第九章:靴下の白米、ほまれの紫煙
大槻海軍大尉が下した「武士道」の決断により、海軍第7根拠地隊の臨時貯蔵庫の頑丈な木箱から、ついに陸軍の残存兵たちへ向けて物資が回されてきた。
「……うめぇ、うめぇな……っ」
ガリガリに痩せこけた陸軍兵たちは、配給された乾パンを貪るように頬張り、数ヶ月ぶりとなる本物の食糧の味に、泥まみれの顔にようやく人間らしい笑顔を取り戻していた。
「おい、1日の量は厳格に決まっているからな。欲張るなよ」
そう言って、第三種軍装の袖を気怠げにまくった大槻大尉が、貯蔵庫の奥からおもむろに差し出したのは、海軍の白い軍用靴下だった。
陸軍兵たちが息を呑んで見つめる中、その靴下の網目の隙間からこぼれ落ちそうになっていたのは、南方の烈日のもとで白く、眩いほどに輝く本物の白米だった。
「お、お米だ……。本物の白米だ……っ」
佐藤上等兵をはじめ、飢えと脚気で死にかけていた陸軍兵たちの目から、大粒の涙がボロボロと泥の頬を伝ってこぼれ落ちた。金鵄勲章よりも、大本営の感状よりも、今の彼らにとってはこの靴下に詰まった一升の白米こそが、何よりも尊い命の輝きだった。
敵の偵察機や斥候(斥候兵)の目を欺くため、兵士たちはジャングルの鬱蒼とした奥地、光の届かない泥壕の最奥へと身を潜めた。
巌が不器用な手付きで大切に擦った、一本の貴重なマッチの赤黄色の火が、飯盒の底の薪へと静かに移る。やがて熱帯の熱気の中に、数ヶ月ぶりとなる芳醇な米の炊ける匂いがじっとりと立ち込め始めた。
久しぶりの、命懸けの飯盒炊爨。
炊き上がったばかりの湯気立つ白米に、海軍から分けてもらった貴重な調味料の塩をパラパラとまぶす。おかずなど何もない。ただの塩むすびのような飯を、兵士たちは熱さも忘れて口へと放り込んだ。
「うまい……! うまいなぁ、伍長殿……っ!」
「……ああ。……うまいな……」
全身を新しい包帯で巻き直してもらった黒金巌伍長も、焼き潰れた喉を震わせ、塩の滲みた白米の味を不滅の胃袋へと噛み締めていた。
食後、混成陣地にはさらに至福の時間が訪れた。
海軍から手渡された紙巻煙草――帝国陸海軍の兵隊に配給されていた高級煙草「ほまれ」に、兵士たちは代わる代わる火をつけた。
「ふぅーーーっ……」
佐藤上等兵や他の陸軍兵たちが、天を仰ぎながらその美味そうな紫煙をジャングルの湿った空気の中へと燻らせる。煙草の煙が、戦場の恐怖で張り詰めていた彼らの神経を、優しく、穏やかに解きほぐしていった。
大槻大尉は、泥壕の片隅でようやく一息ついていた遠藤看護婦の前に、静かに歩み寄った。
「……ご苦労だったな、遠藤看護婦」
ぶっきらぼうだが、そこには確かな敬意が込められていた。大槻は第三種軍装のポケットから、厳重に紙に包まれた小さな塊を取り出し、彼女の手元へと差し出した。
「これを使いなさい。我が海軍の、なけなしの物資だ」
手渡されたのは、前線では金塊よりも入手不可能とされる、真っ白な一個の石鹸だった。
長らく泥と血、そして赤痢の排泄物に塗れ、自分の体を洗うことすら忘れていた遠藤看護婦は、その石鹸の清清潔な匂いを嗅いだ瞬間、胸がいっぱいになった。エリートゆえに高慢だった海軍大尉の、皇国軍人としての、そして一人の男としての細やかな心遣い。
「……大尉殿。ありがとうございます……! 大切に使わせていただきます……っ」
遠藤看護婦は、泥に汚れた手で石鹸を抱きしめ、心からの感謝を大槻に捧げた。
陸海の間に、これまでにないほのぼのとした、温かい空気が静かに流れていく。
だが――ここは、あくまで生死の天秤が揺れる最前線、ニューギニアの戦場だった。
フォン半島の防衛線はすでに事実上崩壊しており、飢餓と病魔に冒されて這うように西へと敗走していく日本軍の落人たちを尻目に、圧倒的な工業力と火力を誇る連合軍の追撃の足跡は、狂おしいほどの猛スピードで、この混成陣地のすぐ近くへと急速に早まりつつあった。
(第十話へ続く)




