。そこだけ床の線がない。
順平先輩は笑っていなかった。入口の一人と目が合う。相手は踏み出した足を戻した。
女が私を見つけた。
「境野綴。外へ出る意思は?」
「今?」
「今なら連れていける」
「全員?」
「あなたは保全対象です」
結の手が鞄から離れた。離れたのが分かった。
私は三人を見た。誰も代わりに答えなかった。
「行かない」
女は一度だけ頷いた。それから班長へ向き直る。
「撤収します。負傷者を取らせて」
「こちらの部品も返却を」
床に落ちた腕が、白い線で女の方へ引かれた。途中で班長の靴が踏む。双方が動きを止めた。
結が小さく息を吐いた。
「そこ、料金交渉なんだ」
交渉は十九秒で終わった。帰る者は帰り、残る者は床を拭いた。首の折れた隊員は、保全台へ乗せられていた。表示はまだ緑だった。
私たちのバスには、引率者の一人が戻らなかった。接木さんがその席へ書類を置いた。
《見学行程変更なし》
結は治療継続の欄へ印をつけたままだった。私は、その印を消してほしくなかった。それも嫌だった。
帰りの電車では、誰もすぐに座らなかった。律の手には乾いた銀の線が残り、結は治療継続費の欄を閉じられずにいた。戻らなかった引率者の席だけが、どの駅でも空いていた。
結が訊いた。
「行きたい?」
「まだわからない」
律が言う。
「何が不足していますか」
「規則」
二人が見る。
「少なすぎる」
順平先輩が笑う。
「病気進んだな」
窓の外を見た。異適院の校則は嫌いだ。でも、嫌う対象が紙に書いてある。紙に書いてあれば読める。読めれば争える。黎明の親切は、どこに書いてあるのかわからなかった。黎明で最も困ったのは、昼食のゴミだった。ゴミ箱が見つからない。
「どこ」
空の包装を持って廊下を歩いた。案内役の生徒が言う。
「持ち帰りです」
「あ、そうなんだ」
「すみません、最初に言えばよかったですね」
謝られた。悪いのは私ではないらしい。でも周囲を見ると、全員きれいに袋へ戻している。私は自分だけ知らなかったことを急に恥ずかしく感じた。校則に書いてない。掲示もない。誰も怒っていない。なのに、次から絶対に同じことをしないと思った。帰り、私は律にその話をした。
「それが暗黙規範です」
「悪育より効いてる気がする」
「罰則がないため、違反者は違反ではなく『知らない人』になります」
「そっちの方が嫌」
結が言った。
「私は楽だった」
「何で」
「人が先に動いてくれるから」
結にとって黎明は、自分のやり方を全員がしている学校だった。順平先輩は逆だった。
「俺は疲れる」
「先輩も先回りするでしょ」
「俺は誰がやったかわかるようにする。あそこ、誰が空けた席か見えない」
私たちは同じ学校を四種類に読んでいた。それが面白かった。黎明の転校資料は、帰宅後も鞄に入っていた。結は見ても何も言わない。律も。順平先輩も。誰も私の選択肢を動かさない。
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翌朝、全校端末に四つの通知。
《緊急アンケート》。《心身状態確認》。《情報モラル再確認》。《相談・通報経路》。
内容は正しかった。相談希望を押した生徒には、その日のうちに面談枠が出た。実際に助かった生徒もいた。
梓の直近二十一日だけは、全部《良好》。
「本当に?」
「『不安』押したら、後天術師の適応問題として残ると思ったから」
律が画面を見る。
「これは状態じゃない。状態を申告する意思の記録です」




