空き家
八月二十日木曜日晴れ
昨日はそのまま祖父母の家で眠ってしまった。朝起きてから、畳の上でしばらく天井を眺めていた。久しぶりに来たはずなのに、不思議と落ち着く。宿を探す必要もないし、ここにいる間は宿代も浮く。それなら、しばらくここにいてもいい気がした。どうせ急いで向かう場所もない。荷物を置いて、家の中を少し見て回る。居間も台所も、子供の頃に見ていたままだった。物の位置まで昔の記憶と重なる。けれど、埃だけはひどい。窓を開けてみると、湿った風が入ってきて、カーテンが大きく膨らんだ。少しカビ臭い。掃除をすることにした。まずは居間から。棚の上に溜まった埃を雑巾で拭いて、床に掃除機をかける。掃除機を動かす音が家中に響く。
昔は祖母が掃除機をかけると、それがうるさくて仕方がなかった。昼寝をしていると起こされるし、テレビの音も聞こえなくなる。それでも祖母はお構いなしに家中を掃除していた。祖父はその横で新聞を読んでいたり、庭の手入れをしていたりした。僕が手伝おうとすると「そこはいいから遊んでこい」とぶっきらぼうに言われた。今思えば、手伝わせるより遊ばせたかったのだろう。台所の棚を拭いていると、奥から古い麦茶のポットが出てきた。これも使っていた気がする。夏になると祖母が作って冷蔵庫に入れておいてくれた。喉が渇くと勝手に出して飲んで、冷たい麦茶を一気に飲み干す。祖母に「お腹壊すよ」と怒られていた。そんなことを思い出して、少し笑った。祖父は怒るというより、いつも笑っていた。僕が庭で蝉を捕まえようとして網を振り回していると、「そっちじゃないぞ」と蝉のいる場所を教えてくれた。けれど、教えてもらったところで捕まえられたことはほとんどない。祖父は僕よりずっと蝉を見つけるのが上手かった。縁側に座って二人で麦茶を飲みながら、蝉の声を聞いていたこともあった。特別なことなんて何もない。ただ一緒にいて、何かを話したり、話さなかったり。楽しかった。掃除をしていると、そういう何でもない記憶ばかりが出てくる。机の下から古い玩具が出てきた。見覚えはあるけれど、どうしてここに置いてあるのかは覚えていない。埃を払って元の場所へ戻す。こうしていると、自分がここに住んでいたような気分になる。もちろん、実際に住んでいたわけではない。けれど夏休みになるとここへ来て、祖父母に甘えて、好き勝手に遊んでいた。そんな時間が何度もあった。
何か特別なものがあるわけでもないのに、家の中を歩き回って、昔の写真を見つけたり、古い置物を触ってみたりした。こんなにもボロ家になってしまったことが、なんだか定められたことに反しているような気がする。
少しだけ考えるのをやめて、掃除を続ける。気がつけば服も髪も埃だらけになっていた。さすがにこのままでは気持ち悪い。近くに銭湯があるので、着替えとタオルを持って家を出た。歩いて十五分ほどのところに小さな銭湯が見えてきた。随分昔からあるので、建物は古い。中に入ると、昼間だからか人は少なかった。湯船に浸かると、身体に溜まっていた疲れまで一緒に溶けていくようだった。頭まで湯気に包まれて、何も考えなくて済む。
帰り道は夕方になっていた。空はまだ少し明るい。家に戻って、玄関を開ける。さっきまで埃っぽかった家の中が、少しだけ違って見えた。掃除したから綺麗になったというだけではない。窓を開けたままにしていたせいか、風が家の中を通り抜けている。縁側に座って、庭を見る。カーテンがふわりと揺れる。布団を敷いて、電気を消す。窓は閉めずにそのままにした。遠くで車が走っている音がする。蝉の声はいつの間にか鈴虫の声に変わっていた。ここにいる間くらいは、何も決めなくていいのかもしれない。明日もここにいよう。そう思いながら、僕は目を閉じた。




