第七話:干ばつ
街道を抜けて、飛龍を走らせていると、人の地域から離れてきていた。
草原から荒野に変わりつつあり、昼間だというのに行く先には暗い雲が広がっている。ここからは油断ならないと、セイランの手綱を握る力が強くなった。
「もう妖怪が出てきてもおかしくはねぇが……どうするつもりだ?」
「……逃げる」
「はぁ? 逃げれるとは限らねぇだろ」
確かにユウロンの言う通りではある。倒すこと、封印することができそうにないなら、逃げるしかない。でもそういう相手は手強い妖怪だから、逃げることすら困難だろう。
「俺の封印さえ解いてくれればなぁ。お前は解封できるようになんのか? できたとして、俺はいつになったら解放されるんだ?」
「……わからないけど、今は解封できたとしても一時的で、すぐに再封印されるはず。五つの封印がすべて解けた暁には、自由の身になれると思う」
「クソ〜! こんな子供の姿のまま、雑魚どもにやられたくはねぇぞ!」
ユウロンは頭をかきむしっている。いつになったら解封できるのかというのは、セイランにとっても心配の種で、旅を続けられるのかも自信がない。セイランは乾いた唇を触った。
「……おい、小娘。この辺り妙に干からびてねぇか?」
言われて地面を見てみると、荒野にしてもひびが入っていて、草木が枯れ果てている。
干ばつでもあったかのような荒れようで、空気が乾いているのも納得する光景だ。
様子を見るために飛龍から降りて、少し先にある岩に近づくと、岩陰から誰かが姿をあらわした。
「あれは、キョンシー……か? キョンシーにしては、飛び跳ねてねぇが」
ユウロンよりも小さいくらいだろうか。褪せた青色の衣を着ていて、黒い帽子をかぶっている。
札は貼られているものの、機能していないようで、近づいてきたキョンシーの緑色の目には、光がなかった。
「あなたたちは……人?」
「なんだこのキョンシー、喋れるみてぇだな。死人は土に還れ!」
「ちょっと黙って。私はセイラン、人間です。あなたは?」
そう答えると、キョンシーは苦渋に満ちた表情に変わった。頭を抱えたかと思うと、喉がひどく渇きそうな風が吹いてきた。それまで肌寒かったはずなのに、周りの気温が上がってきているようだ。
「この熱風……! どうやらこいつが原因のようだな、干ばつキョンシーめ!」
「うるさい! 人間め! 私を捨てて、ひとりぼっちにしたくせに!!」
燃え上がるような声をあげて、キョンシーは歯を食いしばっている。その瞳の奥から嘆きを感じるけれど、滲む涙すらも乾いてしまいそうなほどの熱だ。
「ぐっ、こんな雑魚にやられてたまるか!」
ユウロンはキョンシーに向かって、飛び出していった。しかし拳は届かず、熱風で吹き飛んでいき、でんぐり返しのような体勢で転がっている。
普段なら笑ってしまいそうな姿だが、今はそれどころではなかった。ユウロンを抱えて飛龍に乗り、逃げた方がいいのかもしれない。
「あなたも、私を置いていくの?こんなどうしようもない力があるから?」
「……!」
一人だけになってしまうのは、セイランにとっても想像するだけで、背筋が寒くなるようなことだった。両親には会ったことがない。
祖父であるランフーの存在が心の支えで、いつか両親にも会ってみたいと思っていた。
だから、このキョンシーの事情は知らないが、放ってはおけない気持ちになってきて、セイランはためらった。
「おい、小娘! 俺の封印を解きやがれ! さもないと死ぬぞ!」
心配しているのはセイランのことではなく、封印が解けなくなってしまうことなのだろう。
でも、逃げないのなら、そうするしかない。
ユウロンが言っていたことを思い出す。陰の気を膨らませるには、冷たい意識を要するらしい。
セイランは他人に対して、そこまでの気持ちになった覚えはなかったが、ユウロンには初めて強い嫌悪感を抱いた。
他人を気にしすぎてしまうのは、我ながらどうかと思っていても、気にしなさすぎるのも好きになれない。
ユウロンの言うことを、そのまま鵜呑みにはしたくない。それでも均衡を保つことは、陰陽の気を合わせるという意味でも、要となるのだろう。
「行かないで!」
キョンシーに右腕を強く握られた。手は冷たいのに、肌に当たる風は焼けるように熱い。心の渇きが、キョンシーにあるのを感じた。
「……待ってて」
「えっ?」
目を丸くしたキョンシーの力は緩み、セイランは走りだした。熱風が押し寄せてくるのも追い風にして、ユウロンに近づいていく。
そして、右腕の封輪に触れた。
「──第一封印、解!」
封輪にひびが入ると、その間から黒い閃光が走り、ユウロンの姿が見えなくなっていく。
セイランがまぶたを開けると、薄ら笑いを浮かべるユウロンが立っていた。
心なしか、大きくなったように見える。見た目はさっきまでのユウロンと、セイランの間くらいの年齢だろうか。
「ふん、一つ解くだけなのに手間をかけやがって。下がってろ」
ユウロンは逆風の中、悠々と歩いていく。
あれだけの乾きと熱風を浴びているにも関わらず、ものともしていないようだ。
「黒龍の五行が、どれか知っているか? それは……水だ」
右腕から水があふれてきている。その水を龍のようにうねらせ、ユウロンの周りにまとわせていった。
「くらえ、キョンシー」
「水が、あんなに……!」
「──水剋龍!」
水の龍は、愕然としているキョンシーを飲み込んだ。
辺りは水浸しになって熱風はおさまり、セイランは渇いた喉を鳴らした。右腕の封印を解いただけなのにと、目を見張った。
「キョンシーごときには贅沢だったか……飽きるほど飲むがいい」
キョンシーは膝をついていた。しかしユウロンは歩みを止めず、右腕を上げてまた龍をつくりだそうとしているらしい。セイランは思わず叫んだ。
「ちょっと待って! ユウロン!」
「なんだ? 小娘。水では渇きは防げても、とどめは刺せんからな」
「それはやめて。私が封印するから、もう人妖大戦みたいなのはやめようよ。じいちゃんだって、そのために封印術を選んだんだから……」
「……………」
ユウロンは何も言わずに、黙っている。人と妖怪が殺し合う連鎖を止めるために、ランフーは封印術の道を選び、セイランもそれを目指していた。
このキョンシーも、人妖大戦の被害にあったのかもしれない。
封印でおさめたいセイランだったが、ユウロンはキョンシーの目の前で、小さな黒龍を突きつけていた。
「ユウロン……」
「お前に、できるのか?」
セイランは力強く頷いた。
自信はなくても、可能性があるならやってみたい。
「……ふん。やれるものなら、やってみろ」
ユウロンはぼそりと呟くと、右腕を下げた。
「あなたの名前は?」
「……よく覚えてないけど、バツって呼ばれたのは覚えてる」
キョンシーはびしょ濡れで、戦意を喪失しているようだ。
これなら、封印もしやすいかもしれないが、セイランには聞いてみたいことがあった。
「その名前と、捨てられたっていう寂しさだけが残ってて、人を見ると思い出しておかしくなってしまうの……ごめんなさい」
「……寂しい気持ちは、よくわかる。あの力も制御できないの?」
「うん……だから捨てられたのかも。今の姿になる前は、醜い猿や小鬼みたいだって言われてたし、この力のせいで干ばつが起きるからって嫌われて、ずっとひとりぼっちだった」
うなだれるキョンシーを見ていると、セイランは不思議と他人事に思えなかった。冷たい手を握り、目を合わせた。
「バツって呼んでいい?」
「……うん」
「私は、封印術師になる修行中。制御できないなら、その力ごと封じてみるのはどう? 完全には無理でも、弱めることくらいはできる」
「……本当?」
バツの瞳に、わずかだが光が宿ったように見えた。
制御できない力に振り回されて、疎まれるというのはつらいことだろう。
「ただあそこにいる奴みたいに、小さくなっちゃうと思う。それでもいい?」
「ちょっと怖いけど、今よりはいいよね……お願いします」
「わかった……ちょっと待ってね」
セイランは封輪を取り出した。陰と陽、冷たさと温かさ、どちらが欠けても成り立たない。陰陽の気を釣り合わせて、セイランは封輪に気を込めた。
伸びた封輪はバツの頭を通って、首元で縮んでいく。
それに呼応するようにバツの体も縮んでいき、腕で抱えられそうなほどの大きさになった。
「ちっさ。元からちっさいのに、雑魚はさらにちっせぇな」
セイランは、ユウロンをじろりと睨んだ。
ユウロンの右腕にはすでに封輪がはまっていて、一時的な解封から再封印されたらしい。完全に解けなければ、自動的に封印は戻っていく。
「アンタは黙ってて。バツは大丈夫? なんともない?」
「うん! まだ慣れないけど、調子はとってもいいみたい!」
バツの体はふわふわと浮き、ほんのりと暖かい風が頬に当たった。
力を完全に封じられたわけではないようだが、ちょうどよかったのかもしれない。バツはセイランの周りを飛びまわって、はしゃいでいた。
「ありがとう! セイラン!」
「どういたしまして。よかった……」
セイランは、胸を撫でおろした。
バツは気だるそうにしているユウロンに近づき、からかうように飛んでいる。
鬱陶しそうな顔になったユウロンの頭を、バツはぺちぺちと叩いて逃げていった。
「うぜぇ! このクソガキ〜! 待ちやがれ!」
「さっきみたいに水を出してみてよ〜。あはは!」
バツを追いかけ回すユウロンを見ていると、なんだかおかしくなってくる。セイランは微笑みながら、その光景をじっと眺めていた。




