第九話:結界
セイランは斧を振り下ろしていた。薪の用意のためだ。
日の出の光が斧に反射し、少し眩しい。体を動かしているとあまり寒くはなく、額の汗を拭って、セイランは一息ついた。
「おはよう、セイラン。朝から精が出るねぇ。ご苦労さん」
「おはようございます。ユウロンが怠けている分、これくらいはしないと」
ケイリンは労ってくれているのか、温かいお茶を出してくれた。軒下に座ってぽんぽんと床を叩いていて、セイランも促されるように腰を下ろした。
「ここには慣れてきたかい? さすがにここでも、人がいるというのは珍しいからね。馴染めているといいんだが」
「……ちょっと浮いているような気もしますけど、子供たちがちょっかいをかけてくるくらいで、そんなに困ってはいません。外見は人とあまり変わらない方も多いですし」
とても大きかったり、体の一部が動物のような見た目だったり、見慣れない姿の者もいるけれど、ユウロンと比べれば優しそうに見えるくらいだ。
「そうかい、それならよかった。ちょっかいをかけてくるってのは、赤みのある肌の犬っぽい子かい?」
「そうです。耳も犬のような子でした」
悪意があるようには見えず、いたずらっ子といった印象だった。
「その子はティエンだろうね。親もわからないような、孤児たちのガキ大将さ。誰かに構ってほしがるのは、人も妖怪も同じなのかもしれんね……」
確かに祖父がいなければ、もっと人に飢えていたかもしれない。ティエンと同じように、誰かの気を引きたくなるのは何故なんだろう。そう思った矢先、物音がして薪を置いていたところを見ると、そのティエンが立っていてニヤリと笑っていた。
「やめときな、ティエン。怪我するよ」
ケイリンの制止を意に介していないのか、ティエンは薪を抱えて逃げ出した。
「待って!」
セイランは陽の気による身体強化をつかいかけた。しかし何かにつまずいたのかティエンはこけて、薪が地面に散らばっていった。
「いてて……」
ティエンの足元には、小さな結界らしきものがあった。これに引っかかって、倒れてしまったのだろう。
「ここはあたしの縄張りだからね。結界をつくることくらい簡単さ。ティエン、お前も知ってるだろう?」
ティエンはしょぼくれているようで、擦りむいた膝を抱えていた。セイランが近寄ろうとすると身をすくませ、怯えているのが伝わってくる。それでも近づくと、手に陽の気を込めて、治癒術を施した。
「ここじゃあたし以外は、ほとんど治癒術は使えないからね。セイランに感謝しな」
傷がふさがっていくと、ティエンは立ち上がって目があった。頭をわずかに下げたように見え、ぶっきらぼうに「あり……ます」と聞き取れないくらいの声を発して、一目散に駆けていく。セイランは薪を拾い集めた。
「もっと聞こえるようにはっきり言わんか、馬鹿者が。すまないね、セイラン」
「いえ、大丈夫です」
「……あんたは控えめだし、一見すると陽の気が扱えるのが意外なくらいだが、陰の気の扱いが知りたいんだったね?」
セイランは期待で胸が膨らむのを、抑えようとした。ここに来てから、まだ何かを教えてもらったわけではない。ただ薪割りや農作業、料理などの日々の生活を手伝っていただけだった。ケイリンはお茶を一口飲んだ。
「陰陽の気は総量が違っても、本来は一人ひとりがどちらも拮抗するように持っているもんだ。でも利き手みたいにどちらかは扱いやすく、もう一方はつかいにくい。今となっては、どちらも扱えない者も増えているくらいだが」
あくまで傾向でしかないが、人は陽が、妖怪は陰が扱いやすいと聞いたことがある。同じ気であってもそれぞれには特徴があり、得意なこととそうでないことがあるらしい。セイランは目をつぶって、自分の中の気を感じようとした。
「陽の気は満遍なく、つかえるようだね。ただ陰の気は……かなり抑え込んでいるように見える」
ケイリンは薪を持ち、セイランに見せた。
「綺麗な断面だろう? 何かを壊したり切ったりするのは、陰の気が影響力してくる。思うように扱えないってのもあるだろうが、普段は無意識のうちに抑え込んでいるんだろう。無心で作業をするように、何も気にせず集中することができれば、つかえるようになるんじゃないかい?」
セイランにはそのつもりがなく、遠くを見て以前のことを振り返っていた。言われてみるとユウロンには気を遣おうとは思えなかったし、バツのときも夢中だったから、膨らんだ陰の気を扱えたのかもしれない。
「朝っぱらからうるせぇな、お前らは。俺の睡眠を邪魔するんじゃねーよ」
寝癖を気にする様子もなく、お尻をかきつつ大きなあくびをしながら現れたのは、ユウロンだった。ユウロンが強大な陰の気を扱えるのも、こんなやつだからなのかもしれない。
「あ、おなら出そう」
音がした瞬間、ユウロンの周りに立方体の結界が出現した。閉じ込められたユウロンは、ケイリンを睨んで鼻と口を押さえている。しかしそれも長くは続かず、青ざめた顔で息を吸い込んだ。
「くっ、くっせー! ババア!早く出しやがれ!」
ユウロンは結界を叩きつけているが、びくともしない。封じ込めるという意味では、封印術と似ているように思えた。
「自分の屁が臭いと認めるんだね……それより、セイラン。あたしの陰の気は、硬化が得意でね。それが高じて結界術になったのさ」
「祖父もたまにつかっていましたが、もしかしてケイリンさんが……?」
「まぁそうだね。弟子ってほどでもないが、気の扱いを教えたことはある。結界術に関しては、周りの被害を抑えるくらいしかできんだろうがね。あの頃のランフーは、手のつけられない暴れん坊でさ。凶星のランフーなんて、呼ばれてたんだよ」
「じ、じいちゃんが……?」
セイランにとっては、にわかには信じがたいことで、目を見開いてケイリンを見た。懐かしむように、ケイリンはくっくっと笑っている。嘘ではなさそうだった。
「そんなアイツも、惚れたのがいてね。幼馴染だったらしいんだが、あまりのやんちゃっぷりに愛想をつかされたのか、振られちまってさ。しかもその子は別の真面目な男とくっついちまって、あのときのアイツには気の毒だが、おかしくて仕方なかったよ」
祖父のことは知っているようで、知らないことばかりだ。セイランは自分の両親のことを聞いても躱されて、それどころかランフーの他の家族のことすらよく知らない。
セイランが孫であるということは、ランフーも誰かと結婚して、その間の子がまた誰かと結婚したことで、セイランが生まれたはずだった。
「じい……祖父はその後、誰と結婚したんですか?」
「アイツが結婚? あぁー…………いや、どうだったかねぇ……?」
何か知っていそうなのに、はぐらかされているようで、ランフーもそんな顔をして誤魔化すことがあった。そのうち聞きにくくなり、聞くこともなくなって今でも何もわからないままだ。
「そういやあのカイエンとかいうのが、ランフーと小娘はあんまり似てないとかなんとか言ってたわ。どうでもいいけど」
ユウロンは鼻が慣れてきていたのか、結界にもたれて鼻をほじりながらそう言った。
確かに思い返してみても、似ていると言われた記憶はない。皇子であるカイエンにも、そう見えたらしい。
親子でも似ていないことくらいよくあるから、あまり気にしていなかったが、そう言われると胸がつかえるような気分になってくる。
「そんなことより、練習だ、練習!」
ケイリンは気を散らすように手を叩いた。結界が解かれたことで、もたれていたユウロンはずっこけていた。
「急に解くんじゃねぇ! ババア!」
ケイリンがユウロンを一瞥すると、不服そうな顔をしていたが「二度寝してくるわ」と部屋に戻っていく。入れ替わるようにバツがやってきて挨拶を交わすと、ケイリンはバツくらいの大きさの結界を出現させた。
「封印術と結界術は似ているところがあるが、封印術が陰陽の気を均衡させるのに対して、結界術は均衡させなくてもいいんだ」
「釣り合わせなくても、つかえるのですか?」
「あぁ。陰陽の気の割合を変えることで、硬くもなれば柔らかくもなる。今つくった結界は同じくらいの気を込めてつくったから、封印のときみたいに均衡させないと、破壊できないよ。修行ってほどでもないが、試してみるといい」
セイランはさっそく、冷たさを思い出しつつ結界に手刀を入れた。
しかし、結界は硬すぎず柔らかすぎず、弾力があってしなやかで、めり込みはしても壊すのは容易ではなさそうだ。
バツはおにぎりを食べながら、期待の眼差しで見ている。セイランはいいところを見せたくて、深呼吸をして気合を入れた。




