第三話:一選抜上等兵の仁義
夕闇がジャングルの木々をドス黒く染め上げる頃、黒金巌伍長と遠藤看護婦は、泥濘の奥に広がる異様な空間を前にして、うつろな気分で立ち尽くしていた。
「……伍長殿、あれ……」
遠藤が声を震わせる。冷え切った朝靄が晴れ、冷静になって周囲をよく見回した瞬間、二人はその凄惨な光景に完全に目を見張った。
そこにあったのは、凄まじい数に及ぶ日本兵の死体の山だった。
雨季の湿った泥を吸ってブヨブヨに膨張し、皮膚が青黒く変色した死骸が、ジャングルのシダの葉を押しつぶしてゴロゴロと転がっている。皆ガリガリに痩せこけ、無精髭だらけの顔を泥に埋めていた。
軍服や軍靴といった上等な装備を身につけている兵隊など、皆無だった。動ける敗残兵たちに全て剥ぎ取られたのだろう。褌一丁で泥まみれになった骸たちは、例外なく、ただ餓死の象徴であるアルミ製の飯盒だけを、爪が食い込むほどの異常な力でギチギチと胸に抱きしめたまま息絶えていた。
「う、く……っ」
熱帯の猛烈な熱気と混ざり合い、鼻腔の奥にベッタリとへばりつく脳を揺さぶるような強烈な死臭。開いた口や眼窩から夥しい数のウジ虫が蠢き、すでに肉が腐り落ちて白骨化している兵隊の姿を見た遠藤看護婦は、耐えきれずにその場に崩れ落ち、激しい嘔吐を催した。
目を背けたくなる地獄の光景。だが、これがフィンシュハーフェンの戦場の紛れもない現実だった。
巌は包帯の隙間からその惨状を見つめ、焼き潰れた喉から静かに、掠れた声を絞り出した。
「……見なくていい。少し待っていろ……」
一切の痛み(感情)を呪いで消された不滅のミイラ男は、その不器用な手付きで、死体たちのボロボロに裂けた背嚢を一つずつ漁り始めた。見つけたのは、雨水に濡れて緑色のカビがびっしりと生えた、たった2個の乾パンだった。
巌はそれを九五式軍刀の先で不器用に向き、カビを削ぎ落として半分に割ると、遠藤と二人で静かに分け合って口に運んだ。ジャリ、と砂の混じった乾パンが、極限の胃袋に染み渡っていく。
夜が更けると、熱帯とは思えないほどの、ニューギニア山岳地帯特有の激しい肌寒さが二人を襲った。
巌は背嚢から使い古された携帯天幕と軍用毛布を取り出して遠藤に与え、自身の手の届く範囲には、いつでも戦えるよう三八式歩兵銃を音もなく横たえた。
今は叩き上げの伍長に進級している巌だったが、この極限の闇の中で、かつて自分が最も過酷な競争を勝ち抜いた時代のプライドがふっと口を突いて出た。巌は包帯に包まれた顔を向け、大真面目なトーンで言った。
「安心しなさい。俺は一選抜の上等兵なんだ」
「……は?」
遠藤看護婦は、毛布にくるまりながら首をかしげた。この人、さっきは伍長って名乗っていたのに、昔の階級の誇りが先祖返りして出ているのだろうか。
しかし、巌の不器用な暴走は止まらない。彼は真剣極まるトーンのまま、ボソボソと焼き潰れた喉を震わせた。
「……ところで、小便がしたいんだが……手が不器用で、上手く股間の包帯が取れない。すまんが、遠藤さん。俺の股間を出してくれ」
「「「…………」」」
遠藤看護婦は、毛布の中で完全に唖然とした。
本気で部隊の移動先(行き先)を知らないままジャングルを飛び出し、死体の山を前に「一選抜の上等兵だから安心しろ」と意味不明な自信を語り、挙げ句の果てに、真顔で「股間の包帯を解け」と抜かしている全身包帯のミイラ男。
(この人のその根拠のない自信は、一体全体どこから来るのかしら……!?)
遠藤看護婦が怒りを通り越して宇宙を見るように呆れ果てる中、二人が野営を敷いた洞窟のすぐ近く、暗いジャングルの奥深くからは、陸軍への対抗意識を燃やす大槻海軍大尉の理不尽な怒鳴り声と、同郷の佐藤上等兵が必死に泥を掘るショベルの音が、完全に行き先を見失った凸凹コンビの元へと、確実に近づきつつあった。
(第四話へ続く)




