第6話「触れる距離」
少しだけ、距離が近づく。
ただ、それだけの話。
――のはずだった。
「こっちだよ」
「何でも揃ってるの」
エイルが市場を案内してくれてた。
野菜。肉。 果物はイチゴや林檎。
それに――蜂蜜。
慣れたように買い物をする。
ティアもすでに別の店の前で足を止めている。
棚いっぱいに並んだ瓶を、真剣な目で見つめていた。
「……これと、これ」
「あと、香辛料はこれでいいわね」
迷いがない。
手際よく籠に入れていく。
レインはその様子を横目に見ながら、小さく笑った。
「……2人とも、慣れてるな」
「当然でしょ」
ティアは振り向きもせずに言う。 「無駄は嫌いなの」
「はいはい」
エイルはそのやり取りを見て、少しだけくすっと笑った。
そのあと、三人は掃除用具の店へ向かった。 ほうき、布、洗剤のような液体、木箱にまとめられた道具。
レインは一つひとつ手に取って確かめる。
「……結構ちゃんとしてるな」
「生活する場所だからね」
エイルが当たり前のように言った。
必要なものを一通り揃え、 三人はようやく市場をあとにした。
帰り道。
レインは両手に袋を下げて歩いていた。 米や小麦、野菜が入った袋はずっしりと重い。
「……重っ」
「持つ?」 エイルが覗き込む。
「いい」 レインは首を振る。
「これくらい平気だ」
ティアは先を歩きながら、ちらりとだけ振り返った。
「無理して落とさないでよ」
「割れ物もあるんだから」
「わかってるって」
部屋に戻ると、まずは買ってきたものを片付けた。
エイルが袋を開ける。
「これ冷蔵庫ね」
「了解」
レインは野菜を取り出し、一つずつ入れていく。
果物は別にまとめて置いた。
ティアは調味料の瓶を並べていた。 高さを揃え、無駄なく配置していく。
「……几帳面だな」
レインがぼそっと言う。
「効率よ」 ティアは短く返した。
掃除用具は棚の中へ。 ほうきは壁に立てかけ、布は畳んで箱へ入れる。
一通り終わると、部屋は少しだけ“住める場所”になった。
エイルが小さく息を吐く。
「……なんか、いいね」
レインは肩の力を抜いた。
「だな」
「じゃあ、ご飯作ろうか」
エイルが袖をまくる。
「手伝うよ」 レインも立ち上がった。
ティアは一歩下がって、別の準備を始める。
「私はこっちやるから」
小さな器に水を入れ、塩を溶かしていく。 静かに、丁寧に。
エイルは野菜をまな板の上に並べた。 包丁を手に取る。
「こういうの久しぶりだな」
「大丈夫か?」
レインが少しだけ心配そうに覗き込む。
「大丈夫だって――」
トン、トン、と切り始める。
最初は順調だった。
だが、
「……痛っ」
一瞬、手元がずれた。
指先に、鋭い痛み。
赤い線が浮かぶ。
「……切っちゃった」
「えっ!?」
レインがすぐに駆け寄る。 「見せろ!」
エイルが少しだけ顔をしかめる。 「大したことない――」
「いいから!」
レインは強めに言って、エイルの手を取った。
指先から、じわっと血がにじむ。
「……ほら、やっぱり」
レインは眉を寄せる。
「だから言っただろ」
「ごめん」
「座れよ」 「じっとしてて」
エイルは素直に椅子に座った。
レインは布を取り、水で濡らしてから、そっと指を押さえる。
「痛くない?」
「……ちょっと」
「我慢して」
真剣な顔だった。
距離が近い。
指を支える手が、やわらかい。
エイルは少しだけ視線を逸らした。
「……大丈夫なのに」
「ちゃんと消毒しないとダメだろ」 レインは即答する。
「もう痛くないか?」
一拍。
「……うん」
小さな声だった。
エイルは、何も言えなかった。
ティアはその様子を横目で見ながら、 何も言わずに手を動かし続けていた。
ただ一度だけ、視線を上げる。
すぐに逸らした。
レインは手当を終えて、絆創膏を貼る。
「ほら、これで大丈夫だ」
レインが手を離す。
一瞬だけ、名残みたいに温度が残る。
「……うん」
手当てしてくれた指を見て、
エイルが小さく言う。
レインは軽く頷いて、立ち上がった。
「次は気をつけろよ」
エイルは一度手を止めていたが、
しばらくして、もう一度まな板の前に立った。
――トン、トン。
やがて、鍋の中からいい匂いが広がり始めた。
「できたよ」
エイルが少し嬉しそうに言う。
皿に盛られた料理が並ぶ。 温かい湯気がふわっと立ち上る。
「うまそうだな」
レインは素直に言った。
「でしょ」
エイルが少しだけ笑う。
ティアはすでに席についていた。
「冷める前に食べるわよ」
三人は席についた。
他の皆も席に着く。
それぞれがいただきます、と言って食べ始めた。
「いただきます」
スプーンを手に取る。
レインはそのまま口に運んだ。
「……うまい」
「ほんと?」
エイルが少し身を乗り出す。
「あぁ」
「ちゃんとしてる」
「ちゃんとしてるって何よ」
ティアが呆れたように言う。
「おいしいってことだよ」
レインは言った。
その時だった。
エイルがスプーンを持ったまま、少しだけ手を止める。
「……っ」
わずかに眉を寄せた。
「どうした?」
レインが気づく。
「……ちょっと」
エイルは苦笑する。
「さっきの指、力入れると痛いかも」
スプーンを持つ手が、少しだけぎこちない。
「食べづらいだろ」
レインが言う。
「大丈夫、大丈夫」
エイルはそのまま食べようとする。
けれど、
うまくすくえない。
少しこぼれそうになる。
「……」
一瞬の間。
レインは自分のスプーンを置いた。
「貸して」
「え?」
エイルが顔を上げる。
レインは自分のスプーンを手に取って、皿からすくう。
そのまま、
自然に差し出した。
「ほら」
エイルが固まる。
「……え」
「いいから」
当たり前みたいに言う。
「いや、でも――」
「こぼす方が面倒だろ」
「口空けて」
エイルは少しだけ迷って、
ゆっくり口を開けた。
「……ん」
運ばれる。
やわらかく、温かい味。
「……おいしい」
小さく呟く。
レインは特に気にした様子もなく、 もう一度すくう。
「ほら、次」
エイルの耳が、ほんの少しだけ赤くなった。
「……自分で食べれるってば」
「さっき無理だったろ」
即答だった。
ティアがスプーンを止めた。
二人を見る。
「……へぇ」
一拍。
「優しいじゃない」
レイン
「普通だろ」
エイルは視線を逸らしながら、 もう一口受け取る。
「……ありがと」
少しだけ、声が小さかった。
レインは気にした様子もなく言う。
「早く食え」 「冷めるぞ」
食事は、静かに続いた。
けれど、
さっきより少しだけ、
空気が変わっていた。
エイルは、
少しだけ笑った。
優しさって、わかりやすい形で出るとは限らない。
この国では、
それすら“無駄”にされているはずなのに。
それでも、残るものがある。
次回も読んで頂けると嬉しいです。




