相対する
無数の赤い瞳が一斉に私たちを見た。普通なら恐怖を抱くシチュエーションだろうが、愛良さんであれば全く怖くない。
鉄格子の隙間を塗って黒い触手が一本こちらに伸ばされた。触手はお兄ちゃんの頬に触れると、無事を確かめるように何度も撫でる。
「良かった。無事だったんだな」
聞こえてくる声は、お兄ちゃんを通して聞いていた声よりも低く艶めいていた。これが愛良さんの本来の声なのだろうか。
「あれくらいの攻撃でどうにかなるほど柔ではないよ。愛良が心配し過ぎなだけ。そう言う貴方はどこも怪我していない?」
「大丈夫だ。どうせなら、この世界で何が起こっているのかきちんと把握しておきたかっただけだから。それより、お前たちはどうしてここに来たんだ?」
「愛良様を迎えに来たんです。悪い奴に浚われたのに見捨てる訳には参りませんから」
「あ、夕理さんまだそのモードなんだ」
私が愛良さんに敬語を使うのは初めてだ。戸惑った様な雰囲気が伝わってくる。オロオロとしたように黒い触手が私の周りを彷徨っている。
「あ、あの、お嬢さん。怒っているのか? いや、そうだよな。貴方の大事な兄に怪我をさせて、こんな遠くの星にまで攫われて迷惑しかかけていないもんな。すまない」
的外れの謝罪だ。あと、私が怒っている相手は愛良さんとお兄ちゃんを酷い目に合わせた奴らなので、別に愛良さんに対しては怒っていない。
「貴方に怒っているわけではありませんよ。心配しました。無事で良かったです」
近くに来ていた触手を一本握る。驚いたようにビクンっと跳ねて触手が手から逃げ出そうとするが、優しく撫でれば大人しくなった。
「……今更だが、夕理はこの姿気持ち悪くないのか?」
「何故? 私の大事なお友達の姿ですよ。愛しく思いこそすれ厭わしくなど思いませんわ」
証明するように、触手の先に口づけた。今度こそ驚いたように触手が勢いよく私の手から抜け出た。
「わ、分かった。分かったからこれ以上は。俺はまた身の程知らずな期待をしてしまうから」
仰っている意味がよく分からないので首を傾げる。お兄ちゃんが隣で盛大に頭を抱えているのと、花楓君がそれを見て一生懸命お兄ちゃんを慰めている。どうしたんだ。
「堕ちた神だと聞いていたが、意外と会話が出来るんだな」
「多少暴れたからな。お陰で冷静さが戻ってきた」
砂漠と化した大地の光景を思い出して、私はぎゅっと拳を握った。
「こんな狭いところにいつまでも居てはいけません。今、この檻を壊しますね」
分からないことは一先ず放っておこう。今はこんな遠くの惑星まで来た本来の目的を果たさなければ。
「待て! 夕理、この檻には魔術の罠が仕掛けられているんだ! 壊したら、貴方が呪われてしまう」
「確かに複雑な魔術が組み上げられていますわね。こんな魔法を完成される暇があるなら、自分たちの力でこの星を良くする努力をすればいいのに」
白木さんがあきれ果てたとばかりに目を覆って項垂れた。私は金烏さんに尋ねる。
「呪いごと切ることは可能でしょうか?」
「不可能じゃないが、この呪いは術者とつながっているからな。破った瞬間敵のお出ましだ」
「殺して回る手間が省けて良さそうだけどね」
お兄ちゃんの瞳がイキイキと輝く。殺人の神の血を騒ぎまくっているな。黒い触手がふわふわ伸びると、愛良さんがお兄ちゃんの頭を撫でた。
「俺は貴方には人を手にかける哀しみを知ってほしくはないよ」
優しい優しい声だ。彼の過去を思って口内に苦いものが走る。お兄ちゃんは顔をしかめた。
「ま、いいか。さっさと出るぞ」
お兄ちゃんが流星刀を召喚する。神様に鍛えられた我が家の家宝なら大丈夫だろう。なにせ目に見えないものを切るのが専門だ。むしろ、この場には最も適しているだろう。
「いいから、万が一にでも貴方たちに危ないことはさせたくないんだ。それに、今から俺は長年の恨みを晴らす。それに巻き込みたくはないよ。だから、お戻り」
神様らしい有無を言わさぬ威圧感がある。刀で呪いごと切ろうとしていたお兄ちゃんの手が止まる。
「俺たちの助けは要らないと?」
「頼んだ覚えもないよ。心配をかけたのは悪かったが正直余計なお世話だ。家族が行方を案じているだろう。早く帰ってあげなさい」
遠ざけるような冷たい言葉を言うのも、おそらく此方を心配してのことだろう。
「俺は怪我などしていないし、心配しなくていい。結果的に敵の本拠地に潜入出来たのは良かった。だから、邪魔しないでくれ」
そう言い捨てて展開されたのは大規模な転移魔法。この城から遠ざけるつもりだな。
「分かりました。そう仰られるのであればこちらも好きにさせて頂きます」
出てきた声は随分と冷たいものだった。
なんで。どうして。こっちの心配ばかりして。なんで助けさせてくれないんだ。
「夕理?」
困惑したような愛良さんの声を最後に、景色が移り変わる。この星では初めて見た、緑豊かな森の中だった。すぐ傍には澄んだ水をたたえる湖もある。
「で、あの神様に拒否されたからって、すごすごと地球に帰るのか?」
花楓くんが俯いた私の顔をひょいっと覗きこんだ。だが、すぐにぎょっとした顔になる。
「まさか。面白いことを仰られますね。愛良様には一度私がどういう神なのかわかって頂く必要があるようです」
にっこり、と可愛い笑顔を浮かべたはずなのに、何故皆して顔を青白くするのだ。
「あの、お兄ちゃんの心の負担にならない程度でお願いね」
「お兄様、私貴方が血みどろになる姿を二度ほど見ていると思うのですが。私にお願いできる立場だとお思い?」
「誠に申し訳ありませんでした」
素直に頭を下げるお兄ちゃんに、私は溜飲を下げた。




