第十二話 ヴァレンタイン卿
ラントレッド新王国・王都〈バルクータ〉——。
今日という日。
多くの鳥たちの目に映ったのは、このような光景だ。
宙を舞う幾千幾万の花々と紙吹雪。
舞い落ちるそれらが色鮮やかに飾りつけた路。
赤や紫、黄色に青色。
実に様々な色彩が路に敷き詰められ、さながら色彩の河のようだ。
その河川敷には、熱に浮かされた多くの人々が、河を下るとても大きな像らを見上げている。口をぽかんと開け像に刻まれた文字を目で追いかける者。あの文字は牛で、あっちのは馬のだと得意げに口にする子供たちが指すのは刻まれた魔法音素。傍では、今日という特別な日の特権を享受した——昼間から酔っ払った大人たちが、探索の成果自慢を繰り広げ、ᛃの文字が通り過ぎるのを見ると手を合わせ祈りの言葉を口にした。そうしなかった者はおそらく国外の探索者、ないしは商人だろう。
色彩の河を下るのは、教皇庁を出た二十四の神々の像と、それを先導するように行く凱旋車と楽隊だった。規則正しく闊歩する楽隊は高揚高らかに〈蛇燭教〉教皇ドミナス・クロウリー誕生の日を祝い、音色を響かせた。
今日という日。
空を自由に滑る鳥にとって、それが凱旋車のドミナスの誕生を祝う〈再誕祭〉であることは、どうでも良いことだろう。高揚感に酔いしれ、この日を愉しむ。ただその一点に置いては、空の鳥よりも人々は〈再誕祭〉に有意義な価値を見出すということだ。
そう皆等しくだ。
※ ※ ※
見慣れぬ再誕祭の喧騒。
見慣れぬ空気を揺らす華々しい高揚。
見慣れぬ魔法文化の営み。
そんなものに当てられ、胸の奥で喩えようもない好奇心が燻るのを抑えきれない——それを自覚する者も少なくない。そうして、ラントレッド国外からの来訪者の多くは、頬を紅潮させると財布の紐を緩めるのだ。
概ねそういった人々は商人街の奥に吹き溜まる〈探索者街〉の影を知らないのだが。
目抜き通りの喧騒の中、外套の裾をあちこちから引っ張られ、迷惑そうにした二人も例外ではなかった。二人の後ろを歩く男は「先を急いでいる。後にしてくれ」と声を荒げ不躾な手を払い退けている。前をそわそわと歩く二人の従者なのか、保護者なのだろう。
「そんなにソワソワしていたら、カモられるぞ」裾を引っ張る手を懸命に振り払う男が、前の二人へ声をかけた。二人は人混みを掻き分けるように歩いたが、魔法の品々を売り付けてくる輩にいちいち興味をそそられ足を止めるのだ。その度に男は、余計な労力を払わなければならない。
「パル——」
パルと呼ばれた少年は、褐返色の外套にすっぽりと体を隠してはいるが、時折覗く黒錆の鎖帷子を見れば、それなりの身分なのだろうと判る。黒錆の加工はラントレッドでは珍しく高価な代物だ。パルへ忠告した少女も同様の格好だ。二人とも鮮やかなブロンドで、パルに至っては特徴的な癖っ毛も相まって、いやでも目を引いてしまう。「ガルム先生が云ってるのはあなたのことよ」
「いいや、べべのことだね——」やり返したパルは、先ほどから宙をまった花々や彩り鮮やかな紙吹雪に目を奪われた少女を指差した。「さっきから、田舎者丸出しじゃないか」
「二人ともだ。明るいうちに隔離壁とやらを見ておく必要がある——」べべがガルム先生と呼んだ青年は、二人の口喧嘩を両成敗すると、前を見ろと注意を促した。「凱旋車が来るぞ、気を付けろ。そうだ、左に入ってくれ。そこからが探索者街のはずだ」
※ ※ ※
凱旋車一行が目抜き通りに差し掛かると、通りはいよいよ大騒ぎとなった。窓を開け、観衆へ手を振るのは〈蛇燭教会〉教皇ドミナス・クロウリーだ。
朗らかな好々爺。そして決して悪を許さないのであろう威厳。正義。そのようなものを併せ持つ神の代理人。それがドミナスの印象だ。
その頃になると、目抜き通りに押し寄せたのは多くの敬虔な信徒だった。白装束に身を包んだ信徒は、降り止まない花と紙吹雪のなか、ドミナスの尊顔を前に首を垂れ懸命に祈りの言葉を捧げている。
目抜き通りの暗がりから、その様子を目敏く見る少女が居た。
少女は凱旋車が来る方向とは逆を確認し「当たりッ」と、鋭く云うと目抜き通りから外れ、奥の道を駆けた。
燦々と降り注ぐ陽の光が、卑しく身を寄せ合った建物たちの影を落としている。暗がりという暗がりから視線を感じた。それは値踏みの視線だったし、獲物の力量を測る視線。真っ当な人間であれば、それは忌諱するべきものだろう。だが、先ほどの少女は、そんなことは全く気にしていないようだ。
通りを駆け抜ける途中、暗がりから子供が声をかけてきた。
腰に差している短剣が魔女の遺物なら、ラントレッド銅貨三枚で整備させてくれと持ちかけてきた。少女は、この得物は違うと苦々しく返したが、銅貨三枚を手渡した。
少女自身もそうであったが、その子供はきっと探索孤児。探索者を両親に持った子。そして両親は〈古ラントレッド〉で命を落としたのだろう。
少女は優しく笑うと「もう行きな」と子供を元きた暗がりの方へ背中を押した。
子供が懸命に礼を云うのを「判ったから」と、今度は追い払うようにした少女は、通りへ素早く目を移した。
褐返色の外套に身を包んだ三人が目に入った。ここらでは見慣れない色だ。
通りを駆けた三人のうち、前の二人は後ろの一人よりも頭一個半は低い。よく見れば、前の二人のうち一人は、更に頭半個は背が低い。フードから漏れたブロンドの長さを見れば、おそらく女だと想像できた。
その三人はもうすぐで、少女の目の前を通り過ぎるだろう。
そうだ——少女の今日の獲物はこの三人。
手前側を走る二番目に背の低い褐返色の外套が手頃だろう。そう少女は値踏みした。
※ ※ ※
「あなた、大丈夫!?」
驚きと安否を案じる声を挙げたのは、べべだった。
〈探索者街〉へ差し掛かる途中、ふらりと小径から出てきた少女とパルが出会い頭に衝突してしまったのだ。人々が目抜き通りへ吸い込まれ、探索者街までの道はほとんど人影がなかった。とはいえ、身を隠すように道の傍を全速力で走るのは悪手だった。これには、ガルムも同意で、盛大に転げ建物に激突した少女を急いで介抱した。「大丈夫か、きみ? こちらの不注意だった——すまなかった」
「痛いたたたぁ。ううん、大丈夫。あたしの不注意だから、気にしないで」少女はガルムの腕の中で片目を閉じながら、健気に答えた。
「パレアス。お前も謝るんだ——」ガルムはパル——パレアスへ鋭く云うと続けた。「ブリジット、傷の手当てはできるか?」
べべ——ブリジットと呼ばれた少女は「はい先生」と、短く答えると懐から、見慣れない紋章が描かれた銀色のペンダントを取り出し、それを開いた。すると、ペンダントは緑色に薄らと輝くと魔法音素を浮かべた。
ᛜ・ᛉ・ᚷ
ブリジットは、魔法音素を片手で優しく集めると少女の背中へそれを運んだ。
少女の背中へ音素が溶けて消えると、少女は幾許か穏やかな表情で「ありがとう」と、小さく微笑んだ。
「本当に、ごめんなさい。大丈夫かしら——」ブリジットはフードを跳ね除け、少女の前で片膝をついた。「痛いところ、他にない?」
「うん、もう大丈夫。こっちこそ、ボケッとしていて——ごめんなさい」少女は、そう云うと抱えてくれていたガルムへ「ありがとうございます」と伝え、ゆっくりと体を起こした。
膝を払い、肩まである茶色髪を整えると、少女は甘栗色の目を輝かせた。「迷惑をかけて、ごめんなさい。あなた、怪我はない?」
少女が気に掛けたのは、先ほどからムスッとしたパレアスのことだった。
パレアスは、それに「ああ、勿論だ——」とぶっきらぼうに答えた。「——俺は、この通り。お前らとは違って装備をしっかりとしているからな」
そう云ったパレアスは外套の前開きを少しだけ開け黒錆の鎖帷子を覗かせた。
「すごい。それ黒錆でしょ?」少女は甘栗色の目をいっそう輝かせた。
「ああ、そうだ。こっちでは珍しいのだろ? 探索者風情じゃ手も出ないだろうからな」パレアスは、少女とは対照的に陰鬱とした碧眼で見下した。
「パレアス。これ以上、礼を欠くような言動は看過できないぞ。彼女にまずは謝るんだ」パレアスの言動を見兼ねたガルムは、半ば叱責するよう、そう諭した。
「マーナガルム。お前こそ、僕への不敬が過ぎると問題じゃないのか? 姉さんも姉さんだ。先生なんて呼ぶから、つけあがるんだ。それに——こんな子供が、なんだっていうんだよ」パレアスはマーナガルムに正論を突きつけられ、激昂すると冷たく言い放ち少女を突き飛ばした。
少女は、力無く転げそうになったが、間一髪でブリジットに抱えられ事なきを得た。しかし、少女は、パレアスの非道に怯えたのかブリジットの外套の前開きに顔を埋めてしまった。
※ ※ ※
「ちょろい、ちょろい」
突き飛ばされた少女は、ブリジットの胸の中でしばし震える様子を見せ「すみませんでした」と悲壮に暮れた声で云い置くと、その場を立ち去っていた。
そう——ごく自然にだ。
ブリジットのペンダントを懐に隠して。
少女は〈探索者街〉へ駆け込むと、陽気な足取りとなり、片手で銀色に輝くペンダントを弾ませ満足げな顔をした。
何度かそれを弾ませた少女は、パチッと掴むと繁々とそれを眺めた。
「これ、何処の紋章だろう?」少女は何度かそれを開けたり閉めたりをしたが、魔法音素が浮き出ることはなかった。きっと、再び使うには時間を要するのだろう。少女は、そう思うとチッと舌打ちしたが、直ぐに気を取り直した。回復の魔法が込められているのは実際に目にしている。いけすかない遺物商へ、どれだけの値でふっかけてやろうかと甘栗色の目をクリクリとさせ、再び銀色のペンダント眺めた。
このペンダントを売ってしまえば、しばらくは生活に困らないだろう。なんせ癒しの魔法持ちだ。
売れれば、つい先日とある店の軒先で見かけた、皮のブーツに上等な皮の外套を手に入れることができる。そうしたら、また探索へ、旧都へ戻れる。まだまだ〈古ラントレッド〉の浅い地域を漁ることしか許可されていないが、秘密の裏口を使えば封鎖された大聖堂近くまで行ける。装備さえ万端であれば今度こそは大物を掘り出せる筈だ。
少女はそんな期待に胸を膨らませてしまったから、気が緩んだのだ。それは不覚と云っても良い。前から歩いて来る二人組に気が付かなかったのだ。
悍ましい鎧の大女。
純白の白外套、魔法音素が書かれた帯で目を覆った男。
二人は奇妙と云うには、あまりにも忌まわしい雰囲気を撒き散らし、恐怖と云うには、あまりにも戦慄を滲ませていた。
「おっと」
不注意だった少女は、目を覆った白外套の懐に顔をぶつけてしまった。
白外套は、ことさら大袈裟に声を挙げ、両手を上に後退ってみせた。
「あ……あ……ごめんなさいっ」少女は、ぶつかってしまったことに酷く驚いたが、その相手を見上げると顔から血の気が引いていくのが判った。
ちょっとした失敗。それへの驚きと自責は些細なものだ。目に飛び込んできた、あまりにも不穏な白外套の顔は、少女の胸の内を恐怖で染め上げた。何かを間違えればうら若い命は、この場で奪われ今夜には共同墓地に打ち捨てられるだろう。
そんなことが脳裏を過ぎると、少女は手をワナワナとさせ遂には戦利品のペンダントを落としてしまった。
路地に乾いた金属音が響いた。
「こちらこそ、申し訳ない」白外套は、そう云うと少女の手から溢れたペンダントを拾いあげ、手渡す素振りをみせた。
少女はそれに、引き攣った笑みを浮かべ「あ、ありがとう」と、受け取ろうとしたのだが小さな手は宙を掴んでいた。
白外套が、ヒョイと頭上へペンダントを掲げたのだ。
「これは、ふむ。お嬢さんの物で間違いないのか? この紋章はトレアシア神帝国の……なんだったかな……そうだ、ヴァレンタイン公爵家のものだろ? お嬢さんは……。彼女らの従者か何かか?」白外套は少女の爪先から頭のてっぺんまで、そうだと判るよう視線で舐めまわした。
「か、彼女らって?」少女は、覚悟を決めるしかなかった。だから、惚けてみせた。今ここで、白外套が具体的な話を引き合いに出す必要はない。それはあまりにも不自然だ。であれば、白外套はペンダントの主人とその一行のことを把握し、少女へ暗に取引を持ちかけているのだ。そうでないのなら、今頃ペンダントは少女の小さな手に握られているだろう。
「シニル、その辺にしておきなよ。怯えているじゃないか——」意外にも助け舟を出したのは、悍ましい鎧の女だった。「——ねえ、お嬢ちゃん。あんたは探索孤児なのかい?」
少女は、すっかり血の気の引いた顔を何度も縦に振るった。それ以上の答えを声にすることが憚れたのだ。ここで言葉を重ねることは、人質を取られるようなものだ。言質とはよく云ったものだ。探索者の間では何も価値を示さないが、今は違う。
「旧都にはよく行くのかい?」
大女は少女の目線へ顔を降ろすと、大剣で路地へ横たえた。
「うん」
「そうか、良い子。封鎖区域には? ここだけの話、あたしはよく足を運んだクチさ」
「まだ。でも、行きたいよ」
「よしよし。良い心掛けだ。孤児院には?」
「……」
「あたしは孤児院にいたのだけれど、凄く……クソッたれと思ってたよ」
「うん、同じ。だから逃げ出したの」
「そっか……じゃあ、生活に困るといけないね。一つ仕事を頼んでも良いか? 探索者のあんたには、簡単なお仕事だ」
少女を一人前の探索者と認めた上での言葉。
大女の言葉は少女の奥底に寄り添うような響きがあった。
少女は、そこから大女へ親近感を覚えたのかも知れない。だからなのか、酷く緊張した顔を和らげると「仕事?」と、短くだが、大人っぽく訊ね返した。
「ああ。簡単な仕事だよ。あたしはシュロス。あんたは?」
「フラウ。フラウ・ホレ」
「そうか。よろしくフラウ。それで、仕事ってのはね——」シュロスは、不器用に笑みを浮かべるとフラウの茶色髪を撫で付け、優しく耳打ちをした。
遠く目抜き通りから歓声が聞こえてきた。
ちょうど〈探索者街〉前通りとの交差点を凱旋車が通る頃合いなのだろう。フラウたちの前を、横を多くの探索者が通り過ぎって行った。




