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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第一章

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第八話 祈り


 ドグマ・エイワズが別れ際に語った言葉を男は思い出していた。それは、亡者の行く末についてだ。

 

 全ての事柄は、すべからく対を成し調和する。

 しかし正義の旗とは、それを許さない。故に正義に対する言葉は曖昧だ。だからこそ何処までも正義であり、落とされた影の全ては諸悪であると断罪する。それが成すことの全てが悪であり正義の剣で裁かなければならないと。罰せなければならないと。そう云うのだ。

 

 そうやって正義の罰を受けるため罪を背負わされた魂は、奈落に惹かれ堕ちてくる。

 それが赦しを求める旅路となるか、別の正義を見出す旅路となるかは、その魂が抱えた矜持による。ともあれ、赦しを求める魂は奈落で次の生を祈り、別の正義を見出したものは聖魔となり奈落を昇ることを望む。


 反逆の狼煙を上げるためだ。


 ※ ※ ※


「来たよ、オジサン!」ノルンの声へ我に返った男は、破られた扉へパッと顔を向けると「うわ」と小さく唸った。

 扉を破り、身廊へ滑り込んで来たのは悍ましい怪物だった。

 白銀の髪を振り乱す女の上半身、猛り狂う白銀の大蛇の下半身。豊かな双丘を隠す服はなく、両手の血塗られた長剣は道を切り拓くため、右に、左に、乱暴に振るわれた。

 ()()は、聞き取れない譫言(うわごと)を叫びながら、身廊の半ほどまで来ると、男とノルンと間合いを図るように動きを止めた。

 フシューと息を吐き何度か体を艶かしく捩ると、長剣を突き出した。「私の赤ちゃんは何処? 何処にやったの?」


「ちょっと、どこ見てるの? ああいうのが趣味なの?」怪異に気を取られた男へ眉を顰めたノルンは、軽蔑するよう吐き捨てた。その間も、呼び出した魔法音素(ルーン)を従わせ怪異との間合いをジリジリと図っている。

 

「え? あ、いや。違う、違うよ!」ノルンの軽蔑の声に、男はギョッとするとノルンと怪異へ交互に視線を送った。私の赤ちゃん。その言葉に動揺したのだ。怪異はまさか、ノルンの母親——その馴れの果てではないのか。


「上ばっかり見てると、呪われちゃうよ!」慌てた男を、仕方なさそうに見たノルンは、男の懸念を払うよう強い口調で叫んでいた。男が浮かべた表情は、この怪異へ本当に刃を向けて良いのかという無言の確認。それをノルンは悟っていた。この男は口にすることが憚れる言葉を表情で云ってしまう。


「だから、違くて」

「判ったから、手を動かして!」再び、確認の色を強く浮かべた男へノルンは、決定的な言葉を放ち、いよいよ従えた魔法音素(ルーン)を怪異へ向かわせた。ノルンの息を授かる魔法音素(ルーン)は静寂の魔法から、沈黙の魔法に姿を変え怪異に襲いかかった。

 怪異は、言い放った言葉へ明確な答えが成されないことを知ると、妖艶に笑い、口早に得体の知れない言葉を紡ぎ始めた。奈落の呪文。二十四の神を冒涜する言葉。怪異が口早に唱え始めたのは、それだった。

 しかし、奈落の呪文が完成する間際、ノルンが解き放った魔法音素(ルーン)が怪異を襲い、それを打ち消した。怪異の眼前で破裂した緑色の輝きは、粒子となり旋回し、最後には怪異の口の中へ忍び込んだ。

 途端に怪異は苦しみ始め、踠くよう口を掻きむしった。

 ノルンの沈黙の魔法が、怪異の言葉を奪ったのだ。


 言葉を奪われた怪異は、それに気が付くと、声にならない声で怒りを露わにした。喉の内側から言葉を引き摺り出すような空虚な音が、教会に響き渡った。

 怪異の二本の長剣が、男とノルンに襲いかかった。

 男は抜き放った短剣でそれを凌ぎ、ノルンは身軽に躱すと怪異の脇腹へ左右交互に蹴りを放った。


「これが、聖魔?」ノルンの強烈な蹴りを喰らった怪異が怯んだ隙に、ノルンへ身を寄せた男は咄嗟に訊ねると構えを取った。その構えは、蛇の尻尾がノルンの死角から飛んでくるのを予測してだ。


 男の予測通り、死角となっていた方向から飛んできた尻尾は左手の装甲手袋に弾かれた。ノルンは、それに「ありがと」と短く云うと、眼前の怪異がそうであることを告げた。「そうだよ。調和を断罪する正義の塊!」


「ノルン、ちょっと待って!」尾の一撃をいなされた聖魔は、勢いを削がれ体勢を一気に崩した。それを見逃さなかったノルンは、短剣を抜き放ち懐へ飛び込もうと、猫のように体勢を低くした。

 しかし、次の瞬間に強く後ろへ引っ張られるのを感じると、ノルンは男の背後へと引き飛ばされた。「ちょっと何するのよ!? お尻が二つに割れちゃうじゃない!」

 

 絶好の機会を削がれ、尻餅をついたノルンは両手をあげ抗議したが、「俺に任せてくれないかな」と男は、それを制した。

 体勢を直すため柱へ手をかけた聖魔は、暗い双眸で男を睨みつけていた。それは刺すような視線だった。だが、怒りや恨みのそれではなかった。悲哀。喪失。男は聖魔の眼差しを真正面から受け、それを感じた。胸を抉られるような思いが駆け巡った。

 男はすると、腰の皮ポーチへ手をかけ、最後の一枚となった〈束縛の護符(ペンタクル)〉を取り出した。それを両手で強く挟み込むと、直ぐさま緑の魔法音素(ルーン)が浮き出し、男の眼前で揺らいだ。

 ノルンはその様子を見ると、両肩を竦め頭を振った。

 大凡の想像はついていた。聖魔の動きを封じ、斃す以外の何かを求めているのだと。それが救いになると考えるのは欺瞞だ。本質的に聖魔は、何かしらかの正義を掲げている。それ以外を折ることは、すなわち悪なのだ。

 しかし——ノルンは、そこで考えることを止め、「もう——好きにしなさいよ」と、揺らいだ魔法音素(ルーン)へ息を吹きかけた。


 息を吹きかけられた言葉は、極めて強い緑色の輝きを放った。何かが、凝縮されたのを感じる。男は、それを見届けると魔法音素(ルーン)の塊に聖魔の位置を知らせた。

 緑の輝きは、男の指示に従い、緩慢とした揺らぎをシュッと整えると、矢のように飛び出した。緑の矢は聖魔の直ぐ下に突き刺さると、パッと輝きを散らし、床から何かを呼び出した。

 刹那。ともすれば同時に聖魔の叫び声が挙がった。

 床から這い出たのは、無数の図太い茨の群衆だった。茨は男の指示通りに聖魔を縛り上げ、無数の棘で動きを封じた。

 それに男は軽く頷くと、短剣をしまった。

 ノルンはそれに顔を顰めたが、何も云うことはなかった。ノルンの予想が正しければ、男は聖魔の眼前に立つだろう。

 果たして男は、ゆっくりと歩き出し踠き苦しむ聖魔の前にたった。すると、徐に背負袋から、蛙の人形を取り出すと聖魔の手へ握らせたのだ。「お前が聞いた赤子の声ね。それはコイツのだよ」


「ああ……ああ」声を発したのは、聖魔だった。「私の赤ちゃん……」

 

「いや、コイツはキミの子じゃないんだ。残念ながらね。でも、コイツも迷子なんだ。奈落の底で不安で寂しくて、頼れる誰かを求めている。だから、コイツの面倒を見てやってくれないか。俺は、もう行かなければ。この子を危険に晒すわけには行かない。頼めるかな?」蛙の人形を握りしめた聖魔の手へ優しく手を添えた男は、しみじみと語って聞かせた。

 聖魔は最初、それに抗おうとしたが、途中から大人しく耳を傾けていた。そして、男が「頼めるか?」と締めくくると、聖魔は「ありがとう」と、きっとそう口を動かし暗い目を閉じた。

 

 握りしめられた蛙が、黄金に輝くと粒子を描きながら消え始めた。

 それに、肩を竦め両手を軽く上げたノルンは、幾つかの言葉を宙へ描き、聖魔へ絡ませた。緑色の靄が沸きたつと、それは聖魔の体を包み込んだ。

 ノルンは、それを見届けると自分の背負袋から飛び散った品々を黙々と拾い始めた。

 その時だった。言葉が聞こえたのだ。

 「残酷な人。そして優しいあなた。感謝を——見失い暗くなった瞳へこんなにも尊い輝きを見せてくれた。この子に課せられた運命。その答えを伝えておきます。残酷な人。そして優しいあなた。 その名を知る者。烙印を刻まれた蟲。それは、一の環の監獄に……」蛙が消えゆく中、聖魔も薄らと金色に輝き粒子を放ち始めた。

 男は、聖魔の言葉が終わっても、手を離さなかった。黄金の粒子となり、消えゆく聖魔を見届けたかったのだろう。


 そして、聖魔は最後にパッと輝き、砕け散った。


 ※ ※ ※


 聖魔の最後を見届けた男は、意図せず薄らと瞳を濡らしていた。ノルンは、それを優しく見つめていたが、いつまでも立ち尽くす男へ発破をかけるように声をかけた。「その人も蛇に挑む蟲(オピマクス)かもね。行こう、オジサン」

 

「あのさ、気になったんだけれど」それに男は、不満そうに云った。

「何?」

「俺、オジサンなの?」

「そんなこと気にしてるの?」

「あ、いや一応ね」

「私知ってるんだ、そういうの気にする人って、お兄ちゃんって呼んで欲しんでしょ?」

「はい? もう、やりにくいなあ。ならもう、オジサンでいいよ」無邪気に笑ったノルンに、困り顔を向けた男は白灰色の髪を小さく掻くと、最後には投げやりにそう云った。


 すっかり静寂を取り戻した教会を探索した二人は、後陣の裏手に隠された、もう一つの小さな祭壇を発見した。体を捩り尻尾を噛む蛇——そのメダルが埋め込まれた祭壇は、そこはかとなく、それを押し込むよう知らせていた。

 ノルンが「きっと、これね」と気安くメダルを押すと、祭壇は重々しい音をたて壁に姿を消し、そこに姿を現したのは地下通路へ続く階段だった。


「ねえ、もう少し慎重に——」

「臆病と慎重は違うの——」ノルンは、背負袋の脇から小さな首飾りを取り出しながら、そう答えた。「——と、光はこれで大丈夫」


 見れば、首飾りはノルンの首元で輝き足元を照らし出していた。




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