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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第四章

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第三十一話 ヴァレンタイン姉弟——侵蝕


 ブリジット一行は姉弟喧嘩の結末を見ることなく先を急ぎ、橄欖岩(かんらんがん)の横穴へ飛び込んでいた。そこは、先ほどまで身を寄せた大縦穴の底と比べるまでもなく背が低く幅も狭い。二人並んで歩いてしまえば、いざというときに身動きが取れなくなる。

 だから一行は、パレアスを先頭にフラウ、ブリジット、マーナガルムの順で横穴を進んだ。

「風があるな」マーナガルムはそう云うと、暗に横穴の先にはここよりも背が高く、広い空間があることを示唆した。

 この先が上に広がるのか、下に広がるのかは見るまでは判らない。だが何れにせよ、この先に気圧の差があることは確実だ。先に進まなければ、追跡者に追いつかれてしまうのだから、足を止めることはできない。


 橄欖岩(かんらんがん)が仄かに輝き、まだ目を凝らせば足元は見ることができる。だから一行は灯りを着けることなく足を進めたが、次第に暗くなってきた。それにブリジットは「灯りをつけますか?」と、マーナガルムへ訊ねた。


「そうだな。そろそろか——いや、ちょっと待ってくれ」マーナガルムは、そう云うと、一行に止まれと指示を出した。

 そして耳を澄ます仕草を見せると顔を顰めた。

 どこかからか、(やすり)を薄く擦り合わせるような痒さを呼び込む音がしたかと思うと、次第にそれが大きくなってきたのだ。どうもそれは、後方から迫ってくる。一行が横穴へ踏み込んだ際に何かに捕捉されたのか。

 その音は一行の背筋を不躾に撫で上げた。

 そしてマーナガルムが「走れ!」と短く号令をかけた直後、不躾な音の正体が露わになった。橄欖岩(かんらんがん)の仄かな暗緑の輝きを塗り潰すように、人の拳ほどもある禍々しい蜂の大群がぐんぐんと迫ってきていたのだ。

 その様は、まるで黒い大穴が侵食しながら追いかけてくるようだった。


 しんがりのマーナガルムは懸命に剣を振り、大蜂を叩き落としたが、駆けるのに上下する体では、そこまでの精度は得られない。それであれば、護符(ペンタクル)で燃やすのか。そう思案すると「ブリジット、護符(ペンタクル)で燃やせるか?」と叫び訊ねた。

 ブリジットは優秀だ。

 マーナガルムへ「はい」と答えるだけではなく、すぐさま実行に移した。「先生、頭を下げてください!」

 先頭を走るパレアスは「べべ、ちょっと待って!」と悲鳴のような声を上げた。だが、足元の影が魔法音素(ルーン)の輝きに縁取られるのを見るや否や、「目を閉じろ!」と鋭く叫び直した。


 マーナガルムの背後で真っ赤な輝きが破裂すると、視界が奪われた。

 それまで半ば暗闇にあった一行の視界は、それに馴れていた。そこへ突然放たれた閃光は当然のように眼前へ真っ白な布を広げたのだ。

 かろうじて視界を確保したパレアスは、脚をもつれさせた三人をなんとか誘導すると、素早く魔法音素(ルーン)を描いた。視界を確保する魔法は比較的に簡単な部類のものだった。


 ※ ※ ※


 パレアスの機転もあり、大蜂の群れから逃げ切った一行が、踊り出たのは背の高い吹き抜けだった。

 周囲を見渡せば、その吹き抜けはなだらかに下へ下へと道が続いているのが判った。風はそこから流れてくるものだった。

 一行が下り道に気がつき、足を踏み出そうとした瞬間、横穴から大蜂の群れが一斉に噴き出してきた。だがブリジットたちに迫る様子を見せず、まるで見えない壁を恐れて躊躇するように吹き抜けをぐるぐると旋回すると、再び横穴の奥へと逃げ帰っていった。


「先生、見ましたか? あの蜂……顔が人のようでしたね」

 ブリジットは再び護符を握り締めると、そう零した。

 迫ってくるのであれば、もう一度燃やしてやろうと考えたが、その必要は無くなった。だが、それで得たものは好機でも、運気でもなく先に広がる暗闇の本性の一部を垣間見たように思う。ブリジットは言葉の後に体を、何度か震わせた。


「ああ、確かに」マーナガルムはブリジットの観察眼に同意すると、「しかし、ここが私たちの目的地であることは確定だ」と重々しく続けた。

 ブリジットもパレアスも、この任務の真の過酷さについて、さほど考えを巡らせてはいなかっただろうとマーナガルムは考えていた。そうでなければ、再誕祭の喧騒をあれほど無邪気に楽しむ余裕はなかったはずだ。

 だが、本来それで良いと考えていた。マーナガルムは単独で任務を終わらせる腹づもりだったからだ。しかし——こうなってしまえば行くも地獄、帰るも地獄。ここに居る面々には腹を括ってもらう他ない。

「よし、先へ進もう。ここから先は慎重に……何が起こるか判らないからな」


 ※ ※ ※


 パレアスが不調を訴えたのは、下り道を降り始めてほどなくだった。

 眉間に皺を寄せ「ごめん——ちょっと休憩させて欲しい」と、脚を止めたパレアスは、とうとう胸を押さえ屈んでしまった。

 

「大丈夫か、パレアス」

 ブリジットは心配そうに目を白黒させていたが、意地を張っているのか声をかけようとはしない。未だ姉弟の喧嘩は暗黙のうちに続いているようだ。マーナガルムはその様子に気づくと、代わりにそう声をかけた。

 この空気の悪さは、自分が蒔いた種であることをパレアスは自覚しているのだろう。「はい。先生」と、パレアスはそう短く答えた。


「無理をするなパレアス。ここで——少し休憩しよう」

 空気が悪いのは、パレアスとブリジットの間の話だけではない。

 マーナガルムは鼻を突き上げ、何度か匂いを確かめると休憩の言葉を言い淀んだ。しかし、これ以上いそぐのは危険を伴うだろう。パレアスが倒れたのならば、背負うしかなくなるが、それは自殺行為だと云っていい。

 マーナガルムが鼻に感じたのは、この暗闇に薄く漂い始めた、すえた臭い。

 それは、ひとたび鼻を通れば奥に淀み溜まり、なかなか消えることのない、粘り気のある臭気。急激に吸い込めば、それは鼻を焼きながら両肺へ熱の水膜を垂れ流そうとする。その証拠に屈み込んだパレアスは「胸が熱くて痛い」と、訴えた。

 

 ※ ※ ※


 下り道の先から吹き抜ける風の音が、周囲の音を掻き消すのが気になった。

 小さな火を焚かせ、その周りへ三人を座らせたマーナガルムだったが、周囲を見渡すために腰を上げた。「三人は、できるだけ休憩を。パレアスは水を呑んでおくんだ。落ち着いたら先へ急ぐぞ」


 マーナガルムは細かく分けてあった乾燥肉を一切れフラウから受け取ると、それを齧りながら周囲を警戒した。

 下り道の先からは気配を感じない。だが、背後の吹き抜けの方から、どことなく嫌なざわめきを感じる。下から吹き上げる風のせいで音の正体が掴みきれずマーナガルムは、背後への警戒を強めることにした。

 

 そんなことを心に決めた矢先だった。

 乾燥肉の切れ端を口へ放り込んだマーナガルムは「三人とも、荷物を!」と短く鋭い指示を飛ばした。

 吹き抜けへ目を向ければ、仄かな暗緑の光の中へ幾つもの影が浮かび上がっていた。

 今度のは異形の蜂でも、地上で出くわした怪異のものでもなく、無数の人の形をした何かの群衆だった。それは、呻き声を撒き散らしながら下り道を、一心不乱に駆け降りてくる。

 岩溝に足を取られた一体が蹴躓き転がった。

 だが、後続のそれらは気にすることなく、転がった一体を踏みしだき駆けることを止めない。次第に転がった一体は、無惨にも頭蓋を割られ、四肢はあらぬ方向へ捻じ曲がってしまった。

 

「くそ! あれが亡者か。走れ! 走れ!」

 マーナガルムは喉を枯らすほどに叫んだ。

 実物を目にするのは、これが初めてだった。

 帝国の中央砂漠を泳ぐ砂蛇。我が物で闊歩する猛毒蠍。獅子の立髪と体に老人の顔を乗せたマンティコア。そういった怪異どもの出生も、由来もよく判っていない。それを知るのは学者の仕事でありマーナガルムは、それらを斃すことが仕事だ。知らないからこそ、躊躇いも、迷いもない。

 だが、魔導書の類に姿を現す亡者。それは、元は人間である。

 魔導師の馴れの果てと云われるものもあれば、神罰の一つの姿とされることもある。つまり、お伽話のようなものなのだ。故に、出会してしまえば、迷いや恐怖に取り憑かれるだろうとマーナガルムは常々思っていた。

 そして、その懸念は的を得た。

 三人は、駆けてくる者どもの正体に気がつくと、氷ついてしまったのだ。


「走れ! 走れ! 走れ!」マーナガルムはもう一度、力強く叫んだ。

 

 ※ ※ ※


 がなり立てられた呻き声。それが背負袋のすぐ向こう側に感じる。何度か引っ掛かりを感じるのは、亡者の虚な指先がマーナガルムの背負袋を掠めたのだろう。

 再びしんがりを受け持ったマーナガルムは、前を走る三人との距離をとり亡者の群れを遠ざけようとした。それを、擦り抜けようとした亡者の脚や頸を容赦無く斬り落とし横転させれば、更に距離を稼げる。それで余裕が生まれればよし。意外と冷静となったパレアスが先導役になればもっと状況は良くなるだろう。

 その為には上塗りされた非現実を取り除き、訳も判らなく脚を回し駆ける三人が、悲痛な叫びを上げなくても済む距離を稼ぎたい。


「あれは何!? あれは何!?」

「判らない! 人!? 人なの?」

「……ッ痛。二人とも後ろを見ないで走るんだ! べべ、余裕ができたら光を!」パレアスはマーナガルムの意図を汲み取ったのか、胸の痛みを堪え、ブリジットとフラウへ声を飛ばした。

 

 その刹那だった。

 次に響き渡ったのはフラウの絶叫だった。「パレアス! 前!」


 それを合図にか、時間が酷く薄く長く、引き延ばされるような感覚が三人を襲った。

 パレアスはフラウの声に前を向こうとしたが足の裏の感覚をなくすと、不思議と頭上にフラウとブリジットの体を見た。

 幾度かの瞬きの後。

 何でも良かった——体を支える重みを求め四肢を振るったがそれは叶わなかった。

 もう一度、瞬きを繰り返した。

 すると、胸に重みを感じた。だが、それはパレアスが求めた重みとは違った。両瞼を開くと、そこにはフラウの栗毛が見えた。

 

「パレアス、ごめん!」フラウの声が届くと、パレアスは不意に体がひっくり返る感覚を覚えた。すると視界が延々と続く暗闇に覆われ、すぐそこに見えるフラウの顔だけが、現実感を伴った。


 落下している。

 そうだ——フラウの絶叫を耳にし、パレアスは下り道に穿たれた姑息な縦穴へ転げ落ちたのだ。

 そしてフラウはパレアスを救うために縦穴へ飛び込んだのだ。そう理解した途端。今度はフラウの苦悶の声と共に、急な傾斜を滑り落ちるのが判った。

 

 ※ ※ ※


「パレアス!! フラウ!!」忽然と二人が姿を消したのに声を張り上げたのはブリジットだった。

 理解が追いついていないのだろう。ブリジットは縦穴の淵にしゃがみ込み、何度も二人の名前を叫んでいる。


「落ちたのか!?」数拍の後にブリジットの前へ立ったマーナガルムが状況を確認した。

 だが、ブリジットは「嫌、嫌、嫌。パル、フラウ」と、その頃には声を萎ませマーナガルムに答えることはなかった。


 マーナガルムは、押し寄せた亡者を無心に斬り伏せ「ブリジット、立て! 立って走れ!」と何度も声を荒げたが、それはブリジットの耳に届かなかった。

 最悪の状況を迎えた。

 ブリジットは心を折られ、パレアスとフラウは縦穴の闇に呑まれた。

 これまでか。そう観念するところだったがマーナガルムは、顔をハッとさせた。「ブリジット、縦穴に飛び込め!」


 だが、マーナガルムはその状況の中、縦穴から激しい金属音とフラウの名を叫ぶパレアスの声を聞いたように思ったのだ。

 それが幻聴だったとしても、少なくとも亡者に喰われるという尊厳なき死からは逃れることができる。

 もうあと半拍遅れれば、亡者に押し切られ二人は餌食となっただろう。

 マーナガルムは、身動きしないブリジットを抱え縦穴へ飛び込んだ。

 


 

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