第三十三話:決断
セイランは、刺した。
全身に傷や衝撃を受けながらも、その刃は確かに届いて、突き刺さっている。レイロンの胴を、刺し貫いたのだ。
「痛みを知りなさい、レイロン!」
「ぐっ……! そう、だね……これで、やっと……」
痛みで歪んでいたレイロンの顔が、もう穏やかになっている。
セイランは刃を引き抜き、首を差し出すようにうなだれるレイロンを、冷たく見下ろした。
「──やめろ! もう、やめてやってくれ……!」
ズァイロンの悲痛な声が上がる。息を呑むような、刹那の沈黙。
しかし、セイランはもう一度、刃を振り下ろして斬った。首を斬り落とすつもりで、斬ったのだ。
「姉御! そんな……」
戦いは止まり、ムシキは両膝をついて棒を地に落とした。
鮮血が滴り、桜よりも真っ赤に染め上げる。腹からは臓物が飛び出し、首から血を噴き出しながら、頭が転がっていく。
──そのはずだった。
しかし、お腹を押さえていたレイロンが、状況を飲み込めないという顔をしながら、手を離した。
そもそも頭はつながったままで、お腹からは臓器どころか、服が血で染まることもなく、血の一滴も出ていない。
「セイランさん、あなたはどこまでも……」
「痛みを知ってくれればいい。実感しないと、わからないでしょう?」
セイランがシェンウーから受け取ったあの宝剣、選んだのは不殺の剣である、宵錬だった。
痛みはあるが、その傷はたちまちふさがる剣だ。セイランはすでに、自分の腕を斬って確かめていた。
殺したいほど憎い相手でも、セイランはレイロンのことを何も知らない。知ったところで、許せないこともあるだろう。
しかし、ティエンとムトウのように、お互いのことを知ることができれば、何かがわかるかもしれない。
助けたつもりが、あの二人にセイランは助けられ、教えてもらったのだ。セイランは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「ここまでくると、見上げたもんだな」
ユウロンは小さくなった体で、言葉通り見上げながらそう言ってきた。
バツも力をつかい切ったのか、ボウテンコウからキョンシーの姿に戻っている。セイランとバツは、喜びを分かち合うように抱き合った。
「セイランは、すごいね。止めたかったけど、わたしが止めるまでもないんだから」
「ううん、みんなのおかげでもあるんだ。もちろんバツもだよ」
ケイリンとチーチェンが微笑んでくれているが、ズァイロンとムシキはにわかに殺気立っている。ムシキが棒を手に取ろうとしたとき、レイロンがよく通る声で言った。
「やめなさい、ムシキ。ズァイロンもです。もう、いい……これまで付き合ってくれて、ありがとう」
「姉御……」
ムシキは滂沱の涙を流し、レイロンを支えようとしている。
ズァイロンは唖然としているようだったが、こらえきれなくなったのか失笑した。
「はっ、お前らはそんなんばっかりだな。姫さんに、そこの白龍の女まで。ユウロン、お前だけ浮いてるんじゃねぇの?」
「うるせぇな。こいつらがお花畑なだけなんだよ」
ふてくされたように、あぐらをかきながら頬杖をつくユウロンだったが、隠しきれていない口元が、かすかに上がっているようにも見えた。
「……ん? 聞き流しそうになったが、姫さんって誰だ? 俺らの中に、姫なんていねぇぞ」
「あ~お前ら、まだ知らんのかよ。無知も甚だしいな」
「てめぇに言われるとは、屈辱でしかないんだが。この蛇野郎」
いがみ合っている二人に向かって、レイロンが声を出した。まだ痛みがあるのか、こらえているような声だった。
「バツさんのことです。ズァイロンから聞いたときは、とても驚きました。あなたを攻撃するのは、ためらわれますからね」
「こんなころころ見た目が変わる、このガキが?」
セイランもユウロンと同じように、バツを見つめた。バツは口ごもりながらも、驚くべきことを告げた。
「わたしは、あのシユウたちと戦ったことがあるの。勝利した父は、皇帝に即位したんだ」
「……現皇帝どころか、その頃の皇帝の娘ってことか!?」
「でも、戦いが終わってからも、力が制御できなかったわたしは遠くに追いやられて、いつの間にかさまよう醜い妖怪になってた。人に捨てられたっていう記憶だけが残ってたんだけど、コアフさんからカンバツって人の話を聞いて、自分のことだって思い出したんだ」
「だから混仙郷でも、手を出さなかったわけか。レイロンと目の色が似ているとは思ってたが、まさか本当につながりがあるとはな」
ユウロンは腑に落ちたようだったが、セイランは目を剥いたまま、もじもじとしているバツを見つめ続けていた。
「レイロンにとっては、ご先祖様ってことだ。ボウテンコウになるとまでは、思ってなかったがな〜」
「ふぅん、まぁそれはわかった。それより青龍の女、質問に答えろ。どういう目的で、何をしようとしてたんだ?」
ズァイロンの言うことをあしらって、ユウロンは尋ねた。セイランにとっても聞きたいことで、身を乗り出してしまう。
「人妖の均衡を保ちたかったのです。ご存じの通り、四神は気の均衡をいつも意識していますが、四龍は違うでしょう?気は偏り、力のまま暴れてしまう」
ユウロンとズァイロンは否定できずに、押し黙っている。そこで口を開いたのは、ケイリンだった。
「ムトウが言ってたよ。あの用心棒をしていたときに、やっと龍を捕らえたなんて、声が聞こえたらしいね。臨時の雇われの身だった当時のムトウは、意味がわからなかったらしい。でも、今思い返すと、もしかしたら何かあるのかもってね。あんたは、生まれつきの青龍なのかい?」
「……違います。昔から病弱で、ずっと寝込んでいましたから。それを心配した皇帝である父が、龍の力を奪う方法を司馬のロウセンから聞かされたらしく、秘密裏にある儀式が行われました」
「儀式か、怪しいね」
「目を覚ますと、私は気づけば青龍になっていて、その力が思った以上に馴染んだらしく、病も治りました。しかし龍の力を奪われた者は、死んでしまうのです」
レイロンは俯いて、あのときよりも瞳が翳っている。
もしその犠牲で力を得たとして、どんな思いになるのだろうかと想像すると、セイランの胸も苦しくなった。龍の力を得たことで、誰かの命を奪うことのつらさは、身に染みていた。
「龍換の儀、と呼ばれているそうです。私のためだったのはわかっていましたが、人として、青龍として許せませんでした。一方で自由を得て、父の喜ぶ顔も見れたのです。私の中で、愛憎が膨らみました」
「皇帝はまだ、龍を求めているようだね。ユウロンを捕らえに来たように」
「そうです。母を失ってから父は怒り狂い、妖怪を滅ぼすためにも、権力の象徴である四龍を求めるようになりました。私という成功例があったから、そちらに傾いたのでしょう。しかし、危うい力を持つ四龍が、すべて人の手に渡って人に与するようになれば、人妖の力の均衡は崩れてしまう。ズァイロンには人に与する体で、父を見張ってもらっていましたが、ユウロンさんを相手に意地を張って、暴れたようで……バツさんがいなかったら、どうなっていたことやら」
ズァイロンをひと睨みしつつ、ケイリンにそう答えたレイロンは、憂いに満ちた表情をしていた。
四神は妖怪を封印することはあっても、非力な人はそうするまでもなく捕縛される。
しかし、四龍となれば妖怪を超えるのに、人の封印となると四神には抵抗があるだろうし、皇帝や人々と、四神の間に軋轢が生まれかねない。
その末に、もし四神の継承者が途絶えれば、世界の均衡が崩れ去るだろう。
「そうなる前に、四凶やシユウを交渉材料にして、力の均衡を保ちたかったのです。私は出奔した当初、母を殺した妖怪の一族に復讐するために、さまよっていました。しかし偶然、寿命が近くなっていた青龍のおばあさんに出会い、封印術を教えてもらいました。幸い才能があったらしく、他に引き継ごうとする者がいなかったのでしょう。亡くなる直前に、封印術師の青龍を継承することになり、私は復讐をやめて均衡を保つ手札として、シユウの封珠を集めることにしたのです」
「じいちゃん……じいちゃんはどうなったの?」
「四神の命を本当に奪っては、本末転倒ですから……生きています。普通は人を封珠に封印はしませんが、あの人は強すぎましたので。チーチェンさんなら、傷を癒すこともできるでしょう」
張りつめていた心が一気に解けて、セイランは座りこんだ。幼子のように声が出て、あふれてくるものが止まらない。
「俺より水が出せそうだな。塩水じゃ、飲めねぇけど」
ユウロンの皮肉と薄ら笑いが、今だけは転化のように、正反対の意味に感じる。
桜の木を見上げると、まるでお花見に来たようだと、セイランの泣き腫らした顔とは違って、心には和やかさが広がっていた。




