第八話:麒麟
「ねぇねぇ、のど渇いたよね。水出してよー水!」
「出さねぇつってんだろ! 湧き水じゃねえんだよ、俺は!」
あの力があるバツにとって、水は特別なのかもしれない。
とはいえ、混仙郷までの道中で、水や食糧がつきかけているのも確かだ。もう山の麓が目の前にあり、目的地はこの辺りのはずだった。
「混仙郷って、この辺だよね?」
「まぁそうだが、入口がこことは限らん。結界術が得意なやつがいるからな。弱いやつは、まどろっこしいことばかりしやがる」
いちいち貶さないと気が済まないのだろうかと肩をすくめていると、バツがふうっとユウロンの顔に息を吹きかけた。
「ぎゃっ! あちいって、このガキ!」
馬の上では追いかけることもできず、ユウロンは息巻いている。
乗っていなくても、今のユウロンでは届かないくらいには、バツは浮くことができるから、天敵と言えるのかもしれない。
「あ〜、むしゃくしゃする! この辺を水浸しにしてやりてぇ。そうすれば入り口くらいわかるだろ」
ユウロンは右腕をセイランに突きつけ、手首を振って封輪を見せつけてきた。解いて欲しいのだろう。
セイランがどうしようかと考え始めたとき、響くような声がどこからか聞こえてきた。
「相変わらずだね、ユウロン。ランフーの使いの式神から、話は聞いてるよ。入り口の結界を解くから、入ってきな」
その声と同時に、ただの山々の景色だと思っていたところから、大きな門が出現した。結界は迷彩のような役割も果たしているようだ。
地響きとともに門が開くと、ランフー以上の巨体の者が現れ、セイランは身じろぎした。
「そいつはシャオって名の、門番みたいなもんでね。図体はでかいが、怖がることはないさ」
シャオの後ろから出てきたのは、三十歳くらいの金髪をまとめている、綺麗な女性だった。
山吹色の着物を着ていて、額に丸みを帯びた角がある。
門を開けてくれたらしいシャオは、蟹らしきものをかじりながら、黒い毛を揺らしてのしのしと歩いて行った。
「あたしはケイリン。セイランとは初めましてだね」
「はい、そうです。じいちゃ……祖父に言われて、やって来ました」
「ランフーの孫か。なるほどねぇ……」
ケイリンに舐めるような視線を向けられ、瞳を見つめられたかと思えば、腕をまくられたり、髪を触られたりして、セイランは固まっていた。
緊張しているのがわかったのか、バツが肩にふんわりと乗って来て、顔を見合わせると目を細めて笑っている。
セイランもそれにつられるように笑みがこぼれ、緊張が和らぐのを感じた。
「この小さいのがいるとは聞いてなかったが、どこのどいつだい?」
「バツっていう子で、ここにくる途中で仲間になりました。いい子ですし、迷惑にはならないと思います」
「バツ、そうか……」
ケイリンが真顔でバツを眺める一方で、ユウロンは地団駄を踏み始めていた。
「──この俺様を、無視してんじゃねーぞ! クソババア!」
ユウロンはケイリンに蹴りを入れようとしたらしい。ケイリンは避けることもなく、蹴りが入ったかに見えた。
しかし、ユウロンは脛をおさえて、地面に転がって呻いた。
「こんなちんちくりんになっちまって。ほんとに笑えるよ、ユウロン」
「うるせぇ、ババア! ぶっ飛ばしてやる!」
声を荒らげるユウロンに、敵わないとわかっていながらよく向かっていくものだと、セイランは思った。
「今のは陰の気をつかった、硬化だよ。術ってほどでもないが、子供の蹴りなんて効かないね」
「ちくしょう、俺だってそれくらいできたわ!」
「過去のことだね。それよりセイラン、馬は預かっておくから、あそこで休憩しな」
負け惜しみを言うユウロンを一蹴して、ケイリンは奥の建物に入るように促した。
麒麟が描かれた扉を開けると、円形の食卓に焼売や栗のご飯、魚介の汁物などが並んでいる。ユウロンは涎を垂らしていて、セイランもごくりと喉が鳴った。
「そんなに贅沢なものはないけど、山の幸はあるからね。今日は少し奮発したよ」
「ありがとうございます! こんなによくしていただいて」
「ユウロンはともかく、ランフーとはよしみがあるからさ。たんとお食べ。あたしは向こうに行ってるよ」
ユウロンは言われる前から、ぐちゃぐちゃと音を立てて食べている。セイランは呆れを通り越して、恥ずかしくなった。
セイランが「いただきます」と言って食べはじめると、好みの辛さはあまり感じなかったが、素材の旨みを感じた。疲れた体に、とても沁みる。
バツの口にはあっただろうかと様子を伺うと、お茶だけを飲んでいるようで、口をつけていない。
横取りしようとしているユウロンの手を、セイランは嗜めるように掴んだ。
「バツは食べないの? 苦手なのがあった?」
「ううん、そんなことない。でも、わたしはお茶だけで、大丈夫だから」
「そう? バツがいいなら、無理には言わないけど……」
今のバツからすれば、食べ物が大きすぎるのかもしれない。それでも、バツは我慢しているようにも見える。
特に焼売を食べようとすると、じっとこちらを見つめて少し口が開くのが、視界に入った。
「……一口だけ、どう?」
バツはためらいがあるのか、口を一文字に閉じている。セイランは箸で焼売を一つつまみ、半分くらいの大きさにして、口元に持っていった。
「はい、あーん」
ようやくバツは、口を開いて焼売を食べはじめた。味わうように、もぐもぐと噛んでいる。
そんなバツをセイランが見守っていると、バツの瞳がみるみる潤んでいく。そして一筋の涙がバツの頬をつたい、セイランは狼狽した。
「だ、大丈夫? 嫌だった?」
「ううん、い、嫌じゃないよ。うっ、ひっぐ、だって、こんなにおいしいもの、ずっとずっと、食べてなかったから……」
バツは鼻をすすって、泣きじゃくっている。
そういえば会ったときも、ずっと一人だったと言っていた。
キョンシーは死にきれなかった妖怪だから、何も食べるものがなくても、現世をさまよい続けていたのだろう。
疎まれ、何も食べられぬまま、一人さまよう。それを想像してみただけでも、セイランの目頭は熱くなった。
「食べたかったけど、食べちゃったらまた一人ぼっちになったとき、恋しくなってつらくなるのが怖かったの……」
「もう大丈夫、一人じゃないからね」
セイランは肩を抱き寄せ、手巾でバツの涙を拭った。
「……食いたいならそう言え、ガキが」
ユウロンはばつが悪そうな顔をして、手を引っ込めている。セイランにとっては、予想外の反応だった。
「ユウロン、昔のあんたと同じじゃないかい?」
バツの泣く声が聞こえたのか、ケイリンが傍に来ていた。
ユウロンはむすっとした顔で、ただでさえ悪い目つきをさらに鋭くしている。
「俺は泣いてなんかねぇよ!」
「そうだったかねぇ? 行き倒れてなかったかい?」
「ち、ちょっと休憩してただけだって……」
ユウロンにしては歯切れが悪く、口を尖らせている。ケイリンは口元を緩めた。
「この混仙郷には妖怪もいるにはいるが、ほとんどは人と妖怪の血が混じっている混血や、人化してきている者がほとんどでね。人界にも妖界にも馴染めず、行き場がなくなった者がよくやって来るんだ。ここはそういうのが集まってできた、集落なんだよ」
「……ふん、てめぇもだろ? ババア」
「まぁ中央にいられなかったって意味じゃ、そうだね。改めて自己紹介をしよう。あたしはケイリン。麒麟の名を継承する、結界術師だ」
セイランは言葉を失っていた。四神には数えられていないが、黄龍と対応しているのは麒麟だと聞いたことがある。
セイランは、まさに伝説と言える存在を、目の前にしていた。




