第四夜:永遠に溶ける夜
茫然と立ち尽くすオルフィリア。
ここは庭園の中に幾つかあるガゼボのひとつ。目の前には首筋を血で汚した女性が倒れていた。
先ほどのロワールの姿が脳裏に蘇る。
───違う。
違うと思いたい。
だが、答えは一つしか浮かばなかった。
オルフィリアは震える唇を押さえた。
「ま…、まさか…。違う、わよね?あんなの、伝説でしか…。」
オルフィリアは震える足で歩を進め、勇気を振り絞って女性の肩に手を当てて、声を掛ける。
「あの、…大丈夫ですか?」
すると女性が目を覚まし、ゆっくりと顔を上げた。
「あ…、わたし…?」
オルフィリアは彼女を見て愕然とした。ロワールと噂があった女性のひとりだったからだ。
〝ロワールさま…?これは一体どういうことですか…。〟
オルフィリアは喉元がギュッツと締め付けられそうな感覚に襲われたが、耐えて、目の前の彼女を心配して声を掛けた。
「ここで倒れていたんです、大丈夫ですか?」
女性はオルフィリアの存在に気付いて
「あ…。あら、嫌だわ。もしかして見てしまった?」
女性はオルフィリアの〝大丈夫か〟という問いに答えず、違うことを気にしているようだ。
「見た…とは…。」
オルフィリアは震える声をどうにか保ちながら彼女に聞いた。
「あ…、何もないわ。」
そう言って女性は立ち上がろうとしたが、〝クラッツ〟と立ち眩みを起こした。
瞬間、オルフィリアの方に倒れてきたので、
「あまり大丈夫そうではないですね。馬車まで付き添います。」
そう言って彼女の肩を支え、彼女も申し訳なさそうにして頷いた。
〝これって…、やっぱり彼は…!!!〟
オルフィリアの中でどんどん彼の正体が一つしか浮かばなくなっていた。身体が恐怖で震える。
〝夫人は彼の被害者…!〟
ヤキモチの対象の彼女に同情しつつ、
〝まさか…彼が私に近付いたのは.…。〟
そういう気持ちが込み上げてくる。さっきまでの嫉妬による哀しみでは、もうそこにはなかった。彼に対する疑惑────。
オルフィリアが彼女に近付いたとき、〝ふわり〟と表現が難しい香りがした。
〝そう言えば、ロワールさまも、この香りがしていた…。〟
オルフィリアは唇をギュッと噛みしめ、自分が騙されていたんだと思った。
〝あんなに優しい瞳で私を見つめていたのは一体なんだったの…?彼にとって私って…。〟
再び喉元に何かが込み上げて苦しくなる…。オルフィリアはそれを彼女に気付かれないように我慢した。
暫く歩いていると、女性は急に話だした。
「あなた、きっと見て…いるわね。」
オルフィリアは静かに首を横に振ったが
「いいの。だけど私と彼はそんな仲じゃないのよ。噂にはなっているけど、彼には夜会のためのレッスンをしていた繋がりで、相談を受けていたのよ。」
「────相談…。」
〝────やっぱり彼と…。〟
オルフィリアは彼を信じたい気持ちと騙されていたという気持ちが入り混じってとても複雑だった。
女性は頷いて
「彼ね、この夜会の間にとても大切な人が出来たんですって。だからどうしたら彼女が喜ぶだろうかって言っててね…。」
そう言って女性はオルフィリアの顔を覗き込んだ。
「────え?」
「たぶん。あなたのことね。」
オルフィリアは顔が真っ赤になったて俯いた。
〝わたしったら…。ロワールさまを疑ってしまうだなんて…。〟
「だけど、話をしていた途中で何故か眠ってしまっていたのよね。不思議だわ。」
そう言って女性は無意識に血で汚れている首筋を触った。
そして半乾きになった血が手に付いた感触に驚いて自分の手を見つめた。
「────え?どうして血が?」
女性は驚いていたが、オルフィリアはもっと凄い状況を見てしまったから落ち着いていた。
「さあ…。わたしが来たときには既に…。」
「じゃあ、彼は大丈夫だったのかしら…。」
彼女はロワールのことを心配していた。そんな彼女にオルフィリアはただ見ているしか出来なかった。
「ユーリス公爵夫人…。」
「あなた、彼とすれ違ったりしなかった?」
────────ドキッツ!
オルフィリアはすれ違うどころか、まともに彼と顔を合わせていた。
(オルフィリアを見つめるロワールはただただ戸惑っていた。「君には見られたくなかった」ただそう言っていた。そしてそのまま姿が消えてしまったのだ────それをどう説明しろと?)
「……………。いいえ、会いませんでしたわ。」
オルフィリアは夫人にそう答えることが精一杯だった。
「……………そう、彼も無事だといいのだけど……………。きっといらない誤解に繋がりかねないから姿を消したのね。」
そういう夫人に対してオルフィリアは違うと思った。
月明かりが無慈悲にオルフィリアの表情を照らし出す。
〝お願いです。ロワールさま…。何が合っても受け止めますから、私に話してください……………。〟
***
夫人を馬車に送り届けたとき、オルフィリアは父に見つかり、そのまま馬車に乗せられた。
「まったく!お前ときたら、肝心の物を探さないで何をやっていたのだ!?」
父はひたすら馬車の中で説教をしたが、オルフィリアはずっと彼のことを考えていた。
しょぼくれる娘を見て、言い過ぎたかと心配する父。
────ポタッ……………。
オルフィリアの握った手の甲に涙が零れ落ちた。
父は慌てて
「すまない、そんなに私の言葉がきつかったのか?」
と言ったが、オルフィリアは顔を覆って泣き出してしまった。
流石の父もこれはまた別物だと察し、
「そんなにつらいのなら、明日の夜会は取りやめてもいいのだぞ?」
そう言った。オルフィリアは泣いていたが、その言葉を聞いて〝ピタリ〟と止まった。
「…………………………。」
確か今回の夜会は明日で終わりのはず……………。そうすると公爵家と伯爵家だと格が違いすぎるので、中々会う機会はなくなってしまう。
「……………だめです、」
小さな声だったが、オルフィリアはもう一度彼に会う必要があると思って父に向かって言った。
「お願い、お父様!私は大丈夫ですから、明日、もう一度……………。」
あまりにもオルフィリアが懇願してくるものだから、父は
「わかった、わかった。だからもう泣き止みなさい。」
そう言うしかなかった。
***
伯爵家に着き、オルフィリアは部屋に向かうと侍女のマリーが待っていた。
「マリー?まだ起きて待っててくれたの?」
「はい、お嬢様、お帰りなさいませ。お疲れでしょう?湯を用意しておりますのでどうぞお使い下さい。」
そう言って微笑んだ。
「ありがとう、マリー。」
湯室には湯舟に薔薇の花びらを浮かべてくれていた。マリーの心遣いだ。
オルフィリアはゆっくりとマリーが用意してくれた湯舟に浸かった。そしてロワールとの最後の別れを思い出していた。
〝ロワールさまは「わたしには見られたくなかった」と言っていた。夫人の首元の血の汚れ、ロワール様の口元の血の汚れ……………。これはどう考えても一つしか答えが思い浮かばない…。〟
〝もし彼が本当に吸血鬼だったら?…私もあの女性たちと同じになるの?それでも私は彼に会いたいの?…この気持ちも、もしかしたら作りものなの?〟
彼に対する疑念と恐怖が溢れ出て来る…。だが、同時にオルフィリアはどうしても彼のあのときの今にも泣きそうな顔が頭から離れなかった────
オルフィリアは湯舟の中に顔を沈めた…。
プクプクプク…。
「────ぷはっつ、」
〝そうだわ、問題は彼が何者なのかじゃないわ。私が彼をどう思っているのか、よ。例え作りものでもいい…。〟
オルフィリアはもう泣くことはなかった。色んな思いよりも、あのときのロワールの泣きそうな顔の方がずっと頭から離れなかったのだ。
オルフィリアは湯から上がり、夜着に着替え、自分の部屋でくつろいでいた。
〝────明日。明日、彼に会ったら言おう。私の気持ちを…。〟
そのとき、ふと月が気になった。銀色に輝く綺麗な月だった。
〝今夜は曇りであればよかったのに…。そしたらきっと私は何も見ていなかったのかも…。〟
そう思ってオルフィリアが自分の部屋のバルコニーの扉を開けた。
「──────ヒッツ!」
月光を背に
そこに立っていたのはロワールだった。
「ロワール…さま…。」
オルフィリアはロワールの顔を見て少し安心したようだった。だが、ロワールの方は、何も言わずにじっとオルフィリアを見ている。
「……………。」
「ロワールさま?」
オルフィリアがもう一度声をかけるとようやくロワールが口を開いた。
「あぁ…。あなたに会いに来たのに…。黙っていては何も進まないな。」
少しだけ微笑む彼の顔を見てオルフィリアは〝彼はどれだけの覚悟でここにきたんだろう〟と思った。
「さあ、ここでは目立ちます。中へどうぞ。」
オルフィリアが部屋の扉を大きく開けた。
「だが…。」
人間社会の貴族のルールを把握しているロワールはこの夜中に女性の部屋に入ることの意味を知っている。彼女の名誉に関わることだと思って、戸惑った。だが、オルフィリアは
「そこで話をする方が入らぬ噂に繋がりますわ。」
そう言って微笑んだ。
オルフィリアに通された部屋は彼女らしく、あまりゴテゴテと飾り立てされていなかった。
「あなたらしい部屋だ。」
ロワールは思わず口にしていた。
「そうですの?それは誉めてらっしゃるのかしら?」
「ええ、飾らなくてもあなたの素晴らしさは溢れているから…。」
ロワールのきざな言葉にオルフィリはちょっと恥ずかしくなった。
応接セットに二人は着席し、オルフィリアがお茶を用意しようとしたが、ロワールは断った。
オルフィリアに向き合ってから彼は深呼吸をしてから、淡々と話しを始めた。
「君には、君にだけは見られたくなかった…んだ。」
「ええ、さっきもそうおっしゃいました。言って下さい、どんな言葉であっても受け止めます。」
オルフィリアの瞳は覚悟をしていた。
ロワールは彼女の髪に触れようと手を伸ばしたが、辞めた。
「もう、察していると思うが、わたしは〝吸血鬼〟だ。」
「……………。そのようですわね。」
「ふっ、やっぱり気付いていたんだな。」
ロワールはまた元気のない顔になる。
「ええ、あのあとユーリス公爵夫人に会いました。」
「────────!」
ロワールの顔が険しくなる。だが、すぐに
「そうか…。」
一言だけいって俯く。
「俺が…、怖くないのか…。」
俯いたままロワールはオルフィリアに尋ねる。よく見ると彼の組んだ手は小刻みに震えている。きっとオルフィリアから返ってくる言葉が怖いのだろう。
「驚きはしました。ですが、怖いなんて思いません。」
その言葉にロワールは〝パッツ〟と顔を上げてオルフィリアを見た。すると彼女はまっすぐに自分を見つめていた。
「…………………………。」
ロワールの口元が小刻みに震えている。今にも泣き出してしまいそうだ。
「きみに触れたい……………。」
「こんなに近くにいるのに……………。」
「あぁ。だけどきみに触れてしまうと俺は自分が抑えきれなくなりそうで怖いんだ…。」
「それは私の血を欲してしまうということですか?」
オルフィリアはそう発言してからゴクリと生唾を呑む。怖くないはずがない。だが、ちゃんと向き合おうとしているのが彼女から伝わってきた。
「……………。ああ。それもある。」
「それも?」
「俺は元々は人間だった。だが、ある日、どこからか吸血鬼が俺の父に憑依していて、ソイツが今、俺に憑いている。俺はずっと人間であり続けようとしてきたが、この身体がどうしても血を求めてしまうんだ…。それと同時に俺は普通の〝男〟でもあるんだ。」
そう語るロワールの瞳は一切揺らぎがなかった。きっと彼の本心なのだろう。オルフィリアは彼の瞳を見て、彼の身体の震えを感じて、彼の言葉は本心なのだと思った。
「ロワールさま…。わたし、わたしは…。もう、遅いのです。」
「────────!」
オルフィリアの瞳には涙が溜まっていた。
「もう、こんなにもあなたに惹かれている…。今更他のひとを探せとか…、言わないで…。」




