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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第一章

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第六話 ノルン


 

 白灰髪の男は、「ついてこい」と歩き出したドグマの後を追っていた。

 奈落を登る術を知るためだ。

 

 暗闇の氷原は思ったよりも広大で更に暗かった。

 そこは、あらゆる音を締め上げ、あらゆる光を喰らっている。

 ドグマが掲げた角灯の灯りは、直ぐにでも闇に呑み込まれてしまうのではないかと感じる。だが、何故か不安は感じなかった。陽気に笑い、ぴょんぴょんと跳ねながら前を行くドグマの姿は、角灯を自信満々に急かしているように見えた。角灯の灯りは、大きく口を開いた闇に呑まれないよう、仕方なく必死に掻き分けるしかない。そのように映った。

 

 不意に頭上から大きな風切音が聞こえた。ォォォボオオオォォォと、重たく不安を掻き立てる不吉な音だ。男の背後から小さく聞こえ、頭上で大きく鳴ると視線のずっと先へ消えていく。

「ドグ爺、この音は?」男は不安に駆られ、濃い暗闇の頭上へ視線を泳がせた。

「ほーほー。直ぐに判るさ——と、ほれ、アレを見てみろ」

 ドグマがそう云って角灯を高く掲げると、頼りなく小さかった灯りが、堂々と煌々と輝き氷原のずっと先までを照らした。男は「ん?」と訝しげに目を細め遠くに視線を送ると「な、なにあれ?」と驚愕の声を呑み込んだ。

 男が目にしたのは、灰色の山だった。その麓では、やはり灰色の何かが飛び跳ねたり、素早くジタバタと蠢いている。男は何度か瞬きをしながら、もう少し正確に灰色の山を確かめた。すると、判ったことがあった。男はそれに思わず足を止め、背負袋を背負い直した。「ドグ爺。あれってさ——」


「ああ。ほれ、来たぞ、蛇に挑む蟲(オピマクス)! 亡者の群れだ!」叫んだドグマは、嬉々と笑い杖を掲げると、猛烈な速さで駆け出した。

 ドグマが目掛けたのは、男が目にした灰色の山——凍えた骸の山と、そこから転げ落ちた亡者の群れだった。亡者の群れも猛烈な速度で、ドグマに迫っている——男は、ドグマに置いていかれまいと、決死の覚悟で駆け出した。

 

 相変わらず頭上では、ォォォボオオオォォォと奇怪な音が鳴っている。ドグマの背を追いかけるのがやっとだったが、どうにも頭上の風切音が気になった。男は、チラリと見上げると更に驚愕した。

 風切音の正体は、放物線を描きながら何処からともなく飛んで来た、大小様々な骸が鳴らしたものだった。それらが灰色の山に衝突すると、中腹の骸の塊が耳障りな音を立て、麓へ落ちていくのだ。「ドグ爺! 待ってくれ!」


「ほーほーほー! 待ってなど居られぬわい! ほれ、お前はコレを使ってみろ!」

 狂気の疾走が描く灯りの軌跡に、二つの影がフワッと浮き出た。ドグマが乱暴に何かを二つ投げてよこしたのだ。

 一つは大ぶりの短剣。これが一振りあれば、狩猟で皮剥(かわはぎ)に困ることはないだろう。もう一つは、数枚の鉄板を段々に縫い付けた装甲手袋。左手用のものだ。

 

 必死に駆けた男は、突拍子もなく渡された装備を、かろうじて受け取ると腹の底から声を挙げた。頭上の風切音。灰色の山から凍えた骸が転がる音。亡者たちが忙しなく駆ける音。それらの音に掻き消されないようにだ。答えを貰わなければ、男は亡者の波に呑まれ、今度は命を落とすのではないか。そう思ったのだ。「ドグ爺! コレは!?」


「二つとも魔法を喰える魔女の遺物(ウィッチクラフト)じゃ! 手袋して、早よ短剣を抜け! 鞘を捨てるなよ!」男はその答えに黙って頷くと、素早く手袋をはめ、短剣を引き抜くと鞘を腰裏へ差した。

 その間に、ドグマはとうとう亡者の群れに飛び込むと、杖で亡者を殴り、器用に跳ね上がると強烈に蹴飛ばした。殴られた亡者は、頭をカチ割られ脳漿をぶちまけると、ゴロゴロと闇に姿を溶かしていった。蹴飛ばされたものはといえば、腹や胸を破られ、どす黒い血に塗れた内臓や、腐った肋骨をぶちまけている。

 

 凄惨な闘いの舞台となった蒼白の氷原が、腐れた血に塗られていく。

 男はそれを、ただただ短剣を握りしめ逃げ惑うだけだった。

 ドグマは、その様子を目にすると、鋭く叫び男の注意を引いた。「いいか! 魔法音素(ルーン)が見えたら、短剣で掬って柄頭を軽く叩け、そしたらボワっと出る! 出たら、バサっとぶった斬れ」

 四方八方から群がった亡者を杖で蹴散らしたドグマは、空いた手で、素早く宙をなぞった。幾つかの緑色に輝く文字が浮かび上がると、それを男に向け押し出すような仕草を見せた。


 (ケナズ)(ギーボ)(アンスル)


「ボワっと! とか、バサっと! とか云われても判らないんだけど!」

 判らないとは云ったものの、ドグマの云う通りに動かなければ、そこで命運が尽きる。考える暇はない。ドグマの手を離れた輝く文字は、男を目掛け飛んで来ている。男は迫り来る亡者を身軽に躱しながら、文字へ迫った。機会を逸してしまえば、そこでも命運が尽きるだろう。

 とうとう、緑色の魔法音素(ルーン)が飛び込んできた。

 抜き身の短剣で、輝く文字の塊を触るように振るった男は、刀身が赤く輝くのを見届けると、素早く柄頭をポンと叩いた。


「ヨシ!」

 短剣からボワっと吹き出した焔の刀身は、小ぶりの剣ほどとなった。

 図らずも、それを目にした男は、短く声を吐き出し手頃な距離の亡者の頸を三つほど斬り飛ばした。


 男はその後も、行く先で腐れた血の嵐を巻き上げるドグマを追いかけながら、焔の刀身で亡者を斬り伏せた。

 懐に飛び込まれれば殴りつけ、間合いを取ると焔を亡者の腹に突き刺し、冷たい亡者の剣が間近に迫れば、装甲手袋で弾き返すと灰色の胸へ焔を突き立てる。それを繰り返し、ドグマが切り拓いた道を必死に駆け抜けた。「ドグ爺! どこまで!?」


「きびきび頸を斬り飛ばせよ! 向こうの壁までじゃ!」ドグマは、遠くに薄っすらと姿を現した石壁を杖で指した。



 気が付けば、氷原の高台へ登っていた。冷たい風が、いっそう強く顔を撫でていくのが判る。

 気味の悪い骸の山は随分と後ろにあった。亡者の群れも追いかけてくる様子はない。放物線を描き飛んでくる亡者が、骸の山へ激突する音が延々とこだまし、その合間を縫って冷たい風がパラパラと耳元で騒いでいる。


 男は息をゼーゼーと切らせ、その悍ましい光景をぼんやりと眺めた。ドグマの角灯が効いているのか、随分と遠くまで視界が開けている。ドグマが亡者の腐れた血で描いた赤黒の血溜まりも、無様な姿となった亡者の残骸もはっきりと見えた。

「イカれてる……」男は堪らず、そう吐き捨てた。

「イカれてるじゃと? 随分と口汚いな蛇に挑む蟲(オピマクス)——」傍に立ったドグマが、笑いながら答えた。「さあ、儂が付き合えるのは、ここまでじゃ」


「えええ……やっぱりイカれてるよ、ドグ爺」男は、その場に座り込んでしまった。


 ※ ※ ※


 高台へ登り合点のいくことがあった。

 ドグマの篝火を後にする前のことだ。

 ドグマが語ったのは〈奈落〉の構造についてだった。地上まで九層を突破しなければならないということ。そして、たった今駆け抜けた暗闇の氷原は、最下層に横たわるということ。つまり第九層というわけだ。第八層へ向かうには、第九層中心部から波紋のように広がる、四つの環、隔壁を抜けなければならない。

「これが、四の環の隔壁ってことだよね、ドグ爺」男は、眼前にそびえ立つ、左右に大きく弧を描き広がる石壁へ手を当てた。ずっと先へ延々と伸びる石壁は暗闇へ姿を消している。


「そうじゃ、蛇に挑む蟲(オピマクス)。儂はこの向こうへは行けないからのお、後はお前一人だ。もっとも此処で、儂と踊り明かすと云うなら、あの亡者どもを裁き、氷塊へ沈める手伝いをして貰うことになるな」ドグマは、遠くに見える骸の山を杖で指して云った。


「いやいや、あれはもう勘弁だよ。だから行くよ、ドグ爺」あの殺戮劇を、もう一度演じてみろと云われても男にとっては荷が重い。いつでも命を落とす自信があった。

 何よりも、失われた記憶、その意味、胸中を這いずり回る暗い想い、それが何なのかを確かめたい。大切な何かを置き去りにしているのではないか。その念が先に行けと、心を押しているのだ。

 ドグマが云った教典を何とかする必要があるなら、そうする。記憶が戻れば、その判断は自ずとできるだろう。

 

「そうか。ならば上々。これで儀式が進むと云うものじゃ」

 男の答えに、満足そうに笑ったドグマは、ぴょんぴょんと壁際まで行くと杖で何度か突っついた。

「四の環はな、正義に反した罪深き輩の流刑地となっておる。実際のところ、正義とは何かと訊かれれば、甚だ傲慢なものだと云えるが、今は仕方ない。まあ、とは云えだ、罪深き魂とされたものを、そのまま還すわけにもいかない。そう思うだろ、蛇に挑む蟲(オピマクス)? 恨みつらみを抱えて戻っても良いことはないからの」

 それまで狂気じみた怪老に思えたドグマだったが、口を突いて出た言葉は、男の耳に重みを運んだ。正義が傲慢だと云える。それが意味することに、どこか胸が締め付けられるのを感じた。

 男は神妙な面持ちとなり、ドグマの次の言葉を待った。


「故にじゃ。この壁に門はない。魂が逃れないようにな。出ていって良いのは、お前らのように、正義の烙印を刻まれ儀式に選ばれた、蛇に挑む蟲(オピマクス)か聖魔となり壁を飛び越える魂だけじゃ」

 そう続けて云ったドグマは、言葉を終えると、今度は慎重にトンッと杖で壁を突いた。「さあ、行け。蛇に挑む蟲(オピマクス)よ。その中でもノルンに選ばれた無垢な蛇に挑む蟲(オピマクス)。後は、お前次第じゃが、願わくば教典のもとで……いいや、これ以上は無粋じゃな」

 すると、石壁へスッと緑色の細線が走り、扉の形を描き出し、向こう——三の環の景色を覗かせた。


 ドグマとの別れは随分とあっさりとしていた。「さっさと、そこをくぐれ」と古ぼけた皮の手稿を男へ手渡した。「三の環は、まだ静かなはずじゃ。だからと云って、虹の天幕に見惚れて迷子になるんじゃないぞ」


「これは何、ドグ爺?」男は、皮の手稿をパラパラと捲り頁へ目を落とした。よく見れば皮表紙には、一文字だけ〈ᛟ〉が描かれている。

「奈落を出れば、そいつは消えて無くなるが——まあ道中、迷ったら頁を捲れ。爺ちゃんの知恵袋だ」そう云ったドグマは男の背負袋へ手をかけると、男を緑の扉へ押し出した。


「それを云うなら、お婆ちゃんの知恵袋じゃないの?」背中を押される男は、背後のドグマを笑いながら見ると、軽口を挟んだ。それにしても、ドグマの押す力は、随分と強い。

「いいか蛇に挑む蟲(オピマクス)よ。婆ちゃんの知恵袋は、実に人生を豊かにする叡智じゃ。対して儂らの知恵は、実に浅ましく欲深い。時には世を引っ張る力にもなるが——稀じゃ。云うなれば、その手稿は、その稀を手にするための秘訣が記されている。そう思え。ささ、お喋りはここまでだ。急げよ無垢の蛇に挑む蟲(オピマクス)

 

「——そっか。それじゃ、またいつの日か。ドグ爺」

 ドグマの言葉が終わると、男は緑の扉を越え三の環へ足を踏み入れた。

 そこは、四の環から地続きの高台だった。眼下に広がったのは薄ら暗い闇の中に横たわる白と虹色の凍てついた街並みだった。石造りの建物や通りは、全て朽ちている。

 男は背負袋を降ろしガサゴソと引っ掻き回すと、古ぼけた双眼鏡のようなものを取り出した。それは左右と真ん中に皮のベルトが仕込まれており、ちょうど頭に引っ掛けられそうだ。

 その通りに男は頭にベルトを引っ掛け双眼鏡を覗き込むと、右の筒に備え付けられた輪っかを、クリクリと回した。

 男の右目の視界が、グイッ、グイッと素早く近寄った。すると視界の際に円の罫線がスッと浮き上がり何かを示した。どうやら距離を示しているようだ。

 

「これ、便利だなあ」男は、何度か輪っかを右に回したり、左に回したりをすると「なるほど、なるほど」と、ひとりごちた。右に回せば朽ちた建物や通りを間近で観察ができるようだ。左に回せば、どんどんと視界が広がる。

 視界が広がった状態で、頭上を向いた。

 白色に染まった石造りの街に虹色を落としていたのは、暗闇から無数に垂れ下がった虹色の幕だった。「そっか。四の環は、すり鉢の底だったから、コレを見られなかったのか——それにしても……凄い光景」

 男が凄いと云ったのは、虹の幕から街並みへ視線を戻すと目にした、何体かの蒼白い巨人が亡者を追い回す様子のことだった。巨人は氷柱の棍棒で亡者を叩き、四の環へ投げ入れているのだ。方角は違えど、頭上の風切音の出所は、あの巨人たちによるものだろう。


「あれに捕まったら、不味いよな」

 男は双眼鏡を背負袋へ戻すと、出発の準備をした。

 ドグマに渡された手稿と、篝火の時に云われたことを照らし合わせると、この三の環は氷の巨人の監視が続く限り、静か——ではないが、二の環へは、苦労せずに辿り着けるようだ。

 凍てつき虹色に薄らと染まった街並みを、真っ直ぐ進めば良い——男は、鋭く息を吸い込むと、三の環の高台を駆け降りた。




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