芽生えたかもしれない恋と、紫陽花の涙 後編
後半に流血が主な残酷な描写があります。また、シスコンな兄による妹への過剰な愛情表現が有りますので、苦手な方はご注意ください。
白雪姫こと、鴻池真生さんを見つけ出す許可を頂いた私は、スマホを手に持ちながら校舎内をキョロキョロしながら歩き回っていた。
白いドレス姿は普段なら目立ってすぐに見つかりそうだが、文化祭というのもあって魔女やメイド、巫女さんなどにコスプレした生徒さんたちが校内をうろつき回っているので意外と見つけられない。お客さんも多いから人ごみもすごいしね。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人ごみの中だな、本当に。
左右を見るのに夢中になっていて、うっかり前を見るのを忘れていた。人の気配に考えるより先に体が立ち止まる。危ない。
「すみません、前をよく見てなくて」
「いえ、大丈夫。って佐藤さんじゃない! 貴方も一高の文化祭に来ていたの?」
何とビックリ。ぶつかりそうになった相手は白木さんだった。彼女は普段クールだからこういう、お祭りみたいな喧騒苦手だと思っていたから、この場で会えたのに本当に驚いた。
あ、でも白木さんは美術部だから高校のハイレベルな作品を見に来たのかも。一高には普通科の他にデザイン・美術科があるから、この高校の美術部って全国大会常連校だし。上手な絵を見ることは自分の絵のレベルを上げるためにも、参考になるだろう。
「うん。お兄ちゃんがここの学校の生徒だから」
「なるほどね。でも、なにか慌てているみたいだったけど、どうかしたの?」
「実は人を探していて」
私がいなくなった白雪姫のことを話すと、白木さんは顎に手をあてて考える。
「ふーん。ま、学校内じゃ事件は考えられないけど、具合が悪くなってどこかで倒れていたりしたら大変よね。私も気になるし探すの手伝うよ」
「え、でも悪いよ」
「貴方だって私と同じような理由で捜索隊に加わったんでしょうが。わたしは美術部の展覧会を見に来るのが目的だったからもう帰ろうと思っていたところよ。丁度良いから手伝ってあげる」
あ、やっぱり予想した通りの来校理由だった。私はお兄ちゃんのクラスメイトだからと言う理由もあったけど、本当に関係ないのにわざわざ手伝ってくれるなんて優しいよね。
「ありがとう、白木さん」
「いいわ、私は西側の方を探すから。じゃ、何かあったらスマホに連絡を頂戴」
「分かった。じゃ、またね」
軽く手を振って、捜索に戻る。人ごみのなかを縫うように歩いていくが、やっぱり見つけられない。スマホに連絡がないか確認して見ても特にメッセージは来ていなかった。これだけ皆で探しているのに見つからないことなんてあるだろうか? 学校内で行方不明になる? 誘拐という不吉な単語が脳内を過って、慌てて首を振って否定する。そんなの、平和な日本であるはずがないよ。
ちょっと人ごみの中に居るのが辛くなってきたので、新鮮な空気を体内に取り込むため外に出ることにした。中庭にある、翼を広げたペリカン像の前で同じように腕を上げて深呼吸してみる。はー、生き返る。
ペリカン像の周りは鮮やかなツツジや紫陽花が花を満開にさせていて綺麗だった。思わずスマホを取り出してパシャリと一枚写真を撮る。スマホの中に閉じ込めた花の美しさに満足していると、ピロンとスマホが震えてメッセージを受信した。急に音が鳴るからビクッと肩が跳ねてしまった。恥ずかしい。
「あ、鴻池さん見つかったんだ! 良かったー」
メッセージの相手は白木さんだった。高校の校舎裏にあるクラブハウス棟に一緒にいるから迎えに来てとのこと。その内容にちょっと疑問が出たものの、まぁいいかと足をクラブハウスに向ける。開校当時からある明治生まれのクラシカルな木造校舎、素敵だったから一度入ってみたかったんだよね。
一高名物の白いペリカン像に別れを告げて、気になっていたんだよねと、ワクワクした気分で木造のクラブハウスへと向かう。レトロな雰囲気で素敵なこの校舎は、文化部の部室棟として使われる前は、校舎として使われていたらしい。吹奏楽部が演奏をする音が遠く聞こえてくる。野外ステージでの演奏が始まったようだ。
喧騒を抜け、青い紫陽花が咲き乱れる遊歩道を歩いていく。こちらには出店は無いから人通りも無く随分と静かだ。別世界に来たみたい。
今日はずっと晴れているはずなのに、何故だかこの空間は植物の香りを濃くさせる、湿った深い雨の匂いがした。よく見れば、紫陽花にも白露が付いて陽の光を浴びてキラキラと輝いている。それが、何故か涙のように思えてしまった。綺麗な青空の下、鼓膜に雨の音が響く。
一見教会のようにも見える旧校舎、現クラブハウス棟に到着する。
窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、柔らかな光を室内に零していた。桜に囲まれた上品な白の洋風建築を見ていると、聞こえてくる吹奏楽の曲と共になんだかいよいよ異世界に迷い込んだような気分になってくる。
私は意を決してチョコレート色の、鳥や花々などの繊細な意匠が彫り込まれた扉の金色のノブに手をかけ、中へと入っていった。鼻孔をくすぐる古い香り。玄関で靴を脱いで上がれば、古い廊下を歩くたびに年を経た建物独特の木がきしむ音がする。
暗い部屋は速足で通り過ぎれば一階と二階はほとんど見るところが無かった。人の気配はまるでしないし、そもそも扉に鍵がかかっていて入れない。となると三階か。手すりにまで幾何学模様の繊細な彫刻が施された、芸術品のような木の階段を上って三階に向かう。
明かりが点いていた部屋は一つだけだった。教室のドアに貼られた貼り紙には『文芸部』と書かれている。聞き覚えの無い部活だ。少なくともうちの中学校には無い部活だから、さすが高校だと思ってしまう。活動内容がよく分からない部活だな。文が付くということは文章を書く部活だろうか?
引き戸を開けると、存外あっさりと扉が開いた。キョロキョロと見渡すが中にはだれも居ない。空振りか。
部室は普通の教室の半分ほどの広さで、中央に大きな木のテーブルが一台と戸棚や掃除用具入れ、そして大きな本棚が三つ威圧感たっぷりに置いてあった。中にはびっしりと古今東西の名著が詰まっている。あれ、これよく見たら洋書や中国語や韓国語で書かれた本もあるぞ。どうやって入手したんだろう。本棚の書名をざっと目で追い、気になった本を一冊抜き出せば本と本の間に挟まっていたのか一枚の写真がヒラリと床に落ちた。本を机に置き、拾い上げるとそれは白黒のとても古い写真だった。
ノスタルジックなセピア色に写真が色あせているから何とも言えないが、旧校舎の教室内で撮ったものらしい。今のブレザーの制服に変わる前のセーラー服を着た一人の少女が写っていた。ドクンと心臓が嫌な音を立てる。この顔は。いやでもそんなまさか。このセーラー服のデザインは、お母さんが着ていた頃よりも更に前のデザインだ。写真の古さからいっても、近くて私たちの曾おばあちゃんとかの世代が高校生だった頃のモノだと思う。彼女の血縁者だろうか。とてもよく似ている。何かわたし達とは違う別の世界を見ているような、黒々としたその大きな瞳に囚われて目が離せなくなる。じっと物言わぬかつてこの校舎で過ごした先輩の姿をじっと見つめていると、何故か指先から冷えていく感覚がする。
さっきまで聞こえていた吹奏楽部の演奏も聞こえない。ただ、冷たく静まり返った校舎内にいくらのん気さで有名な私でもさすがに焦ってくる。普段一人が大好きな性分だけど、この時だけは誰かに無性に会いたくてたまらなくなった。
衝動のまま写真をポケットにしまい、本を元のように書棚に差す。部室を出ると、廊下の奥に煌々と明かりのついた部屋をもう一つ見つけた。今度こそ白木さんたちに会えますように、と願いながら早足で教室に向かう。
ガラリと扉を開けると、此方を背にして窓から外の景色を眺める鴻池さんがいた。
部屋は一面の赤だった。教室中に籠る、むせ返りそうなほどに強烈な血の香りに眉根を寄せる。振り向いた鴻池さんの純白のドレスにはいくつもの赤い花が咲いていた。
「夕理さん……、、逃げろっ!」
「お兄ちゃん、いや何で血まみれ! え、どういう状況!」
「夕理ちゃんの力が戻る前に、薺の身体に宿る神の魂を回収しないといけませんからね。でも、よくここが分かったね」
鴻池さんが世間話のような軽い口調で呟く。彼女の手に握られた剣は、天使様の持っている剣とよく似ていた。血の海に横たわるお兄ちゃんが心配過ぎて、魔力が身の内で暴走する。駄目だ。落ち着け。冷静にならないと。この街を灰にする訳にはいかない。
「貴方は、愛良さんをずっと狙っていたんですか」
「そうだよ。ボクは氷雨や壱春と同じ惑星から来た。彼らよりも後に作られた改良版の機械仕掛けの神。ま、本物である君には人の手が作り出したまがい物に神と名乗られるのは不愉快だろうね」
鴻池さんがお兄ちゃんの背中に再び剣を振り下ろそうとするのを見て、私は助けようと踏み出した。しかし、後ろから抱きしめられてそれが叶わない。
「て、天使様。な、なんで!?」
「ごめんね、夕理ちゃん。俺では君の味方にはなれないんだ」
身を捩って逃れようとするが、力の差からかビクともしない。魔法も弾かれてしまう。剣が背中に振り下ろされる瞬間が見ていられなくて思わず目を閉じる。
「うぐっ、、あぁああっ!!!!」
「あははは! その顔本当に堪らない! 可哀想で可愛いねぇ」
苦しそうな悲鳴に涙がこぼれる。いや、今一番辛いのはお兄ちゃんだろう。どうしよう。どうしたらいい。
「もういい。もういいから。俺が大人しくお前たちの生まれた星に行けば済む話だろう」
「あ、愛良。駄目だってば」
お兄ちゃんの中から、黒い触手の塊が飛び出してくる。穢れの塊のような姿だ。これが、愛良さんの本性?
「あー、もう出て来た。薺が庇っていたからね。ま、ここまで魔力を削ってしまえば隠し続けるのも無理か。ボクとしてはもう少し薺と遊んでいたかったんだけど」
鴻池さんはひどく残念そうに笑うと、愛良さんに手を伸ばした。瞬間、愛良さんの身体が今度は鴻池さんの中に取り込まれていく。
「うっ、堕ちた神だけあってすごい瘴気の渦。でもま、力はやっぱり最高レベルだよね。星にかえる時間くらいはボクが器でもなんとか耐えられそうだ」
何の感情も無いガラス玉のような瞳が、私の後ろに立つ天使様に向けられる。
「行くわよ、氷雨」
「はい、マオ様」
従順な忠臣のように天使様が恭しく頷く。天使様と鴻池さんがその場から転移魔法で掻き消えた瞬間、私はお兄ちゃんに急いで駆け寄った。
「お兄ちゃん、起きちゃだめだって!!」
何処もかしこも刺し傷だらけの満身創痍な状態で、それでも震えながら兄が起き上がった。愛良さんが身体から抜け出たためか、瞳の色が闇夜みたいな漆黒へと変化している。お兄ちゃんの本来の瞳の色って、黒だったんだ。
背中を支えて治癒魔法を発動させようとしたところで、お兄ちゃんが自分の腕の傷の一つに噛みついた。
え! どうした? あ、毒? 毒もあった? 解毒魔法も覚えたから使えるよ? まずは、解毒からと魔法を発動しようとしたところで、後頭部に腕が回って引き寄せられる。唇に柔らかい感触がした。
息が止まる。
ドロリとした強力な魔力と血が口の中に流れ込んで来た。止めなければならないのは分かっているのに、美味し過ぎて味わうのをやめられない。永遠のような一瞬が過ぎ去り、何事も無かったかのように兄の顔が離れていく。切り替わる、本能。
私の様子を見て思惑通りに事が進んだのか、安心したように微笑むと兄が意識を失った。糸が切れた操り人形みたいだ。私は慌てて倒れないように兄の身体を抱き込んで今度こそ治癒魔法を行使する。
人間だったら死にかねない酷い傷だが、神であるお兄ちゃんなら耐えられる傷ではあった。だからといって、許せるはずがない。ギリっと歯を食いしばる。
よくも私の大切な人たちを傷つけたな。この怨み、晴らさでおくものか。




