第七章:双胴の悪魔と、直立不動のフリちん
「な、な……なんだ、この肥溜めの様な匂いはッ!? 鼻がもげそうだぞ!!」
泥壕の奥から飛び出してきた海軍兵学校卒の超エリート、大槻海軍大尉は、第三種軍装の襟元を白手袋の手で押さえ、強烈な発酵牛糞の異臭に男涙をボロボロと流しながら絶叫した。
その、涙目で大騒ぎする海軍将校の前に、全身包帯のミイラ男――黒金巌伍長は、下半身の包帯をすべて剥ぎ取られた完全なる「フリちん姿」のまま、泥濘を踏みしめて一歩前に進み出た。そして、これ以上ないほど美しい陸軍式の姿勢で、直立不動のまま焼き潰れた喉から掠れた声を張り上げた。
「……はっ! ただいま、戦線へ復帰致しましたッ!」
「規律以前の問題だろアイツはーーーッ!」と、四つん這いで嘔吐している佐藤上等兵のツッコミが響く中、大槻大尉の怜悧なエリートの眼光が、巌の足元の泥濘へとカチリと向けられた。
大槻は、見てしまった。
この世のものとは思えない大量の黒いヘドロ状の排泄物。そのド真ん中で、巌が昨日軍記上許せんという歪んだ正義感のまま生のまま貪り食った、あの巨大ネズミの「未消化の長い尻尾」が、朝靄の中で微かに、うねうねと蠢いているのを。
大槻大尉の顔から血の気が引き、その的外れなエリート脳が一瞬で大真面目な誤変換を起こした。
「……き、貴様、何者だ……っ!? 陸軍には、我が海軍の預かり知らぬ『極秘の生体薬品』でもあるというのか!?」
「「「…………」」」
大真面目に「陸軍の新兵器」だと勘違いして戦慄している大槻大尉を前に、巌伍長も、横で右フックの拳を握り締めていた遠藤看護婦も、ただただ目をぱちぱちとさせるしかなかった。この海軍将校は一体何を言っているのだろうか。
陸海の歪んだ対立とカオスが極限に達した、まさにその時だった。
「――敵機ッッ!!! 防空壕へ急げええええーーーッ!!!」
ジャングルの後方の泥壕から、見張りの海軍兵の引き裂くような怒鳴り声が響き渡った。
全員がハッとして頭上を見上げた瞬間、熱帯の鬱蒼とした犬槇の隙間から、耳を聾する悲鳴のような金属質の過給機音がジャングルを圧した。
米軍の双胴の悪魔――P-38ライトニング戦闘機が3機、プロペラの風圧でヤシの葉を激しくなぎ倒しながら、混成陣地を目がけて一直線に突っ込んできたのだ。
ドババババババババババババババババーーーーンッッッッ!!!!!
ブローニング12.7mm重機関銃の猛烈な機銃掃射が、爆音と共に辺り一帯の泥濘を激しく耕し、跳ね上がった泥と木の根が四方に吹き飛んだ。一瞬にして生と死の境界線が吹き飛ぶ修羅場。
「糞っ、退避しろ!」
大槻大尉が海軍刀を抱えて泥壕へ飛び込み、佐藤上等兵も円匙を放り出して防空壕へと頭から滑り込む。
「遠藤さん、こっちだっ!」
巌は焼き潰れた喉から叫ぶと、一切の躊躇なく遠藤看護婦の手をガシッと掴んだ。
原住民の禁忌の呪いによって強制的に動かされている巌の肉体には、もはや恐怖心だけでなく、「羞恥心」なんてものは最初から1ミリも、綺麗さっぱり皆無だった。
上半身は乱れなき帝国陸軍の下士官の完全軍装。下半身は一物を朝靄の中に堂々とぶら下げた、完全なるフリちんのミイラ男。
巌はその奇怪な姿のまま、機銃掃射の弾雨が降り注ぐ泥の上を、カチカチの確かな陸軍式のダッシュで爆走した。右フックを決めたばかりの遠藤看護婦の細い手を力強く引き、銃弾を紙一重でかわしながら、大槻大尉や佐藤上等兵が逃げ込んだ防空壕の暗闇へと、無音の猛スピードで突っ込んでいく。
(第八話へ続く)




