第一夜:紅の微笑
あの日、俺はハルヒルデ公爵家の嫡男であるロワールとして暮らしていた。
まだ人間としての心を保ちながら、戻る手段はないのか、模索していた頃の話だ。
あの頃の俺は銀髪だった。
人々の記憶を操るためにヴァンパイア特有の能力を使ったために、暫く寝込んでしまったのだが、新鮮な血を求めて夜会とやらに参加することにしたんだ。
華やかな会場は以前の俺を思い出させ、ヴァンパイアと化した今の俺を忘れることが出来る。
好みの女性を誘っては、庭園のガゼボに招き、そっと生き血を頂いた。最初は調節が難しくて大勢の記憶の操作に能力を使い過ぎて寝込むことが多かったが、段々と調節が出来たので少しだけで済むようになった。
あの夜、彼女に出会うまで────
俺はいつものように会場へと足を運んだ。
今日の獲物は…。
会場内を見回す。どの女も表面上は取り繕っているが、中々腹黒い感情を持っているな…。こういう奴らは扱いやすくていい。
そのとき────
まわりの音が消えた────
視線の先には、唯一思考が読めない女がいた。
〝な……んだ…?あの女は……?〟
そのとき、彼女がこちらを振り向いた。
俺の胸が大きく高鳴った
────ドクン!!!
この衝動はなんだ!?
ドクン、ドクン…
今までの血を渇望するものとは違う!
ドクン、ドクン…
俺は初めての感覚に戸惑った。少し、足元もふらつくようだ。
ドクン、ドクン…
だが、彼女は俺と視線が合ってからはずっとこちらを見ている。
ドクン、ドクン…
俺の足が一歩、
また一歩と
彼女の方へと歩みを進めていく。
ドクン、ドクン、ドクン…
なんだ!?この衝動は…!!
喉の渇き、身体の疼き、俺はこんな感覚を知らない!
ドクン、ドクン…
思わず向かったのは彼女のところだった。
彼女は大勢の男性に囲まれていて、ダンスの申し込みを受けているようだった。
────────ドクン!!
俺はそれを見て苛立ちを覚えた。
ドクン、ドクン…
彼女に歩みを進めるたび、まわりの男たちが俺のために道を開ける。
ドクン、ドクン…
そして彼女の前に辿りついたとき、俺は彼女に跪き、
「わたしと踊って頂けませんか?」
彼女に手を差し出してそう申し出ていた。
ドクン、ドクン、ドクン…
彼女は目を大きく見開いて、二度瞬きをしてから少し俯きないて
〝コクン〟と頷き、俺が差し伸べていた手を取った。
俺はその手をそっと掴み、彼女を自分の胸に〝グイッ〟と引き寄せた。
一瞬のことで驚く彼女は頬を赤らめて俺を見る。
ドクン、ドクン…
俺の本能が言っている。
この女性を逃がしてはいけない────と。
※※※
クルクルクルと音楽に合わせて俺たちは踊る。初めてダンスをするのに、どうしてこうも息がピッタリなのか。普通の、人間の男性としてのダンスを今、自分は楽しんでいるのだとロワールは感じていた。
〝このまま…。ずっとこのままであれば、どんなにいいか…。だが、喉の奥から込み上げてくる、この疼き…!〟
絡み合う視線が胸の高鳴りを抑えきれなくなる。本能的に欲する衝動…。
〝どうやっていつもあのガゼボへ導いていたのだろうか……。〟
俺はいつも簡単に女たちをガゼボへと導いでその血を頂いてきたはずなのに、何故かそれが出来ないでいる…。何故だ……!?
そんな焦る俺の顔を見てなのか、彼女がそっと微笑んだ。
瞬間、俺は頭が真っ白になり、
「すみません、実はわたし、今日は初めてのダンスになるのです。」
思わず恥を忍んで彼女に告げていた。すると彼女は口角を上げてにっこりと笑い、
「あら。私もですわ。」
そう言ってきたのだ。
〝────!なんと!今までの女なら、「大丈夫でしてよ。どうぞ、私に合わせてくださいな。」を言って立場を上にしようとしてきたのに…。やはりこの女、ただ物ではない!〟
ロアールは益々目の前にいる、彼女に興味を示した。
「今まで、どちらに…。」
「えっ?」
「いえ、私は今まで病気でよく寝込んでいたもので、こういう場は苦手ではあるのですが、あなたとは今夜初めて会うので…。」
俺は丁寧な口調で彼女に告げた。
彼女は目の前の男が自分に興味を示したのを感じてなのか、少しだけ頬を染めて
「……………、その、私も実はこういう場が苦手なんです…。」
そう答えた。俺はとっさなに繋いでいた手をギュッツと握ってしまった。その拍子に彼女は俺の顔を見た。
「あ、すみません。その、答えがあまりにも私と同じでしたので…。」
そう俺が言うと彼女の表情が少し和らいだ。
────────ドクン!
俺の胸が再び高鳴る!
「あのっ、二人で少し抜けませんか?あちらでゆっくりとお話でも…。」
俺は咄嗟に言葉にしていた。
この様子だときっと彼女は俺と共に外に出るだろう。そう思ったのだ。
だが
「いえ…。すみません。私、今夜はもう帰らなくては…。」
そう言って彼女は繋いでいた手を〝ふわっ〟と離した。
「────────!?」
俺は今まで断られたことがなくてとても衝撃的だった。咄嗟に手を伸ばしたが、どんどん彼女はダンスをしている他の者たちの間を抜けて部屋の隅へと消えて行った…。
────ドクン!!
〝────こんなの、初めてだ。〟
ロワールの胸の中に衝撃が走った。
今まで数多くの女性たちをガゼボへと誘導して、その血をすすってきた彼にとって初めての経験だった。
****
ロワールの魔の手から抜け出した女性はソラテス伯爵令嬢のオルフィリアだ。
退出していく最中も、彼女は胸の鼓動を押さえることで必死だった。
〝あんなに素敵な男性から誘われるだなんて、初めてだわ…。私、どうしちゃったのかしら…。どうして、こんなにも胸がドキドキして止まらないのかしら…。息が苦しくて立っていられないわ…。〟
オルフィリアは今夜、彼女の家族に無理やりこの夜会に連れてこられていたのだ。
彼女の周りでは恋の話が沢山あるというのに、彼女は全く興味を持たない。そんな彼女を心配して、家族が色んな夜会に連れまわしているといったところだ。
「どうせ今夜も退屈な夜会になりそう」そう思っての参加だったはずが、思ったこととは真逆の現象が起きてしまって、どうしたらいいのかわからなかった。
〝そうよ、あんなに素敵な男性だもの。きっと遊びの相手として私を誘ったんだわ…。〟
オルフィリアは急に立ち止まって、シュンとした。
「どうした?オルフィリア。」
父が気にして声を掛けた。
「いえ、何でもありません…。」
「そうか。お前今夜は大役だったな。よくやったぞ。」
「……………?どういうことですの?」
オルフィリアは父の言った言葉の意味がわからなかった。
「なに、お前が今日、唯一ダンスをした相手はこの邸の主、ハルヒルデ公爵家の嫡男であるロワール殿だよ。」
「……………あの方がロワールさま…。」
オルフィリアの瞳が揺れた。
「ああ、彼のあの様子ではお前のことを気に入ったようだな。」
「……………まさか。あのお方はご病気で長く休まれておられたようですが、女性との噂話は耐えませんもの…。きっと今度は私に狙いを定めただけですわ。」
オルフィリアは自分で言葉にして勝手に傷ついていた。父と向かい合って話をしているが、彼女の手の先は、心の揺れを露わすかのようにドレスを掴んでいた。
「そう焦るでない。また明日も夜会はある。必ず参加するのだぞ。」
「……………ですが…。」
そう言いかけたところでオルフィリアは言葉を飲み込んでしまった。反論したところで家門の長だ。逆らえるはずがない。
「……………わかりました。」
オルフィリアがそう答えたことでご機嫌な父。
二人を乗せた馬車はソラテス伯爵家へと向かて行った。月もない暗い夜だった。




