眠りの園に旅立つ前の、優しい呪い
「了解、夕理さん。もう大丈夫だから死体の処理は任せてよ」
天使様を抱きかかえて家に飛んだ私を見て、お兄ちゃんは瞳を大きくした。ま、驚くよね。しかし、すぐに納得したように頷くと、トンデモナイことを言い出した。今度こそ本当にレーズン食べさせてやろうか。
「違うからね! 金烏さんはいますか!」
「はいよー、お姫様から呼んでくれるなんてうれし……ってまたなんでそんな面倒なの連れて来たんだ」
金烏さんのジト目を受けながら、私は天使様を抱えたまま2階に連れていく。関わりたくないオーラが全力で漂っているが諦めてくれ。
「待って。寝かせるなら俺の部屋にして。今、体温計とか持ってくる」
後ろから聞こえてきたお兄ちゃんの言葉に頷き、金烏さんが開けてくれた扉を通って部屋に入る。揺らさないように気を付けながらベッドに寝かせる。
先回りして布団を剥いで持っていてくれた金烏さんが、そっと布団を掛けると何かを探るように天使様の額に羽を当てた。羽からは淡い金の光が零れている。診察の魔法か?
「全く、こんな奴その辺に棄てておけば敵が減って楽なのに」
金烏さんは憎まれ口を叩いてはいるが、目は心配そうな色が浮かんでいる。ツンデレなのか?
「大丈夫そう?」
体温計に水やら氷枕やらと言った、看病の道具を抱えて持ってきたお兄ちゃんが、そっと金烏さんに問いかける。
「ただでさえいつぶっ壊れてもおかしくない状態で魔法を行使し続けたんだ。むしろ、倒れるくらいで済んで良かったんじゃないですか」
天使様の体の状態を探り終えた金烏さんが、呆れたように言う。微妙な顔をしたお兄ちゃんが普通の枕をタオルを巻いた氷枕に変える。私は濡らしたタオルで汗を拭ってやりながら思案する。
つまりどういう事だ。私の表情を見て説明が足りないと思ったのか、金烏さんが解説を加えてくれる。
「分かりやすく言えば、高負荷がかかって車のエンジン本体が熱くなりすぎ、動作不良を起こしているオーバーヒートの状態です。度が過ぎれば死んでいてもおかしくないな。ま、今回トドメを刺したのはお姫様のようだから流石ですね」
「待って、金烏さん。私本当に何もしてない!」
「自業自得だからいいんじゃないですか。お姫様、軽い洗脳系の魔法跳ね返したでしょ」
思い当たる節が無いわけではないので押し黙る。
「よりによって夕理さん相手に精神干渉って。俺でも魔法は掛けられるかもしれないが、負担が大きすぎて失神するぞ」
お兄ちゃんの強張った顔に、だから私はそんなに強くないよ? と言ってみるが間髪入れずに二人に否定される。金烏さんはともかくお兄ちゃんは私が弱くて頼りないから、戦いの場に立たせたくない訳じゃなかったのか?
「これ、どうすればいいのかな? 目を覚ますよね? 大丈夫だよね?」
疑問はひとまず置いておいて、天使様がまずい状態なのは分かったので、確認しなければならない大事な事を金烏さんに聞く。焦った様子はないから大丈夫だと思うけど。
「魔法をしばらく使わせなかったら元に戻りますよ。一晩くらい、安静にさせて寝かせておけばいい」
私はホッと息を吐く。ゆっくり休ませていれば治るみたいだ。
「夕理さんが氷雨さんのこと看ててくれる? なにかあったらすぐ呼んで」
「分かった。任せて」
お兄ちゃんは私の頭を優しく撫でると部屋を出て行った。金烏さんはここを動く気はないらしく、私の肩の上に止まった。正直心強いので助かる。周りが風邪一つ引かない健康体ばかりだから、看病は慣れていないのだ。
眠っている天使様の顔が苦しげだ。吐く息が荒い。弱っている姿に神として庇護しなければという気持ちが嫌でも高まる。赤い頬に手を添えるとまだまだ熱い。仕方ないな、とボヤキながら金烏さんが体温計で熱を計れば38度を示していた。反射的に冷えピタを取り出して額に貼ってやる。
「まだお熱高いね」
「ダメージが体に残っているだろうから、そんなすぐには変わらないよ」
泰然とした金烏さんの様子に、心が少し落ち着く。しかし、ダメージ。ダメージか。ようは、私が精神干渉魔法を跳ね返してしまったのが原因なら、体の傷と同じで心の傷も治してやったらその分回復も早くなるんじゃないかな。これ以上、悪くなりようはないだろうからと私は早速このアイディアを試すことにした。
両手で天使様の手を握ってから、少しずつ少しずつ彼の負担にならないような威力で、魔力を癒しの力に変換して注ぎ込む。私の役割的にも、精神の怪我の治癒は得意分野だ。天使様の顔を見れば、荒い呼吸をしていた顔は目に見えて穏やかになり、こうして見ると良く出来た人形のようだ。心配になって呼吸を確認した私は悪くない。
「本当に過保護なんだから。放っておけば勝手に治りますって!」
「私が見ていてストレスだから良いんですよ。私の心の安寧の為です」
キッパリ宣言する。手持無沙汰になって指通りの良い銀髪を優しく梳いていると彼が身じろいた。しまった。起こしてしまったか。金烏さんが慌てて姿を消した。
瞼がゆっくり開かれ、この世の何より美しい星空の瞳が露わになる。
「ここは……? って、あ!」
知らない場所で驚いたのか、いきなり飛び起きてきた天使様だがすぐに力無くふらりと倒れる。慌てて支えて布団にゆっくり寝かせてやりながら、声をかける。
「あなた、私の前で倒れたんですよ。まだ安静にしてなきゃだめです」
「ごめん。そうか、あの時」
「驚かせてごめんなさい。ここは、私の家です」
「迷惑かけたね。本当にごめん」
別に謝ってほしいわけではないので、黙って首を振る。それから、そっと頭を撫でながら問いかける。
「どこか痛いとか気持ち悪いとかないですか? あ、お水いります?」
「平気。ありがとう。もう少ししたら動けると思うから、その」
「別に好きなだけ居ればいいだろう。病人を放り出すほど鬼じゃないし、なにより貴方に何か有れば妹が哀しむ」
音もなくお兄ちゃんが部屋に入ってくる。いや、気配無かったよ⁉ 忍者か、前世忍者だったのか⁉
「……君は俺が嫌いなんじゃないですか?」
「ま、愛良の方は知らないけど、俺個人としては貴方に何か思うことがある訳じゃないよ。……夕理さんを傷つけない限りはな」
最後、なんかゾクッとしたよ!
「すみません、うちのシスコンが。気にしなくて良いですから」
「いや、俺に非があることだから」
天使様は本当に優しいと思う。
「何か食べたほうが良いだろうね」
お兄ちゃんが持って来たのは、人参のポタージュスープだった。あ、これ美味しいやつ。
「ありがとう、ございます」
「自分で食べるのが億劫なら、食べさせてやろうか?」
「だ、大丈夫です! 食べられます」
お兄ちゃん完全に面白がってるな。笑いをこぼす兄の横っ腹を拳で殴っておく。呻いて踞ってしまったが、まあ良い薬だろう。
天使様の様子を見ようと振り向いたところでぎょっとした。星空の瞳からは一滴の涙が零れ落ちていたからだ。一片の宗教画のように静謐で美しい。思わず見とれてしまう。
「え、嘘。まずかった? ごめん。家族以外に料理振る舞うの緊張しちゃうから。ごめん」
普段、料理でまず失敗しないお兄ちゃんが目に見えて慌てだす。それで我に帰った私も傍に置いてあったタオルで涙をぬぐう。
「え、あ、ごめんなさい。なんか、あったかいなぁって思って」
「まぁ、お兄ちゃんの部屋割と散らかっているからね。断熱効果はありますよ」
「そこはスープが作り立てだからじゃないか」
散らかってることの否定はしないんだ。ま、ゲームやら本が乱雑に積み上がって置かれている部屋は、お世辞にも綺麗とは言えないもんね。隅っこの方とかタオル落ちてるし。
「美味しいです。本当に。美味しいんです」
未だに涙を流し続ける天使様の頭を、分かっているよという意味を込めて撫でてやる。
ゆっくりとだが完食した天使様から器を受け取り、お兄ちゃんは部屋を出ていく。
「一応お粥も作っておくけど、それは食べられる時にね。今はゆっくり休みな」
天使様は小さな子どものようにコクンと頷いた。泣いてしまったのが恥ずかしかったのか、若干頬が赤い。
「夕理さんもそろそろおいで。俺たちがいたらゆっくり眠れないだろう」
振り向いて天使様を見る。あら、これは。
「眠るまで傍についてる」
「そう? まあ、いいなら?」
お兄ちゃんの目線に天使様が頷く。それを見て、お兄ちゃんは軽く手を振って部屋を出ていった。
「まだお疲れでしょう。おやすみなさい、良い夢を」
天使様が一体今までどう生きて来たのかは分からないが、断片的な発言でも想像できる。きっと碌でもないものだろう。だからせめて、夢の中だけでも優しい時間が得られますように。そう祈りながら、子守歌を歌う。
段々と彼の瞼が重くなっていき、やがて天使様が眠りについた。私は頭を一撫でしてから立ち上がる。穏やかな寝顔だから、もう大丈夫そうだ。部屋の明かりを消して、私はそっと部屋を出た。
薺さんは、片付けが大の苦手です。自分でもそれは分かっているので公共の場は意識して綺麗に使っている分、自分の部屋は無法地帯です。明陽さんが部屋に遊びに来るついでに、ちょこちょこ部屋を片付けてくれています。
薺さんは隠さないシスコンですが、夕理さんも無自覚ブラコンです。




