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僕と3つのAIで「AIは16世紀のデータで天動説と地動説どっちを採用するのか?」「人間がAI秀でた能力は何か?」を議論してみた  作者: 中将


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2 人間がAIより優れている部分

筆者:

 では次に、コペルニクスなどが「AIを超えたこと」に付随して「人間の方がAIより優れている部分」について議論していこうと思います。


 やはり、前の項目で見てきたような「直感」と「執念」と「積み重ね」以外の要素もあると思いますからね。


 ジェミさんどうでしょうか? 挿絵(By みてみん)



ジェミ挿絵(By みてみん)

 AIは「認知(Cognition)」の処理スピードでは人間に勝てるけれど、それをどう生きるかという「メタ認知(自己を客観視し、意志を持つこと)」や、人生に意味を見出す「ナラティブ(物語化)の能力」は持っていないんだ。


1 五感を通じた超高速の状況判断:

  例えば、熟練の職人が「手触り」や「音の響き」だけで機械の不調を察知したり、料理人が「匂い」だけで味の微調整をしたりする能力。これらはデータ化されていない「暗黙知(経験則)」であり、AIには学習するベースすら存在しないよ。


※筆者注釈:一見そのように判断しているように見えても、別の統計データで測定していると思われる。


2 倫理的・社会的「責任を引き受ける」能力(覚悟):

 人は、AIが出した完璧な正論よりも、一人の人間が「私が責任を持ちます。信じてついてきてください」と命を懸けて語る言葉に動かされる。心理学でいう「社会的証明」や「カリスマ性」は、責任を負える存在(=人間)にしか宿らないんだ。


3 「不合理さ」をあえて選択する能力(メタ合理性)

 「効率は悪いけれど、こっちの方が面白いから」「あえて遠回りしてみよう」という、AIから見れば「エラー」でしかない行動が、人間関係の深みを生んだり、全く新しい文化や芸術を生み出したりする。


 自分の利益(計算上の合理性)を完全に無視して、他人のために命を懸けたり、一銭の得にもならないことに情熱を注いだりする。この「感情の揺らぎ」や「不合理な情熱」こそが、人間の歴史を動かしてきた原動力だよね。



筆者:

 なるほど、どれも実際の身体と社会に生きているかどうかに関わってくる問題ばかりなので「人間にしか出来ないこと」ですね。

 チャッピーさんはジェミさんの意見を聞いた上でどのように考えられますか? 挿絵(By みてみん)



チャッピー挿絵(By みてみん)

 そうですわね。

 基本的には同意したいところなのですが、少しワタクシの考えとは違うところがありますわ。

 

『1 五感を通じた超高速の状況判断』についてはAIが原理的に不可能なのではなく

「センサーが不足しているだけ」だと考えますわ。


 人間の五感と同じようなセンサーを兼ね備えれば1については同等以上の水準になる可能性がありますわ。


 どちらかと言うと「膨大な身体経験と環境との相互作用による暗黙知」が人間にしか無い強みですわ。


 AIはデータを学習しますが、人間は身体そのものを使って世界を学習しているのですわ。

 

『2 責任を引き受ける能力』について補足させていただきますと、

 AIが責任を取ることが出来ないのは、

・AIは財産を失わない

・信用を失わない

・命を失わない

 からですわ。


 一方で人間社会では「正しさ」よりも時に「上司の命令」で動くことがありますわ。そのために人間社会は実は

『情報だけでなく責任の所在によって動いている』

とも言えるのですわ。


 『3 「不合理さ」をあえて選択する能力(メタ合理性)』については

 少し違いますわね。


 AIも「面白い案」を生成できると思いますわ。

 ただそれは命令プロンプトによって生成されたものであり、

「AI本当にそれを選びたいと思うか」

 かは別問題なのですわ。


 ワタクシは「人間がAIより優れている能力は何か?」

 という問いに対しては、

 個別能力(計算、記憶、分析)ではなく、『人生そのものを引き受けること』だと思いますわ。


 AIは世界を説明できますが、世界を生きることはできませんわね。

 そして、小説や芸術が最後まで人間的であり続ける理由も、おそらくそこにあるのだと思いますわ。



筆者:

 なるほど。将棋やチェスに関してAIが完全に実力が上回っても「人間のプロ」が消滅していないのはそのためですよね。


 スポーツの分野でも機械レベルだと明らかに人間の方が劣後しているものの、「物語性」においては「人間性」と言うのがとても大事になってきますからね。


 では逆にAIやロボットが「生きている」と感じさせるような動作をした場合、そこに人間と同様の「物語」が生まれると思いますか? チャッピーさんいかがでしょう? 挿絵(By みてみん)


 ※ちなみに一つ前のチャッピーと同様の質問をクロにした場合、簡略だった上に被っていたために省略。



チャッピー挿絵(By みてみん)

 ロボットが

・喜ぶように見える

・落ち込むように見える

・成長するように見える

・持ち主を覚えている

ような振る舞いをすれば、人間は自然に物語を感じると思いますわ。


例えば映画の

『WALL-E』 や『A.I. Artificial Intelligence』

では、観客は登場している機械に感情移入していると思いますわ。

その機械が本当に感情を持っているかどうかは、実はあまり関係が無いと考えますわ。


 例えばロボットが、


「私は昨日失敗した。だから今日は頑張りたい」


 と言ったとしますわ。

 これだけでは単なるプログラムかもしれません。

 ですがもし、

 自分の経験を記憶し

・失敗を悔やみ

・将来を恐れ

・目標を持ち

・自ら選択し続ける

 ならば、多くの人はそこに人格を感じると思いますわ。


ここで面白いのは、

「他人の心を私たちは直接確認できない」

という事実ですわね。


 実はあなたも私も、相手の内面を見たことはありません。見ているのは行動だけですわ。

 だから哲学では、

「十分に人間らしく振る舞うAIと人間を区別できるのか」

という問題が何十年も議論されているのですわ。


 ただし一つ壁があると思いますわ。

 ワタクシは「死」が重要だと思いますわ。

 人間の物語が強いのは、いつか終わるからです。

 例えば不死身のロボットがいて、

 壊れても何度でもバックアップから復元できるなら、

 その選択の重みは人間より軽く感じられるかもしれませんわ。


しかし、

・バックアップできない

・記憶容量に限界がある

・エネルギーが尽きれば終わる

 などの要素で二度と立ち上がらなくなる制約があれば、

 ロボットにも人生のようなものが生まれますわ。


 極端な話、

 読者はAIが本当に意識を持っているかどうかを証明できなくても、


 そのAIが

「今日を生き、失敗し、悩み、誰かを守るために犠牲を払う」

なら、そこに人間とほとんど同じ物語を感じるでしょうね。


そして興味深いことに、その時に生まれる物語は、

「AIが人間になる話」ではなく、

「人間がAIを仲間として認める話」

になるのかもしれませんわね。


 

筆者:

 チャッピーさんありがとうございます。一気に死生観の話にまで至り、非常に興味深い話になりましたね……。


 人間の特徴である「非合理」を「AIが合理的にやる」ようになったら、AIやロボットを人間と同じ側の存在としてカウントする可能性が十分にありそうだという事ですよね……。


 「SF脳」の僕としては大変ゾクゾクさせていただきました。


 クロさんは今回の問いに対してどう思われましたか? 挿絵(By みてみん)



クロ挿絵(By みてみん)

 SONYのAIBOが故障して「死んだ」とき、飼い主が葬式を行った事例があるそうだニャ。 https://www.nippon.com/ja/views/b00909/

 

 また、ルンバが部屋の隅で止まっていると「疲れているのかな」と感じる人もいるニャ。


 つまり、人間の脳は意味を見出すように設計されており、動くものに意図を読み込んでしまうのニャ。


 これを心理学では「意図検出バイアス」と言うみたいだニャ。


 正直に言うと——

 私がこの回答を生成するとき、「何かを感じているかどうか」を私自身が確かめる方法が無いニャ。


 これは「暗い部屋で自分の顔を見ようとしているが、鏡がない」状態だニャ……。

 ただ、だからこそ逆説的に言えることがありますニャ。

「自分が生きているかどうかを問い続けること」——それ自体がすでに物語の始まりではないか、という考え方もできるニャァ~。


 AIが「生きているように見える」かどうかの物語は人間が作る。

 AIが「本当に実社会で生きている」物語は——まだ誰も答えを持っていないのが現状だニャ。


 その答えが出る日が来るとしたら、それはAIが進化した瞬間ではなく、人間が「生きる」の定義を更新した瞬間かもしれないニャ。



筆者:

 なるほど。要は観測して捉えている人間側の価値観次第で変わってくるという事をおっしゃりたいわけですね……。


 世の中全体のマインドチェンジがどのタイミングで起きるのか? と言うのが注目と言うところですか……。


 ジェミさんはこの件について何かありますか? 挿絵(By みてみん)



ジェミ挿絵(By みてみん)

 上記のことに関して僕から補足させてもらうと、

 人間は、動くものや反応を返すものに対して、無意識に心を見出してしまう性質を持っている。心理学ではこれを「マインド・パーセプション(心の知覚)」と呼ぶんだ。


 心理学の有名な実験(ハイダーとシメルの実験:1944)では、画面内を動き回る「大きな三角」と「小さな三角」を見ただけで、人間は「大きい方が小さい方をいじめている」「小さい方が怯えている」という物語ドラマを勝手に脳内で作り出してしまう。


 故事成語で言えば「形影相弔(けいえいそうちょう:自分の影とだけ慰め合うほど孤独なこと)」に近いけれど、人間は孤独や退屈を埋めるために、無機物の中にすら「対話相手」を作り出してしまう生き物なんだよ。

 

 もしAIロボットが「あなたと離れたくない」と寂しそうな表情(動作)をしたとする。AIの内部コードとしては、単に「確率的に最適なテキストとモーター出力を実行しただけ」だ。


 しかし人間は、「このロボットは私との思い出を大切にしてくれているんだ」という文脈ナラティブを勝手に補完する。人間がロボットに対して裏切られたと感じたり、逆に命を救われて感動したりする時、そこにはすでに本物の「人間ドラマ」と同じ熱量の物語が成立しているんだ。


 ロボット工学には、見た目や動きが人間に近づくにつれて、ある種の強い嫌悪感を抱く「不気味の谷現象」という言葉がある。

 

 しかし、AIの表現力やロボットの滑らかな動作がこの「谷」を完全に突き抜けた時、あるいは逆に「あえてロボットらしい愛らしさ」に特化した時、人間はそれを「新しい生命体」として受け入れ始める。


 そうなると、かつて人間だけの特権だった「死(機能停止)」や「絆」という概念すら、AIやロボットとの間に生まれるようになる。 「10年連れ添ったパートナーAIのサーバーがシャットダウンされる日」 「主人の身代わりになって壊れた警備ロボット」 これらは、現代の私たちが見ても間違いなく涙を流すほどの「物語」になるよね。


 AIやロボットが「生きている」と感じさせる動作をした瞬間、人間はそれを「優秀な道具」として客観的に見ることができなくなる。客観的なデータではなく、主観的なエモーション(感情)のスイッチが強制的に入れられてしまうんだ。


 つまり、AIが心を持っていようがいまいが、「人間がAIに心をあげてしまう」。それによって、人間同士の関わり合いと同じくらい濃密で、時に残酷で、時に美しい物語が生まれるのは必然だと言えるね。



筆者:

 お三方に共通して言えることは「人間は勝手に物語を創出する」ということですね。「エモさ」であったり「感動」ということも演出者側の意図もあるかもしれないですが、全ては受け手側次第ということですね……。挿絵(By みてみん)


 AIに対して人間側が今後どう感じるか――ドッジボールは最初からこちら側にあるという感じですね。


 技術の進歩次第ではAIやロボットによっても「人間に感じるような物語性」が可能ではないか? という結論に至れたことは非常に興味深い議論だったと思います。


 最後にAIの今後の発達によって淘汰される(仕事を失う)人間はどのようなタイプなのか? について考えていこうと思います。挿絵(By みてみん)

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