第三十二話 魔女狩り小隊——追撃
シュロスたちは旧都大聖堂へ足を踏み入れると、迷うことなくブリジット一行がくぐった正面大扉を抜けた。旧都大聖堂には幾つかの聖堂が、密集した形跡が散見され、どの聖堂に飛び込んだのかを正確に見抜くのは困難である。
だが、迷うことはなかった。
それは、おそらくシュロスの眼下に屈み、柱の付け根に描かれた魔法音素を拭き取るシニルのおかげなのだろう。
シュロスは、それを一瞥すると顔を歪め周囲を見渡した。
そこらじゅうに造られた血溜まりは、いまだに波紋を打っている。斬り落とされた怪異の腕、鋭利な何かで両断された体、そんなものが、血溜まりの中で死後硬直前の痙攣を起こしている。
シュロスは「胸糞悪いね」と零した。
怪異を狩ることは本懐。それに忌諱を抱くことはない。魔女と認定された魔導師に対してもそうだ。魔導師という人種は、良くなることはないが悪くなれば、めっぽう胸糞悪い所業をなす。それであれば、殺してしまうのが手っ取り早い。
これはシュロスにとって最も判りやすい判断基準。本懐や矜持。そういった高尚な話ではなく、生きるための指針だ。
周囲に広がった光景は、どういう訳かシュロスにとっては胸糞悪く映った。
転がる骸の全ては怪異であるというのに。
「さて、追撃だ、シュロス」シニルがシュロスを呼んだ。
幾つかあった柱の根元の音素を全て拭き取ったのだろう。
準備が整ったようだ。
※ ※ ※
大縦穴の小部屋に入った二人は、逃げ込んでいた怪異を蹴散らすと、最後に大鍋をかぶった怪異の首を斬り飛ばし、骸を縦穴へ放り込んだ。
ᛉ・ᚨ・ᚺ・ᛒ・ᛚ——気が付けば、シニルが銀のペンダントを手に音素を描いた。
「シニル、何をしている?」シュロスは、片眉を上げ訝しげに訊ねた。
「働き蜂は女王蜂の元に帰るのが仕事だ」シニルは邪魔をするなと云いたげに、ぶっきらぼうに返した。
「何だって?」
「まあ、見ておけ——」背負袋から取り出した装丁本を掲げたシニルは、そう云うと言葉を続けた。「追跡者の写本。二十九項 三番——人面蜂。この魔力の主人へ亡者を導け。皆殺しにしてくれるなよ——主人は残すんだ」
すると、描かれた音素が螺旋を描きながら一点へ身を寄せると、無数に黒々とした澱みを産み出した。そして、それは瞬く間に羽音を立てる大蜂の姿となったが、どうも様子がおかしい。
シュロスはシニルの言葉に顔を顰めたが、次には大蜂を確かめると「クソッ!」と顔を背けた。その醜悪な姿に吐き気をもよおしたのだ。蜂の顔は、此処へ来るまで、無数に斬り殺した怪異のそれと酷似していた。
「おい、シニル! どう云うつもりだ」
「資源の有効活用だ。追跡者を産み出すほどの情景をまだ頭に描けないからな。写本の力も借りねばならない。悠長なことは云ってられないんだ」シニルは、そう淡々と返すと、人面蜂の群れへ行く先を示した。「奈落の前室あたり——そうだな、横穴が幾つかあるはずだ。慎重に辿れよ」
「そうじゃない。それを聞きたいんじゃない。主人は残せってのは?」
「言葉のまんまだ。ペンダントに残った魔力は、あの貴族令嬢のだろ? 蜂どもは、その匂いしか辿らない」
「本気か?」
「ああ。小娘が気に掛かるの——情でも移ったか?」
「いや、判らない。だけれど、そうだね。胸糞は悪いよ」
「そうか。無作法な帝国の蛮族については同意だ。だったら——そうだな。小娘が生きていれば拾って帰ればいいさ。それは黙っておいてやる」
※ ※ ※
シュロスとシニルは、大縦穴の階段を降りきり地下河川へ辿り着くと上流へ向かった。数匹の人面蜂がそちらへ誘ったのだ。
人が身を隠すのに丁度良い窪みで螺旋を描いた蜂を見たシニルは「ここで、装備を整えたか」と、紙切れを摘むとひとりごちた。すると、対岸に見える細い横穴から、人面蜂の群れが噴き出し、そこが追跡対象が逃げ込んだ横穴であることを告げた。
「さて。此処から先は未開の地だ。シュロス。体調はどうだ?」と、シニルは噴き出した蜂の群れが、大縦穴を登って行くのを眺めながら訊ねた。
「何でだい?」
「ああ、云ってなかったな。奈落の瘴気は、刻印を持たぬ者を〈罪を背負う者〉として容赦なく蝕んでいく。だが、刻印を持つ者は〈罪を観測する者〉として、この深淵に招き入れられる」
そう云うと、シニルは外套の首元を無造作に引っ張り、肌に焼き付いた赤黒い刻印を見せつけた。
「じゃあ、帝国の奴らは?」
「そうだな。帝国の奴でないのを救うなら、急がないとな」シニルは首元を正すと、冷ややかにそう告げた。「公私混同するなよ。これは仕事だ」
※ ※ ※
——〈奈落〉の前室。
亡者。
諸説あるが、往々に語られるのは命を噛み砕き、魂を丸呑みにするという悍ましい生態。
それは、魔法学で云うところの〈魂の還元論〉に類似性を見出すことができる。魂が流転する際、概ねはあるべき魂の鋳型へ収まるが、それが恣意的に行われた場合、世界から溢れ出し、負の特性を得る可能性があると云うものだ。
負の特性とは、正の特性を喰らい負を打ち消そうとする。上手くそれが成されれば、負の魂は現世へ戻ると正と成り、魔法の源泉への接続を自在に行う器を得るのだ。
だがしかし、その偉業——狂気——を成し得た話は耳にしない。
耳にするのは、その馴れの果てが亡者であり、光を避け闇夜を闊歩し生(正)を喰らう真似事をするというものだ。
そして、シュロスとシニルが踏み込んだ、吹き抜けの橄欖岩の広場には、亡者が溢れかえっていた。
頭蓋が割れた者。片腕が捥げた者。四肢を失い転がり動く者。
一切が人のそれではない亡者の群れが蠢いている——さながら、地獄絵図だ。
「シニル——これは、人なのか? 人だったのか?」
「いいや。どう見ても違うだろう。よく見ろ。不健康な青銅色の肌。あれは、死体の特権だろ? じゃあ、人だったものだ——」シニルはほくそ笑むと、シュロスの問いを丸めて答えた。「さて、出番だシュロス。焼き払ってくれ」
「……」シュロスはシニルの双眸を覆った布を一瞥するだけで、答えることはなかった。そして、静かに背中の〈護符の大剣〉を手に取ると、大きく振り上げ、その切先を勢いよく橄欖岩の足元へ叩きつけた。
——鈍い音が響き渡り、大剣が赤黒い輝きを放った。
護符が一斉に剥がれ落ちると、周囲へ螺旋を描いた。次第にそれは、焔を吹き上げながら蟠を巻くと、一斉に吹き抜けへ駆け昇った。さながら焔の大蛇となった護符の群れは、頭上で一回りすると、次には亡者の群れの只中を駆け抜けた。
血と肉が焦げる臭い。それが腐れたものともなると、酷く強烈な鉄の臭いの中に、鼻を突く腐った卵の臭いが混じり、まともに嗅げば気を失ってしまうだろう。
シュロスとシニルは、〈護符の大剣〉が放った焔が亡者の全てを焼き尽くすまでの間——そして、そのしばらく後まで——口と鼻を襟元の布で覆い隠し、静かに眺めていた。
「よし。焦げ跡を追うぞ。その先に帝国のが居るだろうよ」シニルが無機質に云った。亡者の焦げ跡を追う。それもシニルが云うところの資源の有効活用なのだろう。「見つけたら、暫くは尾行だ。奴らが〈言葉の写本〉を見つけるのか、それとも——そうだな、生き残っていればの話だが、オライオン達が見つけて〈奈落〉を昇ってくるのか。何れにしても、どちらかが発見するのは決まっているそうだ。どっちだと思う?」
「どっちでも良いさ。でもね。オライオンが死んでいたなら、許さないよ」すっかり護符が戻った大剣を背へ戻しながら、シュロスは答えた。その瞳には、底知れぬ苛立ちが見え隠れした。
「……」今度はシニルが、無言で答えた。
※ ※ ※
「なるほどな。追撃も此処までだシュロス。この縦穴を降りるわけには、いかないな。一層へ降りて、二層へ急ぐぞ」
シニルはそう云うと、覗き込んだ縦穴から顔を上げた。
橄欖岩の吹き抜けから、亡者の焦げ跡を追った二人は、下り道の途中に穿たれた縦穴へ行き着いた。焦げ跡もここで途絶えていた。生焼けとなった亡者が、幾許か縦穴に落ちたようだが、縦穴の向こう側の道には焦げ跡は続いていなかった。それから察するに、帝国の面々とシュロスが気に掛けた娘は、この縦穴に落ち、少しばかりの生焼け亡者もそれを追ったのだと判った。
「いいや、あたし達も此処から追いかけるぞ」
「待て、待てシュロス。落ち着け。あの小娘の遺骸は少なくとも此処まではなかった。いいか? この先は、予測が付かない。骸を回収するにせよ、お前は生きて動けなけりゃ、望みは果たせないぞ。だったら、大人しく一層を手早く抜けて、二層へいくべきだ。それにだ——」そこでシニルは腰裏のポーチから見慣れない石を取り出すと、それを縦穴へ放り込んだ。「あの石の在処は追跡できる。もしこの縦穴が一層に続いているなら、直ぐに小娘を見つけられる。二層なら——まあ、生存率は下がるが、見つけるべき物は見つかるだろうさ。それにだ、これで全滅されていたら望みはオライオン達にかかってくる。そうなれば、厄介極まり合いぞ」
「それで、その一層ってのは、向こうへ行けばいいのか?」
シニルの理詰めに折れたシュロスは、苛立ちを隠そうともせず足元を蹴り付け縦穴の向こうを一瞥した。
「ああ、そうだな。行くぞ」
シニルは、シュロスが指し示した方角へ顔を向けると、冷ややかに答えた。




