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寄る辺のレヴェナント  作者: コネ
第三章

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第二十二話 奈落の再会


〈奈落〉——第九層と第八層の狭間。


 氷の巨人に別れを告げた三人は、切り立った断崖に穿たれた階段を登っていた。

 延々と続く足場の悪い階段は、登り始めた頃は氷の絶壁の余韻を残したが、次第に煤けた黒の地層をちらつかせ、今ではすっかり煤の張り付くそれとなった。

 二番目を歩くオライオンは、壁へそっと指を走らせ、べっとりと付着した煤を見ると「うぇッ」と、蛙が潰されたような声を挙げた。ついでに匂いも確かめたのだ。

 

「腐った泥が焼ける臭いがする」オライオンはそう云うと首元の布を鼻まで引っ張り上げた。

「ここから先は第八層だからね。瀝青(れきせい)の臭いが酷いかも」と返したのはノルンだった。

「れきせい?」と訝しげに訊ねたのは最後を歩くアンだった。聞き慣れない言葉に興味を持ったようだ。

 

「そうそう。石炭を蒸し焼きにすると出てくる臭い汁ね。確かに腐った泥が焼けた臭いかも。この先は、それが固まってできた塹壕が広がっているってお爺ちゃんが云ってた。多分、オライオンが持ってる手稿にも書いてあるよ」どこか旅行を楽しむようにノルンは云って見せたが、その表情はいたって真剣そのものだった。

 この先の困難を、そこはかとなく予感したのだろう。

 その証拠に、細かく浅く鼻で息を吸い、額に滲んだ汗を拭くと飲み水が不足していることを気にかけていた。だからなのだろう。ノルンは行く先々で、比較的に綺麗な氷の塊を見つけては砕き、空いた水袋へ放り込んでいたのだ。この暑さならば、氷は直ぐに溶けて水袋を満たすだろう。


 

「ふーん」アンはノルンの返答に、なぜだか興味なさそうに空返事をした。「ねえ、あそこに誰か居ない?」空返事は、さらに興味深い発見をしたからのようだった。実際のところ、アンが指差した先には、弱々しい篝火が煤けた岩壁へ人の影を映していた。ノルンとオライオンは、それを確認すると腰裏の短剣へ手をかけ歩速を落とした。

 

 ※ ※ ※

 

「そこに誰かいるの?」影を発見したアンは二人の前へ踊り出ると、慎重に声をかけた。

 

「アン——アンドヴァリか? それに——オライオン? オライオンなのか?」アンの声を耳にした人影は、一度、スッと岩陰に身を潜めると、こちらも慎重に訊ね返した。その人影は、どうやら岩陰から三人を目視できているようで、近寄る一行に見当をつけたいようだ。


「その声は、ヴォーデ?」

 岩壁の影から聞こえた声は、此処まで気を張り詰めたアンの心を軽やかに解くものだった。生きて——と云って良いかはさて置き——再会できる喜びと安堵に顔を明るくしたアンは、声の主ヴォーデ・クロイスへ駆け寄った。

 ノルンとオライオンは、無邪気に駆け出したアンを引き止めようとしたが、それを諦め慎重に後を追いかけた。

 

 ※ ※ ※

 

 騎士ヴォーデは断崖の踊り場にできた、ちょっとした窪みに身を隠すよう腰を降ろし警戒をしていた。

 階段の先から感じる不快で不気味な空気の流れ。

 階段の下——氷の巨人が居た場所——から聞こえる管楽器を乱暴に鳴らすような音——つまり上昇気流が通る音。

 そんなものばかりが、ヴォーデが生きていることを証明する支えだった。だが、下り階段からハッキリと人の言葉だと判る音が飛び込んできたのだ。最初は、飛び上がるように喜んだが、はたと考え思い留まった。

 ここが何処だかも未だ判らないまま。

 それであれば、あの安堵の音は何かの罠である可能性は大きい。

 だが、返ってきた声は聞き覚えのあるものだった。

 それは、アンドヴァリ・チャーチの声。

 隠された地下祭室で赤く輝き霧のように消えてしまったが、どうやら命を落とすことはなかったようだ。例え、そうでなかったのだとしても、この再会が罠であったとしてもヴォーデはもう限界だった。

 だから、聞き覚えのある声がそうであることを願い駆け寄ってきたアンを抱きしめた。「良かった。アン、本当に良かった。オライオン、お前も無事で……オライオン?」


「ああ、ヴォーデ——」再会を喜び抱擁を交わす二人とは裏腹に、未だ短剣から手を離さず距離を取った二人にヴォーデは不信感を抱き、それにアンは仕方なさそうに声を挙げ手招きした。「説明が必要よね。二人とも大丈夫だからコッチに来て」

 

 ※ ※ ※


 ヴォーデが身を隠した岩陰は、延々と続く断崖の階段で小休止するために造られた空間のようだった。篝火かと思った灯りは、小さく突き出した瀝青の先に灯った小さな火で——臭い煙をあげていたが——なんとか体を休めることはできた。

 アンに云われ、そこへ身を寄せあった四人——とくにアンとヴォーデ——は、ここまでの経緯を手早く共有した。


 奇妙な儀式の贄となり、この〈奈落〉で目を醒ました二人。

 アンは直ぐに、骨ばった大柄な司祭——ノルンとオライオンが斃したあれだ——に捕縛され、牢獄へ。ヴォーデは大雪原の只中で目を醒ますと、長いこと斜面を転げ落ち、亡者の群れと天を突く巨人を目の当たりにした。後に亡者の海へ飛び込み、何千もの頸を刎ねながら巨人の元へ辿り着いた。そこまで何度も挫けそうになったが、アンから託された短剣に救われ、現在に至ることをヴォーデは深く感謝した。


「よくあの短剣を残してくれたね——シニルなら喜んで奪って行きそうなものだけれど」とアンは不思議そうな顔をした。

「ああ。そうなんだ。身包み剥がされなかったのもそうだしな」とヴォーデは間髪を入れず答えていた。それは、アンとヴォーデの共通の疑問だった。

「ねえ、オライオン——」アンは、それに答えを出せるのは、オライオンだろうと思うと眠そうにした白灰色の男を呼びつけた。

 当のオライオンは、まだ呼ばれ慣れていないのか、はたまた、こんな状況だろうと眠いものは眠いということなのか我関せずだった。

 それに苛立ったアンは顔を向けることもないオライオンの肩を強くゆすった。「ねえ、オライオンってば! あんたが持ち帰った話でこうなってるんだから、少しは真面目に話を聞きなさいよ!」


「そんなことを云われても、俺は記憶を失っているようだし——それに、そのオライオンって名前だって本当に俺のなのかも……ねえ」鼻と鼻がぶつかりそうなほど、怒り顔を近づけたアンから視線を外したオライオンは横に座ったノルンを見た。

 

「え、私に振られても困るんだけど。でも、まあ良いよ。何れにしても説明はしないとだしね」とノルンは困り顔で返したが、意を決したのか、良い機会を得たのか、姿勢を正すと言葉を続けた。


「コホンッ。じゃあ説明をするね。アンドヴァリともう一人のオジサン……えっと」

「アンで良いわよ。こっちのオジサンはヴォーデ」

「お、おじ……。ヴォーデ・クロイス。教会騎士だ」

「元、教会騎士でしょ?」

「あ、ああ。そうだな。それで——そんなに、老けているか俺」

「今はね。憔悴しきってお爺ちゃんみたい」

「イチャイチャするのは地上に戻ってからにして。続けていい?」ノルンが小さく咳払いをすると、足元の瀝青の火がパチリと爆ぜた。

 アンとヴォーデはどこか気不味そうな顔で頷いたが、オライオンはとうとう「もう限界だ」とその場で横になってしまった。ノルンは仕方なさそうな顔をし「寝てくれていた方が、ややこしくないかもね」と嫌味を云い、またぞろ咳払いをした。「——続けるね」


 ※ ※ ※


「アンとヴォーデ、それにこのオジサン——オライオンね。オジサンには、もっと別の名があったのだけれど。とりあえずオライオン。これで三人。そして、もう一人。アンのお姉ちゃん。この四人は、お爺ちゃんが準備した儀式のために選ばれたの。厳密には、もっと居るのだけれど。それで、私はこの体を借り受けて儀式を進める役」瀝青の火が、またぞろ爆ぜたところで、ノルンは言葉を切り起きている二人の様子を伺った。

 訝しげな顔はしているが、先に話を進めて欲しいと二人は小さく頷いた。アンに至っては、この時点で重大な疑問を抱いたのだろう、腕を組みノルンの次の言葉を待っている。往々にして〈女の勘〉と云うものは鋭い。

 

 ノルンも静かに頷くと言葉を続けた。「儀式の目的を詳しくは語れないのだけれど、とにかく此処から私と一緒に地上へ登ること。それがオジサンたち蛇に挑む蟲(オピマクス)の役目の一つ。役目は二つあるけれど、もう一つのは、ぐーすか寝ているオジサンの役目。この旅の最後に重大な選択をしてもらうの」


 そこでアンが堪らずに口を挟んだ。役割云々は、重要ではない。ノルンの口ぶりは、まるで()()()()()で地上を目指すのだと聞こえる。「ちょっと待って。サラッと云ったけれど、マリアはどうなっているの。そう、私のお姉ちゃん。誰にだか知らないけれど、選ばれたのは、ノルンを除いて四人なのでしょ?」


「お姉ちゃんの——」

「マリア。マリア・ヒューレイ」

「マリアは、無事。お爺ちゃんが——」

 

「ねえ、さっきから、そのお爺ちゃんってなんなの? 意味が判らないのだけれど。なんにせよ、私たちをこんなところに放り込んで、そのお爺ちゃんってのは私たちに何をさせたいの? ノルン、よく聞いて。マリアは身重なの。本当はこんなことに首を突っ込んでいる場合じゃないし、突っ込まなければ、そこの馬鹿が一人で勝手に事件に巻き込まれるから、そうしたの。いい? これを聞いても、はぐらかそうって云うなら、この大層な旅ってのは、ここで終わり。私は私で、馬鹿を連れて勝手に行くわよ。お姉ちゃんにとって必要な人だから」

 そう捲し立てたアンの顔は酷く紅潮していた。

 つい先程までの極寒から、予期せぬ暑さへの激しい変化が、そうさせたわけではない。その証拠にアンは今にもノルンへ飛び掛かろうと膝を立て、地面を蹴ろうとしている。

 

 それを傍目に見たヴォーデは、いつもなら止めに入るところであるが、どこか躊躇してしまっている。

 突然置かれた過酷な環境。浴びせるように投げられた謎かけのような単語の数々。そして、それを理解しようが、しまいが足を進めろと云うような謎の少女。傲慢にも見えるその態度は、そうしなければ大切な姉も腹の中の子の命は奪われるだけだとアンに告げているように見えた。

 自分が同じ立場であれば、もう目の前の少女に襲いかかっているに違いない。ヴォーデはそう思うと、アンを止めることを躊躇したのだ。

 しかしだ。そうしてしまっては全てを手探りで進まなければならない。それは悪手と云って良い。

 だから、ヴォーデは一呼吸しアンの肩を押さえると口を開いた。「ノルン。アンの気持ちを察してやってくとまでは云わない。そっちにも事情があるのだろ。だが、判るように説明してくれ。こんな状況だ。明言できないことはしなくていい。だが、それでも判るように努めて話してくれ。そうでないと進みようがない。それは判ってもらえるか?」

 アンの言葉にノルンが両肩を竦めようものなら、いよいよ取っ組み合いになる。そんな緊迫した空気であったが、ヴォーデの言葉は間に合った。

 アンはヴォーデの落ち着いた声を耳にすると、鼻を鳴らし再び腰を降ろすとそっぽを向いてしまった。かたやノルンは、アンを迎え撃とうと思ったのか、腰を少しばかり浮かせ片手を背に回していた。そこには短剣が収まっている。

 だが、ノルンもヴォーデの言葉に落ち着いたのか、腰を降ろした。「ごめんなさい。でも、私も全部わかっているわけじゃないの」


「ああ判った。その上で都合の悪いこと、良いことを整理して、説明してくれ」

「うん。判った。そうしたら順を追って説明をするね——と、その前に。私は少し前まで産まれたての赤ん坊で、知っている言葉の種類も少ないの。だから、意味が判らなかったら、その都度訊いて欲しいの」


「……ああ、判った。それでだな……もう既に判らないのだが、少し前まで赤ん坊だったと云うのは、何かの比喩か。それとも、ああ……冗談か?」

 ノルンが顔と姿勢を正し、改めて口を開いたが、それを受けたヴォーデは呆気にとられ何度か頭を振ると、そう訊ねた。ノルンの言葉が正しければ、この話は大前提からして謎だらけだ。

 

 呆気に取られ口を開いたままのヴォーデを笑うよう、瀝青の灯がパチパチと小さく爆ぜるとノルンは少し困ったような顔をした。「ううん。そのまんま。オライオンが持ってきた人形のおかげで、ここまで成長できたの」


「人形? そうか。人形か。ここまで来たら信じるさ。この男はいつだって厄介ごとに巻き込まれては、自覚なしで突っ走るからな。ああ、わかった。オライオンが持っていた人形を切っ掛けに赤ん坊だったノルンは、ここまで成長したと。それには、きっと何か意味があるのだろ」ヴォーデは、寝息を立てるオライオンの顔を見おろし、大きく溜息を吐いた。「ノルン、悪かった。話を続けてくれ」



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