↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/31

夜光虫

八月二十八日金曜日晴れ



夕飯を食べ終えてから、夜の海へ向かった。昨日の昼間に見た海とは違って、辺りはすっかり暗くなっている。街灯のある道を歩いているうちはまだ明るかったけれど、海へ近づくにつれて人の姿が減っていった。今日は夜光虫が見られるらしい。宿で見つけた観光案内の紙に、小さく紹介されていた。海岸へ着くと、先客はほとんどいなかった。波の音だけが聞こえる。砂浜に立って海を眺めても、暗い水面が広がっているだけで、どこに夜光虫がいるのか分からない。しばらく目を凝らしていると、波が崩れたところがほんの少しだけ青く光った。最初は気のせいかと思った。けれど、次の波が来ると、また同じように淡い光が浮かぶ。波が砕けるたび、青白い光が一瞬だけ現れて、すぐに暗闇へ戻っていく。思っていたよりずっと控えめだった。もっと海全体が光るようなものを想像していたけれど、実際には波の縁がところどころ瞬いているくらいだ。それでも、何度も眺めているうちに少しずつ目が慣れてきた。足元へ波が近づく。水が砂を撫でるように広がって、その中に小さな光がいくつも浮かんだ。すぐに消えてしまう。手を入れてみようかと思ったが、昨日も海に入ったばかりだし、今日は眺めているだけにした。貴女ならどうしただろう。「触ってみようよ!」なんて言いながら、躊躇いもせず海へ手を入れていたかもしれない。手を動かすたびに光が散って、それを面白がって何度も水をかき回していた気がする。そんな姿を想像して、少しだけ笑った。波打ち際を歩く。砂の上に残った足跡を、次の波がゆっくり消していく。振り返ると、自分の歩いてきた跡が途中からなくなっていた。夜光虫の光も同じだった。波が来れば現れて、引いてしまえば何事もなかったように消えてしまう。綺麗だと思った。きっと、これを見るために遠くから来る人もいるのだろう。僕もわざわざここまで歩いてきた。けれど、不思議なことに、貴女と一緒に見たただの夜の海の方が綺麗だった気がする。あの時は特別なものなんて何もなかった。夜の海は真っ暗で、街の明かりが遠くに見えて、波の音がしていただけだった。それでも、あの時の方がずっと海が大きく見えた。貴女が隣にいたからだろうか。それとも、何も知らずに見ていたからだろうか。あの夜の海には、今みたいな淡い光なんてなかった。なのに、僕の中には今でもあの景色が残っている。隣で貴女が何か話していて、僕は適当に返事をしていた。内容はもうほとんど覚えていない。ただ、波の音と一緒に貴女の声を聞いていたことだけは覚えている。夜光虫が光る海を見ながら、そんなことを考えていた。光は綺麗だった。それは間違いない。でも、綺麗なものを見れば見るほど、貴女と見たものばかり思い出す。新しい景色を探しているはずなのに、結局いつも同じ場所へ戻ってきてしまうような気がした。もう少しだけ海を眺めてから帰ろうと思った。波が寄せる。そのたびに青い光が浮かぶ。消える。浮かぶ。消える。その繰り返しを、しばらく何も考えずに見ていた。帰り道を歩き始める頃には、夜光虫の光はもう見えなくなっていた。振り返っても、暗い海があるだけだった。それでも、最後に見た波の光だけは妙に鮮明に覚えていた。明日になれば、また別の景色を見るのだろう。そう思いながら、僕は海から離れていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。