第十八話 トレアシア神帝国
〈古ラントレッド〉——旧王城跡、胸壁。
すっかり夜の帷が降りると、旧都は闇に呑まれた。
隔離壁の向こうからは、煌々と街の灯りが漏れ出ている。
その灯りは、懸命に旧都の闇を払うように隔離壁の中へ手を伸ばすが、あまりもの闇の重たさに、頭を垂れ諦めるように見えた。隔離壁のてっぺんから少し下より先に灯りが伸びることはなかった。
無数に張り巡らされた旧都の通りも変わらず闇夜に呑まれている。
だが、胸壁からそこを眺めたシニルとシュロスの二人が見ているのは、暗い通りに時折パッと破裂するように輝く赤い光と、その軌跡だった。
「レッドキャップもうまく使えば、良い猟犬になるじゃないか」その破裂を眺めたシニルが楽しげに零した。
「ああ、そうだね——」シュロスは、どこか興味なさそうにそれへ返した。おそらく他のことに気を奪われているのだ。
「そんなに、あの探索者のことが気になるか?」シニルは通りから目を離すことなく訊ねた。返ってくる答えは予想できている。だから、今更シュロスの表情を気にすることもない。
「あんな子供を騙すのは、やっぱりね」
「子供?」
「あ? あんたは、あれが大人に見えるのか?」
「いや。だが探索者となったからには、区別する必要があるのか? あのボンボンだってそうだ。 貴族だと云われ、そう振るまえば立派な貴族だ。大人だ、子供だと云ってられないだろ」
「それは判っているさ」
「じゃあ、何が……と、うまく追い込んだようだな。さて、これで——あの一行は条約を反故にし旧都へ踏み込み、そして封鎖区域へ侵入した。我が国が定めた条例も反故にした。そうだな、あれは悪い魔法使いと騎士。いや、魔女とその一行だ。ではでは、我々は仕事を始めようか。魔女狩りの時間だ」
シニルは大袈裟にそう云うと、シュロスの肩を軽く叩きひらりと胸壁から飛び降りた。
飛び降りるには——とてもではないが——無事では済まない高さからであった。だが、シニルは着地寸前にフワリと体を浮かせ難なく地に足を付けると胸壁を見上げた。「早くしろ、魔女殺し」
※ ※ ※
〈古ラントレッド〉大聖堂——大穴の階段。
「随分と深いな」そう零したのは、未だ放心状態のフラウを背負ったマーナガルムだった。一行は、先に進むことを決め危険極まりない絶壁の階段を慎重に降り始めたのだ。
先頭を歩くブリジットは、節くれた指揮棒へ魔法の輝きを灯し一行の足元を確保している。マーナガルムの言葉に小さく頷き「そうですね……。あと、どれほど踊り場を行けば底に着くのか、想像も付きません」と、小声で返した。大きな声を挙げてしまえば、縦穴の暗闇に音を奪われ平衡感覚を失ってしまう。先ほども、それで階段を踏み外す所だったのだ。
マーナガルムの後ろを歩くパレアスが先程から口を閉ざしているのも、足元の安全を確保するためだろう。
どれ程の踊り場を通過した頃だったか定かではないが、頭上から背筋を凍らせる絶叫が落ちてくるのが判った。
絶叫が落ちてくると、その少し後には大穴の暗闇に何かがバラバラと落ちてくる気配を感じた。
それに気が付いたパレアスは良く目を凝らし、落ちてくるものの正体を確かめた。「姉さん、できれば急ごう。上から化け物の死体が降ってきてる」
絶叫の後を追うように落ちてきたのは、怪異——レッドキャップたちの頭や、首を無くした骸、もしくは臓物を散らかしたそれだった。
一行は、何が起きているのか判断することができなかったが、筆舌に尽くしがたい不安を覚えると可能な限り足を早めた。
※ ※ ※
随分と下へ降りると次第に暗闇の底の方から、湿気を帯びた空気が吹き上がってくるのが判った。耳をすませば、遠くから割れ鐘のような響きが聞こえ、その合間を縫うように、ボチャンボチャンと水面を叩くような音も聞こえてきた。
ブリジットはそれに訝しげな表情を浮かべた。「先生、この音は?」
「信じられないが、遠くに滝があるのかも知れないな。水面を叩く音は……おそらく上から降ってきているアレのだろうな」マーナガルムはそう、答えると指を口元にかざした。
ブリジットとパレアスは、それに合わせ足を止め息を呑んだ。
縦穴の暗闇に目を凝らすと、何体かの骸が降ってきた。それを目で追いかけると、そう時間も経たないうちに、バシャンと音が昇ってくる。滝の有無は目にするまでは信じられないが、どうやら暗闇の底には何かしらかの川が流れているのは確かなようだ。
一行は、未だ降り止まない骸と絶叫を再確認すると、可能な限り急足で階段を降りていった。
※ ※ ※
マーナガルムの予測は概ね的を得ていた。
とうとう、暗闇の底へ到着した一行の目に飛び込んだのは、悠々と横たわる河川だった。それは、右手に穿たれた洞窟の闇に呑まれており、先がどうなっているのかが判らない。しかし、腹の底を震わせる轟音が聞こえるのはそちらからだった。
見上げても、大穴の部屋から張り出した床の影すら見えない。随分と降ってきたのだろう。頭上には暗闇が重々しくのしかかっている。
不意の落下物が河川の水面に叩きつけ、バシャンと音が鳴るたびにブリジットは、小さく悲鳴を挙げ耳を押さえたい衝動にかられたが、指揮棒を手放すことなく一行を誘導した。足元を見れば、着水しなかった怪異の骸があちこちで、無惨な姿を露わに惨たらしい光景を描いた。
「ブリジット、上流へ動こう」マーナガルムは何かを察知したのか、この場から急いで移動することを指示した。
※ ※ ※
一行は、ブリジットの指揮棒を頼りに上流へ足早に移動した。
ゴツゴツとした岩肌の行軍は随分と足場が悪かったが、死を覚悟しながら絶壁の階段を足早に降りるのに比べれば、ましな方だった。
その証拠に、姉弟とマーナガルムは周囲を観察する余裕さえあった。
よく見れば、ゴツゴツとした足場は暗緑の岩が広がる大洞窟の一部であることが判る。上流へ行けば行くほど頭上の暗緑の岩が低くなり、耳が詰まるような空白の圧力から解放された。
「これは、橄欖岩の一種だろうな。環境が合えばペリドットの原石が見つかるだろうが——ブリジット、その先に見える岩陰で休息だ」先程から幾分か顔を顰めているマーナガルムは、その様子から背中のフラウの重みに限界を感じ始めているのだろうと予想できた。
ブリジットは、マーナガルムが云った岩陰へ先に行くと、安全を確かめフラウを預かった。
※ ※ ※
「みんな、本当にごめんなさい」フラウがそう、口を開いたのは一行が一息ついて間もなくだった。
それまでも、何度か半覚醒を繰り返していたフラウだったが状況は飲み込めず、微睡にも似た意識の沈みを感じると背負われた揺れを感じながら、瞼を閉じていた。
心地良い揺れを感じなくなると、フラウの意識の沈みは薄れ次第に河川の流れが耳の奥のに残った。そうして、不機嫌そうに覚醒したのだ。
状況は大体把握できた。
自分だけが絶望に打ちのめされ役立たずのまま、この風景をまるで被害者のように眺めたのだ。フラウは、それに気が付くと、第一声で謝罪したのだ。
「どういうことか説明しろ、盗賊女。場合によっては国家間の問題になるぞ」覚醒したフラウへ、辛辣な言葉を浴びせたのはパレアスだった。フラウの背中を支えたブリジットは、それに顔を顰めた。
「パル、それは違うわ。これで問題視されるのは、私達の方よ。実際問題、皇帝陛下が発布なさった世界教義統合は、全く受け入れられていない。私達の行動を理由に、他国が攻め入ってもおかしくはないの」ブリジットは、なりふり構わずあけすけにそう反論した。この先、命が保障されることはない。
そう予感すればこそ、蟠りで言葉を濁すよりも率直に云った方がよかった。そのほうが混乱も少ない。
世界教義統合。
それは、トレアシア皇帝が発布したレヴェナント大陸に介在する信教をトレアシアのそれに統合する宣言だった。
ラントレッド新王国を中心に繁栄を見せる現代魔法は偽りのものだと主張。〈言葉の写本〉による魔法の完全復活と恩恵の享受を成し遂げるにはトレアシア神帝国へ全ての信教が回帰する必要があると謳ったのだ。その権能が最初に起こす奇跡は、不当に穢されたトレアシア国土の回復と治世だとも、声高らかに云って見せた。それは明らかに世界を欺瞞する言葉だ。
これには世界が震撼する反面、狂気に満ちた宣言を打ち滅ぼす必要があるという一念が醸成されると奇妙な連帯感を産み出し始めている。
ブリジットたちに下された任務は、世界を欺瞞する言葉の一端を担う重要でかつ、どこか背徳感を禁じ得ないものである。
「それはそうだな。ブリジットの云う通りだ」マーナガルムは、任務の背景を知るだけに胸中苦しそうに、そう告げた。
パレアスの未熟が故に帝国側としての視点だけに縋る気持ち。賢いばかりに多様な視点で考えを巡らせてしまうブリジットの気持ち。マーナガルムには双方の気持ちがよく判る。そもそもこれは、純粋な若者に託すには重すぎる任務なのだ。
利害を考えられるほど狡くなれる大人が負うべき責務。それだからこそ、大人たちは、かつての自身が抱えた純真の苦悩を忘れ、この姉弟へ押し付けたのだろう。
マーナガルムは、そう思うと自らが告げた言葉は責務を放棄したそれと同じだと顔を歪めた。
「お前は黙っていろ、マーナガルム」どこか、言葉の責任を置き去りにしたようなマーナガルムの云いようにパレアスは声音を強く吐き捨てた。
「いい加減にしなさい、パル! これ以上、先生を侮辱するなら許さないわよ」ブリジットは、それに心底腹を立てたのか、フラウを預け立ち上がるとパレアスとキッパリと対峙した。これにパレアスは目を丸くすると「勝手にしろ」と、河川の方へ歩いて行ってしまった。




