天使の祈り、夏の草原
あの後、結局金烏さんとの手合わせは出来なかった。
金烏さんは私の家族と違って過保護じゃないから大丈夫だと思ったのだけど。
実際は、それだけ魔法が使えれば大丈夫だ、魔王にでもなるつもりか、と相手をしてくれなかったのだ。魔王って、日奈さんのことだろうけど、なんでここで出てくるのだろう。
とはいえ、収穫がなかった訳ではない。我が家の流星刀さんが現れて、近接戦闘は任せろとばかりに胸を張ったのに触発されて、金烏さんが黄金の刀の姿に戻り打ち合いが始まったのだ。上手い人同士の試合は参考になるからいいね。···お互いを破壊しようと動き出して止めるのが大変だったが。
そのため、今日は若干寝不足だったりする。何度目かのアクビを噛み殺しながら通学路を歩いていると、聞き覚えのある声が耳に入る。
「お、誰かと思えば佐藤だったのか。おはよう」
声をかけて来たクラスメイトに私も挨拶を返す。
「おはよう、仁科君。貴方も部活?」
「そう、バスケの。あれ、でも、佐藤は合唱部だよな。何で日曜日なのに?」
「今度ある夏祭りのステージで歌う事になったからその練習」
「へぇ。音楽の授業でも思ったけど、佐藤の歌声は綺麗だから聴くのが楽しみだな」
「うわ、めっちゃ褒めるじゃん。ありがとう」
素直な称賛は私照れちゃいますよ。
クラスの子ともするような雑談をかわしていれば学校に着いた。人と話すのは楽しいからすぐ時間が経ってしまうな。
仁科君とは玄関前で分かれるはずだったのだが、じゃあと手を振って別れたところで、ベランダに置かれていた鉢植えの一つがくらりと傾き落ちて来るのが見えた。このままじゃ仁科君の頭に当たる! と私は反射的に彼の腕をつかんで後ろに下がらせると、もう片方の手で鉢植えを捕まえた。ピンクの可愛らしいお花に罪は無いからね。ナイスキャッチ、自分!
「全く危ないな」
ところで、何で仁科君は陸に上げられた魚のように口をパクパクさせているんだ。そこで、拍手の音が聞こえて来たので何事かと思えば、登校中の生徒たちがこちらに向かって拍手をしていた。「さすが、佐藤さんだ。格好いい」という声も聞こえる。いや、当然のことをしたまでですが?
「あ、ありがとう」
「え? 別に。貴方を守れたのなら良かったよ」
ポンポンと仁科君の頭を撫でる。人間はとても体が弱いのだから、頭に物が当たるくらいで下手したら致命傷になりかねないからな。うん、怪我が無くてよかった。
「じゃあ、私もう行くね。この鉢植えを持って行かないといけないし」
「あ、あぁ。分かった」
笑って手を振ってその場を後にし、建物の中に入ると日影だからか微妙に涼しい。上履きに履き替えて階段を無心でのぼっていく。鉢植えを置いていた科学部の面々は平謝りに謝ってくれた。正直、いきなりスライディング土下座をされたときには驚いた。ま、誰かが怪我をしていた可能性もあったのだからその反応も当然か。「次からは気を付けてくださいね」と言って鉢植えを返し、一面ガラス張りで明るい渡り廊下を通って次は音楽室向かう。
今、練習している曲は、好きな人と昔見た綺麗な青い海の風景を主人公が懐かしく思い出すという歌だ。目を閉じると、記憶にある美しい海の姿が目蓋の奥に広がるような、美しいピアノの旋律が響く曲の伴奏もとても気に入っている。
それぞれのパートに分かれてカセットテープから流れる歌と合わせながら、練習をする。なお、私の担当パートはソプラノである。
繰り返し歌い込んだ後、部長の声かけで休憩に入る。窓際で外の景色を眺めながら水筒の冷たいお茶を飲んでいると、中庭でのバトン部の練習が目に入った。バトン部に入部したと言っていた咲空ちゃんの姿も目に入る。
そういえば、咲空ちゃんの演技見るの初めてかも。器用にバトンを回しながら高く空中に放り投げると、その場でくるりと一回転してから見事キャッチする。そして、私に気付くと飛び跳ねながら手を振ってきた。私も手を振り返す。今日も咲空ちゃんは元気だなぁ。
合唱部の練習を終え、皆とバイバイした後私はいつもの山に登る。
天気予報では来週から梅雨入りすると言っていたから、しばらく外では練習出来なくなる。皆に守られるだけのお姫様でいたくないのなら、練習あるのみだ。なら、今日のような貴重な晴れの日を無駄にすることなど出来ない。
夏になり、すっかり蒸し暑くなったが山頂付近の草原は風が通り涼しかった。日射しを遮る絶好の木陰を見つけて、木の下に座る。それから、持ってきていたお弁当を食べていると、馴染みのタヌキさんたちが寄ってきたので、挨拶がてらお弁当のおかずを分けてやった。
「美味しいねー。今日はピクニックに来たの?」
「ううん。魔法の練習に来たんだ」
「魔法! ぼく知ってるよ! それって、お空飛んだりするあの⁉」
「すごーい。ぼく達にも見せて‼」
一気にタヌキさんたちが盛り上がる。中にはラッパを吹きながら宙返りをする子もいた。こんなに興奮するとは。皆の前で魔法使ったことなかったかな?
「じゃあ、私の後ろにいてね」
タヌキさんたちは頷くが、念のため防御結界を周りに張っておく。
草原に向き直って攻撃目標となる林を作り出せば、それだけでタヌキさんたちが盛り上がって大演奏を始める。
やだな。本番はこれからだよ?
今日、実地で試すのは前々から練習していて一番得意な攻撃魔法『カリブディス』だ。
万が一タヌキさんたち以外の侵入者が来ないように、更に周囲3キロメートルに結界を張る。それから、草原の中に的として新たに作り出した小さな林めがけて魔法を放つ。
木々の生える地面が水を湛えた海へと変化し、巨大な渦潮が出現する。大きな渦巻きは木々を飲み込んでいく。あっという間に林が全て幻の海の底に沈んだところで、元の草原へと戻す。攻撃魔法の中では一番得意な術とはいえ、効果がえげつない。ま、思った通りの範囲に効力がおさまったし、無駄に魔力を蒔いたりしてないから、ひとまずは成功か。辺りに張っておいた結界も解除する。
しかし、一番得意なのが水系統の魔法というのは、火の神でもある愛良さんとの兼ね合いもあって、人為的なものを感じてしまうのは気のせいだろうか。
「すごい‼ すごい‼ 夕理ちゃん強いんだね‼」
私の周りを興奮しながら、タヌキさんたちが飛び回る。口々に誉められてついつい嬉しくなってしまう。そこで、後ろから拍手の音が聞こえて来て弾かれたように後ろを振り向く。え? 気配なかったよ。
「やはり、あの武器の主に選ばれるだけのことはあるんだね」
「……天使様」
宇宙にまで探しに行かなければならない、という覚悟まで決めていた身としては、天使様と再会出来たのは素直に嬉しい。
「今日は、あの金色の烏さんはいないのかな?」
足元に寄ってきたタヌキさんの一匹を抱き上げて撫でながら、さらりと天使様が聞いてくる。天使様、金烏さんのこと狙っていたよね。信じたいのはやまやまだが、素直に話して良いものか悩む。
「あれはね、とても危険な魔力を宿した武器なんだ。だから、一個人が持っていて良いものじゃない。一歩間違えば、この地球が死の星へと変わってしまう」
空気を読んだのか、タヌキさんが天使様の腕から降り、私の足にすり寄ってくる。
天使様が私のほうに近づいてくる。見いられたように、身体を動かすことが出来ない。顔をぐっと寄せて来て、視界が星空のような瑠璃色に染まる。五月蝿い心臓の音が天使様に聞こえてませんように!
「だからさ、あの刀俺に頂戴」
甘い声が耳に響く。珊瑚色の唇の魅惑的な動きが気になって、視線が釘付けになってしまう。口が勝手に開いて、そして。
「金烏さんは、私のお友達なので天使様には渡せません! ごめんなさい!」
私はNoを言える日本人なのだ。
天使様は、虚をつかれたような顔をすると私から一歩距離を取った。
「おかしいな。半神だからか?」
首を傾げられても困る。
「じゃあ、力ずくでと言いたいところだけど」
やりにくそうな顔にこれは交渉の余地があるかも! とない知恵を絞ろうとしたところで、いきなり天使様の身体が傾いた。
「あ、え?」
「危ない‼」
慌てて身体を支えたが、その身体は火のように熱かった。あの夜に聞いたもう限界だ、というフレーズが脳裏をよぎり恐怖で凍りつく。
完全に意識を失った彼の身体を抱えると、私は自分の家まで急いで転移した。




