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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第一章

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第五話 奈落


 ほおーほーほー。

 

 腹ぺこ赤蛇がやってきた。白蛇の席へやってきた。

 机に並べた言葉が旨そうだ。もちろん赤蛇は目が爛々だ。

 ほおーおーおー。

 その言葉を食べては駄目なの。

 それは皆のもの。白蛇が赤蛇を叱ったぞ。

 腹ぺこ赤蛇はご立腹。赤の尻尾でバンチコバンチコ机を叩いたよ。

 

 ほおーほーほー。

 

 白蛇はこれに大困りさ。

 これでは机も壊れて言葉も無くしてしまう。

 そこで白蛇の大名案がぴかり。

 言葉の一つに悪戯細工をひとつまみ。

 

 ほおーおーおー。

 

 残った言葉を丸呑み赤蛇、お腹を壊してぴいぴい。

 ズンドコズンドコお腹を破ったのは蛇に挑む蟲(オピマクス)たち。

 悪戯細工のひとつまみ。

 

 ほおーほーほー。


 机は赤蛇の血で真っ赤っかだよ。

 残りを集めた白蛇はズンドコズンドコ地面を掘ったよ。

 よっこいしょと。

 よっこいしょ。

 綺麗になるまで冬眠しよう、うとうとうと。


 ほおーほーほー。


 ※ ※ ※


 暗闇が氷原を呑み込んだのか、氷原が暗闇を呑み込んだのか。

 陽気で奇妙で耳の奥に居座るような唄が響き渡ったのは、骨の髄を締め上げる冷気が漂う、そんな場所だった。

 氷原の所々は薄青の氷塊が剥き出しになっていた。そんな氷塊の殆どには、氷漬けとなった人々の姿があった。苦悶に満ちた顔の男。恍惚とした顔の女。吐き気に涙する者。怒りに我を忘れ笑う者。様々な人々のそれだ。それらに共通しているのは、皆一様に衣服を剥ぎ取られ、無惨にも生身を晒しているという事だ。

 氷地獄の底。その言葉がおあつらえ向きなこの場所にも、一つだけ例外があった。

 もし地獄に中央があるのだとすれば、まさにその場所で、殊勝にも奇妙な唄に聴き入る男がいたのだ。閉じた両瞼が時折、ひくひくと動いている。肌も多少の血色が保たれているようだ。それを見れば男が生きているのだと判る。


 ——再び唄がこだました。


 ほおーほーほー。


 机は赤蛇の血で真っ赤っかだよ。

 残りを集めた白蛇はズンドコズンドコ地面を掘ったよ。

 よっこいしょと。

 よっこいしょ。

 綺麗になるまで冬眠しよう、うとうとうと。


 ほおーほーほー。

 

 さあ、目覚めの刻だ、この寝坊助め。


 ——この寝坊助め。

 

 その言葉が耳に届くと、唄に聴き入った男は、ぱりぱりと音を立てながらゆっくりと瞼を開いた。

 随分と視界が悪い。瞼に貼りついた氷が邪魔をしているのだろう。男は緩慢とした動きで氷を払い、目を擦った。それでも視界が悪かった。黒に呑まれている。そこで男はこの場所が、暗闇に呑まれた寒々しい場所なのだと理解した。

 唄はどこから響くのだろうか。耳を澄ませても、暗闇を走り抜ける寒々しい風が、パラパラと聴こえるだけだ。それ以上のことは判らない。

 もう一度、目を凝らし耳を澄ませてみた。

 今度は目前に小さく仄かに輝く点が見えると、耳にした唄の節が小さく聴こえてくるのが判った。


 ——さあ、目覚めの刻だ、この寝坊助め。


 唄は幾度となく響き渡り、決まってこの一節で締めくくられていた。

 何度か重い瞼の開け閉めを繰り返すなか、視界の奥で揺れていた仄かな点が、じりじり大きくなると、唄もはっきりと耳に届くようになった。

 男はゆっくりと目を擦った。

 仄かな点が大きくなるにつれ、それが赤黒い蛇頭の被り物をした老人の姿と、その手にある灯りだと判った。

 老人らしき何かは、唄を口ずさみながら、陽気に手足を交互に跳ね上げる奇妙な調子で男に近づいてきた。


 ※ ※ ※


「ほおーほーほー。寝坊助の蛇に挑む蟲(オピマクス)。服はどうした。腹から下は、まだ冬眠中か? さあ儂がやってきたなら、もう目を覚ませ」男の目前までやってきた老人は、しゃがれた声でそう云った。

 赤黒い蛇頭の被り物。落ち窪んだ双眸に、どこか気取った鷲鼻。赤黒い毛皮の外套は随分と暖かそうだ。片手に持った老人の背ほどもある節くれた杖には角灯がぶら下がっている。そして、裸足。それが、老人の風体だった。

 男は、奇怪な風体の老人を見上げると、一つ気付いたことがあった。

 慌てて奇怪な老人へ向けた視線を落とせば、自身の下半身が氷に埋もれていることが判ったのだ。これに男は更に慌てふためいた。「爺ちゃん。このままだと目を覚ますどころか、永眠してしまうよ」


「ほーほー。上手いこと云うじゃあないか寝坊助。云うに事欠いて永眠。永遠に眠るか、寝坊助め! ほーほー」そう云った奇怪な老人は、何度もやかましく杖で氷原を突っついてみせた。その度に氷の粕が男の顔に降りかかった。


「ちょっ酷いな。そうじゃないよ、爺ちゃん。よく見てくれ。俺はこの通り目が覚めてるんだ。このままじゃ永遠に目を覚まさなくなってしまうって事だよ——」男は、白灰色の髪を掻きながら言葉を続けた。「どうだろう、目は覚めているから、此処から出してくれないか?」


「おお、そうか。それなら心配することはないぞ寝坊助。胸元を見てみろ。そうじゃ、そこじゃ、見えるか? 白灰色の瞳は生きておるか?」老人は杖で男の胸を軽く突いた。

 男は杖の先を目で追いかけると、ちょうど胸のど真ん中に描かれた文字へ辿り着いた。その文字は随分と気味が悪いもので、赤黒い細い蛇の姿で描かれていた。 ᛇ 右の端が尻尾。左の端が蛇の頭。丁度、そのような関係だ。

 それを男が目にしたのを確かめると老人は言葉を続けた。


「それは赤のエイワズ。元を正せば、反転の言葉。死と再生の番人。変化を司る神の印。それがある限り、お前さんは儀式の執行人。こんな寒さに、エイ——」老人は懸命に堪えていたのか、そこで一頻り気味悪く笑い、咳払いをすると続けた。「——えい、永眠なぞせん。心配するな。まあ、あれだ、目が覚めていると云うならば、そこから出してやる。儂に感謝しろよ寝坊助」

 

 ※ ※ ※


 恩着せがましく手を貸すと云った老人は「目を瞑っておれよ寝坊助」と大声で叫ぶと、節くれた杖を両手で頭上へ掲げ「ぬぬぬぬ」と力を溜め始めた。

 これに驚き目を丸くした白灰髪の男は思わず「ちょっ! ちょっと、ちょっと待ってくれ、爺ちゃん」と制止の声を挙げた。


「なんじゃ寝坊助。まだ寝るのか」

「じゃなくて。何をするつもりなの?」

「じゃから、氷から出してやると云っている」

「ごめん、爺ちゃん。念の為、どうするのかを訊いても?」

「そんなもの、ぶっ叩けば終いじゃ。このドグマ・エイワズに不可能はない」さらりと、ドグマと名乗った老人は、そう答えると再び杖を振り上げ力を溜めた。

 白灰髪の男は、諦めたのかドグマが問答無用に杖を振り下ろすのを云われた通りに両瞼を閉じて、じっと待った。


 次の瞬間。

 瞼を閉じ広がった暗闇に、分厚い硝子を割ったような、けたたましい音が鳴り響いた。

 男の顔や剥き出しの上半身を、鈍い痛みや鋭い痛みが幾つも容赦なく襲うと、いよいよドグマが杖を振り下ろしたのだと悟った男はいっそうきつく瞼に力を込めた。


 

「寝坊助、目を開けていいぞ——」しゃがれたドグマの声が聞こえた。「そこから出るくらいのことは出来るだろ?」

 白灰髪の男はドグマの不躾な言い草に少しばかり眉根をあげたが、下半身を捕らえた氷塊が、綺麗さっぱりと砕けたのを確かめると礼を口にした。

 あとは氷の(ふち)へ手をかけ、這い出るだけでいい。だが、いざ両腕を突っ張ろうとすると「うわ」と驚きの声をあげ、男はそのまま考え込んでしまった。「これ、俺も全身丸裸なのかな?」

 両腕を突っ張るのに下を向くと、氷塊の中の人々の姿が目に飛び込んだのだ。人々は等しく、丸裸。半端に上半身だけ剥き出しになった男も勿論、服は着ていない。下半身は感覚が失われているのか、冷たいのか熱いのかも判断が難しかった。

 その様子にドグマは「ははあん。何を心配する必要がある、蛇に挑む蟲(オピマクス)。これを使え」と、笑うと赤黒の毛皮の外套を、バサバサと両手で振るって見せた。すると驚くことに、ガシャガシャと音を立て、様々な物が転げ落ちてきた。

 綺麗な白色の外套。皮の胸当てにズボンと長靴。厚手の黒色のチュニック。厚手の革手袋にポーチと背負い袋。それに下着や、何に役立つのか判らないが、蛇や蛙の人形に、何枚かの紙切れ。そんなものが、一斉に外套から溢れた。最後に落ちてきた背負い袋は、随分と重々しい音がした。

 男は、この奇妙な光景に目を丸くしたが、もはや驚くまいと気を取り直し一気に下半身を引き抜いた。

 案の定、下半身に何もつけていない——つまり、全身丸裸であった。

 ドグマは、男をチラリと見ると、直ぐにそっぽを向き肩を小さく震わせ「気にするな」と、どこか同情めいた言葉を漏らした。

 男は「どういう意味だよ」と釈然としない声をあげ、ドグマに背を向け転がった品々に手を伸ばした。「ありがたく戴くよ」


 ※ ※ ※


 未だ何かと釈然としない男だったが、品々を身に付けている間にドグマが焚いた篝火で暖を取った。

 その篝火は、ドグマが不思議な外套から乱暴に落とした、枯れた木々を綺麗に組み上げたものだった。男がちょうど白い外套を着込んでいると背後から「ケナズ・ギーボ」と聞こえ、暗闇が払われた。


「ところでだ。目醒めたての蛇に挑む蟲(オピマクス)よ。確認じゃが、お前の名は?」ドグマは、いつの間にか呑気に鉄製の太った杯で温かい葡萄酒を啜っていた。

 

 男はドグマから手渡された杯を啜りながら質問に考えを巡らせたが、どうにもピンとこない様子だった。ドグマの呑気さもピンと来ないが、何よりも頭の中に靄が張られているようで気持ちが悪い。だが、葡萄酒の温かさが胃に染み渡り、全身にもそれが巡ると段々と頭が冴えてきた。「えっと。ドグマの爺ちゃん。オピマクスが俺の名前なんじゃ?」


「ああ、そう来るか。儂は知っておるぞ。そうやって記憶をなくした振りをして、気を引くのじゃろ? だが残念だが儂は、ひっくり還った蛇だからな、そういうのは要らぬよ。この奈落で爺相手に何を考えておる」ドグマは男の答えに、嫌らしい笑みを浮かべ、モサモサと蓄えられた白髭を撫でながらそう返した。


「え? いや、真剣な話なんだ……奈落?」男はそれに、呆れ顔をするとドグマの最後の言葉へ引っ掛かりを覚え、訊ね返した。


「そんなものが名なわけあるか。本当に忘れておるのか。そうか——ふむ。ならば上々。無垢の蛇に挑む蟲(オピマクス)、心配するな。そのうち、教えてくれるヤツに出会うだろうよ——」杯を置いたドグマは、そう云うと足元の蛙の人形を投げて渡した。「そのときは蛙の人形でも渡して気を引いてやれ。いいか? 間違っても蛇の人形を渡すなよ。蛇は蛙を丸呑みにするからな。変な目で見られるぞ」


 投げ渡された蛙の人形を、繁々と眺めた男は人形の腹に文字が彫られているのに気が付くと、残された蛇の人形を手にし腹を確認した。


 蛙の腹には〈(エオロー)〉。

 蛇の腹には〈(ハガル)〉。


「蛙をねえ。どっちも気持ち悪いんだけど。それよりも、ドグ爺——奈落ってのは?」

 

「気持ち悪いじゃと? ドグじぃ? 随分と気安いのう。この恩知らずめ」そうとは云ったドグマだったが、機嫌を損ねたわけではなさそうだ。これまでの奇行を他所に真剣な眼差しを男へ向けると、小さく笑い言葉を続けた。


「奈落とは、ここの事だ——無知で無礼な蛇に挑む蟲(オピマクス)。白蛇が潜った屈辱の深淵。久しく閉ざされておったが、賢くも阿呆な魔法使いらが、いんちき教典から写本を造ったのだろう。おおかた、物騒な魔女の遺物(ウィッチクラフト)を掘り起こして、御すためだろうな。墓荒らしどもが悪知恵だけは、めっぽう働くようだ——」ドグマはそこで言葉を切り腰を上げると杖を取り上げ、頭上を指しながら話を続けた。


「お陰で、厄介にも予定通り未来が教典に記され、また奈落が開いたと云うわけだ。頃合いと云えば、まあ、頃合いだったけれどな。おかげで儂も自由に歩き回れるようになったから良しとしよう。それでだ、無垢な蛇に挑む蟲(オピマクス)。後はお前さんに任せるが、地上に戻って教典をどうにかしてくれ。嫌なら家に帰っても良いぞ」


 ——家に帰って良い。


 何を任されたのか、それすら判らない男であったが、その言葉を耳にすると嫌というほどに胸の奥が騒ついた。

 それは焦燥感ではない。

 大切なものを忘れてしまったことを今更、思い出したような後悔。取り返しのつかない何かを目の当たりにした絶望。後になって知った悲壮を舐めた苦々しさ。やっておけば良かったという自責。そういった類のものが胸の中を這いずる感覚に似ている。


「ドグ爺。家に帰ったら……どうなる?」

 

「そうじゃな。人々は揃いも揃って、雁首揃えて、生きる屍になるだろうな。信念の押し売りに圧殺されてな。で、どうじゃ、蛇に挑む蟲(オピマクス)。取り敢えず地上に戻る方法だけでも聞いておくか? 戻るまでには記憶も還ってくるだろうよ。それとも、ここで儂と踊り明かすか?」神妙にそう語ったドグマは、最後に杖で氷原を一突きした。


 杖の下でコツンと音が響いた。

 次いで篝火が、冷ややかなパラパラとした風に焔を揺らした。

 あちこちに見える大小の氷塊が、ゆらゆらと踊るように影を揺らした。

 だが、男の影は座した氷塊の下で、じっと腰を据えていた。


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