第19話「均された世界で」
教室は静かだった。
けれど――どこか落ち着かない。
その理由に気づいている者は、まだ少ない。
「均一であること」が求められる場所で、 わずかな“ズレ”が生まれ始めている。
それを、見ている者もいる。
そして――止めようとする者も。
教室は静かだった。
だが――どこか落ち着きがない。
指先が机を叩く。
視線が、窓の外へ流れる。
セレナはそれを見ていた。
(……集中していない)
「セレナ・ルミエル」
静かな声。
振り向く。
そこに立っていたのは、上級神官――カザン・ヴェルク。
空気が、わずかに張り詰める。
「少し前に、あなたの大きな笑い声が聞こえたと報告があったわ」
セレナは一瞬だけ目を伏せた。
「……転びました」
「自分の不甲斐なさに、つい」
カザンはしばらく黙っていた。
それから、淡々と言う。
「そうですか」
一拍。
「些細なことですね」
――そこで、わずかに視線が動く。
「……それから、もう一つ」
セレナの呼吸が、ほんの少しだけ止まる。
「あなた、授業外で子供たちに物語を聞かせているそうですね」
教室の空気が、ぴたりと固まった。
「そのような時間があるなら、勉学を優先させなさい」
「その時期にこそ、基礎を反復させるべきだわ」
セレナは一瞬だけ視線を伏せる。
(……そこまで切り捨てるの)
「申し訳ありません」
一拍。
「ですが、あれも教育の一環です」
カザンは何も言わない。
セレナは続けた。
「物語の中に知識を織り込むことで、理解と記憶の定着を促せます」
「……そう考えています」
「そうですか」
感情のない声だった。
ただ事実を机の上に置くような、冷たい響き。
「笑うこと自体を否定するつもりはありません」
さらに一拍。
「ただ――」
視線が、教室を静かになぞる。
「目立つ行動は控えなさい」
「均一であることが、この場では最も重要です」
子供たちの動きが、わずかに止まる。
「この環境で“浮く”ことが、どういう意味を持つか」
「あなたなら理解しているはずです」
「いいですね」
セレナは静かに答えた。
「……はい」
カザンはそれ以上何も言わなかった。
背を向ける。
「報告は、常に上がっています」
その一言だけ残して、歩き出す。
足音が遠ざかる。
教室に、再び静けさが戻った。
セレナはその場に立ったまま、しばらく動かなかった。
(……笑い、か)
(あれは本当に、切り捨てるべきものなのかしら)
ほんのわずかに視線を落とす。
そして窓の外――森の方角を見る。
子供たちの笑い声が、耳の奥によみがえった。
その頃、森では――
「ねぇ!」
一人の子供が声を上げた。
「もっと高く飛ばしたい!」
「俺の、すぐ落ちる!」
「なんで!?」
レインは、その声を聞いて手元の竹とんぼを見た。
(……違う)
手に取る。
同じように見えて――厚さが違う。
指でなぞる。
(……これで変わるのか?)
レインはナイフを取った。
羽を、少しだけ薄くする。
ミレアが隣から覗き込む。
「なにしてるの?」
「……軽くする」
削る。
ほんの少し。
形を整える。
「いくぞ」
ひゅん。
さっきよりも、高く上がった。
「おおっ!!」
「すげぇ!!」
「もう一回!」
子供たちの目が、一斉に輝く。
レインは次の一つを手に取った。
今度は、羽を少しだけ長くする。
(……どうなる)
ひゅん。
今度は、さっきより高くはない。
けれど、ゆっくりと、長く回った。
「落ちるの遅い!」
「なんで!?」
レインは答えた。
「空気の抵抗を減らすんだ」
子供たちは顔を見合わせる。
「よくわかんないけど楽しい!」
その一言に、笑いが広がった。
レインは思う。
(皆、楽しそうに遊んでいる)
(……変わる)
(少しで)
(こんなにも)
「競争しよう!」
「一番高いやつ!」
「俺やる!」
「私も!」
一斉に、子供たちが削り始める。
「私もやってみたい!」
ミレアも木を手に取る。
その後ろで、カイが眉をひそめた。
「怪我すんなよ」
すると近くにいた子供が、にやにやしながら言った。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、コイビトなの?」
カイは一瞬固まり、すぐに顔を赤くする。
「ち、違うから。幼馴染だし――なぁ」
振り向く。
だがミレアは、飛んでいった竹とんぼを追いかけていた。
まったく聞いていない。
「……おい」
その間にも、空へまたひとつ、羽が舞い上がる。
ひゅん。
「おおっ!!」
あちこちで歓声が上がる。
空気が、さっきまでとはもう違っていた。
レインはそれを見ていた。
(……勝手に変わっていく)
(作っただけなのに)
(遊び方が、増えていく)
空に、いくつもの羽が上がる。
高さも、速さも、回り方も、全部違う。
「あはははっ!」
笑い声が重なる。
レインは、静かに呟いた。
(……これが)
(娯楽、か)
その日の帰り道――
「ねぇ、見て!」
ミレアが声を上げた。
小屋の近くの草むらに、小さなウサギがいた。
カイは言った。
「……汚れるぞ、それ」
ミレアは振り向きもせず、しゃがみ込む。
「大丈夫だよ」
そっと手を伸ばす。
「やわらかい……」
他の子供たちも集まってくる。
「かわいい……」
「持って帰りたい」
レインの指先が、わずかに止まる。
サリアもしゃがんで言った。
「可愛い、でもこの子も家族がいるから、見守ってあげよう」
「……寂しいけどね」
ぴょん、と跳ねて、ウサギは逃げていった。
「あっ……」
「行っちゃった……」
「家族に会えるといいね」
サリア
「うん」
それでも子供たちは、どこか楽しそうに笑っていた。
少し離れた場所で、セレナがその様子を見ている。
ほんの一瞬だけ、その表情が緩んだ。
だが、すぐに元に戻る。
やがて、静かに声をかけた。
「……もう時間よ」
「今日はここまでにしなさい」
少しの間を置いて、続ける。
「……帰りなさい」
(……これ以上、目立たせるわけにはいかない)
(でも、今ここで取り上げれば――)
(……報告が上がる前に、止めなければならない)
子供たちは少しだけ名残惜しそうにした。
それでも、すぐにまた声を上げる。
「また明日!」
「ばいばーい!」
手を振りながら、みんな帰っていく。
ミレアもサリアも笑いながら手を振った。
カイは見守っている。
レインは、その場に残る。
(……残したい)
(あの、やわらかさを)
(あの時の、顔を)
「帰らないのか?」
トーマが声をかける。
レインは少しだけ視線を落とした。
「……少しだけ」
胸の内で、静かに続ける。
(……試す)
ここまで読んでくれてありがとう。
今回は、 「抑える側」と「広がる側」が同時に動き出した回。
新たに登場した、カザン・ヴェルク(45歳)。
上級神官。 「均一であること」を重視し、逸脱を許さない管理者。 感情を見せず、正論だけを突きつける存在。
カザンは“正しさ”の象徴として現れ、 セレナはその間で揺れ始める。
一方でレインたちは、 ただ遊んでいるだけなのに、 勝手に広がっていく“変化”を目の当たりにする。
ほんの少しの違いで、 結果も、楽しさも変わる。
その積み重ねが―― やがて大きなものになる。
そしてレインは、次の一歩を踏み出す。
「試す」
ここから、娯楽はさらに形を持ち始めます。




