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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第一章

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第九話 記憶


 庭園の教会——地下通路。


 後陣に隠された祭壇と奇妙なメダルに導かれた白灰髪の男とノルン。二人は、氷原に広がる暗闇よりも、粘り気のある暗闇の中を進んでいた。

 ノルンの首飾りの灯りは、地下の闇を払うには少々心許なかったが、頼れる光源は他にはない。男は背負い袋を覗き込んだが、役立ちそうな物は見当たらなかった。

 ノルンは魔法を使おうと云ったが、男はそれを制した。余分な光源は、不必要にこちらの位置を知らせることになる。それは避けたいという意図だった。

 二人は足元へ気を配ることを忘れずに、男は右側、ノルンは左側の壁を薄らと触り、地下の脅威に備えた。歩速が遅くなろうとも、確実に前進する必要がある。


 暫くの暗闇の行軍。頼れる光源は心許ない。耳元には自分の息遣いが纏わりつく。そのうちに時間感覚を失い、進んでいるのか、足踏みをしているだけなのか、判断が難しくなってきた。


 その時だった。


 前方に薄らと蒼に色づいた壁が見えてきた。

 男は立ち止まり、ドグマの双眼鏡で蒼の壁を確認した。どうやら右側の壁が窪んで、そこから、淡い蒼の光が漏れ右奥にも広がっている。窪みの先は、右に大きく曲がっているようだ。「動いてるのは、何もないかな」


 男の云う通り、窪みと、その先には動くものは何もなかった。

 あったのは、休息を取るのに丁度良い空間と、淡い蒼色を放っている小さな人の石像だった。石像は両手を握りしめ膝を折り、祈っているように見える。首から上はなく角度を見れば、頭を垂れ祈る姿が想像できた。


「少し、休憩しよう」

 男はそう云うと、背負袋を降ろし石像の隣に腰を降ろし壁へ背中を預けた。

 ノルンは、「先に進もう」と云ったが、男は感覚が戻るまで少し目を休めなければ厳しいと、目を擦って見せた。それにノルンは、渋々了承し男の横へ同じく腰を降ろした。男は、それを見届けると、優しく微笑み「背後を取られることはないから安心だ」と、ソワソワしたノルンに伝え言葉を続けた。「——ねえ、ノルン」

 

「ん?」

「やっぱりドグ爺の所へ帰る気はない? こんなの怖いでしょ。俺こういうのは馴れているみたいだから平気なんだけど」

「まだ、そんなこと云ってるの?」

「いや、でもさ——」

「怖くないし」

「え?」

「だから、怖くないって云ってるの」

「そっか。でもさ——」

「もう、しつこいよ! 判った。だったら、この先も私が必要だってことを証明してあげる」

「えええ——どうやって?」

「魔法を使えるようにしてあげる」

「誰が? 誰に?」

「いや、私が」ノルンは仕方なさそうに自分を指差し、「オジサンに決まってるでしょ。馬鹿なの?」と、次に男を判りやすく差した。

「な……失礼だなあ。で、どうやって? まあ、いいや。ほら、先に目を瞑って。少ししたら交代しよう」

「あっそ。そしたら、オジサンが先に休んで。あとで交代ね」なぜかノルンは嬉々とした色を顔に浮かべた。


 男はノルンの意気揚々とした顔に、一抹の不安を覚えたが「判ったよ」と、あっさりと承諾し目を閉じた。何か悪さをするなら、気配の流れで察知できるだろう。幸いにノルンは真横に座っている。

 男は、瞼をゆっくり閉じた。

 淡い蒼色は、瞼の裏にも漏れている。次第に、スッと意識が蒼色の底へ落ちていくような感覚を覚えた。鼻の奥が、それに合わせ、どこか燻んだ匂いを感じたように思う。強烈な眠気に襲われ、瞬く間に意識を失う寸前の記憶。その中の匂いとでも云うのだろうか。そこはかとなく、そのようなものに襲われた。


 ※ ※ ※


 夢と現実の狭間——。

 夢を夢だと判りながらも見続ける夢。現実だと思い込み見続ける夢。はたまたは、記憶の断片が重なり、色濃く浮かんだものを偽りの裏側を覗き込み手にした真実なのだと、夢の中で落胆する虚無の現実。

 男は、何かそのような場所へ足を踏み入れたように感じた。


 目を開いた。そのつもりになった男の目前に現れたのは、びっしりと本の詰まった棚が幾つも並ぶ書庫だった。優しい陽の光と淡い蒼の光が混じり合いながら、書庫を包んでいる。本棚の列は、その淡い輝きの中どこまでも続いている。

 何本目かの列と列の通路に佇む二つの影があった。

 一つは白灰髪の男。

 一つは豊かなブロンドを背中で一本に纏めた女。

 女は一冊の本を手に、何やら白灰髪の男に話しかけていた。しなやかな指で文字を追い、途中で止めると男へ顔を向け、そしてまた、文字を追っていた。

 白灰髪の男は、女が顔を上げるたびに、優しく頷き、宙へ指を滑らせた。その度に何かしらか文字を描いているようだ。


 それを眺めた男は、ゆっくりと二人へ手を伸ばし、急いで引っ込めた。

 不躾に触ってしまっては、その光景は割れて無くなってしまうのではないかと思ったのだ。なぜそう思ったのだろうか。判らなかった。だから、一度引っ込めた手を、もう一度伸ばした。

 すると、通路の白灰髪の指先に描かれた文字が宙を舞い、光景を眺めた男の指先へ集まってきた。数えれば、文字は二十四文字あった。それは、男の指先で、くるくると回ると、ゆっくりと一文字づつ、指先へ吸い込まれていった。


 はたと光景を眺めた男は視線に気が付いた。

 文字が宙を踊り、上へ上へと舞い上がる様を、通路の二人が見上げていたのだ。

 男は、通路の二人と視線が合ったように思った。だが、それを互いが認識する感覚はなかった。

 ぼんやりとそれを眺めた男の視界がそうなのか——広がった光景は、水彩の絵画に水が落とされたように滲んでいった。


 陽の光と淡い蒼の光が次第に色濃く混ざりあい、そして遂に視界は淡い緑色に染め上げられた。

 

 ※ ※ ※


 不可思議な場所へ深く意識を潜らせていた男は、不意に現実へ意識を戻した。息苦しさから解放された感覚が、そこはかとなく残っている。それに驚いた男は横のノルンを凝視した。「ノルン……何をしたの? と云うか、何かした?」

 

「オジサンの記憶を少し呼び戻したの」ノルンは得意げに云った。

「いい加減なことを云うと、オジサン怒るよ?」男は、自身の体を慌てて触り始め、何事もないことを確認した。

「ひっどいなあ。じゃあさ、お爺ちゃんの本を見てよ」そう云うと、ノルンは遠慮なく男の背負袋からドグマの手稿を取り出し、男へ押し付けた。

「ちょっと、人の物を勝手に——」男のお小言は、そこで終わった。

 ノルンは、それをやはり得意げに眺めると、鼻を鳴らし「ケナズ・ベルカナ・エオーって描いてみて。もう判るでしょ?」と、指を宙に滑らせた。


 確かにノルンの云う通りだった。

 頭の片隅には、ドグマの手稿に書かれた奇妙な文字の意味、どうすれば良いのかという知識が、ひっそりと置かれていた。男は、ゆっくりと確かめるように宙に指を滑らせた。


 (ケナズ)(ベルカナ)(エオー)


 緑色に輝く文字が、フワリと宙に浮かんだ。男は、それを不思議そうに眺めたが、すぐに文字を優しく包み込むように両手で挟み込んだ。どうすれば良いのか、それは()()知っていた。

 次の刹那。合わさった両掌から白色の光が滲み出すと、男の眼前に小さな光球が産み出された。光球は男が願えば、光量を落としたり、更に明るくしたりができた。右手を動かせば、光球は追いかけるようにフワフワとついてくる。


「うわ。本当に使えるようになった——の? ノルンの魔法じゃなくて?」光量を落とした男は、フワフワと後をついてくる光を目で追いかけながら、ノルンに訊ねた。


「そうそう。オジサンの魔法だよ。私は音素を描いていないし」産まれた光球を、突っつきながら目で追ったノルンは、そう答えた。


「……」

「どうしたの?」隣で訝しげな顔をした男に気が付き、ノルンは声をかけた。

 

「ドグ爺はさ、俺は伝令者だって云ってたんだよね。それは腑に落ちてたんだ。でも、魔法使いだってのは——さっきの夢、記憶? ……あれで見たのは誰だったの? なんか、こう胸を締め付けられるような感じがしてね」男の訝しげな顔を、そのままだった。


「それを知りたいなら、私を連れて行かなきゃね」ノルンは、表情を曇らせるとそっぽを向いてしまった。


「なんで、全部の記憶を戻してくれなかったの?」そっぽを向いたノルンへ、男は落胆の表情を向けながら云った。

 

「あのねえ。私ってば、そんなに都合の良い女じゃないの。これは取引よ、取引。オジサンは私と地上を目指す。いい? それで私は頃合いを見ながら、記憶を戻してあげる。どう? 何をして記憶を戻すのかって質問は無しね。どうせ理解できないだろうし」ノルンは、そっぽを向いたまま、幾許か声音を落とし、そう返した。

 

 ※ ※ ※


 納得はしなかったものの、男は渋々とノルンが持ちかけた取引に応じた。

 幾ら諭したところで、ドグマの血統が云うのならば、地上への旅はノルンと共にしなければならないのだろう。いずれにせよ、道中で蛇に挑む蟲(オピマクス)と呼ばれる利害関係者とも顔を合わせるはずだ。それであれば、ノルンが傍に居た方が、何かと話が早いはず。


 こうして男とノルンは、窪みを後にし先へ進んだ。

 大きく右に曲がった道を、今度は二つの光源で照らしての行軍。それは、最初の頃に比べれば、快適さに雲泥の差があった。


 程なく進むと、地下道はゴツゴツとした足場に変わり、緩やかに上り坂となった。

 乾いた風が、冷たさを運んできたのが判った。

 次第に前方が、じわじわと明るくなり始めた。ノルンは、それを目敏く察知すると「外だ!」と無邪気に駆け出し、男を置き去りにする始末だった。


 暗く長い道を抜けると、そこは四の環や三の環に広がった氷漬けの景色ではなく、一面が雪で覆われていた。枯れた草木も見当たらない長い傾斜が上へ、上へと続いている。

 足跡一つない雪原へノルンは、嬉々と笑い声をあげ飛び込んでいた。「オジサン! 雪だよ雪! 硬い氷じゃなくて、フワフワの雪!」


「危ないよ! 雪崩が起きたら、どうするの!」男は、ひっきりなしに左右、前後を警戒しながら、寝転がるノルンの手を慌てて取った。

「大丈夫、大丈夫!」ノルンが、男の手を振り解いて、またぞろ雪の中へ飛び込んだ。

「だから! 危ないって!」今度は、ノルンの背負袋ごと引き上げた。

 ジタバタと「はーなーしーてー!」と叫んだノルンだったが、男の鬼の形相を見ると、「もう」と小さく口を尖らせ、大人しくなった。


 

 そこから、暫く傾斜を登った二人が、ふと振り返ると、遠くに延々と大きな弧を描き広がる隔壁が見えた。一番奥の隔壁は四の環。一つ手前の隔壁は三の環——二人が出会った庭園の教会での記憶が新しい。そして、その手前にも隔壁が見えた。それは、きっと二の環の物だろう。

 首へかけっぱなしにしていた、ドグマの双眼鏡に目を当てた男は、輪っかを捻り二の環と思しき場所を確認した。

 どこまでも広がる、見覚えのない雪原が見えた。そこには逃げ惑う亡者の群れと、それを追いかける、巨人たちの姿が見えた。「近道ってそう云うことか。そしたら、ここが一の環ってことか」


 傾斜の遥か向こうから、何やら怒号にも似た重々しい音が耳に届いた。

 二人はとうとう、一の環へ足を踏み入れたのだ。


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